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魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


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第二十一話 使者


 アバルディア家の使者がマバール城へ向かっている。


 その報せを受けてから、城内の空気は目に見えない糸が張られたようになっていた。


 廊下を歩く使用人たちはいつも通りに見える。茶器は運ばれ、床は磨かれ、扉の前には決められた者が立ち、調理場からは湯と肉の匂いが流れてくる。だが、耳を澄ませば分かる。足音が少し速い。声が少し低い。普段なら通りすがりに交わされる短い雑談が、今日はほとんどない。


 マバール城は、客を迎える準備をしていた。


 ただの客ではない。


 敵国である帝国、その四帝家の一つ、アバルディア家からの使者だ。


 しかも、国境砦で止められ、親書だけを先に送られた使者である。


 父上は使者を本城へ入れると決めた。だが、それは歓迎とは違う。無礼に追い返すわけではない。正式な使者として礼は尽くす。しかし、こちらがアバルディア家の求めるものを受け入れたわけでもない。


 その微妙な線を、城の全員が間違えずに歩かなければならない。


 面倒くさい。


 実に面倒くさい。


 そして、その面倒くさい役目のかなり前面に俺が立つことになった。


 マバール家三男、ギルバート・マバール。


 俺はまだ正式に対外的な役職を持つわけではない。家督を継ぐ長男でもない。迷宮を任されているアル兄さんのような明確な担当を持つわけでもない。直属騎士は持ったが、それも家内における一段階であって、俺が父上の代理として表に立てるほどの立場になったわけではない。


 だが、今回はその半端さが都合よかった。


 父上が直接出れば重すぎる。


 父上の一言は、ほとんどマバール家の意思として扱われる。もちろん、父上ほどの人物なら不用意な言質など取らせないだろう。だが、それでも当主が相手をするという事実そのものが大きい。


 逆に、文官だけで対応すれば軽すぎる。


 アバルディア家は帝国四帝家の一つだ。いくら弱体化していようが、没落気味のフリージア家とは違う。礼を守って正式な使者を寄越してきた相手を、ただの文官だけで捌けば、それはそれで侮ったと受け取られかねない。


 そこで俺だ。


 辺境伯家の三男。


 マバール家の血を引く者。


 だが、決定権は持たない若造。


 失礼にはならない。


 しかし、約束はできない。


 話は聞ける。


 だが、家の意思は父上が決めると言える。


 便利な立場だ。


 自分で言っていて少し嫌になるが、実際そうなのだから仕方ない。


 城内の上層部との打ち合わせは、使者の到着予定よりも前に行われた。


 会議室ではなく、もう少し小さな部屋だった。


 大きな窓はなく、壁には厚い織物が掛けられ、声が外へ漏れにくい。中央に置かれた長机には、親書の写し、使者の随行人数、国境砦からの報告、帝国四帝家についての簡単な整理が並べられていた。


 文官系の上層部が二人。


 武官系が一人。


 諜報機関の長。


 そして俺。


 レティシアは少し離れた位置に控えている。彼女は騎士家の娘であり、俺の直属にも入っているが、この場で発言する立場ではない。ただ、俺の補佐として書類の位置を整え、茶を用意し、必要な時に必要なものを差し出せる位置にいる。


 こういう時のレティシアは本当に頼りになる。


 美しいだけではない。


 むしろ、美しさが一瞬邪魔になるくらい有能だ。ふと目を向けると、真剣な横顔があまりに整っていて、思考が一瞬別の方向へ引っ張られそうになる。今は駄目だ。今は帝国だ。アバルディア家だ。ザザント家だ。レティシアのことを考え始めると、会議どころではなくなる。


「若様には、使者との最初の応対をお願いいたします」


 文官の一人がそう言った。


 細い指で親書の写しを押さえている。


「最初の応対、か」


「はい。歓待役という形になります。ただし、正式な歓待ではありません」


「便利な言葉だな」


 思わず言うと、文官は少しだけ眉を動かした。


 不快というより、まあそう言われても仕方ないという顔だ。


「実際、便利な形にする必要がございます」


「だろうな」


 ギルは親書の写しへ目を落とした。


 アバルディア家の文章は丁寧だ。


 丁寧すぎるくらいだ。


 こちらを侮っていない。挑発もない。助けを求めているという弱さも直接は見せない。ただ、帝国の均衡と国境の安定について話したいとある。


 話したい。


 その一言が重い。


 話すだけなら簡単だ。


 だが、話す相手を城へ入れることがすでに意味を持つ。


「父上とは会わせない方針か」


 ギルが尋ねると、諜報機関の長が静かに頷いた。


「少なくとも、最初からは」


「最後に顔を見せる可能性は?」


「必要なら」


「必要にしたいのは向こうだろうな」


「間違いなく」


 アバルディア家の使者からすれば、父上に会いたいはずだ。


 ガルシア・マバール。


 王国の辺境伯。


 国境の実権者。


 父上の言葉を引き出せれば、かなりの成果になる。たとえ明確な協力の約束でなくても、言葉の端からマバール家の温度を測れる。さらに、それを帝国内で利用することもできるだろう。


 だから会わせない。


 少なくとも、簡単には。


 そこで俺が出る。


 俺なら、相手は軽く扱えない。


 だが、俺から取れる言葉には限界がある。


「若様の立場は、この場では非常に使いやすうございます」


 文官の言葉に、ギルは苦笑しそうになった。


 使いやすい。


 まあ、そうだろう。


「私としては、という言い方で濁せばいいわけだ」


「はい」


 文官は少し表情を緩めた。


「マバール家としては、とは言わない。父上は、とは言わない。王国としては、など論外。私としては、私個人としては、私の立場で申し上げるなら、と」


「その通りです」


「相手は苛立つだろうな」


「苛立たせすぎてはいけませんが、容易に満足させてもいけません」


「面倒だな」


「外交とはそういうものです」


 正論だ。


 聞きたくない正論だ。


 ギルは椅子の背に軽くもたれかけ、すぐに姿勢を戻した。


 この場でだらしなくするわけにはいかない。


「目的は情報を取ることか」


 武官が口を開く前に、文官が頷いた。


「第一に、アバルディア家がどこまで本気か。第二に、メガレア家の現状。第三に、ザザント家の動き、あるいは見方。第四に、フリージア家がどの程度関与しているか」


「フリージアは弱いんだろ」


「弱くとも、名は帝家です」


「名だけでも使い道がある、か」


「はい」


 弱い家にも使い道はある。


 名前。


 血筋。


 紋章。


 そういうものは、実力が落ちてもすぐには消えない。むしろ、実力がないからこそ、名前だけを切り札にするしかない場面もあるのだろう。


「ザザント家については」


 諜報機関の長が書類の一枚をこちらへ滑らせた。


 レティシアがそれを受け、俺の前に置く。


 ザザント家。


 帝国四帝家の三番手。


 アバルディア家の男子が不自然な不幸続きで減っている今、本来なら皇帝候補として浮上し得る家。


 だが親書には、その当主の紋章がない。


「ザザント家は、まだ意思表示していません」


「だろうな」


「ですが、アバルディア家がこちらへ接触したことは、遠からず知るでしょう」


「もう知ってる可能性は?」


「高いと見ています」


 ギルは息を吐いた。


 やっぱりか。


 帝国内の情報網がどうなっているかは知らないが、四帝家が互いを監視していないわけがない。アバルディア家が国境へ使者を出した時点で、ザザント家が察知していてもおかしくない。


 そうなると、ザザント家は今こちらを見ている。


 マバール家が使者をどう扱うか。


 通すのか。


 拒むのか。


 話を聞くのか。


 どこまで関わるのか。


 それが彼らの判断材料になる。


「つまり、俺の対応も見られる可能性がある」


「はい」


「嫌だな」


「若様」


 文官が少しだけ困った顔をした。


「本音をおっしゃるのは、この部屋だけにしてください」


「分かっている」


 外では言わない。


 外では、俺は辺境伯家の三男として振る舞う。


 内心で嫌だ嫌だと言いながら、表では穏やかに笑う。


 貴族って面倒だ。


 だが、それが貴族なのだろう。


「使者には、どこまで話していい」


 ギルが尋ねると、文官は用意していたらしい紙を開いた。


「国境の安定を重視していること」


「それは言っていいのか」


「はい。むしろ言うべきです」


「帝国の均衡については」


「若様個人の関心としてなら」


「私としては、帝国の均衡が国境に与える影響には関心があります、くらいか」


「よろしいかと」


「メガレア家批判は」


「避けてください」


「だろうな」


 敵国の一有力家を、こちらが直接非難する必要はない。


 アバルディア家がメガレア家をどう言うかは聞く。


 だが、こちらから乗らない。


 俺がメガレア家は横暴ですね、などと言えば、その時点でかなり踏み込むことになる。


「アバルディア家への同情は」


「不要です」


「冷たいな」


「必要な冷たさです」


「分かる」


 同情した瞬間、相手はそこへ入り込む。


 アバルディア家は困っている。追い詰められている。メガレア家に押されている。だから助けてほしい。


 そういう話になっても、こちらは情では動かない。


 動くなら利で動く。


 しかも、それを表に出しすぎてもいけない。


 面倒だ。


「使者が父上への面会を求めたら」


「まずは若様が受け止めてください」


「私の立場では判断いたしかねます。父へはお伝えします、か」


「はい」


「それだけだと弱いな」


 ギルは指先で机を軽く叩いた。


「アバルディア家ほどの御家からの言葉です。軽々には扱えません。父へは必ず伝えます。ただし父がどのように判断するかは、私の立場で申し上げることではありません。これでどうだ」


 文官が目を細めた。


「よろしいかと」


「長いな」


「長い方がよい場合もございます」


「便利だな、外交」


「便利に見える時ほど危険です」


「それも分かる」


 言葉を長くすることで、何も言わずに済ませる。


 前世の会社にも似たようなやり方はあった。


 検討します。


 前向きに考えます。


 社内で確認します。


 趣旨は理解しました。


 どれも何も決めていないのに、何か言ったように聞こえる便利な言葉だ。


 この世界でも変わらない。


 人間というのは、世界が違ってもあまり変わらないのかもしれない。


 武官が少し低い声で言った。


「若様、相手が女であった場合も、揺れませぬよう」


 ギルは一瞬だけ眉を動かしそうになった。


「女の可能性があるのか」


「帝国側では、使者に女を立てることもあります。特に帝家の血筋を示す場合や、相手の反応を見る場合に」


「なるほど」


 女。


 それは考えていなかった。


 いや、考えていなかったわけではないが、意識から少し外れていた。


 使者と言えば男だと思い込んでいたのは、前世の感覚か、この世界の男尊女卑の空気のせいか。


 だが、貴族家の女には使い道がある。


 婚姻。


 血筋。


 交渉。


 顔を出すだけで意味を持つこともある。


「美女だったらどうする」


 冗談のように言うと、文官たちが微妙な顔をした。


 レティシアの視線が少しだけ刺さった気がした。


 いや、冗談だ。


 冗談なんだが。


「若様」


 レティシアの声は柔らかかった。


 柔らかいのに、妙に冷たかった。


「使者は使者でございます」


「分かっている」


 本当に分かっている。


 ここで女に鼻の下を伸ばすような真似をすれば、俺の評価どころかマバール家の面子にも関わる。相手が美人であろうが、年上であろうが、巨乳であろうが、使者は使者だ。


 もちろん、内心では見るかもしれない。


 見るだけなら仕方ない。


 だが外には出さない。


 俺は貴族だ。


 たぶん。


 打ち合わせはさらに細かく続いた。


 席順。


 茶。


 最初の挨拶。


 同席する文官。


 護衛の位置。


 使者の随行者の扱い。


 父上へ取り次ぐかどうかの基準。


 会話を切り上げる合図。


 使者が親書の内容を超えた提案をした場合の受け方。


 情報を引き出すためにこちらから振る話題。


 メガレア家の動きを聞く際の言葉。


 ザザント家の名を出すかどうか。


 どこまでこちらが知っているように見せるか。


 俺の頭が少し痛くなる。


 戦場で敵の村を焼く方が単純だった。


 いや、そう思ってしまうのはかなり危ない気もするが、少なくとも攻撃魔法を撃つ方が分かりやすい。外交は面倒だ。斬ればいい敵が目の前にいるわけではない。相手の言葉を聞き、こちらの言葉を選び、何を言わないかを考える。


 だが、俺はこれをやらなくてはいけない。


 そういう立場になってしまった。


 打ち合わせの結果は父上へ報告された。


 俺も同席した。


 父上は大きな部屋ではなく、執務室で報告を聞いた。机の上には別の書類がいくつも積まれている。帝国関連だけではない。領地運営、砦からの定期報告、迷宮関係、王都からの文書。辺境伯の仕事量を見ているだけで、俺は絶対に当主になりたくないと改めて思う。


 報告を聞いた父上は、しばらく黙っていた。


 文官が俺の方針を説明する。


 俺の立場を利用して使者に応対すること。


 マバール家としての言質は与えないこと。


 私としては、という形で個人的見解に留めること。


 父上への面会要求は受け止めるが、その場で約束しないこと。


 使者からはアバルディア家の本気度、メガレア家の状況、ザザント家への見方を引き出すこと。


 父上は、最後まで口を挟まなかった。


 報告が終わると、俺を見た。


「ギルバート」


「はい」


「悪くない」


 その一言に、部屋の空気が少し緩んだ。


 悪くない。


 父上にしては、かなり褒めているのではないだろうか。


「己の立場をよく見ている」


「ありがとうございます」


「ただし、相手もそれを承知で来る。お前が言質を避けるつもりでいることは、向こうも読む」


「はい」


「避けるだけでは足りん。相手に話させろ」


「承知しました」


 父上の言葉は短い。


 だが重い。


 避けるだけでは足りない。


 そうだ。


 俺が何も言わずに逃げ続ければ、相手も何も話さなくなる。こちらが知りたい情報を取るには、相手に話す価値があると思わせる必要がある。


 何かを得られるかもしれない。


 この若様に話せば、父上へ届くかもしれない。


 そう思わせなければならない。


 だが、確約はしない。


 難しい。


 実に難しい。


「父上との面会は」


「お前が判断するな」


「はい」


「だが、お前がつなぐ価値があると見れば、合図を送れ」


「合図、ですか」


 父上は文官の一人へ視線を向けた。


 文官が軽く頭を下げる。


「同席する者が見ます。若様が席中で水を求めた場合、一度こちらへ報告が入るようにいたします」


「水」


「はい。茶ではなく水を」


「なるほど」


 水を求める。


 それが合図か。


 茶は普通に出る。


 だが、途中で水を求めるのは少し不自然だ。体調を整えるという理由にもなるし、会話を一度切る理由にもなる。その間に裏へ伝える。


 よくできている。


「分かりました」


 父上は頷いた。


「使者は本日夕刻には城へ入る。最初の応対は明朝だ」


「今日ではないのですか」


「長旅の後だ。休ませる。こちらも用意する」


「承知しました」


 いきなり会わない。


 それもまた意味があるのだろう。


 急いで飛びつくわけではない。


 だが拒むわけでもない。


 礼は尽くす。


 判断は渡さない。


 面倒くさいが、筋は通っている。


 父上は最後にもう一度俺を見た。


「ギルバート」


「はい」


「女であっても鼻の下を伸ばすな」


 部屋の空気が止まった。


 文官が表情を消す。


 武官はわずかに視線を逸らした。


 レティシアは控えているだけだが、気配が少しだけ変わった。


「父上」


「何だ」


「さすがに、それは分かっております」


「ならよい」


 父上はそれだけ言って、別の書類へ視線を落とした。


 話は終わりだ。


 ギルは頭を下げ、部屋を出た。


 廊下へ出てから、思わず小さく息を吐く。


 父上、そこでそれを言うのはやめてほしい。


 いや、信頼されていないわけではないのだろう。たぶん。おそらく。ただ、俺がレティシアにかなり溺れていることは城内に知られている。しかも相手が美人の女使者だった場合、注意されるのは当然なのかもしれない。


 だが、俺だって場はわきまえる。


 たぶん。


 夕刻、アバルディア家の使者がマバール城へ入った。


 俺は直接出迎えには立たなかった。


 それは決められた通りだ。


 迎えたのは城の役人と騎士。礼を失わず、しかし過度な厚遇には見えない形で使者一行を通した。俺は二階の回廊から、遠く中庭を見下ろす位置にいた。正式な場ではない。偶然そこにいるようにも見える。だが、実際には様子を見るためだ。


 馬車が入ってくる。


 アバルディア家の紋章がある。


 派手ではない。


 だが、安物でもない。


 護衛の騎士たちは数を絞っている。過剰な武装ではないが、使者の格を示す程度には整っている。鎧の手入れも良い。疲労は見えるが、乱れてはいない。国境を越え、マバール家の砦から本城まで運ばれてきたにしては、随分と姿勢が崩れていなかった。


 使者は、まだ馬車の中だ。


 扉が開く。


 降りてきた人物を見た瞬間、ギルは少しだけ意識を引かれた。


 女だ。


 なるほど。父上や他の連中が妙に心配すると思った。


 遠目でも分かる。


 金髪。


 夕日の光を受けて、髪が柔らかく輝いて見えた。


 年齢はレティシアと同じか、少し上だろうか。


 立ち方が綺麗だ。


 長旅の後のはずなのに、背筋に乱れがない。裾を扱う手つきも自然で、周囲の視線を浴びることに慣れている。単なる伝令ではない。貴族家の中で、それなりの教育を受けた者だ。


 アバルディア家の人間。


 そう聞いていたが、これなら納得できる。


 ギルは表情を動かさない。


 遠目とはいえ、どこから誰が見ているか分からない。ここで俺が露骨に反応すれば、それだけで情報になる。若様は女使者に目を奪われた。そんな噂が立つのはごめんだ。


 だが、内心では思った。


 美人だな。


 かなり美人だ。


 輝くような金髪、という表現がそのまま似合う。


 この世界には美人が多い。貴族や騎士家の女は特に整っていることが多い。魔力持ちの血筋のせいなのか、生活環境のせいなのか、そもそも貴族として見栄えの良い血を選んでいるのかは知らないが、とにかく美しい女は多い。


 だが、その中でも彼女は目を引いた。


 もちろん、レティシアの方が俺にとっては特別だ。


 それは揺らがない。


 だが、美人かどうかは別の話だ。


 ギルはそこで思考を切った。


 危ない。


 女として見るな。


 使者として見ろ。


 敵国の使者だ。


 帝国四帝家の一人だ。


 若い女を寄越した意味を考えろ。


 色仕掛けか。


 血筋の重さを示すためか。


 アバルディア家が切れる男の駒を失っているのか。


 あるいは、こちらの反応を見るためか。


 どれもあり得る。


 その全てかもしれない。


 女使者は、迎えの者へ礼を取った。


 過不足のない礼だった。


 相手を立てすぎず、見下しもせず、自分の格を崩さない。マバール家の城に入った敵国の使者として、見事なくらい整っている。


 ギルは、少しだけ警戒を強めた。


 美人だからではない。


 有能そうだからだ。


 その夜、使者とは会わなかった。


 彼女は客室へ通された。


 随行者もそれぞれ決められた場所へ置かれる。護衛の武器は完全には取り上げないが、城内で自由に持ち歩けるわけでもない。形としては正式な使者への礼を保ちつつ、実質的な管理はかなり厳しい。


 俺は自室に戻り、レティシアと翌日の確認をした。


 レティシアは使者の名を把握していた。


「エレオノーラ・アバルディア様。アバルディア家の傍系にあたる方とのことです」


「傍系か」


「はい。ただし、本家に近い血筋と見られます」


「なるほどな」


 傍系。


 だが近い。


 使者としては重いが、失っても本家中枢が直接傷つくほどではない。


 絶妙だ。


「年齢は」


「二十歳半ばぐらいかと」


「レティシアより少し上ぐらいか」


「おそらくは」


 レティシアは表情を変えない。


 だが、俺は少しだけ気まずくなった。


「美人だったな」


 言ってから、なぜ言ったのかと思った。


 黙っていればいいものを。


 レティシアは少しだけ目を伏せた。


「左様でございますね」


「いや、もちろん、レティシアとは別だぞ」


「若様」


「何だ」


「明日は使者としてご覧くださいませ」


「分かっている」


 本当に分かっている。


 分かっているのだが、レティシアに言われると少し刺さる。


「俺はそんなに信用ないか」


「信用しております」


「本当か」


「はい」


 レティシアは静かに微笑んだ。


「ただ、若様はご自分で思われているよりも、女性をご覧になる時のお顔が分かりやすい時がございます」


「嘘だろ」


「はい」


「どっちだ」


「失礼いたしました。嘘ではございません」


 ギルは頭を抱えたくなった。


 そんなに出ているのか。


 いや、レティシアだから分かるだけだと思いたい。


 他の者には分からない。


 たぶん。


 おそらく。


「明日は気をつける」


「はい」


 レティシアは茶を置いた。


 その手つきはいつも通りで、俺を責めるようなものではなかった。


 だが、軽く釘は刺された。


 ありがたい。


 ありがたいが、少し情けない。


 翌朝。


 対面の場は、謁見の間ではなかった。


 大広間でもない。


 城内の客を迎えるための中規模の部屋だ。


 窓からは中庭の一部が見える。壁にはマバール家の紋章が入り、床には厚い敷物が敷かれている。格式はあるが、当主が公式に大使を迎えるほどの重さはない。


 椅子の位置も調整されていた。


 俺は上座だが、父上の席ではない。


 相手を見下ろしすぎず、同格でもない。


 絶妙に半端な位置だ。


 この半端さが、今の俺の立場そのものだった。


 同席する文官が一人。


 護衛として騎士が二人。


 少し離れてレティシア。


 部屋の外にも当然控えがいる。


 父上はいない。


 ガルシア・マバールは出ない。


 それが今日の形だ。


 ギルは椅子に座らず、使者を迎えるために立っていた。


 座って待つこともできたが、最初は立って迎える方がいいと判断された。相手を軽んじていないことを示す。ただし、部屋も席も当主のものではないため、重くしすぎない。


 扉の外で声がする。


 騎士が扉を開く。


 アバルディア家の使者が入ってきた。


 近くで見ると、昨日よりさらに印象が強かった。


 金髪は朝の光を受けて柔らかく輝き、後ろで綺麗にまとめられている。瞳は青みがかった灰色。顔立ちは整いすぎるほど整っているが、甘さだけではない。目元に冷静さがある。唇は薄く結ばれ、緊張を隠しながらも、自分の役割を理解している者の顔をしていた。


 衣装は旅装ではない。


 城内での正式な面会に合わせて整えたものだ。


 派手すぎない深い青を基調とし、胸元にアバルディア家の紋章が控えめに入っている。華美ではない。だが、布の質も仕立ても良い。帝国四帝家の血筋に連なる者として、軽んじられないだけの格がある。


 年齢は、やはりレティシアより少し上だろう。


 だが、若い。


 だが、子どもではない。


 使者は俺の前で足を止め、礼を取った。


「アバルディア家のエレオノーラと申します。マバール辺境伯家の御厚意に感謝いたします」


 声は澄んでいた。


 高すぎず、低すぎず、聞き取りやすい。


 緊張はある。


 だが震えはない。


 ギルは穏やかに頷いた。


「ギルバート・マバールです。遠路、よくお越しくださいました。道中、お疲れはありませんか」


「お心遣い、痛み入ります。砦から本城まで、過分なご配慮をいただきました」


「それは何よりです」


 形式的な挨拶。


 だが、ここからすでに始まっている。


 彼女は砦から本城までの扱いに感謝した。


 つまり、マバール家が礼を守ったことを認めた。


 こちらはそれを受けた。


 だが、それ以上の意味はない。


 ギルは椅子へ手を示した。


「どうぞ、お掛けください」


「失礼いたします」


 エレオノーラが座る。


 俺も座る。


 レティシアが茶を出す。


 エレオノーラの視線が一瞬だけレティシアへ向いた。ほんのわずかだ。だが、俺には分かった。見た。見た上で、すぐに俺へ戻した。


 レティシアは美しい。


 上級メイドとしての所作も完璧に近い。


 相手がどう受け取ったかは分からないが、少なくともただの下女とは見なさなかっただろう。


 ギルは茶に手を伸ばさず、まずエレオノーラを見た。


「親書は拝見しました」


「ありがとうございます」


「アバルディア家が帝国の均衡を重く見ておられることは、理解いたしました」


「はい」


 エレオノーラは静かに頷いた。


「我が家は、帝国が四帝家の均衡によって保たれるべきものと考えております」


 来た。


 ギルは内心で身構えた。


 四帝家の均衡。


 アバルディア家が一番言いたいことだろう。


「私としても、国境の安定は重く見るべきことだと考えております」


 ギルは最初から濁した。


 私としても。


 マバール家としてではない。


 父上としてでもない。


 俺個人の言葉だ。


 エレオノーラは、ほんの少しだけ目を細めた。


 分かっている。


 この人、分かっている。


 俺が逃げ道を作ったことを理解した顔だ。


「ギルバート様は、国境の安定と帝国の均衡は結びつくとお考えでしょうか」


「私個人の考えであれば、無関係とは思いません」


「無関係ではない」


「はい。ただ、どのように結びつくかは、立場によって見え方が変わるでしょう。王都から見る国境と、国境から見る帝国は同じではありません」


 エレオノーラの表情がわずかに動いた。


 今の言葉は、少し踏み込んだ。


 王都と国境は違う。


 つまり、マバール家は王都と全く同じ見方をしているわけではない。


 だが、王都と違う判断をするとは言っていない。


 便利だ。


 言葉って便利だ。


 そして怖い。


「マバール家は、帝国の安定をどのようにご覧になりますか」


「それは父が判断することです」


 ギルは即答した。


 踏み込みすぎる前に切る。


「ですが、私としては、安定にはいくつかの形があると思っております」


「いくつかの形」


「はい。内に向く安定もあれば、外に向く安定もある。前者なら国境は穏やかになりましょう。後者なら、国境を預かる者は備えねばなりません」


 エレオノーラは黙って聞いている。


 その目が、少しだけ鋭くなった。


 ギルは続けない。


 こちらからメガレア家の名は出さない。


 相手に言わせる。


「メガレア家は、外に向く安定を作ろうとしております」


 エレオノーラが言った。


 ギルは茶に手を伸ばした。


 少し飲む。


 時間を作る。


「それは、アバルディア家の見方でしょうか」


「はい」


「詳しくお聞かせください」


 エレオノーラは、ほんの一瞬だけ息を整えた。


 彼女も分かっているはずだ。


 ここから先は、自分が話すことになる。


 俺は聞く側だ。


 約束はしない。


 だが、聞く。


 聞くこと自体が、彼女にとっては価値がある。


「メガレア家は、先帝、先々帝に続き、今回も自家より皇帝を立てるつもりです」


「そのように見ておられる」


「見ているのではありません。すでに動いております」


「動いている、ですか」


「帝都周辺の軍、財、神殿、そして一部の迷宮管理者を押さえつつあります。反対する家には、皇帝不在の不安を広げるなと圧をかけております」


 神殿。


 迷宮管理者。


 その辺りは親書にはなかった。


 ギルは内心で書き留める。


 同席の文官も、表情を変えずに聞いている。


「アバルディア家は、反対を?」


「当然です」


 エレオノーラの声に、初めて少し熱が混じった。


「帝国は四帝家の均衡により成り立ちます。メガレア家が三代続けて皇帝位を握れば、それは帝国ではありません。メガレア家の王国です」


 かなり強い言い方だ。


 ギルはすぐには返さなかった。


 彼女の言葉は本気に聞こえる。


 だが、使者として本気に見せている可能性もある。


「フリージア家も同じ考えであると、親書にはありました」


「はい」


「ザザント家は」


 ギルはあえて名を出した。


 エレオノーラの表情は大きく変わらない。


 だが、ほんのわずかに沈んだ気がした。


「ザザント家も、メガレア家の三代継承を快く思ってはおりません」


「快く思っていないことと、動くことは別でしょう」


 言ってから、少し踏み込んだと思った。


 だが必要だ。


 ザザント家の位置を探らなければならない。


 エレオノーラは、俺をまっすぐ見た。


「おっしゃる通りです」


 認めた。


 そこは誤魔化さないのか。


「ザザント家は、慎重です。いえ、慎重にならざるを得ないのでしょう」


「なぜです」


「ザザント家が動けば、皇位争いは決定的に割れます」


「今はまだ割れていないと?」


「割れかけています。ですが、まだ戻れると考えている者もおります」


「アバルディア家は戻れると?」


「戻れません」


 即答だった。


 強い。


 この女、かなり腹を括っている。


「メガレア家が退けば、戻れるのでは」


「退きません」


「なぜそう言い切れるのですか」


「退けるなら、すでに退いております」


 エレオノーラの声は静かだった。


 だが、その静けさが逆に重い。


「二代続けて皇帝を出した時点で、帝国の均衡は大きく傾きました。それでも我々は耐えました。先帝の時代は戦が続き、内を乱すべきではないという理由がありました。ですが、今回は違います。三代目まで許せば、以後、他帝家は帝家ではなくなります」


 ギルはゆっくり頷いた。


「アバルディア家にとっては死活問題、ということですね」


「はい」


 そこは認める。


 隠さない。


 むしろ、隠せないのだろう。


「私としては、その危機感は理解できます」


 また濁す。


 私としては。


 エレオノーラはそれを聞いて、かすかに息を吐いたように見えた。


「ありがとうございます」


「ただ、理解と判断は別です」


「承知しております」


「マバール家はエルディア王国の辺境伯家です。帝国四帝家の均衡について、軽々に口を出す立場ではありません」


「はい」


「ですが、国境の安定に関わる話であれば、聞く意味はあります」


 ギルはそこで茶を置いた。


「そのために、私はここにおります」


 エレオノーラは一瞬、黙った。


 そして、深くはないが丁寧に頭を下げた。


「感謝いたします」


 勝ったわけではない。


 だが、今の言い方は悪くなかったはずだ。


 マバール家はまだ何も約束しない。


 だが話は聞く。


 俺はそのためにいる。


 エレオノーラもそれを理解した。


 会話は続いた。


 メガレア家が帝都周辺でどの家を押さえているか。


 アバルディア家がどの程度の兵を動かせるか。


 フリージア家が名を貸す以上のことをできるのか。


 ザザント家がなぜ沈黙しているのか。


 エレオノーラは、全てを話したわけではない。


 当然だ。


 こちらも全てを聞けたわけではない。


 だが、親書にはない温度が分かった。


 アバルディア家はかなり追い詰められている。


 しかし、まだ折れてはいない。


 フリージア家は弱いが、アバルディア家の動きに名を添える程度の意思はある。


 ザザント家は、やはりマバール家の反応を見ている可能性が高い。


 そしてメガレア家は、かなり強引に皇帝位を取りに来ている。


 面倒くさい。


 話を聞けば聞くほど、面倒くさい。


 だが、聞かないよりは良い。


 昼近くになったところで、ギルは会話を切った。


「大変興味深いお話でした」


「ギルバート様」


「今伺ったことは、父へ伝えます。ただし、繰り返しになりますが、私の立場で家としての返答を申し上げることはできません」


「承知しております」


「使者殿には、しばらく城内でお休みいただくことになるでしょう。父がどのように判断するかは、その後となります」


 エレオノーラは静かに礼を取った。


「マバール家のご配慮に感謝いたします」


 ギルも応じる。


 形式は崩さない。


 だが、会話の前と後では、空気が少し変わっていた。


 使者は退出した。


 扉が閉まる。


 ギルはしばらく座ったまま動かなかった。


 疲れた。


 走り込みとは別の疲れだ。


 魔力を使ったわけでもない。


 剣を振ったわけでもない。


 だが、妙に肩が重い。


 同席していた文官が静かに口を開いた。


「若様」


「どうだった」


「大きな失言はございません」


「大きな、か」


「多少踏み込まれた箇所はございましたが、必要な範囲かと」


「褒め言葉として受け取っておく」


「はい」


 レティシアが茶を差し替えてくれる。


 今度は少し熱い。


 ギルはそれを飲んで、ようやく息を吐いた。


「あの使者、かなりやるな」


「はい」


 文官が頷く。


「若く見えますが、場を理解しております」


「美人だしな」


 つい言った。


 文官は何も言わなかった。


 レティシアも何も言わなかった。


 沈黙が刺さる。


「いや、使者としてだ」


 自分でも意味の分からない言い訳をした。


 文官は聞かなかったことにしたようだ。


 ありがたい。


 レティシアは静かに目を伏せている。


 後で何か言われるかもしれない。


 いや、言われない方が怖い。


「父上へ報告する」


「すぐに」


 ギルは立ち上がった。


 足元が少し重い。


 だが、頭は妙に冴えている。


 エレオノーラ・アバルディア。


 アバルディア家の女使者。


 金髪の美人。


 そして、かなり厄介な相手。


 帝国の皇位争いは、書類の上の話ではなくなった。


 それは人の姿を取り、俺の目の前に座り、静かな声でメガレア家を語った。


 ギルは部屋を出る前に、ふと窓の外を見た。


 マバール城の中庭には、いつも通り兵が動いている。


 遠くで騎士の鎧が鳴る。


 空は晴れている。


 だが、状況は確実に曇り始めていた。


 できれば、楽な立場でいたい。


 その願いは、今日また少し遠ざかった気がした。

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