第二百六十二話 誰も回収に来ない
目を覚ました時、森の中はまだ薄暗かった。
夜が終わりかけているのは分かる。頭上を覆う枝葉の隙間から見える空が、真っ黒ではなくなっていた。焚き火もほとんど熾火になっていて、赤く残った炭が時折小さく弾けている。
身体を起こして軽く首を回す。
特に問題はない。
周囲では、既に起きている騎士もいれば、まだ横になっている奴もいる。馬も大人しくしているし、夜の間に何かあった様子もなさそうだった。
ジノの姿も見える。
まだ休ませておいた方がいいだろうが、昨夜より顔色は多少ましになったように見えた。
そこまで確認してから、俺は周囲をもう一度見渡す。
……ん?
セバスチャンがいない。
あの目立つクソじじいを見落とすとも思えない。
少し離れたところにトールがいたので声をかけた。
「セバスチャンは?」
トールはこちらへ向き直る。
「夜中に、『ちょいと』と言ってどこかに行かれました」
「ちょいと?」
「はい。それだけです」
「ふむ……ならいい」
どこへ行ったのかまではトールも知らないらしい。
だが、セバスチャンが自分で出て行ったなら、まあ大丈夫だろう。
あいつが何も言わずに消える時は、大抵自分で必要だと思ったことをやっている。
それに、何か問題が起きていたなら、トールたちもこんなに落ち着いてはいない。
そう思っていると、森の奥で枝が揺れた。
騎士たちの何人かがそちらを見る。
すぐに木々の間から見慣れた姿が現れた。
セバスチャンだ。
外套の裾に少し草がついている。
「よう。年寄りは朝が早いな」
俺が言うと、セバスチャンは眉を寄せた。
「やかましいですな」
いつも通りだ。
俺は少しだけ口元を緩めてから、声を落とした。
「どうだった?」
セバスチャンもこちらへ近づき、同じように声を落とす。
「誰も回収には来やせんでした」
「そうか」
やっぱり見に行っていたか。
昨夜襲ってきた連中。
あの場所から少し離れて野営したとはいえ、戻れないほど離れたわけではない。
セバスチャンは夜の間に、あの襲撃場所を見張っていたらしい。
誰かが遺体を回収しに来るか。
あるいは何か別の動きがあるか。
だが、少なくともセバスチャンが見ていた間は、誰も来なかった。
「どう見る?」
俺が聞くと、セバスチャンは少し顔をしかめた。
「分かりやせんな。使い捨てなのか、まだ知らんのか? これから来るのか? どれもありそうですな」
「俺もそう思う」
結局、それ以上は分からない。
回収に来ないからといって、襲撃者を完全に切り捨てたとは限らない。
そもそも失敗したこと自体、まだ伝わっていない可能性もある。
あるいは、夜中に近づくのを避けているだけかもしれない。
考えればいくらでも可能性は出てくる。
だが、材料がない。
セバスチャンがこちらを見る。
「どうしやす? しばらく待ちますかい?」
「放っておく」
俺はすぐに答えた。
「相手が誰でも構わんだろ。来れば殺すだけだ」
「へい」
知りたい気持ちがないわけではない。
特に、あの爆発物。
あれには興味がある。
俺の知っているものとは違う。少なくとも、今までこの世界で見てきたどれともとも違った。
どうやって作ったのか。
誰が作ったのか。
どの程度の数があるのか。
知れるなら知りたい。
だが、どうしても今知る必要があるわけじゃない。
俺たちの目的は襲撃者探しではない。
善良王を連れて帰ることだ。
それに、これからも襲ってくるつもりなら、そのうちまた見る機会もあるだろう。
その時に捕まえられる奴がいれば聞けばいい。
わざわざここで立ち止まって待つ必要はない。
空が少しずつ明るくなるにつれ、野営地にも動きが増えていった。
火が起こされ、残っていた塩漬け肉が炙られる。
脂が落ちるたび、小さく火が鳴った。
朝食と呼ぶには随分と簡単だ。
炙った塩漬け肉とパン。
それだけ。
俺もパンをちぎり、肉と一緒に口へ入れる。
うん。
美味い不味いというより、腹を満たすための食事だな。
旅の途中ならこんなものだろう。
肉の塩気は強いが、パンと一緒なら食えないこともない。
俺が食べながら何となく視線を向けると、善良王のおっさんも食事を受け取っていた。
オルドとクレインが渡したらしい。
王は何も言わずに受け取った。
そのまま普通に食べ始める。
「大人しいな」
俺が呟くと、隣にいたセバスチャンも王を見た。
「そうですな」
もっと何か言うかと思っていた。
王なのだから、普段はもっとまともな物を食っているだろう。
さすがに毎朝、少し硬くなったパンと炙った塩漬け肉を食っているとは思えない。
だから、こんなものを出したら何か文句でも言うかと思ったのだが。
何も言わない。
嫌そうな顔をするでもない。
美味そうに食うわけでもない。
オルドやクレインへ感謝の言葉を口にすることもなく、差し出されたものを受け取り、そのまま食べている。
平然としている。
少なくとも、俺にはそう見える。
「便利なんだけどなぁ」
「何がです?」
「いや、連れて行くには大人しい方が楽だろ」
「そりゃそうですな」
逃げようともしない。
騒ぎもしない。
飯にも文句を言わない。
これだけ見れば、実に扱いやすい人質だ。
なのに、何となく不気味なんだよな。
俺なら、自分を攫った連中とこんな場所で飯を食う羽目になったら、もう少し何か思う気がする。
いや、何か思っているのかもしれない。
表に出していないだけで。
そこは俺には分からん。
ただ一つだけ妙に目についた。
食べ方が上品なのだ。
別に特別なことをしているようには見えない。
パンを持つ。
肉を口へ運ぶ。
ただそれだけなのに、動きが雑ではない。
なんか上品。
そこだけはちょっと王っぽい。
いや、実際に王なんだけど。
そんなことを考えながら朝食を終え、俺たちは再び森の中を進み始めた。
そこから二日。
特に何もなかった。
襲撃もない。
遠くから追ってくる気配もない。
そして、期待していた集落も見つからなかった。
木。
草。
時々開けた場所。
また木。
たまに泉。
そんな景色が延々と続く。
森の中を進むので、街道ほど速度も出ない。
馬が通れる場所を選びながら進み、危なそうな場所があれば避ける。
途中で何度か休みも入れた。
ジノも初日の休息が効いたのか、移動中に倒れるようなことはなかった。
予定していた二日が過ぎたところで、俺は馬上から周囲を眺めた。
相変わらず木ばかりだ。
「街道に戻るか?」
俺が言うと、セバスチャンも頷いた。
「そうですな」
食料はまだ残っている。
今すぐどうにかしなければならない量ではない。
だが、わざわざ余裕を削る必要もない。
最初に決めた通りだ。
二日進んで集落がなければ街道へ戻る。
「よし、街道に向かうぞ」
そう言って、俺は馬を進めた。
数歩も行かないうちに後ろから声が飛んできた。
「そっちじゃありませんぜ」
止まる。
ゆっくり振り返る。
セバスチャンが、別の方向を指していた。
「……分かっている」
「へい?」
「お前が分かっているか試しただけだ」
「そうですかい」
セバスチャンの顔が微妙に笑っている。
くそ。
嘘だけど。
俺は何事もなかったように馬の向きを変えた。
こういう時は堂々としていればいい。
道を間違えたわけではない。
確認しただけだ。
たぶん誰も信じていないけど。
それからは素直にセバスチャンを先頭にして進んだ。
さすがに森の中では、俺よりこいつに任せた方がいい。
しばらく進むと、前方の木々の間が明るくなってきた。
森が薄くなる。
枝の隙間から、細長く開けた場所が見えた。
街道だ。
「ようやくか」
木々の間を抜ける少し前で、俺は前方へ目を凝らした。
「ん?」
思わず首を傾げる。
街道には人がいた。
それも、一人や二人ではない。
遠くまで人影が続いている。
荷物を背負って歩いている者。
荷車を引いている者。
何人かで固まって進んでいる者。
俺はこの街道の普段の様子を知らない。
だから、いつもより多いとは言えない。
それでも。
「なんか人が多くないか?」
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