第二百十話 騎士として怒ってるんです
とりあえず、飯を食うことにした。
さっきまであれだけ騒がしかった部屋を出て食堂へ降りると、腹が減っていたことを思い出した。捕まえた奴らの話を聞いている間は気にならなかったが、目の前に食事が並ぶと途端に腹が空いてくる。
問題は、隣にいるシルフィアだった。
「私は、私は本当に怒ってるんです!」
「そうだな。うん、うん、分かるぞ。まあ、飲め」
俺はそう言って、シルフィアの酒杯へ酒を注いだ。
シルフィアはむっとした顔のまま酒杯を掴み、そのまま一気に傾ける。空になったところへまた注いでやると、今度は何か言いたそうに俺を睨んでから、やっぱり飲んだ。
よしよし。
とりあえず飲んでいれば、そのうち少しは静かになるだろう。
「こんな事ってあんまりです」
「まったくだな。うん、とりあえず飲め」
「分家の人たちが、あんな……あんなことを……」
「ひどい話だな。ほら」
差し出した酒瓶を見て、シルフィアは一瞬だけ口を閉じた。それから自分の酒杯を俺の方へ少し押し出す。
素直でよろしい。
注いでやると、また飲む。
食事も進めているのだが、シルフィアの酒杯が空になる方が早い。さっきから俺は自分の皿とシルフィアの酒杯を交互に見ている気がする。
しばらくすると、シルフィアが酒杯を握ったまま顔を上げた。
「やっぱり今すぐに吹き飛ばしに行きましょう」
「そうだな。とりあえず全部飲んでからにしような。だから飲め」
「……全部?」
「ああ」
何が全部なのかは俺も知らん。
だが、シルフィアは少し考えたあと、納得したように酒杯を口へ運んだ。
俺は空いたところへまた注ぐ。
向かいではセバスチャンがいつもの顔で酒を飲んでいた。こいつは特に口を挟まない。ただ、時々こちらを見ては口元を歪めている。
助けろよ。
そう思ったが、まだシルフィアは普通に喋れている。たぶん大丈夫だろう。
「私は、ですねぇ、騎士として、騎士として怒ってるんです! 分かりますか?」
……普通か?
さっきより少し声が伸びている気がする。
「ああ、もちろんだ。だから飲め」
「騎士っていうのはですね、ただ命令を聞けばいいって、そういうものじゃないんですよ」
「そうだな」
「ちゃんと、考えて、誰に仕えてるのかとか、何のためにとか……そういうのがあるんです」
「うん、分かるぞ。ほら、空いてる」
「あ、はい」
反射的に酒杯を差し出してくる。
俺は注いだ。
シルフィアは一口飲み、今度は酒杯を両手で持ったまま、俺の方へ身を乗り出してきた。
「私だって、私だって、分かるんです。分かるんですよ。色々あるって、ちゃんと分かるんです」
「そうだなぁ。偉いぞー。とりあえず飲め」
「子供じゃないですよぉ」
「知ってる知ってる」
「本当に分かってます?」
「もちろんだ」
また飲む。
また空く。
また注ぐ。
なんだか俺まで酒を注ぐ動作だけ妙に上手くなってきた気がする。
食堂には俺たち以外の客もいるが、さっきからこっちを見ている奴がいる気がした。まあ、シルフィアの声は小さくない。騎士だの吹き飛ばすだの言っている女が酒杯を振りながら喋っていれば、そりゃ気にもなるだろう。
俺は少しだけ身体をずらし、シルフィアの酒杯へもう一度酒を足した。
「だからですねぇ、騎士というのはですねぇ……聞いてます?」
「もちろん、聞いてるぞ。さあ、飲め」
「本当ですかぁ?」
「本当だとも」
半分くらいは。
いや、たぶん三分の一くらいは聞いている。
同じところを何度も回っているから、全部聞かなくてもだいたい分かるのだ。
シルフィアは疑わしそうに俺を見たものの、結局また酒を飲んだ。
「だから、えっと、ですねぇ……そうなんですよ。そうなるんです。分かってくれますよね」
「そうだよなぁ。うん、うん。じゃあ飲め」
「分かってくれるんですねぇ」
「ああ、分かるぞ」
「やっぱり分かってくれるんですねぇ」
「そうだな」
俺が何を分かったことになっているのかは分からない。
だが、ここで聞き返したら最初から説明されそうなので、絶対に聞かない。
酒杯が空いた。
注ぐ。
飲む。
また何か言う。
俺が頷く。
そしてまた注ぐ。
これをさっきからずっと繰り返している。
ふと向かいを見ると、セバスチャンもほとんど変わらないペースで飲んでいた。
なのに、全然乱れていない。
いつも通りの顔で酒杯を傾け、こっちを見ながらにやにや笑っている。
なんで俺だけこんな目に遭っているんだ。
「おい、少しくらい代われ」
シルフィアに聞こえないよう、小声で言う。
セバスチャンの口元がさらに歪んだ。
だが、返事が来るより早かった。
「なんです、なんなんです、何がなんなんです、言ってくださいよ、私にも教えてくださいよぉ」
シルフィアが俺の方へぐいっと顔を寄せてきた。
聞こえてたのかよ。
「そうだな、うん、なんなんだろうな。ほれ、飲め」
「誤魔化してますぅ?」
「誤魔化してないぞ」
「ほんとですかぁ?」
「本当だ。だからほら」
酒杯を示すと、シルフィアはまだ疑わしそうな顔をしながらも飲んだ。
ちょろい。
いや、面倒くさい。
その後も結局、俺が最後まで相手をすることになった。
途中からシルフィアの話はますます分からなくなった。騎士の話をしていたと思ったら分家への怒りに戻り、そこからまた何かを分かっているという話になり、最後には自分でも何を話しているのか分かっていないんじゃないかと思うほど言葉が繋がらなくなっていった。
それでも酒杯だけはきっちり空になる。
俺も半分意地になって注いでいた。
やがて、何度目か分からない酒杯を置いたシルフィアの身体がふらりと揺れた。
「だからぁ、私は……騎士、として……」
「うん」
「ちゃんと……ですねぇ……」
「ああ」
「……」
返事が来ない。
と思った次の瞬間、シルフィアの上半身がそのまま机へ落ちた。
鈍い音がして、伏せた顔の横から髪が広がる。
「……おい?」
動かない。
肩がゆっくり上下しているので寝たらしい。
しばらく待ってみたが、起きる気配はなかった。
ようやく潰れたか。
食堂の机に突っ伏したまま、シルフィアは完全に寝ている。口元からは細くよだれまで垂れていた。
なんだろう。
このまま捨てておきたい。
ここまで延々相手をさせられたんだ。それくらい許されてもいい気がする。
「若様はお優しいですなぁ」
向かいから、笑いを含んだ声が飛んできた。
顔を上げれば、セバスチャンが酒杯を持ったまま笑っている。
「お前なぁ、少しくらい代わってくれてもいいだろ」
「いや、何度か変わろうとはしたんですが、面白かったもんで」
「俺はつまらん」
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