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魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


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第二十話 親書


 国境から急報がもたらされた時、俺は自室で書類を眺めていた。


 書類と言っても、俺が正式に処理しなくてはいけない類のものではない。生産拠点から上がってきた報告と、直属騎士たちの訓練状況についてセバスチャンが雑にまとめさせた紙と、城内会議で配られた帝国関係の写しの一部だ。どれも俺が持っていていいものではあるが、俺が判を押す必要はない。俺はまだ半人前で、マバール家の公的立場として正式に表に出ているわけではないからだ。


 それでも、目を通す意味はある。


 何がどの程度進んでいるのか。


 誰が何を見ているのか。


 どの言葉がぼかされ、どの数字がきっちり書かれているのか。


 そういうところを見ていると、書いた者の立場や、上へ伝えたいこと、あまり強く書きたくないことが少しずつ見えてくる。前世で資料を読む時にも似たような感覚はあったが、この世界の書類はまた違う。貴族の家の書類は、数字や事実だけでなく、体面と責任の置き場所が混じっている。


 たとえば、直属騎士たちの訓練状況。


 セバスチャンが自分で綺麗な報告書を書くはずもないので、おそらく誰かに口述させたのだろう。文章は整っているが、内容はかなり容赦ない。


 オルドは気力旺盛、ただし力任せ。


 ジノは慎重、持久に優れる。


 クレインは予想以上に粘る。


 トールは周囲を見る余裕あり。ただし疲労時も損得を考える目を失わず。


 褒めているのか貶しているのか分かりにくい。


 いや、セバスチャンにしては褒めているのだろう。


 直属騎士たちは、あれからしっかり絞られている。


 初顔合わせの日に夕方まで鎧姿で走らされて以来、彼らはセバスチャンを見る目に警戒を混ぜるようになった。最初は筆頭騎士への敬意や、老騎士への噂からくる緊張だったと思う。今はもっと実感のこもった恐れだ。


 分かる。


 あのクソじじいは怖い。


 ただ、彼らも騎士だ。


 文句は言わない。少なくとも俺の前では言わない。むしろ、日ごとに足音が少しずつ変わっている。無駄な力が抜け、呼吸を整える者が増えた。魔力を使わない走り込みに最初は戸惑っていた武官寄りの連中も、少しずつ身体の使い方を変え始めている。


 やはり、意味はあるのだ。


 腹立たしいことに。


 ギルは報告書を脇へ寄せ、生産拠点からの紙を手に取った。


 蜘蛛糸の生産は安定。


 炭の品質も大きく崩れていない。


 馬車の部品は、職人たちが勝手に細かな改良を試し始めている。


 良い傾向だ。


 俺がいないと何も進まない状態では困る。むしろ、俺が顔を出さない日があっても動くようになっているのは喜ぶべきことだ。少し寂しいが、そこは我慢だ。


 書類の端に、調理場から上がってきた妙な報告も混じっていた。


 例のパンに肉を挟んだ料理が、城内で広がっているらしい。


 正式名称はまだない。


 いや、俺の中ではハンバーガーなのだが、この世界にハンバーグという言葉がない以上、ハンバーガーと言っても通じない。調理場では「若様の肉挟み」だの「丸パン肉」だの、かなり雑な呼び方をされているようだ。


 やめてほしい。


 ただの休日の暇つぶしだったんだよ。


 そう思ったところで、廊下の空気が変わった。


 足音。


 速い。


 ただ走っているわけではない。城内での礼を壊さないぎりぎりの速さだ。近づいてくる気配に、机の横に控えていたレティシアがわずかに顔を上げた。


 次の瞬間、扉が叩かれる。


「若様」


 声はいつもの使用人ではなかった。


 武官系の伝令だ。


「入れ」


 扉が開く。


 鎧姿ではないが、軍務に関わる者らしい硬さを残した男が入ってきた。彼は部屋に入ると、すぐに頭を下げた。視線が一瞬だけ机の上の書類に向いたが、すぐに俺へ戻る。


「ガルシア様より、すぐに会議室へお越しになるようにとのことです」


「父上からか」


「はっ」


 ギルは椅子から立ち上がった。


 ただの会議なら、ここまで急がない。


 俺はまだ半人前だ。会議に出ることはあっても、呼ばれれば行く程度である。わざわざ伝令が自室まで来て「すぐに」と言うなら、何かあった。


「何があった」


 聞くべきか少し迷ったが、聞いた。


 伝令は一瞬だけ息を整える。


「国境より急報です。アバルディア家の使者が、ダル様の砦へ参りました」


 ギルは、ほんの一瞬だけ言葉を失った。


 アバルディア家。


 帝国四帝家の一つ。


 メガレア・アバルディア・ザザント・フリージア帝国。


 その二番手にあたる家。


 皇帝死去後、後継候補が薄く、不自然な不幸続きで男子がほぼ全滅したと考えられている家。


 そのアバルディア家の使者が、国境の砦へ来た。


 一瞬、誤報かと思った。


 だが、その報告はダル兄さんの砦から来ている。


 あのダル兄さんが、曖昧な情報をそのまま本城へ通すわけがない。勘違いなら砦で止める。相手がただの偽物や、無礼な挑発なら、その場で処理するか、少なくともそれに応じた文言になる。


 急報。


 会議。


 父上からの呼び出し。


 つまり、これは本物だ。


「使者は」


「砦に留め置かれております。親書のみ先行して届けられました」


「そうか」


 ギルは短く頷いた。


 それ以上は聞かない。


 聞いても、この伝令が知っている範囲は限られているだろう。詳しくは会議室で聞くことになる。


 レティシアがすでに動いていた。


 外出ではない。会議室へ行くだけだ。だが、服の乱れや髪、手元を確認してくれる。俺も貴族だ。呼ばれてそのまま走っていくわけにはいかない。急ぎの場でも、最低限の整え方がある。


「若様」


「ああ」


 レティシアの手が襟元を直す。


 その指先は落ち着いていた。


 こういう時、レティシアが落ち着いていると助かる。


「行ってくる」


「はい」


 彼女は深くは聞かない。


 だが、目だけで心配を伝えてくる。


 俺は軽く頷き、部屋を出た。


 廊下には、普段と違う硬さがあった。


 使用人たちはいつも通り動いている。だが、角を曲がる文官の足取りが速い。武官が二人、低い声で言葉を交わし、すぐ別方向へ散る。遠くで、誰かが新しい書類束を運んでいる。城そのものが、静かに身構えているようだった。


 こういう時、辺境伯家なのだと実感する。


 敵国の有力家から使者が来た。


 それだけで、城の血流が変わる。


 会議室の前には、すでに人が集まっていた。


 俺が近づくと、扉の前の騎士が頭を下げる。


 中へ入る。


 空気が重い。


 父上はすでに席に着いていた。


 ガルシア・マバール。


 マバール辺境伯。


 普段から威圧感のある人だが、今日はさらに一段硬い。顔色が悪いわけではない。疲れを見せているわけでもない。ただ、余計なものが削ぎ落とされたような静けさがある。


 武官系の上層部。


 文官系の上層部。


 諜報機関の長。


 メイド長の姿もある。


 セバスチャンはいない。


 直属騎士団の筆頭ではあるが、マバール家全体の上層会議に常に出る立場ではない。必要なら呼ばれるだろうが、今はまだいない。俺も、厳密に言えばこの場で大きく発言する立場ではない。


 だが、呼ばれた。


 なら聞く。


 ギルは用意された末席に座った。


 すぐに一枚の写しが配られる。


 親書の写しだ。


 原本ではない。


 当然だ。


 帝国四帝家から届いた親書の原本を、俺のような半人前が雑に触るわけにはいかない。写しだけで十分だ。


 文字を追う。


 文章は丁寧だった。


 無礼はない。


 挑発もない。


 敵国の辺境伯家へ送る文書として、礼を守っている。むしろ、かなり慎重に言葉を選んでいるように見えた。


 要点は明確だった。


 帝国皇帝の死去により、帝国の秩序が揺らいでいること。


 メガレア家が三代連続で皇帝位を継承しようとしていること。


 それは四帝家による帝国の均衡を崩すものであり、長期的には国境の安定をも脅かすこと。


 アバルディア家は、帝国の均衡維持と国境安定のため、マバール家と意見を交わす用意があること。


 協力。


 同盟。


 軍事行動。


 そういった露骨な言葉はない。


 だが、行間からにじむ意図は分かる。


 話をしたい。


 メガレア家の一強を止めたい。


 そのために、外の力も視野に入れている。


 ギルは写しから目を離し、父上を見る。


 父上は黙っていた。


 上層部も、すぐには口を開かない。


 こういう沈黙があるのだな、とギルは思った。


 誰も混乱していない。


 だが、軽く扱う者もいない。


 国境の砦に現れた使者。


 砦に留め置かれたままの使者。


 先に届いた親書。


 今、この会議室で決めることは一つではない。


 使者を通すのか。


 拒むのか。


 保留するのか。


 王都へどう伝えるのか。


 どこまで伝えるのか。


 使者を入れるなら、どの格で迎えるのか。


 入れないなら、どんな文言で返すのか。


 たった一人の使者をどう扱うかで、帝国にも王国にも、別の意味が生まれる。


 父上が口を開いた。


「親書は読んだな」


 低い声が部屋に落ちる。


 全員が姿勢を正す。


「意見を聞く」


 最初に文官系の上層部の一人が口を開いた。


 痩せた男だ。


 俺は何度か会議で見ている。言葉を選ぶが、慎重すぎて決断が遅いというほどではない。


「使者を即座に通すのは危険かと存じます。正式な使者である以上、通せば接触の事実は重くなります」


 別の文官が続ける。


「ただし、拒絶もまた強い意思表示となります。アバルディア家は帝国四帝家の一つ。礼を守っている相手を門前で退けたとなれば、今後の情報路を閉ざす恐れもございます」


 武官系の男が低く唸った。


「メガレア家が三代続けて皇帝を出すなら、いずれ国境は厳しくなる。帝国が一枚岩になれば、矛先は外へ向く」


 別の武官が言う。


「だが帝国の内輪揉めに首を突っ込みすぎれば、こちらが泥を被る。王都の命もない」


 王都。


 その言葉で、部屋の空気が少しだけ重くなった気がした。


 エルディア王国。


 善良王。


 戦のない世を望む王。


 王都が何を考えているのかは分からない。帝国の皇帝死去に対して、王都はまだ明確な方針を出していない。少なくともマバール家に届いている命令は現状維持だ。


 現状維持。


 その現状に、アバルディア家の使者が現れた。


 状況の方が勝手に動いている。


 俺は写しにもう一度目を落とした。


 メガレア家。


 アバルディア家。


 ザザント家。


 フリージア家。


 帝国四帝家。


 帝国の正式名称は、メガレア・アバルディア・ザザント・フリージア帝国。長すぎる国名だが、四帝家の名がそのまま並んでいる。その順番には意味がある。強いもの順。皇帝を多く出した順。発言力の順。


 メガレア家は強い。


 二代続けて皇帝を出している。


 今回も取れば三代連続。


 それが成立すれば、他三家は今後対抗できなくなるだろう。形式上は四帝家でも、実態はメガレア帝国だ。アバルディアもザザントもフリージアも、良くて大貴族。悪ければ、いつか潰される。


 アバルディア家が焦るのは分かる。


 むしろ、よく二代目で我慢したなと思う。


 三代目まで通されたら終わりだ。


 ギルは小さく息を吐きかけて、飲み込んだ。


 もし俺が王国内の内地貴族なら、どう考えただろう。


 たぶん、メガレア一強でも構わないと思ったかもしれない。


 帝国が安定する。


 内乱が起きない。


 交易が落ち着く。


 国境から離れた場所に領地を持つ貴族なら、それは悪いことではない。帝国が安定していれば、東の大国が勝手に揉めて難民や盗賊を生むことも少ない。王都の政治家なら、むしろ歓迎するかもしれない。


 だが、マバール家は違う。


 国境最前線。


 帝国と直接向き合う辺境伯家。


 安定した帝国が、内需拡大に努めてくれるならいい。道を整え、商人を増やし、民を富ませ、内側へ力を向けてくれるなら歓迎だ。だが、強大で安定した帝国が外へ目を向けた時、最初に立ちはだかるのはマバール家である。


 ダル兄さんの砦。


 アル兄さんが管理する迷宮にも影響が出るかもしれない。


 父上の負担も増える。


 そして俺にも、かなりの確率で火の粉が飛ぶ。


 それはごめんだ。


 俺は気楽な三男坊でいたい。


 大陸情勢のうねりに飲まれたいわけではない。


 しかし、アバルディア家はそこを突いてきている。


 帝国の安定は王国全体には利益かもしれない。


 だが、マバール家にはそうとは限らない。


 少なくとも、長期的には危険が大きい。


 うまいところを突く。


 敵ながら、よく見ている。


 諜報機関の長が、静かに口を開いた。


「使者の身元は、砦より確認済みとあります。アバルディア家の正式な紋章、随行者の礼法、携えた親書、いずれも偽装の可能性は低いとのことです」


 父上が頷く。


「ダルがそう見たなら、偽物ではあるまい」


 ダル兄さんの名が出る。


 父上の声には、淡い信頼があった。


 当然だ。


 ダル兄さんは国境砦を任される長男であり、父上の信頼を受けている。そこから届いた急報なら、疑うべき場所は別になる。


 文官が言った。


「親書において、アバルディア家はフリージア家の賛同を示しております」


「ザザントは」


 父上が問う。


「名はありません」


 部屋に、ほんの少し沈黙が落ちた。


 ザザント家。


 帝国四帝家の三番手。


 アバルディアに後継男子が不足しているなら、本来、次に皇帝候補として浮かぶ家。


 そのザザント家の紋章がない。


 アバルディア家は、他帝家も危機感を共有していると匂わせている。フリージア家の紋章はある。だがフリージア家は没落していて、発言権は弱い。帝家の一角として名を添える意味はあるが、実力ある支援とは言いにくい。


 問題はザザント家だ。


 ギルは写しの余白を見ながら考える。


 ザザントは何を見ている。


 最初は、漁夫の利という言葉が頭に浮かびかけた。


 だが、違う。


 まだその段階ではない。


 ザザント家は、すでに何かを得るために動いているわけではない。少なくとも、この親書には名を出していない。アバルディアとフリージアが動き、マバール家へ接触している。その事実を、おそらくザザントは見ている。


 見ているだけではない。


 判断しようとしている。


 アバルディアが本気なのか。


 マバール家が乗るのか。


 帝国の内側だけで終わる話なのか。


 それとも、外部要因が入って戦局の性質が変わるのか。


 今は、最終判断直前の観測段階だ。


 マバール家が使者を通せば、アバルディア家は外に手を伸ばしたことになる。正式な外交だから裏ではない。だが、敵国の辺境伯家と話をするという事実は残る。


 その瞬間、帝国の皇位争いは一段階変わる。


 帝国内部の綱引きではなく、王国との関係を含む話になる。


 ザザントにとって、そこで初めて動く価値が決まる。


 マバールが乗るなら、アバルディアは単独ではない。


 メガレアの一強を崩す可能性が出る。


 その時、ザザントがどちらにどの程度加わるかで、勝敗が揺れるかもしれない。


 最初から味方していれば発言権は強い。


 だが、負ければ終わる。


 最後に乗るだけでは信用が薄く、戦後の立場が弱い。


 だから、最初でも最後でもない。


 判断の直前。


 外部介入が現実になるかどうかを見る。


 マバール家がどう出るか。


 それを見ている。


 ギルは内心で舌打ちしたくなった。


 俺たちがトリガーじゃねえか。


 アバルディアの親書は、単にマバール家へ助けを求めるものではない。ザザント家へも、ある意味で見せている。外に話を持っていける。マバールが反応するかもしれない。そういう圧力にもなる。


 面倒くさい。


 本当に面倒くさい。


 会議では、議論が続いていた。


「使者を通せば、メガレア家への刺激となります」


「通さずとも、アバルディア家の使者が砦まで来た時点で、いずれ情報は漏れる」


「砦で追い返せば、マバール家はメガレア家の一強を黙認したと取られかねません」


「しかし招き入れれば、アバルディア家に与したと見られる可能性もある」


「王都へ先に伺いを立てるべきでは」


「その間、使者を砦に留めるのか。長引けば、それ自体が態度となる」


「王都の返答を待っている間に帝国側の状況が動く恐れがあります」


 言葉が重なる。


 だが、荒れてはいない。


 それぞれの発言は、利害の別方向を示しているだけだ。


 使者を通す。


 通さない。


 保留する。


 どれも正解ではない。


 どれも間違いになり得る。


 父上は黙って聞いている。


 腕を組んでいるわけではない。肘掛けに手を置き、背筋を伸ばし、視線だけを発言者へ向ける。感情はほとんど見えない。だが、部屋の全員が父上の沈黙を気にしている。


 これが当主か。


 ギルは改めて思う。


 俺は嫌だ。


 こういう場で最終判断を下す立場には、本当になりたくない。


 父上が視線を諜報機関の長へ向けた。


「メガレア側の動きは」


「強硬です。三代継承に向けて既成事実を積み上げているようです。帝都周辺の有力者は、すでにかなり押さえられていると見てよいかと」


「アバルディアは」


「表向きは静かです。ただし今回の使者を見る限り、水面下では相当追い詰められております」


「ザザントは」


「沈黙しています」


「沈黙か」


 父上の声が少し低くなる。


 沈黙。


 それが一番厄介だ。


 動いている相手はまだ分かりやすい。


 メガレア家は皇帝位を取りに来ている。アバルディア家はそれを止めるために外へ接触している。フリージア家は弱く、アバルディアへ名を添えている。


 ザザントだけが、沈黙している。


 沈黙しながら見ている。


 武官の一人が口を開く。


「ならば、使者を通し、情報を抜くべきです。話を聞くだけなら、まだ与したことにはなりますまい」


 文官がすぐ返す。


「話を聞く場を設けること自体が、相手に利用されます。使者が本城に入ったという事実だけで、帝国側へ示す材料になります」


「では追い返すのか」


「そうは申しておりません」


「ではどうする」


 少しだけ熱が上がりかけた。


 父上が指を軽く動かす。


 それだけで、二人は口を閉じた。


 すごいな。


 俺なら「はい、すみません」と言ってしまいそうだ。


 ガルシア・マバールという男の重さが、こういう時にはっきり出る。


 父上は俺の方を見た。


「ギルバート」


 突然呼ばれ、ギルは内心で少しだけ驚いた。


 表には出さない。


「はい」


「どう見る」


 部屋の視線が集まる。


 やめてほしい。


 俺はまだ半人前なんだが。


 だが、呼ばれた以上、答えないわけにはいかない。


 ギルは親書の写しへ目を落とし、言葉を選んだ。


「アバルディア家は、こちらの立場を分かって接触しているように見えます」


「続けよ」


「王国内の内地貴族なら、帝国が安定することは悪いことではないと思います。ですが、マバール家は国境にあります。メガレア家が三代続けて皇帝位を取り、帝国が一強体制で安定すれば、いずれ外へ力を向ける可能性があります。その時、最初に受けるのは我が家です」


 自分で言いながら、少し嫌になる。


 我が家。


 そういう立場なのだ。


 ギルは続けた。


「ですから、アバルディア家の打診そのものは、こちらにとって無視しづらいものです」


 文官の何人かが頷く。


 武官も表情を変えないが、否定はしていない。


「ただし、使者を通すだけでも意味が生まれます。敵国との正式な接触ですから、裏ではありません。ですが、帝国内では外の力を視野に入れたと見られる可能性があります。アバルディア家が仮に皇帝を出せたとしても、その正統性は傷つくかもしれません」


 父上は黙って聞いている。


「ザザント家の名がないことも気になります。アバルディア家がどこまで本気なのか、マバール家がどう動くのか、それを見ているのではないかと。使者を通せば、ザザント家が次の判断を下す材料になると思います」


「ザザントが動くと見るか」


「動くかどうかを決める直前だと思います」


 ギルはそう答えた。


「今はまだ動いていない。ですが、こちらが使者を通せば、帝国の皇位争いは外と繋がる。そうなれば、ザザント家にとっても状況が変わります」


 部屋の空気が、ほんの少し動いた。


 父上は目を細める。


「結論は」


「使者を通すなら、話を聞くためであって、協力を約するためではないと形を整えるべきかと。拒むなら、それもまた強い意思表示になります。保留も長引けば同じです。ですので、完全な拒絶よりは、格を限定して通し、情報を取る方がよいと思います」


 言った。


 言ってしまった。


 半人前のくせに、なかなか踏み込んだ気がする。


 だが、父上が聞いたのだから答えるしかない。


 ギルは姿勢を正したまま、父上の反応を待つ。


 ガルシアは少しの間、黙っていた。


 やがて、文官系上層部へ視線を向ける。


「使者を本城へ入れる。だが、歓待ではない。辺境伯家として、正式な使者の言葉を聞く。それ以上の意味は持たせるな」


 部屋が引き締まる。


「王都へは」


 文官が尋ねる。


「即時に報告する。親書の写しも送れ。ただし、こちらは使者の言葉を聞く段階だ。約束は何もしておらん」


「はっ」


「ダルへ伝えよ。使者は礼を守って本城へ送れ。護衛はつける。過度に飾るな」


 武官が頭を下げる。


「国境の警戒は」


「上げる。ただし目立たせるな。砦は通常の強化範囲に留める。帝国側へこちらが怯えたようには見せるな」


「はっ」


「諜報は」


 諜報機関の長が静かに頭を下げる。


「ザザントを見ろ。メガレアとアバルディアは当然だが、今はザザントが動くかどうかが要だ」


「承知いたしました」


 決まっていく。


 次々に。


 父上が決めると、部屋は一気に動き始める。


 さっきまで重かった空気が、別の重さへ変わった。迷いの重さではない。決定後の実務の重さだ。


 文官が書き留める。


 武官が伝令の手配を始める。


 諜報機関の長は、すでに誰をどこへ動かすか考えているような顔をしている。


 俺はただ座っている。


 役に立ったのかどうかは分からない。


 父上の考えは、たぶん最初からある程度決まっていたのだろう。俺の発言は、その中の一部を言葉にしただけかもしれない。


 それでも、呼ばれ、答えた。


 それは小さくない。


 会議が一区切りついたところで、父上が俺を見る。


「ギルバート」


「はい」


「使者との席にも出ろ」


 やめてほしい。


 心の底からそう思った。


 だが、口に出せるわけがない。


「承知しました」


 ギルは頭を下げた。


 父上はそれ以上何も言わない。


 それで話は終わりだった。


 会議室を出ると、廊下の空気はさらに忙しくなっていた。


 まだ使者は砦にいる。


 本城へ来るまでには時間がある。


 だが、もうマバール城は迎える準備に入っている。歓待ではない。だが無礼でもない。正式な使者として扱う。そこに込められる意味を、城中の者がそれぞれの立場で理解して動く。


 ギルは廊下を歩きながら、息を吐いた。


 面倒くさい。


 本当に面倒くさい。


 アバルディア家は、マバール家の弱いところを突いてきた。


 帝国が安定すれば困る。


 だが帝国の内乱へ深入りしても困る。


 王都の方針はまだない。


 ザザント家は見ている。


 メガレア家は皇帝位を取りに来ている。


 フリージア家は名を添えた。


 そして俺は、使者との席に出ることになった。


 できれば楽な立場で過ごしたいんだけどな。


 そう思いながら自室へ戻ると、レティシアが待っていた。


 彼女は俺の顔を見て、すぐに何かを察したらしい。


「若様」


「ああ」


「お疲れでございますか」


「少しな」


 ギルは椅子に腰を下ろした。


 レティシアが茶を用意する。


 手際が良い。


 無駄がない。


 その動きを眺めているだけで、少し気持ちが落ち着く。


「使者を通すことになった」


「左様でございますか」


「父上は、話を聞くだけだと言った。だが、通す時点で意味はある」


「はい」


「俺も席に出ることになった」


 レティシアの手が一瞬止まりかけた。


 すぐに動く。


 だが、俺は見逃さない。


「心配か」


「若様が危険な席へ出られることに、心配しないはずがございません」


「危険と言っても、いきなり斬り合いにはならんだろ」


「剣だけが危険ではございません」


「それはそうだな」


 言葉の方が厄介なこともある。


 使者は礼を守っている。


 なら、こちらも礼を守る。


 互いに笑い、丁寧に言葉を交わしながら、相手の腹を探ることになるのだろう。


 俺はそういうのが得意なのだろうか。


 分からない。


 前世の会議や交渉とは違う。貴族の言葉は、もっと面倒だ。言わないことに意味があり、席順に意味があり、どの茶器を出すかにも意味があるかもしれない。


 嫌だ。


 非常に嫌だ。


 だが、逃げられない。


「レティシア」


「はい」


「使者と会うまでに、帝国礼法で俺がやらかしそうなことがあれば教えてくれ」


「承知いたしました」


「あと、ザザント家について分かることがあればまとめてほしい」


「すぐに」


「頼む」


 レティシアは静かに頭を下げた。


 こういう時、本当に頼りになる。


 俺は茶を受け取り、ゆっくり飲んだ。


 温かい。


 少しだけ、肩の力が抜ける。


 窓の外では、マバール城の中庭が見えた。


 兵が動いている。


 騎士が誰かに指示を出している。


 遠くでは、直属騎士の誰かがセバスチャンにしごかれているのか、鎧の音が響いた気がした。


 日常は続いている。


 だが、その上に別のものが重なった。


 帝国の皇位争い。


 アバルディア家の親書。


 砦に留め置かれた使者。


 父上の判断。


 これから本城へ来る客。


 まだ戦争は始まっていない。


 だが、何かが一段階進んだのは確かだった。


 ギルは茶器を置き、窓の外を見た。


 できれば楽な立場でいたい。


 だが、楽な立場でいるためには、たぶん何もしないだけでは駄目なのだろう。


 それが、何より面倒だった。

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