第二百六十八話 白い旗
街道の先に見える人影は、一人や二人ではなかった。
かなり遠い。
まだ誰がいるのかまでは分からないし、騎士がどれくらいいるのか、兵がどれくらいいるのかも分からない。それでも、街道の上にまとまっている人の数を見れば、旅人の集まりではないことくらいは分かる。
軍勢だ。
「もうここまで来てるのか」
思ったより近いな。
俺は馬を進めながら、前方へ目を凝らした。
距離があるせいで人の顔までは見えないが、軍勢の上にはいくつもの旗が立っている。
まず探したのは、黒と赤だった。
マバール家の旗。
あれだけ派手なら、混ざっていても見つけるのは難しくないと思う。
だが、ない。
「ふむ」
もう少し目を凝らしてみる。
やっぱり見当たらんな。
父上たちはまだ出陣していないのだろうか。
いや、帝国が攻めてきたと聞いた以上、何もしていないとは考えにくい。
なら別の方面か?
そもそも、侵攻する軍が全部同じ街道を進む必要もない。王国は広いし、攻める場所だって一つではないだろう。
うーん。
やっぱり先にシルディア城へ行くと決めて正解だったな。
こういうのは、考えても分からん。
少なくとも、ここから見る限り父上たちの姿はない。
その代わり、旗はいくつも見える。
白っぽいの。
青っぽいの。
なんか緑のもあるな。
風に揺れるたびに形が変わるせいで細かいところまでは見えないが、それぞれ違う貴族家の旗なのだろう。
問題は。
どれがどこの旗なのか、俺には分からん。
いや、まったく見たことがないわけじゃない。
あれなんか、なんとなく見覚えがあるような気がする。
白いやつ。
どこだっけ。
王都で見たか?
いや、違うか。
マバール城に来た貴族の旗だったような気もする。
うーん。
あれ、どこの貴族家だっけ?
「エディオン家の旗が見えますな」
横から声が飛んできた。
俺は考えるのを止め、セバスチャンを見る。
こいつ、俺が旗を見ながら悩んでいるのに気づいたのか?
「ん? どれだ?」
出来るだけ自然に聞く。
別に分からなかったわけではない。
確認だ。
そう、確認。
セバスチャンは俺を見ると、なぜか少し冷たい目をした。
「あの白い旗です」
それだけ言って前を向く。
白。
ああ。
うん。
あれか。
やっぱり見覚えがあると思ったんだよ。
「ああ、うん、あれだな。そうだな。エディオン家の旗だな。うん、間違えない」
セバスチャンは何も言わなかった。
無言のまま前を見ている。
……なんだよ。
本当に見覚えはあったんだ。
ただ、どの貴族家の旗なのかが分からなかっただけで。
それに、貴族家なんていくつあると思ってるんだ。全部の旗を覚えておく必要なんてないだろう。
必要になったら、今みたいに知っている奴に聞けばいい。
うん。
何の問題もない。
俺は自分の中でそう結論を出し、改めて前方の軍勢を見る。
エディオン家。
ザイン・エディオン殿もいるのだろうか。
旗があるからといって本人まで必ずいるとは限らないが、これだけの軍勢が動いているならいても不思議ではない。
前に会った時から、それほど時間は経っていない。
あの時はシルディア橋までやってきて、そのまま城と橋の管理を引き受けるような話になったし、軍議でも話をした。
それが今は軍を率いて、さらに王国側へ進んでいる。
本当に状況が変わるのは早いな。
少し前まで同じ王国の貴族だった者たちが、今では帝国側の軍勢として王国領を進んでいる。
俺たちも同じだが。
そう考えると、王国側から見ればかなり嫌な状況だろう。
昨日まで味方だった連中が、今日は敵としてやってくる。
しかも、国境を知っている奴らばかりだ。
俺なら嫌だな。
マバール家まで向こう側にいるんだから、もっと嫌だろう。
もっとも、嫌だからといってどうにかなるわけでもない。
軍勢はすでに動いている。
街道から人が減っていたのも、森の中へ人が入り始めていたのも、これなら分かりやすい。
戦が始まった。
その影響が、俺たちの帰り道にまで届き始めたということだ。
さて。
このまま進めば、いずれ向こうも俺たちに気づくだろう。
こちらにはマバール家の旗がある。
エディオン家なら話も早い。
ザイン殿がいるなら、父上がどこにいるかも知っているかもしれないな。
そう考えながら前を見ていると、後ろから小さな声が聞こえた。
「愚かな」
聞き慣れた声だった。
俺は少しだけ振り返る。
善良王のおっさんが、前方の軍勢を見ている。
「何が愚かなんだ?」
問いかけると、おっさんは俺の方を見た。
表情はほとんど変わらない。
いつもと同じ、何を考えているのか分かりにくい顔のまま、静かに口を開いた。
「愚かであろう、戦など」
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