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魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


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第二十七話 通りすがりの山賊


 焼いた豚肉は、思っていたよりも美味かった。


 肉そのものは上等とは言い難い。セバスチャンがどこからか仕入れてきた豚は、貴族の食卓に並ぶような丁寧に太らされたものではなく、肉質もやや硬く、脂の入り方にもばらつきがあった。だが、野営の火で焼いた肉というものには、城の食堂で綺麗に皿へ並べられた料理とは違う強さがある。


 焦げた脂の匂い。


 塩を擦り込んだ皮の香ばしさ。


 焼けた肉を噛み切った時に口の中へ広がる熱。


 木の枝を削っただけの串を持ち、赤布を少し下げて肉をかじっていると、自分が貴族の三男坊なのか、本当に山賊なのか、少しだけ分からなくなる。


 いや、分からなくなってはいけないのだが。


 俺たちは山賊ではない。


 少なくとも、本職の山賊ではない。


 あくまで、エレオノーラ殿一行をつけ狙う山賊っぽい遠乗り中の貴族一行という、説明すればするほど意味が分からなくなる立場だ。


 面倒くさい。


 だが、この面倒くささが俺たちを守る。


 火の向こう側では、エレオノーラ殿の一行がきちんとした野営を作っていた。馬車を中心に置き、護衛たちが四方へ散り、荷と火の位置を決め、見張りの順番も整えている。帝国の使者一行としての動きは見事なものだった。浮き足立っていない。俺たちという妙な一団が近くにいるのに、警戒を緩めすぎず、過剰に刺激もしない。


 大したものだ。


 エレオノーラ殿自身も、少し離れた場所で焼いた肉を受け取っていた。彼女は貴族の女らしく、雑な肉の食べ方にも品を失わない。あの赤い布を巻いた山賊もどきから渡された肉を、よくあそこまで綺麗に食べられるものだと思う。


 俺ならたぶん、もっと雑になる。


 いや、今なっている。


 骨に近い肉をかじりながら、俺は少し空を見た。


 夕暮れは濃くなり、空の端には夜の色が混ざり始めていた。帝国側の空は、王国側と何かが違うわけではない。見上げれば同じ空だ。だが、ここから先は俺がこれまでほとんど知らない土地で、マバール家の城壁も、父上の威光も、ダル兄さんの砦も遠くなっていく。


 それを考えると、少しだけ腹の底が冷える。


 だが、肉は美味い。


 不思議なものだ。


「あー、これからどちらに向かおうかな」


 俺は肉をかじりながら、何気ない声で言った。


 もちろん、ただの独り言ではない。


 ちらりとエレオノーラ殿を見る。


 目は合わない。


 だが、彼女は気付いたはずだ。


 俺たちは彼女に案内を頼まない。彼女も俺たちを案内しない。そういう形を昨日整えた。だから、ここで真正面から「どの道を進めばいいですか」などとは聞けない。聞いた瞬間、彼女は案内役になってしまう。


 なら、俺は山賊として呟くだけだ。


 迷える山賊の独り言である。


 エレオノーラ殿は、少しの間を置いてから、自分の護衛の方へ顔を向けた。


「大河までは、しばらく東へ進みましょう」


 護衛へ話している。


 俺へではない。


「この辺りから南へ寄ると、道は悪くなります。北へ回れば宿場はありますが、目立ちすぎます。東へ進み、大河沿いへ出てから渡しを選ぶ方が、余計な詮索を受けにくいでしょう」


 なるほど。


 東か。


 俺は肉を噛みながら、頭の中に地形を置いていく。


 大河。


 東。


 渡し。


 宿場を避ける。


 目立たない経路。


 他家の影響がある地域を完全に避けることはできないにしても、少なくとも余計な接触は減らしたいのだろう。


「ほう、東か」


 俺は誰に言うでもなく呟いた。


「山賊の俺たちは、どこなら襲ってもいいのかな」


 オルドが肉を噛む手を一瞬止めた。


 ジノもこちらを見た。


 セバスチャンだけは、顔に深い傷を刻んだ凶悪面のまま、にやにや笑っている。


 エレオノーラ殿は今度も直接こちらを見なかった。彼女は随行者の一人を呼び、地図そのものは広げず、火の近くの地面に細い枝で大まかな線を描くようにして話し始めた。


「アバルディア家の旗を掲げるべき場所と、掲げぬ方がよい場所を分けます」


 護衛たちが頷く。


「帝都周辺はメガレア家の影響が強い。そこへ近づく前に、アバルディア家に縁の深い領を通る時は旗を掲げた方がよいでしょう。逆に、この辺りのようにザザント家に近い地域では、我らの名が余計な注目を呼ぶことがあります」


 枝の先が土の上を動く。


 円を描くように、中心から外側へ。


「帝都を中心に見れば、最も内側にメガレア家の影響の強い領地があります。その外側に、アバルディア家、ザザント家、その他の大領主の影響が混じる地域が広がる。実際にはもっと複雑ですが、大まかにはそう考えた方が分かりやすいでしょう」


 まるで玉ねぎだな。


 俺は内心でそう思った。


 帝都が芯。


 その周囲にメガレア。


 さらに外へアバルディアやザザント。


 もちろん、現実には領地が綺麗な輪になっているわけではないだろう。街道、河、迷宮、古い婚姻関係、軍事拠点、いろんなものが絡むはずだ。だが、大雑把に考えるなら玉ねぎ構造に近い。


 俺はその説明を聞きながら、肉をかじった。


 美味い。


 政治の話を聞きながら食う焼き豚肉は、なかなか味わい深いものがある。


「大河まで東。そこから渡りか」


 セバスチャンが低く呟いた。


「若様、山賊としては川沿いはどうなんです?」


「山賊に聞くなよ」


「若様が山賊だと言い出したんでしょうが」


「俺は山賊の頭目だからな。細かい実務はお前たちが考えるんだ」


「ひでぇ頭目ですな」


「部下を信頼していると言え」


 セバスチャンが鼻で笑った。


 その笑い方はどう見ても主君に対するものではないが、オルドもジノも驚かない。もう慣れてきたのだろう。いや、慣れていいのかは分からないが。


 俺は肉を置き、水を飲んでから、あえて少し声を大きくした。


「オルド、ジノ。明日は馬車との距離を少し広げる。道幅が狭いところでは側面に出すぎるな。前に出る時は俺が言う。セバスは後ろを見てくれ」


「承知しました」


 オルドが頷く。


「ジノ、左側の林が深いところでは、お前が先に見る。魔力だけじゃなく、足跡もだ」


「はい」


「セバス、何かあったらお前はエレオノーラ殿の馬車側だ」


「若様は?」


「俺は前へ出る」


「でしょうな」


 セバスチャンは楽しそうに笑った。


 エレオノーラ殿の護衛たちが、こちらの会話を聞いているのが分かる。俺はわざと名前を出した。オルド。ジノ。セバス。もちろん、セバスチャンの名を正式に紹介したわけではない。だが、こちらの会話を聞けば、誰がどう呼ばれているのかは分かる。


 こちらの情報を渡す。


 ただし、紹介ではない。


 俺たちは勝手に話しているだけだ。


 しばらくすると、エレオノーラ殿も同じようなことを始めた。


「リオン、明日は前衛の間隔を少し広げてください。大河までは街道の枝道も多い。迷った者を装って近づく者にも注意を」


「承知しました」


「マルク、荷馬の確認を。水袋は明日の朝に補充を忘れないように。渡しまで予定通りに進めるとは限りません」


「はい」


「セラ、記録は火の近くで。風に飛ばされないようにしてください」


「かしこまりました」


 なるほど。


 リオン。


 マルク。


 セラ。


 役割もだいたい分かる。


 護衛の指揮を補佐する者、荷を管理する者、記録を扱う者。


 エレオノーラ殿も分かっている。


 互いに直接話し合わない。


 だが、部下と話し合う形で相手に聞かせる。


 面倒くさい。


 実に貴族らしい。


 しかし、これでいい。


 火が落ち着き、肉の残りが少なくなる頃には、両陣営の間にある空気が少し変わっていた。近づきすぎてはいない。相変わらず距離はある。だが、昨日よりも情報が少しだけ流れている。名前、役割、進む方向、旗を掲げる場所、警戒すべき領域。


 言葉にすれば、ただそれだけだ。


 だが、こういう旅ではそれだけで動きやすくなる。


 やがて夜が深くなった。


 見張りが交代し、火が小さく保たれる。俺たちは赤布を外し、寝る者は外套にくるまり、起きる者は闇に目を向ける。エレオノーラ殿の陣も同じように静まっていく。馬の鼻息、木の葉が揺れる音、時折火が爆ぜる音だけが残った。


 俺は寝る前に、薄く感知魔法を広げた。


 広く、浅く。


 薄く感知魔法を広げる。拾えるのは魔力の反応だけだ。人も馬も、魔力を持たないものは直接は分からない。ただ、騎士や貴族が近づけば、その魔力の揺らぎは必ず引っかかる。兵や馬の数までは見えないが、魔力持ちが動いている方向と距離なら、おおよそ掴める。


 これを長く維持するのは、普通ならきついのだろう。


 少なくとも、一般的な騎士では無理だ。


 貴族でも難しいはずだ。


 俺の場合は、魔力容量が馬鹿みたいにある。しかも薄く使うだけなら消耗は大したことがない。水瓶から一滴ずつ垂らしているようなものだ。これぐらいなら、眠りが浅くなっても維持できる。


 もちろん、油断はしない。


 山賊ごっこをしながら帝国を見物する旅だが、俺は本当に観光へ来たわけではない。


 翌朝、空は薄曇りだった。


 夜露に濡れた草が、朝の光を鈍く反射している。エレオノーラ殿の一行は手早く野営を畳み、馬車の周囲を整えた。こちらも同じように馬へ荷を載せ、赤布を巻き、粗末な旅装の山賊姿へ戻る。


 朝食は簡単だった。


 硬いパンと、昨夜の肉の残りを薄く切ったもの。それに水。城の朝食とは比べるべくもないが、旅の朝としては悪くない。セバスチャンは平然としているし、オルドやジノも文句は言わない。直属騎士たちはまだ旅慣れしていない者もいるが、それでも表情を引き締めている。


 エレオノーラ殿一行が動き出す。


 俺たちも少し遅れて馬を進める。


 昨日と同じ距離。


 近すぎず、遠すぎず。


 俺は馬上で、感知魔法を薄く広げ続けた。歩くような速度ではないが、全力で駆けているわけでもない。街道の起伏、木立の位置、左右の草地、小さな水場。目で見るものと、感知魔法で触れるものを重ねながら進む。


 しばらくして、感知に引っかかるものがあった。


 前方右寄り。


 数は多くない。


 だが、ただの旅人ではない。


 馬上の魔力反応。この魔力容量なら騎士だな。こちらへ向かっている動きだ。偶然すれ違うだけなら、もう少し街道沿いに進むはずだが、反応は微妙にこちらの進路へ寄っている。


 俺は軽く手綱を引いた。


 馬の速度が落ちる。


 セバスチャンがすぐにこちらを見る。


「どうやら、こっちに向かう騎士たちがいるな」


 俺は声を抑えて言った。


 セバスチャンの顔から笑みが消えた。


「数は?」


「騎士が数名いる。まだ距離はある。細かいところまでは近づかないと分からん」


「騎士なら兵もいるでしょうな。こっちを狙ってますかい?」


「たぶん、確認だな。だが、まっすぐ来ている」


 俺たちの動きに気付いたのか、エレオノーラ殿の馬車側でも警戒が走った。護衛の一人が彼女へ何かを告げる。エレオノーラ殿は小窓からこちらを見ず、自分の護衛たちへ命じた。


「警戒を。馬車の側面を固めてください。前へ出すぎないように」


 命令は自分の護衛にだけ向けられている。


 俺たちには何も言わない。


 それでいい。


 そして、その警戒の仕方で分かった。


 あれはアバルディア家の関係者ではない。


 もし味方なら、彼女の反応は違う。少なくとも護衛の動かし方が変わる。事前に合図を出すか、旗を掲げるか、使者としての応対を整えるはずだ。だが、今の彼女は完全に未知の接近者として扱っている。


 第三勢力だ。


 もしくは、少なくとも彼女にとって安全が確認されていない相手。


「セバス」


「へい」


「お前は残れ。エレオノーラ殿の馬車側だ」


「若様は?」


「俺が見る。オルド、ジノ、来い」


 オルドとジノがすぐに馬を寄せた。


 二人の顔は引き締まっている。赤布で口元を覆っているため表情のすべては見えないが、目の動きで緊張が分かった。


「全員を一気に殺すなよ。情報が欲しい。一人は生かせ」


「承知しました」


「兵は任せる。騎士は俺が見る。逃がすな」


 短く告げると、二人は頷いた。


 セバスチャンは何も言わなかった。


 ただ、馬車側へ自然に位置を変える。エレオノーラ殿の護衛たちが一瞬だけ警戒するが、彼は距離を保った。味方ではない。だが敵でもない。その曖昧な位置を、あのクソじじいは見事に選ぶ。


 俺はオルドとジノを連れて前へ出た。


 魔力は抑えたまま。


 感知魔法の薄い膜は維持しつつ、自分の魔力反応は並程度の騎士に見えるようにする。完全に隠すのではなく、わざと少し漏らす。隠しすぎても怪しい。粗末な格好をした三騎が、魔力を完全に消して接近してくれば、それはそれで警戒される。


 ほどほど。


 並。


 そう見せる。


 敵影が見えてきた。


 騎士が三騎。


 兵が十数名。


 騎士たちは鎧を着ている。先頭の一人は他より立派な鎧だ。兜の飾りも少しだけ良い。あれを残せばいいだろう。兵たちは槍と弓を持ち、数で押さえるつもりらしい。こちらを盗賊か、騎士崩れか、あるいは不審な魔力反応の正体として見ているのか。


 相手もこちらへ気付いた。


「止まれ!」


 声が飛ぶ。


 俺は止まらない。


 少し速度を落とすだけにする。


「何者だ!」


 問いが来る。


 まだ答えない。


 距離を詰める。


 オルドとジノの呼吸がわずかに変わる。二人とも緊張しているが、動きは悪くない。初めての状況ではないのだろう。ただ、俺と直接こうして前に出るのはまだ慣れていないはずだ。


 いい経験だ。


 敵との距離が詰まる。


 この距離なら外さない。


 この距離なら逃がさない。


 俺は抑えていた魔力を解いた。


 空気が沈んだ。


 自分の内側に畳んでいたものを、外へ開く。薄い布で覆っていた火を、一気に晒すような感覚だ。魔力が周囲へ広がり、重圧となって前方の騎士たちへ叩きつけられる。


 敵騎士たちの馬が怯えた。


 兵たちの足が止まる。


 先頭の騎士の顔が、兜の隙間からでも分かるほど強張った。


 そして、オルドとジノも一瞬だけ揺れた。


 近いからな。


 すまん。


 だが、慣れろ。


 俺は手を上げた。


 魔力を指先へ集め、圧縮し、撃ち出す。


 立派な鎧の騎士は残す。


 その横にいた二騎。


 まず一人。


 胸を打ち抜く。


 鎧が内側から弾け、騎士が馬上から崩れ落ちた。


 二人目。


 肩口から斜めに抜く。


 血と焼けた匂いが混ざる前に、馬が暴れて騎士を振り落とす。


 兵たちが叫んだ。


「オルド、ジノ」


 俺は短く言った。


 二人が動いた。


 オルドは馬上から槍を持つ兵へ突っ込み、肉体強化を乗せた剣で柄ごと叩き折る。ジノは少し横へ回り、弓を構えようとした兵の腕を斬った。二人とも速い。セバスチャンにしごかれているだけはある。


 だが、兵もただの農民ではない。


 動員された平民兵だとしても、戦い方を知っている者が混じっている。槍を揃え、馬の足を狙おうとする。オルドはそれを避けながら一人を斬り伏せ、ジノは弓を拾おうとした男の首を落とした。


 俺は残した騎士へ馬を向けた。


 立派な鎧の騎士は剣を抜いていた。


 だが、腰が引けている。


 魔力の差を感じたのだろう。貴族と騎士、あるいは強い騎士と弱い騎士の差は、こういう場面で残酷なほどはっきり出る。彼は逃げるべきだった。だが、逃げなかった。立場か、矜持か、それとも足がすくんだだけか。


 どちらでもいい。


 俺は馬を寄せ、彼の剣を攻撃魔法を撃ち出し弾き飛ばした。


 金属音。


 彼の手から剣が飛び、地面を転がる。


 その直後、俺はもう一度攻撃魔法を絞り込んで撃ち出した。


 彼の馬の前足近くの地面を焼く。


 馬が悲鳴を上げて立ち上がり、騎士は落馬した。


 俺は馬から降りた。


 兵たちの叫びはまだ続いているが、数は減っている。オルドとジノが処理している。逃げようとした兵には、俺が軽く攻撃魔法を飛ばして足元を焼いた。逃がすなとは言った。ここで生きて帰られると面倒だ。


 立派な鎧の騎士は、地面の上でうめいていた。


 俺はその前に立つ。


「何者だ」


 彼は苦しげに言った。


 問いとしては正しい。


 だが、答えは決めている。


「通りすがりの山賊だ」


 騎士の顔が歪んだ。


 怒りか、困惑か、恐怖か。


 どれでもいい。


「誰の麾下だ?」


 俺は尋ねた。


 騎士は口を噤んだ。


 まあ、そうだろう。


 すぐに答えるようなら、残す意味も薄い。


 俺は右手を軽く向けた。


 小さく魔力を集める。


 殺さない程度。


 だが、痛みは残す。


 騎士の左足へ撃った。


 焼ける匂いと、悲鳴が同時に上がる。


 オルドがこちらを見た気配があった。


 ジノも一瞬止まりかけた。


「続けろ」


 俺は二人へ言った。


 兵の処理を止めるな。


 騎士は足を押さえて呻いている。


「誰の麾下だ?」


 もう一度聞く。


「言える、わけが」


 俺は今度は右足の鎧の隙間を焼いた。


 悲鳴が大きくなる。


 敵に対して遠慮する理由はない。


 こいつらは俺たちに向かって来た。目的が何であれ、こちらに接触するつもりだった。エレオノーラ殿の一行へ近づくつもりだった。なら、情報を吐かせる。


 俺は怒鳴らない。


 必要ない。


 叫ぶと疲れるしな。


 淡々と聞き、答えなければ焼く。


「誰の麾下だ?」


 騎士は歯を食いしばっていた。


 少しだけ見直す。


 だが、見直したからといってやめるわけではない。


 次は手だ。


 剣を握る手。


 魔力を集めた瞬間、騎士の目が見開かれた。


「待て!」


「誰の麾下だ?」


「ザザント寄りの小領主だ。名を出しても、お前らには」


 言葉の途中で、俺は彼の足元を焼いた。


 火が跳ね、彼が息を詰まらせる。


「誰の麾下だ?」


 騎士は震える息で名を言った。


 知らない名だった。


 少なくとも、俺の頭にはない。


 帝国の細かい領主名など知るはずもない。だが、覚えておく価値はある。


「目的は?」


「不審な魔力反応の確認だ。領地近くに不審な魔力反応があると報告があった。粗末な格好の騎馬が街道近くを進んでいる。盗賊か、騎士崩れか、どこぞの密偵か、それを確認しに来ただけだ」


「エレオノーラ殿を狙ったわけではない?」


「知らん。俺たちは確認しに」


 なるほど。


 単純な襲撃ではない。


 領地近くの不審な魔力反応を確認しに来ただけ。


 それが本当かどうかは分からないが、少なくとも今の答えに大きな嘘はなさそうだ。自分たちの領地近くを訳の分からん魔力反応がふらふらしてたら、確認したくなるのも分かる。


 だが、運が悪かったな。


 俺は少しだけ息を吐いた。


 連れて行くわけにはいかない。


 捕虜にすれば足が遅くなる。エレオノーラ殿の一行に押し付けるわけにもいかない。


 大丈夫だと思うが万が一、エレオノーラ殿が情けをかけて、逃がせば情報が漏れる。ここで俺たちの存在や魔力、人数、方向が伝わるのはまずい。


 なら、処理する。


 騎士は俺の顔を見て、何かを察したのかもしれない。


「待て、話した。俺は」


「そうだな」


 俺は頷いた。


「助かったよ。ありがとう、感謝する」


 右手に魔力を集める。


 騎士の顔が引きつる。


「ま、待て、俺は」


 撃った。


 火が鎧の内側へ食い込み、肉を焼き、声を途切れさせる。立派な鎧は一瞬だけ赤く光り、焦げた匂いが周囲へ広がった。彼は痙攣し、それから動かなくなった。


 俺は少し離れ、周囲を見る。


 兵はすでに倒れていた。


 オルドとジノが息を整えている。二人とも返り血を浴びていたが、大きな怪我はなさそうだ。ジノの腕に浅い傷がある。オルドの馬も少し興奮しているが、制御できている。


 二人は俺を見ていた。


 目が違う。


 さっきまでの主を見る目ではない。


 いや、主を見る目ではあるが、そこに新しいものが混じっている。


 恐れ。


 理解。


 あるいは、確認。


 俺が軽口を叩き、山賊ごっこをしているだけの三男坊ではないと、今はっきり知ったのだろう。敵を焼き、痛めつけ、情報を引き出し、話した後でも殺す。そういうことを必要なら躊躇せずやる主だと。


「死体を寄せろ。見える場所に散らすな」


 俺は言った。


「持ち物も確認する。紋章や書状があれば集めろ。残すものは焼く」


「承知しました」


 オルドの返事は少し硬かった。


 ジノも頷く。


 俺はその硬さを責めない。


 慣れろとも言わない。


 だが、これから先、こういうことは増える。


 ここは帝国だ。


 俺たちは正式な軍ではない。


 遠乗り中の山賊もどきだ。


 証拠を残せば死ぬ。


 情けをかける相手は選ばなければならない。


 しばらくして、使える情報と持ち物を集め終えると、俺は死体と証拠になりそうなものをまとめて焼いた。完全に消し去る。焼けた匂いは嫌なものだが、戦場ではよくある匂いなのだろう。


 俺は馬へ戻った。


 オルドとジノも続く。


 帰る道中、二人は少し静かだった。


 俺はあえて何も言わない。


 遠くに、エレオノーラ殿の馬車と、その近くに残ったセバスチャンの姿が見えてくる。そこまでは戦闘の詳細など見えていないはずだ。音も、風向きによって少し届いた程度だろう。何があったか、正確には分からない。


 それでいい。


 見せる相手は限定する。


 今見たのは、オルドとジノだけだ。


 俺は赤布を少し直し、馬上で表情を整えた。


 通りすがりの山賊として戻らなければならない。


 軽く。


 いつも通りに。


 そうしなければ、エレオノーラ殿の護衛たちが余計に緊張する。


 セバスチャンがこちらを見た。


 あの凶悪な顔が、ほんの少しだけ満足そうに歪む。


 たぶん、何をしたかはだいたい分かっているのだろう。


 クソじじいめ。


 俺は内心で呟きながら、馬を進めた。


 エレオノーラ殿の護衛たちがこちらを見る。


 俺は赤布を少し下げ、にこやかに言った。


「いやあ、山賊稼業もなかなか大変ですね」


 誰も笑わなかった。


 セバスチャンだけが、肩を震わせていた。

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