第二百六十七話 強いから人気
順調だった俺たちの旅程も、ここに来て少し狂い始めた。
森の中に、人がいる。
それだけなら別におかしくはない。森へ入る理由なんて探せばいくらでもあるだろうし、俺たちだって今こうして馬を進めている。だが、一人や二人ではない。そこまで大量というわけでもないが、街道でもない森の中を、何人もの人間が行き来している。
さすがに普通ではなかった。
何があった。
足を止め、近くを通った者へ話を聞いてみれば、返ってきた言葉は分かりやすかった。
帝国が攻めてきた。
「ふむ」
馬上で小さく声が漏れる。
帝国。
つまり、父上たちがついに侵攻を始めたらしい。
うーん。
待っていてくれると思ったのだが、遅くなったかな?
王都まで行って善良王のおっさんを掻っ攫い、そのまま戻ってきただけだ。途中で襲われたり、森へ入ったりはしたものの、そこまで長い時間がかかったとは思わない。
なら、俺たちが遅かったというより、父上たちの方の都合だろうか。
帝国側との話もある。父上たちはもう王国貴族ではないのだから、以前のように自分たちだけで好き勝手に軍を動かすわけにもいかない。
まあ、そこは父上がどうにかしたんだろう。
問題は、俺たちがどうするかだ。
このままシルディア城へ向かうか。
それとも、父上を探した方がいいのか。
分からん。
分からないことを考え続けても仕方がないので、少し前を進んでいたセバスチャンへ声を掛ける。
「セバス、どうする? シルディア城に向かうか? 父上を探すか?」
呼ばれたセバスチャンが馬上でこちらを振り返った。少し考えるように前方へ視線をやってから、すぐに答える。
「お館様がいきなり前線に出るとは思えませんな。シルディア城に向かいましょうや」
「そうだな、そうするか」
言われてみれば、その方がいい。
父上がまだシルディア城にいるなら、そのまま会える。すでに前線へ出ていたとしても、どこへ向かったのか、今どうなっているのかくらいは城で聞けるだろう。
当てもなく父上を探し回るより、よほど早い。
それに、こうして森の中を人が行き来し始めているなら、わざわざ森を進み続ける意味も薄くなった。
人を避けるために街道から離れたのだ。
森の中まで人が増えたなら、もう同じだろう。
「街道を進むぞ」
俺の声に、近くを進んでいた騎士たちがそのまま馬の向きを変える。
木々の間を抜け、街道の方角へ進む。しばらくすると枝越しに空が広くなり、踏み固められた道が見えてきた。
街道にも人はいる。
ただ、前に通った時と比べれば明らかに少なかった。
俺たちが森から出てきたせいか、近くにいた者たちがこちらを見て少し騒めく。何人もの騎士が、街道ではない森の中から突然現れたのだから、まあ驚くのも当然だろう。
だが、その騒めきは長く続かなかった。
俺たちの中で掲げられている旗へ視線が集まり、やがて声が小さくなっていく。
ふむ。
どうやらマバール家の旗を知っている者もいるらしい。
まあ、目立つからな。
風を受けて広がる黒地。その上を、赤い縦十字が大きく走っている。
うん。
やっぱり格好いい。
こうして見るとかなり派手だが、ごちゃごちゃ飾り立てているわけではない。黒と赤だけで遠くからでも分かりやすい。
この旗を選んだご先祖さまはセンスがいいと思う。
正直、簡単だしな。
それに黒地なら、戦場で泥や煤がついても汚れが目立ちにくそうだ。旗なんて戦場で使うものなんだから、綺麗に飾っておくより、その方が便利だろう。
うん、いい旗だ。
俺たちはそのままマバール家の旗を掲げ、シルディア城へ向けて街道を進み始めた。
すれ違う者たちはこちらを見る。
けれど、最初のような騒めきは起こらない。視線は向けられるが、旗を確認するとそのまま道を空けていく者もいる。
「旗を見せると落ち着くんだな」
何となく呟くと、近くにいたジノがこちらを見た。
「マバール家の旗ですから」
笑顔だった。
「いや、今は帝国貴族、敵側だぞ」
ここはまだ王国側だ。
以前ならともかく、今の俺たちは王国から見れば普通に敵である。
旗を見て安心するような立場ではないと思うのだが、横からセバスチャンの声が返ってきた。
「平民にそれはあまり関係ねえでしょうな。基本的にいくさは貴族や騎士の仕事ですから」
「そんなもんか?」
「巻き込まれなきゃですがね」
なるほど。
確かに巻き込まれれば関係ないとは言っていられないだろうが、どの貴族がどこの国に属するかまで、普段から気にしている平民は少ないのかもしれない。
俺にはいまだに、その辺の感覚がよく分からん。
「マバール家は人気ですから」
今度はジノが言った。
「人気?」
「はい、強いですから」
「ふーん」
ずいぶん単純だな。
いや、でも分からなくはないか。
人が強いものを好むのに、小難しい理屈なんて必要ないんだろう。
前世だって、街を破壊する怪獣が人気だったもんな。
実際に目の前へ出てこられたら絶対に嫌だが、強くて大きくてどうしようもないものを格好いいと思う感覚は分かる。
マバール家も似たようなものなのだろうか。
……いや、さすがに怪獣と自分の家を一緒にするのはどうなんだ。
まあいい。
人気があるなら悪いことではない。
それに、こうして旗を掲げて進むことには俺も賛成だった。
父上たちが本格的に軍として動いているなら、進みにくい森の中をわざわざ通るとは思えない。騎士も兵もいる。人数が増えれば、それだけ道を選ぶ必要もあるだろう。
なら、どこかで出会うとすれば街道だ。
その時、こちらがマバール家の旗を掲げていれば、いきなり攻撃されるようなこともないはずだ。
何せ、情報を伝えるのが難しい世界だからな。
ギルバート・マバールという名前くらいなら知っている奴もいるだろうが、俺の顔まで一般の兵や騎士に広く知られているわけではない。
向こうからすれば、知らない騎士たちが集団で近づいてくることになる。
それは警戒する。
俺だって警戒する。
だが、マバール家の旗があれば話は早い。
少なくとも、どこの連中なのか分からないまま武器を向け合うことは減るだろう。
その方が安全だ。
俺たちにとっても。
向こうにとってもな。
俺は風に揺れる黒と赤の旗を一度見上げ、それから前へ視線を戻した。
街道はそのまま遠くへ伸びている。
しばらく進んだ頃、その先に今までとは違うものが見え始めた。
人だ。
いや、違う。
あれは――軍勢か。
今月もよろしくお願いします。
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