第二百六十三話 戦乱の気配
「何かあったのかな?」
木々の間から街道を眺めたまま呟くと、隣で同じ方向を見ていたセバスチャンが鼻を鳴らした。
「さぁ、王都から王を攫った悪党がいるからですかね?」
「悪党ねぇ」
誰のことだろうな。
まあ、俺たちのことなんだが。
王都へ入り、王城から王を連れ出し、そのまま逃げているのだから、王国側から見れば十分に悪党だ。
そう考えると、目の前の人の多さに俺たちが関係している可能性もないとは言えない。
街道を進んでいるのは、見える範囲では荷物を抱えた者が多い。
背中に荷を負って歩いている者もいれば、荷車を引いている者もいる。何人かでまとまっている者たちもいて、少なくとも気楽な散歩をしているようには見えなかった。
貴族や騎士なら、領地や所領もある。
立場もあるし、何かあったからと簡単に全部放り出して逃げるとは思えない。
だが、土地を持たない平民なら違うのかもしれない。
危ないと思えば、身一つで逃げることもできる。
もちろん農民は難しいだろう。
畑を捨てたら、その後どうやって生きるんだという話になる。
そう考えてから、別の疑問が浮かんだ。
「どこに逃げるんだろうな?」
俺が聞くと、セバスチャンも少し首を傾げた。
「分かりませんな。戦に巻き込まれんように逃げとるだけか、何か当てがあるのか」
「ふむ」
「案外平民は戦の気配に敏感ですからな」
その言葉に、もう一度街道へ目を向ける。
戦の気配、か。
魔力を持たない平民は弱い。
もちろん鍛えている奴もいるだろうし、兵として戦う平民もいる。
それでも、魔力を持つ貴族や騎士と比べれば、どうしようもない差がある。
俺たちが戦えば、それだけで周囲を巻き込むこともある。
そんな連中の戦に巻き込まれたら、平民にできることなんて多くない。
逃げる。
隠れる。
危険が来る前に離れる。
そういうことに敏感になるのは当然なのかもしれない。
ネズミと言うと少々かわいそうだが、それに近い感覚なのかもな。
強くないからこそ、危ない場所から離れるのが早い。
少しでもおかしいと思えば、まだ逃げられるうちに動く。
それなら、今これだけ人が街道を歩いているのも分からなくはない。
ただ。
「だが、こうなると食料は手に入れるのが難しくなりそうだなぁ」
俺が呟くと、セバスチャンがこちらを見た。
「そうとも限りませんぜ」
「ん?」
どういう意味だ。
逃げている連中だとしたら、食料は自分たちにも必要だろう。
むしろ普段より手放したくないはずだ。
そう思っている間に、セバスチャンは近くにいたトールへ顔を向けた。
「おい」
「はい」
それだけでトールが動く。
セバスチャンはさらに近くにいた騎士を何人か呼び、そのまま街道へ向かって歩き始めた。
「……何する気だ?」
聞こえない距離になる前に声をかけてもよかったが、セバスチャンの足は止まらない。
まあ、見ていれば分かるか。
俺は馬上のまま様子を眺める。
森から騎士たちが何人も出てきたせいだろう。
街道が少し騒めいた。
立ち止まる奴がいる。
こちらを見る奴もいる。
距離があるので何を話しているのかまでは分からない。
だが、何か揉めているようには見えなかった。
セバスチャンが誰かと話し、トールたちはその近くに立っている。
しばらくすると、さっきまでの騒めきも少しずつ落ち着いていった。
何を言ったんだ、あいつ。
そのまま待っていると、セバスチャンたちが戻ってくる。
ただし、行った時より人数が増えていた。
後ろから数人がついてきている。
しかも荷車まで一緒だ。
「何だ、これ?」
俺が聞くと、セバスチャンは何でもないことのように答えた。
「こういう時の方が食料は増えるんですよ。逃げるのにも必要ですからな」
「いや、それは分かるが」
逃げるなら、当然食料は持つだろう。
何日か歩くつもりなら、なおさらだ。
だが。
「それなら俺たちに譲らんだろ?」
必要だから持っている。
だったら普通は売りたくないはずだ。
俺がそう言うと、セバスチャンは口元を歪めた。
「それは金次第ですな」
なるほど。
そういうことか。
全部寄越せと言えば嫌がるだろう。
だが、持っている食料の一部を、十分な金と交換するなら話は別ということらしい。
実際、セバスチャンについてきた者たちは荷車の傍で足を止めた。
俺たちを見上げる顔は硬い。
それでも逃げ出しはしないところを見ると、話そのものはついているらしい。
なら、こちらも予定通り金を払えばいい。
荷車に積まれたものを確認していく。
塩漬けの肉。
野菜。
干し肉。
干した果物。
森の中を二日進んで減った分を補うには十分使える。
量についてはセバスチャンたちに任せる。
多すぎても邪魔になる。
そもそも森へ入る前に話した通り、運べるからと何でも持てばいいわけではない。
必要な分だけ買えばいい。
金が渡されると、荷車を引いてきた者たちの顔から、ほんの少しだけ張り詰めたものが抜けたように見えた。
やっぱり金は強いな。
こういう時でも通じる。
俺は荷車の中をもう一度見た。
肉。
野菜。
干した果物。
それから――。
「パンは無いのか?」
そう聞いた瞬間、荷車の傍にいた一人の肩がびくりと動いた。
「ん?」
別に怒ったつもりはないぞ。
男は荷車の中へ慌てたように手を伸ばし、包んであったものを取り出した。
「す、少し古くなっておりますが」
差し出されたのはパンだった。
受け取りながら見る。
確かに新しくはなさそうだ。
だが食えないほどでもないだろう。
「別に構わん」
「は、はい」
返事が速い。
速すぎる。
男は俺と目が合うと、すぐに視線を下げた。
……そんなに怖いか?
いや。
分かる。
分かってはいる。
平民が貴族を恐れるのは当然だろう。
俺だってこの世界で生きてきたのだから、それくらいは理解している。
貴族と平民では立場が違う。
それに今は、俺一人でもない。
セバスチャンを筆頭に、騎士が何人もいる。
森からそんな連中がぞろぞろ出てきて声をかけてきたら、そりゃ警戒する。
しかも初対面だ。
周囲には、戦を避けているのか何なのか分からないが、大勢の人間が荷物を抱えて街道を歩いている。
そんな状況で、見知らぬ貴族らしき奴に声をかけられれば怖いだろう。
分かる。
全部分かるんだけど。
それでも、そこまでオドオドされると、なんかほんのり傷つく。
俺、何もしてないぞ。
本日はここまでとなります。
次の更新は明日、5時となります。




