第二百五話 温厚な常識人
「分かっている。ちゃんと話を聞いてからにする」
俺がそう答えると、セバスチャンは特に何を言うでもなく頷いた。
「それなら大丈夫ですな」
「は? は? はぁ?」
シルフィアだけが、俺とセバスチャンを交互に見ながら妙な声を上げている。
うるさい。
話を聞いてからだと言っているんだから、何も問題ないだろう。
俺たちはそのままシルフィアの案内で、ルディア家の分家がいるという城へ向かった。
街道はそれほど広くない。二頭並んで進むには十分だが、荷車同士がすれ違うなら片方が少し端へ寄る必要があるくらいだ。道の脇には畑が続き、その間を縫うように細い道が何本か伸びている。遠くに小さな集落らしき屋根が見えることはあっても、大きな町は見当たらない。
シルフィアは俺たちの少し前を走り、ときどき道を確かめるように周囲を見ていた。
さっきから何かぶつぶつ言っているような気もする。
だが風に流されてよく聞こえない。
聞こえないなら別にいいだろう。
俺としては、このまま一気に城下町まで行ってしまいたかった。
裏切り者とやらを追い越しているなら、向こうで待っていればいい。来なければ、そのまま城へ行けばいい。
実に簡単だ。
ところが、しばらく進んだところでシルフィアが馬を緩めた。
街道沿いに何軒か建物が集まっている。宿場らしく、馬を繋ぐ場所もあり、道沿いの建物の一階からは人の声が漏れていた。
「ここで泊まりましょう」
「ん?」
俺も馬を緩める。
「まだ日もあるぞ」
「この辺りには他に宿はありませんし、あいつらがいたり、泊まったりするかもしれません」
シルフィアはいつになく強い口調で言った。
なるほど。
確かに、ここしか宿がないならいるかもしれないし、後ろから来るあいつらが寄る可能性はある。
だが、それなら。
「いや、それなら城下町でいいんじゃないか?」
「いえ、城下町だと目立つかもしれませんし」
「バレたらバレたで構わんが?」
俺がそう返すと、シルフィアは少し言葉に詰まった。
「いえ、ね、お願いですからここで泊まりましょう」
「うーん」
このまま進んだ方が手っ取り早いと思うんだけどな。
それでも、シルフィアがそこまで言うなら仕方ない。
「分かった。今日はここにするか」
宿へ入り、馬を預ける。
中は街道沿いの宿としては普通だった。広い食堂にいくつか木の卓が並び、昼を過ぎた時間でも何人かの旅人が座っている。壁際では男たちが酒を飲み、奥からは煮込んだ肉らしい匂いが漂っていた。
俺は食堂を見渡す。
「いるか?」
シルフィアも人の顔を順番に確認してから首を振った。
「いません」
「部屋にいる可能性は?」
「それは分かりませんが……少なくとも、ここにはいませんね」
まぁ、そりゃそうか。
宿の部屋を全部開けて確認するわけにもいかない。
俺たちは適当に部屋を取り、そのままここで待つことになった。
少なくとも食堂や出入口を通れば、シルフィアが見つけるだろう。
「ふむ。やっぱり追い越したのかな?」
「おそらくそうでしょうが、分かりませんな」
セバスチャンは椅子へ腰を下ろしながら答えた。
「し、しばらくここで待ってみましょう。ね、ね」
シルフィアが、やけに念を押すように言ってくる。
「別にいいけど」
俺はそう答えながら椅子の背へ身体を預けた。
まぁ、気持ちは分からないでもない。
貴族や騎士は戦うことが仕事と言えなくもない。
だが、平民はそうじゃない。
あいつらはほとんど平民だと聞いている。途中から調査へ加わったとはいえ、そもそも騎士相手に正面からどうこう出来る連中でもない。
シルフィアとしては、出来るだけ荒事にしたくないんだろう。
もう半分くらいは荒事になっている気もするが。
貴族や騎士には平民を守る役目もある。
まぁ、綺麗なことを抜きにすれば、労働力だし税を払う連中だから守る意味がある、という面も大きいんだろうが。
なんにせよ、シルフィアは優しいやつだな。
面白くて、少しうるさいけど。
翌日。
あいつらは来なかった。
朝から何度か食堂へ降り、外も見たが、それらしい姿はない。
まぁ、まだ一日だ。
関所で時間を取られているなら仕方ない。
その翌日。
今日も来なかった。
昼になっても、夕方になっても、シルフィアが待っている男たちは宿へ姿を見せない。
……うん。
関所が増えてるみたいだしな。
まぁ、うん。
仕方ない。
さらに翌朝。
俺たちはまた食堂にいた。
窓から差し込む朝の光が卓の端を照らし、宿の客たちが簡単な朝飯を食べている。出発するらしい連中が荷物を抱えて出ていき、代わりに外から何人か入ってきた。
そのたびにシルフィアが顔を上げる。
だが、しばらくすると小さく首を振った。
「……何してるんだ、あいつら」
さすがに遅い。
「一応急いでるんだろ? 遅すぎる。気合いが足りんのじゃないか?」
「もうちょっと、もう少しだけ待ってみましょうよ」
シルフィアがすぐにこちらを向く。
「今日だって、これから来るかもしれませんし」
「しかしなぁ」
俺は卓へ肘をつき、入口を見る。
今入ってきたのは知らない男だ。
違う。
その次も違う。
いくらなんでも待たせすぎじゃないか?
「いくら温厚な俺でも、いつまでも待ってられんぞ」
「……温厚?」
小さな声がした。
俺はゆっくりシルフィアを見る。
シルフィアは首を傾げていた。
「……なんだ? その反応は?」
「い、いえ」
俺が少し睨むと、シルフィアはぶんぶんと首を振った。
「温厚です。温厚ですから、もうちょっとだけ待ちましょうよ」
「そうだろ」
分かっているならいい。
俺は温厚だ。
理性的な常識人でもある。
だから、ここまでちゃんと待ってやった。
「もう一日だけだぞ」
指を一本立てる。
「今日来なかったら、城に乗り込む」
シルフィアの顔が少し固まった。
それから、俺に聞かせるつもりなのか分からないくらいの小さな声で呟く。
「お願い、来て……」
その気持ちはよく分かる。
俺もまったく同じだ。
とっとと来い。
だが結局、昼になってもあいつらは来なかった。
俺は食堂の入口へ目を向けたまま、ぽつりと呟く。
「……来てないな」
「まだ、まだ今日です」
シルフィアがすぐに身を乗り出した。
「まだ待ちましょう。ね、ね」
ふと横を見る。
セバスチャンは、にやにや笑いながら酒を飲んでいた。
「おい、飲みすぎるなよ。来たらすぐに城に乗り込むぞ」
「この程度、大丈夫ですよ」
セバスチャンは笑って杯を傾ける。
その横で、シルフィアが恐る恐る口を開いた。
「は、話、まずは話を聞いてからですよね」
「ん? もうどうでも良くないか? ここまで待ってやったし」
「え?」
ここまで待ったんだ。
あいつらだって、俺たちに話したいことがあるなら、もう少し頑張って来ればいい。
たぶん。
セバスチャンが酒を飲みながら、楽しそうに笑った。
「いやぁ、初日、せめて二日目に行く方が良かったかもしれませんなぁ」
「そんなぁ……」
シルフィアが情けない声を出す。
俺はしばらく入口を眺め、それから決めた。
「とりあえず今日は待つ」
もう十分だろう。
今日だけは待ってやる。
だが、その先まで待つ気はなかった。
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