第二百二話 人口と魔法
つまり、この世界には燃料がある。
しかも、少なくとも薪に関しては、使えば使うほど地上の森を削っていくようなものじゃない。迷宮そのものがなくならない限り、薪の木は何度でも切れる。
だったら、前世で人口が増える時に必要だったものの一つは、最初からあることになる。
それなのに、この世界の人口がそこまで多いようには感じない。
もちろん、本当のところは知らん。
俺はこの大陸に何人ぐらいが生きているのかなんて知らないし、おそらく正確に知っている奴もいないだろう。村ごと、街ごとに人間を一人ずつ数えて回っているわけでもない。
それでも、少なくとも人間で溢れ返っているようには見えない。
街道を走れば、しばらく誰とも会わないことなんて普通にある。こうして街道を外れれば、見えるのは木と草ばかりだ。人の手が入っていない土地だっていくらでも残っている。
じゃあ、燃料じゃないなら食料の方なのか?
馬が少し沈んだ地面を踏み、身体が鞍の上で揺れた。
俺は手綱を軽く引き、木の根が張り出した場所を避ける。前を行くセバスチャンも同じように進路をずらし、その後ろから少し離れてシルフィアがついてくる。
食料か。
そこで、一つ引っかかるものがあった。
オルフィアだ。
以前あいつが言っていた。
作物に対して、肉体強化魔法と治癒魔法を混ぜて使う。
まだ考えでしかない。
実際に作物へ使ってどうなるのか、そもそも狙った通りに出来るのかも分からない。
だが、もし上手くいったら?
肉体強化魔法は生き物の身体を強くするために使う。治癒魔法は身体が回復するのを助ける。
それを作物へ使う。
オルフィアが何をどう考えてそこへ辿り着いたのかはともかく、もし本当に作物へ効くなら、収穫量を増やすことに繋がるかもしれない。
そうなったら……地味だが、かなり重要なんじゃないか?
攻撃魔法みたいに目の前で何かが吹き飛ぶわけでもない。
防御魔法みたいに命を守る場面が分かりやすいわけでもない。
畑の作物が増える。
それだけだ。
だが、食える物が増えるなら、人間をもっと養える。
そう考えると、地味どころか、とんでもなく大きな話になる可能性もある。
もっとも、この世界で人口が増えることが、どの程度の意味を持つのかは分からんけどな。
何せ、魔力を持つ貴族や騎士がいる。
こないだセバスチャンと話していた時も、平民がいくら増えたところで、その人数がそのまま戦力になるわけじゃないという話になった。
千人の平民と百人の騎士。
人数だけなら十倍だが、それでも騎士の方が強い可能性が高い。
だったら平民が増えても、軍事的にはそこまで大きく変わらないのかもしれない。
だが、生産力なら?
畑を耕す。
物を作る。
運ぶ。
そういうことをする人間が増えるなら、かなり影響するんじゃないか?
うーむ。
考え始めるとよく分からなくなる。
頬を撫でていく風の中に、湿った土と青臭い草の匂いが混じっていた。頭上では枝が重なり、ところどころから差し込む光が馬の首筋を流れていく。
そもそも、食料が増えたら本当に人口が爆発するのか?
この世界には魔法がある。
治癒魔法もある。
少なくとも俺は、この世界で前世にあったような伝染病が大流行して、とんでもない数の人間が死んだという話を聞いたことがない。
だから無い、とは言えない。
貴族や騎士の間ではなく、平民の間だけで何かが流行ったことだってあるかもしれないし、それが俺の知るところまで残っていない可能性も大いにある。
その辺は分からん。
じゃあ何が人口を決めているんだ?
食料だけなのか?
確か前世だと、食料を増やすには肥料がかなり大事だったような気がする。
窒素とか。
アンモニアとか。
……だったかな?
なんかそんな話だった気がする。
さすがに詳しくは覚えてない。
俺は農業をやっていたわけでもないし、そんなものを作ったこともない。
じゃあ、オルフィアが考えた魔法の使い方が、その代わりになったりするんだろうか?
作物そのものを強くする。
回復させる。
それで肥料を増やすのと同じような結果が出るのか?
分からん。
そもそも、本当に育つかどうかすらまだ分からないんだから、そこから先を考えても仕方ない気もする。
……いや、それ以前に別の問題があるな。
平民には魔力がない。
俺は少しだけ視線を上げ、前を走るセバスチャンの背中を見た。
あいつに、
畑へ行って作物に魔法を使え。
そう命じたらどうするだろう。
たぶん嫌がるよな。
騎士だもんなぁ。
命じればやるとは思う。
文句ぐらいは言うかもしれないが、やれと言えばやるだろう。
だが、それをずっと続けさせるとなると話は違う。
オルフィアの考えた使い方が本当に上手くいったとしても、使える人間そのものが限られている。
貴族か騎士。
基本的に、畑で食い物を作って生活している人間じゃない。
方法があっても広められないのか?
強引に命令して、騎士を畑へ並べる?
……続かんよな。
そもそも、貴族や騎士はそこまで飢えてない。
自分が食う物に困っていない人間へ、毎日畑で魔法を使えと言って、どこまで真面目に続くのか。
いや、待て。
そこで俺は少し眉を寄せた。
平民だって、そんなに飢えてるか?
少なくとも、俺は大量の餓死者が出たなんて話を知らない。
もちろん、餓死する奴が一人もいないとは思わない。
怪我をしたり、何かがあったり、食い物を手に入れられなくなって死ぬ奴ぐらいはいるだろう。
だが、少なくともマバール領では、平民が次々に飢えて死んでいるなんて見たことも聞いたこともない。
俺は前を走るセバスチャンへ少し声を張った。
「なぁ、マバール領で平民の餓死者っているのか?」
セバスチャンの肩がわずかに動いた。
急に何を聞かれたんだ、という反応に見えなくもない。
「はあ? 詳しくは知らんですが、おらんのじゃないですかね。畑も森もあるんですから」
あっさりした答えだった。
まあ、セバスチャンだって領内の平民全員を知っているわけじゃない。
それでも、騎士として長くマバール領にいるあいつが、すぐに思い当たるような話ではないらしい。
うーむ。
ってことは、食料が足りないわけじゃないのか?
いや、違うな。
飢えないことと、余っていることは同じじゃない。
今いる人間がどうにか食えるだけなのかもしれないし、もっと人間が増えても食わせられるほど余裕があるのかは別だ。
うーん。
どうなんだろう。
……いや、それも違うか。
前世だって、俺が生きていた頃は食料もエネルギーも余っていた。
少なくとも、食い物も燃料も足りなくて人口が減っていたわけじゃない。
それでも人口は減りまくってたもんな。
あれは、えーっと……。
金と時間が足りなかったのかな。
たぶん。
子供を育てるにも金がいるし、時間もいる。俺だって仕事をして、帰って、寝て、また仕事へ行くような生活をしていたわけで、食料があるから人間が勝手に増えるなんて単純な話じゃなかった。
……あれ?
じゃあ、オルフィアの魔法、いらんのか?
そこまで考えてから、俺は自分で首を振った。
いや、待て待て。
何を成功した後の社会まで考えてるんだ。
まだ出来てもない。
試してもない。
作物に使えるのかも、使ったらどうなるのかも分からない。
まず出来るか確かめる。
出来たら試す。
その後で考えればいい。
俺なら、上手く使えるようになればかなりの広範囲に使えるだろうしな。
馬の背でそこまで考えて、ようやく俺は少しだけ頭の中から意識を外へ戻した。
次の更新は、20時となります。




