第二百六十五話 話し合い
焚き火の向こうに、善良王のおっさんは座っていた。
夜の森は静かだった。昼のうちに集めておいた薪が炎の中で時折ぱちりと弾け、赤い火の粉がふわりと舞っては闇へ消えていく。少し離れた場所では馬が鼻を鳴らし、騎士たちもそれぞれ夜を過ごす準備を始めていた。
俺は立ち上がると、そのまま善良王のおっさんの方へ歩いていった。
近くにはオルドとクレインがいる。
「少し下がってくれ」
二人は俺を見たが、余計なことは聞かなかった。
「分かりました」
オルドが短く答え、クレインと一緒に数歩離れる。
もちろん、どこかへ行かせるつもりはない。
善良王のおっさんは大人しくしているし、今のところ変なことをする様子もないが、それとこれとは別だ。少し離れたところから見ていれば十分だろう。
俺は善良王のおっさんの前まで行くと、その場に腰を下ろした。
おっさんが俺を見る。
相変わらず、何を考えているのかよく分からない顔だ。
まあいい。
別に分かり合いたいわけじゃない。
仲良くなるつもりもない。
ただ、少し聞いてみたいことがあった。
「おっさん、話し合う事をどう思う?」
善良王のおっさんは俺の顔をしばらく見つめた。
急に何を言い出したんだと思ったのかもしれない。
だが、その表情からはよく分からない。
「それは重要な事だ。話し合わねば理解する事は出来ん」
そう言いながら、おっさんは静かに頷いた。
「ふむ」
なるほどな。
俺は膝の上に腕を置き、焚き火へ視線を落とした。
炎の中で薪の端が崩れ、赤くなった炭が内側から覗いている。
なんとなく予想していた答えではある。
「だが、話し合っても理解出来るとは限らんだろ?」
「だが、話し合わねば理解する機会すらあるまい」
返事は早かった。
迷ってから考えたというより、最初からそういう答えを持っていたように聞こえる。
「ふーむ……」
間違ってはいないと思うんだがな。
話さなければ分からない。
それはそうだ。
黙って立っているだけで相手の考えていることが全部分かるなら苦労はしない。
俺だってセバスチャンとは長く一緒にいるが、あのクソじじいが何を考えているのか分からんことくらいある。
それでも話せば分かることは増える。
だから言っていること自体はおかしくない。
なのに。
なんか違和感を感じる。
俺は善良王のおっさんの顔を見ながら、少し考えた。
どこかで似たような話を聞いた気がする。
いや、似ているどころか。
まあ、それを確かめるために聞いているんだ。
「魔力を持つ貴族と、魔力を持たない平民が話し合っても理解は出来んのじゃないか?」
善良王のおっさんの視線が僅かに動いた。
俺はそのまま言葉を待つ。
平民と話したことならいくらでもある。
城の使用人もそうだ。
職人もいる。
商人もいる。
村へ行けば農民だっているし、兵の中にも平民はいる。
言葉が通じないわけではない。
同じ物を食えば美味いと感じることもあるし、金が欲しければ働く。痛ければ嫌がるし、死ぬのも嫌だろう。
そういうところだけ見れば、同じ人間だ。
だが、それだけでは済まない。
魔力を持たないから平民だ。
騎士には魔力がある。
貴族ともなれば、その差はさらに大きくなる。
もちろん、貴族の中にも強い奴と弱い奴はいる。騎士とほとんど変わらないような奴だっているだろうし、逆にとんでもなく強い奴もいる。
それでも平民との差が消えるわけじゃない。
平民が何十人集まろうが、まともに戦えば俺一人を止めるのも難しい。
話し合いの席に座ったからといって、その差がなくなるわけでもない。
「全て理解する必要はあるまい」
善良王のおっさんが口を開いた。
「話し合う事で理解出来る事があれば、次に繋がる」
「ふむ」
俺は小さく頷いた。
全部分からなくてもいい。
一つ分かれば、そこから次へ進める。
そういうことか。
それも間違ってはいない。
誰か一人のことを全部理解するなんて無理だろう。
俺だってレティシアが考えていることを何もかも分かっているわけじゃないし、父上のことだってそうだ。
ちなみにレティシアは俺の事をかなり深く理解しているがそれは俺が単純だからでは断じてない。
理解出来るところだけ理解して、それで問題なくやっているのだ。
なら、全部分からなくてもいいという考え方自体は分かる。
だが。
「繋がったところで意味があるか?」
善良王のおっさんが俺を見る。
「所詮は強者の意見が罷り通るだけだろ」
口に出してから、俺は少しだけ首を傾けた。
どれだけ話しても意見が合わなかったらどうする。
平民と貴族。
弱い貴族と強い貴族。
小さな家と大きな家。
王国と帝国。
お互いが納得出来ればいい。
それなら何も問題はない。
だが、最後まで納得出来なかった時。
そこに残るのは何だ。
金か。
兵か。
土地か。
魔力か。
結局、相手へ自分の意思を押し通せるだけのものを持っている方が強い。
この世界では特にそうだ。
俺が何かをやると決めた時、平民が何人集まって反対しても、たぶん俺を止めることは出来ない。
俺が話を聞く気になれば聞く。
面白ければ考える。
納得すれば考えを変えることもある。
だが、それは俺がそうすると決めるからだ。
相手が俺を止められるからじゃない。
話し合うという形を取ったところで、その力の差まで消えるわけではない。
善良王のおっさんの瞳が、ほんの少しだけ強くなったように感じた。
「確かにそうであろう」
否定しないのか。
「だが、それが正しいからだとは言えぬ」
俺は黙った。
おっさんもすぐには続けなかった。
焚き火から上がった煙が風に押され、少しだけこちらへ流れてくる。
俺は顔を横へ向けた。
焦げた木の匂いが鼻を掠める。
「弱者とは愚者ではなく、強者とは知恵者ではない」
善良王のおっさんが、ゆっくりと言った。
「弱者にも知恵者はおる。強者にも愚者はおる」
「ふむ」
なるほどな。
それには同意する。
強い奴が全部賢いなら、この世界はもっと簡単だっただろう。
今まで見てきた貴族だって色々だった。
強い奴もいれば弱い奴もいる。
頭の回る奴もいれば、何を考えているのか分からない奴もいる。
魔力が多ければ頭まで良くなるなんて話は聞いたことがない。
それに、平民の中にも知恵のある奴はいる。
商人なんかは俺よりずっと金のことを知っているし、職人には俺が知らないことを知っている奴がいくらでもいる。
畑のことなら、俺より農民の方が詳しいに決まっている。
「確かに、平民にも知恵のある者はいる」
俺がそう言うと、善良王のおっさんは静かに頷いた。
そこはいい。
強いから賢いわけではない。
弱いから愚かなわけでもない。
俺もそう思う。
だが。
俺は焚き火越しに善良王のおっさんを見た。
「それは誰にとっての知恵だ?」
善良王のおっさんの視線が俺から逸れない。
「誰にとっての正しさだ? そんなもの、見る者によっていくらでも変わるぞ」
口にした言葉が、夜の静かな空気へ落ちる。
正しい。
間違っている。
簡単な言葉だ。
だが、その線を誰が引く。
誰の目から見た正しさを、正しいことにする。
俺は揺れる炎を眺めながら、その続きを考えた。
次の更新は、20時となります。




