第百九十七話 ただの散歩
そう言って、セバスチャンは笑った。
さっきまでの、人を食ったような笑い方とは少し違う。
ずいぶん優しい笑い方だ。
ふん。
こいつも優しいじゃないか。
俺はまだ立ったままのシルフィアを見る。
死んだ当主への忠誠なんて、本人が持っていたいなら好きに持っていればいい。死んだからといって、それまで生きていた人間の中にあったものまで消えるわけじゃない。
だが、生きている奴は生きている。
「まぁ、そうだな。死んだ当主にずっと忠誠誓ってもいいが、後継にも忠誠を誓ってもらわんと貴族家なんて代替わりも出来ん」
「……」
シルフィアは何も言わなかった。
さっきからずっと立ったままだ。
俯いていて顔はよく見えないが、肩が少し揺れている。
なんだ?
そう思って見ていると、身体の震えが少しずつ大きくなった。
「おい?」
返事はない。
次の瞬間、シルフィアの膝から力が抜けた。
そのまま床へ膝をつき、両手をつくこともなく身体を小さく丸める。さっきまで頬を伝っていた液体が、今度は次々と落ち始めた。
「う……っ、うぅ……」
なんか変な声まで出し始めた。
俺はセバスチャンを見る。
セバスチャンも俺を見た。
しばらく二人で黙っていたが、どんどん声が大きくなる。
……うるさいな。
俺は立ち上がった。
セバスチャンも何も言わず、空になった酒杯を持って立つ。
俺たちはそのまま、そっと部屋を出た。
扉を閉めても、中から変な声が少し聞こえてくる。
まったく。
うるさいし鬱陶しいやつだな。
一人で好きなだけやってればいい。
廊下を歩き、階段を下りる。
朝飯の時間を少し過ぎた食堂にはまだ何人か客が残っていた。俺たちがさっきまで使っていた卓も空いている。
そのまま椅子へ座ると、セバスチャンも向かいへ腰を下ろした。
少しの間、何も言わない。
俺も別に話すことはなかった。
シルフィアが静かになるまで、ここにいればいいだろ。
そんなことを考えていると、セバスチャンが俺を見た。
「若様」
「ん?」
「水を差す訳じゃありませんが、ずいぶん長く城から離れてますぜ。大丈夫ですかい?」
「……」
そういやそうだな。
散歩に出ただけなのに、ずいぶん長く城を空けているな。
途中で面白そうなものを見つけて寄り道して、妙な宿を見つけて、シルフィアを連れ出して、追われて。
随分長い散歩になったもんだ。
「……大丈夫だろ。ただの散歩なんだから」
俺がそう答えると、セバスチャンの眉が少し下がった。
「……今度は謹慎じゃすまないかもしれませんぜ」
謹慎か。
前にもやったな。
父上、怒るだろうなぁ。
いや、怒る。
さすがにそれくらいは分かる。
でもまあ。
俺は階段の方へ一度だけ目を向けた。
あいつをこのまま放って帰るのもなぁ。
本人は裏切られたと思っているが、本当にそうなのかも怪しい。誰に命じられて襲われたのかも分からんし、あいつ自身も何が起きているのか分かっていない。
なら、まだ帰れん。
「まぁ、いいさ。父上に怒られるのは覚悟した」
セバスチャンが俺を見る。
俺は少しだけ間を置いた。
「さっきだけど」
「知りませんぜ」
セバスチャンが笑う。
なんだ、その逃げるような言い方は。
「お前も同意しただろ」
「しとりません」
即答された。
「いや、した」
「いつですかい」
「ここにいるのが証拠だ」
俺がそう言うと、セバスチャンの笑顔が消えた。
眉間に皺を寄せ、なんとも言えない顔で俺を見てくる。
知らん。
俺一人でここまで来たわけじゃないんだから、こいつにも責任はあるだろ。
セバスチャンはしばらく俺の顔を見ていたが、やがて大きく息を吐いた。
そして近くを通った宿の者へ顔を向ける。
「おい、酒をくれ」
次回更新は、明日5時となります。




