第二百六十六話 絶対的な正義
絶対的な正義というものは、本当にあるんだろうか。
俺には、たぶん無いように思える。
人を殺すな。
人の物を奪うな。
人を騙すな。
言葉だけ見れば、どれも正しいように思える。前世でも、子供の頃から似たようなことを教えられていた気がする。
だが、実際には立場が変わればあっさり変わる。
人を殺せば罪になる。
それなのに戦場で敵を殺せば褒められることがある。
人の物を奪えば悪い。
だが戦に勝てば土地も財産も奪う。
騙すなと言いながら、敵を騙せば知恵になることだってあるだろう。
この世界だけじゃない。
前世だってそうだった。
一人殺せば犯罪者、百万人殺せば英雄。
そんな言葉があった。
随分と極端な言い方ではあると思う。
それでも、ある種の真実ではあるんじゃないだろうか。
誰がやったのか。
誰にやったのか。
何のためにやったのか。
それだけで、同じような行為でも扱いは変わる。
残念だとは思う。
本当に何をしても同じ基準で正しいか間違っているかを決められるなら、その方がずっと楽だ。
決められた線だけ見ていればいい。
だが、現実がそうなっていないなら仕方がない。
嫌だから見ない。
認めたくないから認めない。
それで消えてなくなるならいいが、たぶんそんなことはない。
目の前にあるものを直視せず、認めず、受け入れないまま変えようとしたところで、現実は何も変わらないだろう。
「……それを決める為にも、話し合わねばならぬのだ」
善良王のおっさんの声が、焚き火の向こうから返ってきた。
俺は顔を上げる。
おっさんは先ほどからほとんど姿勢を変えていない。
「だから、誰がそれを決める?」
俺はすぐに聞き返した。
「多くの者が賛同すれば正しいのか? 賛同する者が少なければ間違いか?」
今度は、善良王のおっさんが僅かに黙った。
長い沈黙ではない。
だが、さっきまでより答えが出るまでに少しだけ時間がかかったように感じる。
「……それを決める為にも、話し合うべきであろう」
「それは話し合う為の話し合いにしかならん。それでは前には進まんだろうな」
何が正しいかを決めるために話し合う。
その決め方が正しいかを決めるためにも話し合う。
そこで意見が割れれば、また話し合う。
そして、その話し合いのやり方について意見が割れたらどうする。
また話し合うのか。
いつ終わるんだ。
いや。
俺は少し考え直した。
「まあ、正直言うと、それで決まる事もあるとは思う」
善良王のおっさんがこちらを見る。
「めちゃくちゃ遅いだろうけどな」
前世でだって、話し合って何かを決める仕組みはあった。
俺はあれが絶対に正しい仕組みだったとは思っていない。
それでも、ある程度は優れた仕組みだったと思う。
一人で全部決めるより、多くの奴が話して決めた方が上手くいくことだってあるだろう。
間違いに気づく奴もいる。
自分一人では考えもしなかったことを言う奴もいる。
それは分かる。
だが、とにかく遅い。
意見を聞く。
違う考えを擦り合わせる。
まとまらなければ、もう一度話す。
時間をかければ納得する奴は増えるのかもしれない。
それでも。
「そして強者は、そんなの待たないとも思う」
俺は自分の胸を指先で軽く叩いた。
「俺は待たない」
善良王のおっさんの視線が、俺の指先から顔へ戻る。
別に脅しているわけじゃない。
本当にそう思うだけだ。
俺が今すぐ何かをしなければならない時に、どこかで誰かが話し合って結論を出すまで待てと言われても待たない。
必要なら自分で決める。
決めたら動く。
止めたいなら止めればいい。
出来るのなら。
「そして、その話し合っている間にも人は死ぬ」
善良王のおっさんはすぐには答えなかった。
炎の中で薪が一本崩れた。
赤く焼けた部分がぱらぱらと落ち、火の粉が一瞬だけ大きく舞い上がる。
話し合って戦を止める。
それ自体は悪くない。
戦わなくて済むなら、その方がいいだろう。
だが、話している間に戦っている奴らが止まってくれるわけじゃない。
今日死ぬ奴が、明日まで待ってくれるわけでもない。
「それでも話し合うべきなのだ」
善良王のおっさんが言った。
「犠牲はやむを得ん。より大きな犠牲を生まぬ為だ」
俺は僅かに目を細めた。
犠牲はやむを得ない。
その考え自体は分からなくもない。
俺だって似たようなことは考える。
長々と戦い続けて大勢死ぬくらいなら、早く終わらせた方が最終的には死ぬ奴が少なくなることもあるだろう。
全員を助けられるなんて思っていない。
それでも。
こいつが言うと、少し気になる。
「その犠牲に、おっさん自身は入れてるか?」
善良王のおっさんが俺を見る。
俺も黙って見返した。
王城で聞いた言葉を思い出す。
余は全てに優先する。
自分を守って死んだ者について聞いた時も、こいつはほとんど迷わなかった。
だから聞いた。
他人の犠牲を仕方がないと言うなら、その中に自分自身も入っているのか。
善良王のおっさんは、しばらく俺を見ていた。
炎の明かりが顔の片側を照らしている。
「余は王である。王は全てを決めなくてはならん」
それだけだった。
自分も犠牲になるとは言わない。
自分は犠牲にならないとも言わない。
王だから決める。
「ふむ、なるほどな」
俺は小さく頷いた。
そういうことか。
いや、どういうことなんだろうな。
まあいい。
聞きたいことは聞いた。
別にこいつを言い負かしたかったわけじゃない。
俺の考えを認めさせたいわけでもない。
答えを聞ければそれでいい。
「さて、そろそろ寝るか」
俺は膝へ手をついて立ち上がった。
善良王のおっさんは何も言わない。
少し離れていたオルドとクレインを見ると、二人ともこちらを見ていた。
俺が軽く手を上げると、二人はこちらへ戻ってくる。
そのまま善良王のおっさんの近くへ戻るのを横目に、俺も元いた場所へ歩いた。
途中で一度だけ振り返る。
善良王のおっさんは、さっきと同じように焚き火の近くへ座っていた。
表情も変わっていないように見える。
何を考えているのかは分からない。
まあ、別にいいか。
自分の場所まで戻ると、焚き火を見ていたセバスチャンが顔だけこちらへ向けた。
「何しとったんです?」
「まぁ、暇つぶしだ」
「へぇ」
それ以上、セバスチャンは聞いてこなかった。
俺も説明するつもりはない。
腰を下ろし、焚き火へ手を向ける。
少し弱くなった炎が、薪の間で揺れていた。
その火を眺めているうちに、ふと別のおっさんの顔が頭に浮かんだ。
料理の上手いおっさん。
最初に会った時は、崇高な目的だの、大陸を統一するだの、随分と大きなことを言っていた。
戦うより話し合う。
争うより協力する。
そのためにも話し合うための力が必要だ。
話し合いが決裂したらどうする、と聞いた時も、あのおっさんは迷わず話し合うと言った。
俺は焚き火の向こうへ視線を向ける。
善良王のおっさんはまだ同じ場所にいる。
かなり似てるよな。
話し合わなければ理解出来ない。
全部理解する必要はない。
理解出来ることがあれば次へ繋がる。
正しさを決めるためにも話し合う。
言っていることを一つずつ思い返してみれば、あのおっさんたちが言っていたこととかなり近い。
もちろん、それだけで何かが分かったわけじゃない。
似たようなことを考える奴が二人いたって、おかしくはないだろう。
ただ。
気にはなる。
そういえば、あのおっさんは殺される覚悟はあると言っていた。
だが、殺すのはごめんだ、とも言った。
俺なら殺されそうになれば普通に殺す。
だからあれは真似出来そうにない。
それでも、自分が信じたことのためにそこまで言い切れるのは、今思い返しても大したものだと思う。
今では仲間たちと宿屋までやっている。
俺が飯を美味くして酒を揃えれば客が来るんじゃないかと言ったら、本当にやった。
しかも、どんどん料理まで上手くなった。
久しぶりに行った時には宿も繁盛していたし、あいつら自身も楽しそうだった。
崇高な目的を語っていた頃より、美味い飯を作って客に喜ばれている時の方が、よっぽど生き生きして見えた。
俺は火を見ながら、少しだけ口元を緩める。
まあ、正直。
善良王のおっさんより、あのおっさんの方が俺は好きだがな。
本日はここまでとなります。
次回は、明日5時となります。




