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魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


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第二十五話 勝手な遠乗り


 エレオノーラがマバール城を離れる日、空はよく晴れていた。


 晴れすぎているほどだった。


 城壁の上には朝の光が白く落ち、磨かれた石畳の上には馬車の影が長く伸びている。夜の冷えはまだ完全には抜けきっていなかったが、日差しそのものは柔らかく、これから気温が上がることを予感させる明るさがあった。城門の内側では、馬車の車輪、馬具、荷の固定、護衛の装備、随行者の位置が最後に確認されている。


 アバルディア家の紋章が入った馬車は、来た時よりも少しだけ軽く見えた。


 荷が減ったわけではない。


 むしろ、マバール城で受け取った礼品や記録、滞在中に整えられた書類などが加わっているはずだ。だが、城に入った時の馬車には、まだ使者として交渉を始める前の重さがあった。今の馬車には、交渉を終え、戻る者の静けさがある。


 エレオノーラは馬車の傍に立っていた。


 今日も隙のない姿だった。金髪は旅に合わせてまとめられ、衣装も長旅に耐えるものへ変わっている。それでも帝国四帝家アバルディアの者としての品は崩れていない。袖口の刺繍、胸元の紋章、裾の処理、その全てが、疲れや落胆を外へ出さないための鎧のように整えられていた。


 彼女は最後に一度だけ、城の方へ視線を向けた。


 そこにギルはいない。


 いないことは、見ればすぐに分かる。


 見送りに立つ者はいる。マバール家の役人、城の騎士、使用人、そしてエレオノーラ一行をここまで世話した者たち。だが、あの三男坊の姿はどこにもない。いつも少し緩んだような表情をしながら、油断なく言葉を選んでいた若い貴族。帝国の山や河、迷宮や帝都について尋ね、最後に「いつか行ってみたいものです」と微笑んだ男。


 気になる。


 だが、口には出さない。


 彼女はアバルディア家の使者だ。出立の場で、マバール家三男の所在を尋ねることはできない。尋ねれば、その時点で昨日の会話に余計な色が付く。マバール家としては何もしていない。ギルバート・マバールも、今日の出立には関わっていない。そういう形でなければならない。


 分かっている。


 分かっているからこそ、何も言わない。


 エレオノーラは胸の奥に小さな棘を抱いたまま、最後の礼を整えようとした。


 その時、城門へ向かう通路の奥に動きが生まれた。


 空気が変わる。


 先に反応したのは、マバール側の騎士たちだった。背筋が伸びる。使用人たちが自然と位置を正す。声は上がらない。ただ、そこにいる全員が同じ方向を意識したことが、場の気配だけで伝わってきた。


 ガルシア・マバールが現れた。


 エレオノーラは息を整える必要があった。


 マバール城に滞在している間、彼の姿を遠くに見たことはある。正式な会議の場に出たわけではないが、この城の主としての存在感は常に感じていた。だが、こうして出立の場に現れ、正面から向き合うと、その重さは想像以上だった。


 大柄というだけではない。


 鋭い目、厚い胸板、ゆっくりとした歩み、纏う空気。王国の大貴族、辺境伯家の当主、代々帝国と向かい合い、国境を抑えてきた家の長。その自信と威厳が、言葉より先に場を支配していた。こちらを威圧するために力を入れているわけではない。むしろ、自然体に近い。だからこそ重い。


 エレオノーラは、己が今、敵国の城にいるのだと改めて思い知らされた。


 この男の前では、アバルディア家の名も万能ではない。


 帝国四帝家の一つであることに誇りはある。だが、ここはマバール領であり、目の前にいるのはその支配者だ。礼を失えば、使者としての自分だけではなく、アバルディア家の格も傷つく。


 彼女は深く、しかし過度にならない礼を取った。


「ガルシア・マバール閣下。此度は、過分なお取り計らいを賜り、心より感謝申し上げます」


 声は乱れなかった。


 自分でもそれを少しだけ褒めたいと思った。


「アバルディア家の使者として、マバール家の礼厚きご対応を忘れることはございません」


 ガルシアはそれを受けた。


 頷きは小さい。


 だが、十分だった。


「遠路、ご苦労であった」


 低い声が朝の空気に落ちる。


「道中、気をつけられよ」


「ありがとうございます」


 それだけだ。


 政治の話はない。


 帝国の名も、メガレア家の名も、ギルの名も出ない。出立の場では、ただ礼を交わす。それが正しい。エレオノーラもそれに合わせた。ここで何かを求めることはできないし、求めるべきでもない。


 形式通りの別れ。


 そう思った時だった。


 ガルシアが少しだけ口元を緩めた。


「人生の先達として一言言っておくが」


 エレオノーラの背筋が自然と伸びた。


「エレオノーラ殿、人生たまには諦めが必要な時もある」


 ガルシアは笑った。


 豪快というほどではない。


 だが、確かに笑った。


 エレオノーラはすぐに意味を掴めなかった。


 諦め。


 何を諦めろというのか。


 アバルディア家の願いか。マバール家としての協力か。帝国の均衡か。それとも、もっと別の何かか。


 問い返すことはできない。


 ガルシアはそれ以上語らなかった。政治的な発言ではない。人生の先達としての一言。そういう形にされてしまえば、使者として返せる言葉は限られる。


 エレオノーラは静かに礼をした。


「お言葉、胸に留め置きます」


「うむ」


 ガルシアは頷いた。


 それで終わりだった。


 エレオノーラは馬車へ乗り込む。


 扉が閉じられる直前、もう一度だけ城の方へ視線を向けた。やはりギルはいない。いないのに、昨日の言葉だけが残っている。


 いつか行ってみたいものです。


 帝国は、見聞に値する土地でございます。


 あのやり取りは、もう終わったものではない。


 そう思いたい自分がいた。


 だが、ガルシアは諦めも必要だと言った。


 どちらを信じるべきなのか。


 いや、信じる信じないではない。アバルディア家の使者として、彼女は戻らなければならない。持ち帰れるものを持ち帰る。それが役目だ。


 馬車が動き出す。


 車輪が石畳を軋ませ、馬の蹄が整った音を立てる。マバール城の城門が遠ざかる。高い城壁、見張りの兵、朝の光を受けた紋章。馬車の小窓から見える景色は少しずつ変わり、城内の石畳から、城下へ続く広い道へ移っていった。


 エレオノーラは馬車の中で背筋を伸ばしたまま座っていた。


 随行者は黙っている。


 護衛たちの気配は外にある。


 まだマバール領内だ。国境までは距離がある。常識的に考えれば、この辺りで襲撃を受ける可能性は低い。マバール家の威光が届く場所であり、街道も整えられている。だが、今の彼女が背負っているものを思えば、安心はできなかった。


 彼女はマバール城から戻る使者だ。


 何を聞いたのか。


 何を得たのか。


 何を持ち帰るのか。


 帝国内のどの陣営も気にするだろう。メガレア家、ザザント家、アバルディア家の内側にいる別の者たち、あるいはフリージア家の周辺。誰がどこで情報を求めているかは分からない。自分自身が、もし敵方ならどうするか。アバルディア家の本拠へ戻る前に捕まえたいと思うだろう。


 だから警戒していた。


 それでも、胸の奥には別の思考が絡んでいる。


 ギルは来なかった。


 見送りにはいなかった。


 それは当然だ。


 来れば目立つ。目立てば意味が壊れる。彼が本当に動くなら、出立の場に顔を出すはずがない。


 ならば。


 エレオノーラはそこまで考え、窓の外へ視線を向けた。


 街道は城下を抜け、少しずつ人家の密度が薄くなっている。畑、倉、低い石垣、遠くの林。マバール領は豊かだ。辺境伯家の領地でありながら、ただ荒々しいだけではない。軍事の気配と生活の気配が、互いに離れずに存在している。


 やがて馬車の揺れが少し変わった。


 整った城下の道から、郊外へ出たのだろう。


 護衛の馬の動きがわずかに変わる。


 その変化を感じた直後、外から声が上がった。


「敵襲!」


 馬車の中の空気が凍った。


 エレオノーラはすぐに小窓へ手を伸ばした。


 随行者が止めかけたが、彼女は構わず窓を開ける。風が流れ込み、外の音が急に近くなった。馬のいななき、護衛の怒声、車輪の軋み、土を蹴る蹄の音。遠くから、馬群が迫ってくる。


 十騎ほど。


 多くはない。


 だが少なくもない。


 しかも、様子がおかしい。


 全員、鎧姿ではない。平民のような粗末な格好をしている。旅人か、荒くれ者か、盗賊か。遠目にはそう見える。しかし、ただの盗賊がこの距離でマバール家の使者護送を襲うとは考えにくい。ここはまだマバール領だ。そんな馬鹿な真似をすれば、逃げ切れるはずがない。


 エレオノーラは感知魔法を広げた。


 意識を外へ伸ばす。


 空気の中に魔力の気配を探る。


 すぐに、馬群の輪郭が感覚に触れた。


 集団全体の魔力は、騎士としては一般的な範囲だった。少なくとも、感知しただけで震えるような化け物ばかりではない。だが、平民のような格好をした者たちが、揃って騎士相応の魔力を持っている。その時点でただの盗賊ではあり得ない。


 そして、その中に一つだけ明らかに異質な反応があった。


 桁が違う。


 強大で、濃く、重い。


 他の反応と比べる必要すらない。感知した瞬間に、そこだけが浮き上がる。まるで周囲の空気を押し潰しながら進んでくるような存在感。先日まで、ほぼ毎日向き合っていた気配。


 ギルバート・マバール。


 エレオノーラの喉が小さく動いた。


 目を凝らす。


 先頭にいる男。


 粗末な服。


 騎士の鎧ではない。


 だが、顔は間違いない。


 ギルだ。


「攻撃してはなりません」


 エレオノーラは即座に命じた。


 外の護衛が振り返る気配があった。


「しかし、危険です。ここはまだマバール領です」


「だからです」


 エレオノーラは声を強めた。


「絶対にこちらから攻撃してはいけません」


「ですが」


「あれほどの魔力の持ち主に勝てますか?」


 護衛が黙った。


 言葉はそれで十分だった。


 ここはマバール領。


 相手は粗末な格好をしているが、その先頭にはギルバート・マバールがいる。こちらが先に攻撃すれば、どう転んでも面倒なことになる。そもそも勝てる相手ではない。マバール城で向き合った時ですら、彼の魔力は異質だった。馬上で、距離があり、こちらが護衛態勢のまま戦ってどうにかなるとは思えない。


 護衛たちは警戒したまま武器に手をかける。


 だが、構えは固定した。


 攻撃しない。


 それでいい。


 馬群が近づく。


 土煙が流れ、馬の息が聞こえる距離になる。


 先頭の男はやはりギルだった。粗末な格好をしているせいで、一瞬だけ別人のようにも見える。だが、顔も目も、あの微妙に人を食ったような笑みも同じだ。その後ろには、顔に深い傷のある老人がいた。見覚えがある。マバール城で何度か見かけた気がする。名は知らない。だが、凶悪な面構えと、場違いなほど楽しげに歪んだ口元は妙に印象に残る。


 他の者たちも、粗末な服装ではあるが動きが平民ではない。


 馬の扱い、周囲への目配り、手綱を握る姿勢。騎士だ。少なくとも、それに準じる訓練を受けた者たちだろう。


 ギルは馬を緩め、にこやかに片手を上げた。


「やあ、奇遇ですね」


 あまりにも白々しかった。


 護衛の一人が息を呑む。


 エレオノーラは馬車の小窓からではなく、扉を開けさせ、外へ身を出した。完全に降りることはしない。だが、顔を見せて話す必要がある。ここで怯えて馬車の中に閉じこもれば、形が悪い。


「ギルバート様」


 声は落ち着いていた。


 そうあってほしかった。


「どうしてここに?」


 念のための問い。


 確認。


 そして、この芝居を始めるための言葉。


 ギルは少しも悪びれずに微笑んだ。


「いや、遠乗りをしていたのですが、エレオノーラ殿の馬車をお見かけしたので」


 遠乗り。


 十騎ほどで。


 粗末な格好で。


 アバルディア家の使者が城を離れた直後の道で。


 あまりにも無理がある。


 だが、無理があるからこそ意味がある。


 これは真実を述べるための会話ではない。互いに必要な形を確認するための会話だ。


 エレオノーラはギルの瞳をまっすぐ見た。


「はい。帝国に戻ります。滞在中は大変お世話になりました。ありがとうございます」


「ほう、そうなのですか」


 ギルはわざとらしく驚いた。


 本当にわざとらしい。


 馬車の外にいる護衛たちの緊張が、別の種類の困惑に変わるのが分かった。彼らも察し始めているのだろう。これは敵襲ではない。だが、ただの出会いでもない。


 エレオノーラは息を整えた。


 ここからが大事だ。


「よろしければ、帝国をご案内いたしましょうか?」


 これは受け入れの言葉だ。


 あなたが来るのなら、こちらは受け入れる。


 その意思表示。


 だが、ギルは首を横に振った。


「いやいや、ご多忙なエレオノーラ殿にご迷惑をおかけする訳にはいきません」


 エレオノーラは一瞬だけ戸惑った。


 拒否。


 いや、違う。


 ギルは続けた。


「我らは勝手に帝国内を見物させていただきます。勝手にね」


 その言葉に、背筋の奥がわずかに震えた。


「エレオノーラ殿には少し分からないことをお尋ねするかもしれませんが、それで充分ですよ」


 意味は明確だった。


 エレオノーラが招いたのではない。


 アバルディア家が指揮するのでもない。


 ギルたちは勝手に帝国内を見物する。


 必要な時に、少し質問するだけ。


 だから指揮権は発生しない。


 同時に責任も発生しない。


 これが形だ。


 マバール家としては動かない。


 アバルディア家としても招かない。


 だが、ギルは来る。


 エレオノーラは深く一礼した。


 今度ははっきりと。


 馬車の段に片手を添えたままの不完全な姿勢ではあったが、その礼に込める意味は崩さない。


「承知いたしました。道中、分からぬことがございましたら、わたくしに分かる範囲でお答えいたします」


「助かります」


 ギルは笑った。


 その直後だった。


 後ろにいた傷顔の老人が爆笑した。


 堪えきれなかったような笑いだった。


 腹の底から、遠慮なく。


 護衛たちがぎょっとする。ギルの後ろにいた騎士たちの何人かも、表情を動かさないようにしているが、空気が揺れた。エレオノーラも一瞬だけ目を瞬かせた。


 ギルの笑顔が、ほんのわずかに引きつった。


 それを見て、エレオノーラはようやく理解する。


 あの老人は、このわざとらしいやり取りを最初から見ていたのだ。そして、若い二人が必死に体面と責任回避を守りながら話しているのが、どうにもおかしかったのだろう。


 ギルは振り返らなかった。


 だが、内心では何か言っているに違いない。


 その顔を見て、エレオノーラも少しだけ笑いそうになった。


 もちろん笑わない。


 ここで笑えば、せっかく整えた形が崩れる。


 ギルも同じなのだろう。


 必死に真顔を保っている。


 場の空気は、奇妙なまま定まった。


 攻撃ではない。


 偶然の遭遇。


 勝手な遠乗り。


 勝手な帝国見物。


 そして、勝手に重なる道。


 ギルは馬上で姿勢を整えながら、内心で盛大に悪態をついていた。


 チッ、クソじじいめ。


 笑うなよ。


 こっちは頑張って真顔を維持しているんだぞ。


 分かっている。わざとらしかった。演技が下手くそだった。遠乗りで偶然見かけたなど、言っている自分でも無理があると思った。エレオノーラの方も分かっている。護衛たちだって察しているだろう。それでも言わなければならない台詞というものがある。


 それを笑うな。


 危うくこっちまで吹き出しそうになった。


 ギルは背後からまだ漏れてくる笑い声を聞きながら、どうにか表情を保った。


 傷顔の老人、セバスチャンは実に楽しそうだった。あのクソじじいから見れば、俺もエレオノーラも孫のような年齢なのだろう。そんな若造二人が、必死に貴族らしい言葉を選び、責任の置き場所をずらしながら、あまりにも分かりやすい芝居をしている。それが可愛らしいのか、馬鹿馬鹿しいのか、とにかく面白くて仕方ないらしい。


 腹立つ。


 だが、ここで怒れない。


 怒れば芝居が崩れる。


 やれやれ、十人じゃ少なすぎて相手にされないかも、と少し心配していたんだが、どうやら大丈夫みたいだな。


 ギルは周囲へ意識を向けた。


 こちらは十人。


 俺とセバスチャン、それから直属騎士たち。全員、鎧ではなく粗末な服を着ている。平民の旅装に近いが、完全に平民に見えるかと言えば難しい。動きが違う。馬の扱いも違う。だが、遠目なら誤魔化せるかもしれない。


 最初、十人だけで行くと伝えた時、セバスチャン以外はみんな不安がった。


 当然だ。


 帝国内部へ入る。


 しかも正式な軍ではなく、勝手な遠乗りという形で。


 十人では少ない。


 そう言いたくなる気持ちは分かる。


 だが、セバスチャンが一喝すると、あっさり静まった。かなりしごかれていたらしい。初顔合わせからあのクソじじいに絞られ続けたせいで、直属騎士たちは反論の仕方を少し学んだのだろう。言うべきことは言う。だが、セバスチャンが本気で潰しに来た時は引く。賢い判断だ。


 兵を連れた方がいいと言うやつもいた。


 それも分かる。


 数は力だ。


 普通なら兵は多い方がいい。


 だが、不案内な場所を魔力の無い平民兵を連れてぞろぞろ歩くのは危険なだけだろう。守る対象が増える。足も遅くなる。食料も水も必要になる。言葉や土地勘が怪しい場所で、大勢の兵を連れて動けば、隠れようがない。そもそも今回は占領が目的ではない。


 主目的は偵察と破壊だ。


 サーチアンドデストロイとか言うんだっけ。


 いや、言葉はどうでもいい。


 見る。


 探る。


 必要なら壊す。


 取って守るのではなく、叩いて崩す。


 なら少数精鋭でいい。


 セバスチャンも賛成した。


 なら大丈夫だろう。


 たぶん。


 もちろん、レティシアは同行していない。


 そこは最初から決めていた。


 本音を言えば離れたくない。今朝もそうだった。寝顔を見て、腹を撫でて、紋章に触れて、できるならずっと部屋に閉じ込めてイチャイチャしていたかった。だが、これから向かう先は戦場に近い。レティシアは戦場で戦う訓練を受けていない。城内で主人を守るための動きや、メイド長から学んだことはあるかもしれないが、それは戦場のものではない。


 だから連れて行くという選択はない。


 離れたくない。


 だが、危険な場所に連れて行きたくない。


 それだけだ。


 彼女には城周りや生産拠点周りを管理してもらう必要もある。俺がいない間、あの場所がだれないように、必要な指示を少しずつ出してもらう。俺付きの使用人たちも、商人への書状も、万一のための彼女自身への書状も残した。


 置いてきた。


 その事実が胸の奥に少し引っかかっているが、仕方ない。


 ギルは馬の首筋を軽く叩いた。


 これから俺たちは、あくまで遠乗りの過程でたまたまエレオノーラの馬車を見かけただけだ。そして勝手に帝国に入ってしまう。エレオノーラに俺たちの指揮権は発生しない。責任も発生しない。


 最初は、エレオノーラの指揮下に入る形も少し考えた。


 だが、セバスチャンが断固反対した。


 帝国のお嬢ちゃんの指揮なんぞごめんですな。


 そんなことを言いやがった。


 もちろん、他の者には聞こえない場所でだ。あのクソじじいも、その程度の分別はある。だが、言っていることは分からなくもない。マバール家の三男と直属騎士が、帝国の使者の指揮下に入る。それは形としてかなりまずい。責任の置き場所も、命令系統も、全部おかしくなる。


 だから勝手についていく。


 これが一番ましだ。


 そもそも、マバール城から帰るエレオノーラはあまりにも危険だ。


 彼女がどんな爆弾を持って帰ってきたのか、どの陣営も気になるだろう。俺なら、アバルディア家の影響下に戻る前に掻っ攫う。どこかで待ち伏せし、護衛を散らし、本人を確保する。何を聞いたか吐かせる。あるいは、アバルディア家へ戻さないだけでも十分価値がある。


 セバスチャンも同意見だった。


 もちろんエレオノーラも警戒はしているだろう。


 だが、危ないのは変わらない。


 うちの城から帰る途中でエレオノーラを掻っ攫われるのは面白くない。マバール家の面子にも関わるし、何よりせっかく整えた道が潰れる。美人だしな、というのはまあ、少しだけある。いや、少しではないかもしれないが、それだけではない。


 それに、帝国内部深くへ潜る以上、案内役はいてくれた方が助かる。


 道。


 街。


 河。


 迷宮。


 帝都へ向かう常識。


 どこで何を言ってはいけないか。


 そういう情報は現地の者が持っている。もちろん、エレオノーラに全面的に頼るわけにはいかない。だが、少し分からないことを尋ねる相手がいるだけでかなり違う。


 お互いの立場を考慮した苦肉の策だ。


 エレオノーラを襲う者がいれば、俺たちは自分たちが襲われたと勘違いして撃退してしまえばいい。たまたま俺たちがムカついて襲った城なり街が、たまたまエレオノーラに敵対していたとしても、それはたまたまだ。ただの偶然だ。


 不思議だな。


 ギルは内心でそうまとめ、にこやかな顔を維持した。


 エレオノーラはまだこちらを見ている。


 彼女も分かっているはずだ。


 この先、何が起きても、言葉にはできない部分が増える。彼女は俺たちを指揮しない。俺たちは彼女に従わない。ただ、道が重なる。質問することはある。答えてもらうこともある。襲撃があれば、こちらも勝手に動く。


 それでいい。


 形は整った。


 護衛たちは戸惑いを残したまま、攻撃しない姿勢を維持している。アバルディア家の随行者は馬車の近くで緊張している。セバスチャンはまだ口元を歪めている。直属騎士たちは、それぞれ粗末な服の下に騎士の空気を隠しきれず、周囲を見ている。


 エレオノーラはもう一度、深くはないが確かな礼をした。


「では、道中、分からぬことがございましたらお尋ねください」


「ええ。そうさせていただきます。勝手にね」


 ギルは笑った。


 マバール家としては動かない。


 アバルディア家としても招かない。


 だが、ギルは行く。


 帝国を見物するために。


 そういうことになった。


 馬車が再び動き出す。


 その少し後ろ、あるいは横。


 離れすぎず、近づきすぎず、十騎の粗末な格好をした騎馬が続く。


 偶然にしては近い。


 同行にしては遠い。


 護衛にしては勝手で、襲撃者にしては堂々としている。


 奇妙な一団が、マバール領の街道を帝国へ向かって進み始めた。

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ストック切れました。


今後は可能な限り毎日、6時、21時、投稿します

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― 新着の感想 ―
モテるために頑張るというかレティシアのために頑張るって感じ…?w
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