第二百十二話 分家の領地
俺たちは予定通り、分家の城へ向かっていた。
宿を出てからというもの、シルフィアは妙に静かだ。
昨日あれだけ飲んだのだから当然といえば当然なのかもしれないが、隣を進むその顔はいつもより少し青白い。手綱はきちんと握っているし、馬の扱いも危なげない。けれど、口数だけは明らかに少なかった。
……吐くのを我慢してるんじゃないよな。
ちらりと横顔を見てから、俺はそっと馬を外側へ寄せた。
巻き添えはごめんだ。
俺が少し離れても、シルフィアは何も言わない。気づいていないのか、それとも気づいていても文句を言う元気がないのか。どちらかは分からないが、とりあえず今はその距離を保っておく。
別に急ぐ理由もない。
分家の城が逃げるわけでもないし、今日中に何かを終わらせなければならないわけでもない。前を行くセバスチャンも速度を上げる様子はなく、俺たちは街道をのんびりと進んでいた。
馬の背で揺られながら周囲へ目を向ける。
「ふーん」
思っていたより、悪くない。
街道の向こうには畑が広がっている。育っているのは小麦だ。風が抜けるたび、まだ青さの残る穂がまとまって揺れている。その間では何人もの者が働いていた。
遠目だから細かな表情までは分からない。それでも、こちらを見て慌てて顔を伏せるような様子もなければ、死にそうな顔で地面へ張りついているわけでもない。近くを通った者たちを見ても、少なくとも暗い顔ばかりということはなかった。
なかなか豊かな領地に見えるな。
なんとなくだが、悪い領主というと領民から限界まで搾り取って、自分だけいい暮らしをしているようなイメージがある。
もちろん、そんな単純なものじゃないんだろうが。
少なくとも今見えている範囲では、ここがひどく荒れているようには見えない。
そういえば、昨日泊まった宿屋もけっこう良かった。
特に意識していなかったが、食事は悪くなかったし、酒もきちんと揃っていた。部屋も十分だったし、風呂にも入れた。もちろん最上級というほどではない。マバール城と比べるようなものでもないが、旅の途中で泊まる宿として考えれば、特に不満を覚えるところはなかった。
「ふむ」
どうにも、俺がなんとなく想像していたものとは違う。
もう少しこう、分かりやすく嫌な感じでもしているのかと思っていたんだが。
俺は再び隣を見る。
少し離したはずなのに、いつの間にかシルフィアとは普通に話せるくらいの位置になっていた。まあ、この程度ならいいだろう。吐きそうになったらその時にまた離れればいい。
「おい、シルフィア。分家の当主ってどんな奴だ?」
「悪い奴です!」
返事だけは速かった。
俺は思わずシルフィアを見る。
さっきまで黙っていたくせに、そこだけは妙にはっきりしている。
「いや、そうじゃなくてだなぁ」
「違うんですか?」
「今のお前がどう思ってるかじゃなくて、何を考え、何をしてると思う? これまでの評判は?」
「これまで、ですか……」
シルフィアはようやく少し考えるように視線を前へ戻した。
馬の蹄が街道を叩く音が続く。
「えっと、こう、なんというか……地味な方ですね」
「地味?」
「はい。普段からほとんど領地から出て来ませんし、特に何か大きな功績なども聞いた事はありませんね」
「ふむ」
地味、か。
俺はその言葉を頭の中で転がす。
領地からほとんど出ない。大きな功績も聞かない。それだけなら、別に珍しくもない気がする。少なくとも、聞いた瞬間に何かが分かるような話ではなかった。
ただ、実際に領地を見た印象とも妙に合っている。
派手な何かがあるわけじゃない。
けれど、畑は普通に広がっているし、宿も悪くなかった。働いている者たちも、俺が見た限りでは沈んでいない。
さて、どういう奴なんだろうな。
考えていると、横から馬の蹄が少し近づいた。
顔を向ける前に、シルフィアがこちらへ身を寄せるようにして覗き込んでくる。
「あの」
「なんだ?」
「城は吹き飛ばすんですよね」
そこなのか。
昨日まで散々俺を止めていたくせに、今度は確認してくる側になっている。
俺は前を向いたまま答えた。
「面白そうならな」
「面白そうなら……」
シルフィアが何か言いたそうな顔をしたが、それ以上は続かなかった。
うん。
なかなか面白くなってきた。
最初は城を吹き飛ばせる機会があるかもしれない、くらいだった。だが、当主の評判を聞いて、実際に領地まで見てみると、少し違う興味が出てくる。
分かりやすい悪党が好き勝手やっているだけなら、それはそれで話が早い。
けれど、今のところ見えてくるのはそんなものじゃない。
まあ、本人に会えば少しは分かるだろう。
そんなことを考えていると、少し前を進んでいたセバスチャンがこちらを振り返った。
「なんか来やしたぜ」
「ん?」
言われた方へ目を凝らす。
街道の先。
まだかなり遠い。
土煙の向こうで、小さな影がいくつも揺れている。最初は何なのか分かりにくかったが、こちらへ近づくにつれて馬上の人影だと分かった。
騎馬の集団か。
俺は手綱を持ったまま、感知魔法を展開する。
使ったのはいつもの感知魔法だ。
オルフィアに教わったやり方ではない。
あっちでもいいんだが、まだそこまで慣れていない。近くで使うだけならともかく、あれだけ離れた場所まで伸ばすとなると、正直まだ少し不安がある。
出来ないとは思わない。
ただ、ちゃんと使えているか自信がない状態でわざわざ試す必要もないだろう。
暇な時にでも、もう少し練習しないとな。
意識を広げる。
視界とは別の感覚で、周囲にある魔力反応を拾っていく。
街道そのものも、土煙も、馬の姿も分からない。
拾えるのは魔力だけだ。
遠くから近づいてくる集団の中に、いくつか反応がある。
「ふむ」
強さをざっと確かめる。
そこまで強くはない。
一つ、二つと数えていき、最後まで拾う。
「魔力反応があるな。そこまで強くは無いが……数は五か」
本日の更新は、5時、12時、17時、20時となります。




