第百九十六話 死者への忠誠
「は?」
間の抜けた声だった。
シルフィアは目を丸くしたまま、俺の顔を見ている。
「つまり、そいつらはきちんと命じられてお前を襲ったんじゃないか? ってことだ」
勝手に裏切ったから襲ったんじゃない。
誰かに命じられたから襲った。
そう考えれば、少なくとも平民が自分から貴族へ喧嘩を売るなんて妙な話ではなくなる。
「いえ、でも、それではご当主様を裏切ることになります」
「すでに死んだ当主だ。裏切りにはならん」
「それは違います!」
椅子が鳴った。
シルフィアが勢いよく立ち上がり、真っ直ぐ俺を睨んでくる。二日酔いでさっきまで死にそうな顔をしていたとは思えない。
「忠誠は消えません!」
ずいぶん元気になったな。
俺は立ち上がることもなく、そのままシルフィアを見上げた。
こいつが死んだ当主へ忠誠を持ち続けること自体は、別にどうでもいい。
好きにすればいい。
だがなぁ、
「死んだ者にはなにも出来ん」
「私がやります! オルフィア様だって!」
「オルフィアはすでに出奔している。お前は殺せばいい。他の死んだ当主に忠誠を誓う者たちもな。そうすれば誰からも報復されん」
シルフィアの顔が固まった。
俺が言っているのは単純な話だ。
死んだ当主本人は動けない。
その忠誠を受け継いで何かする奴がいるなら、その生きている奴をどうにかすればいい。
実際、こいつは昨日襲われた。
「出奔されてもオルフィア様なら!」
「オルフィアの魔法はここまで届かん」
「でも!」
まだ言おうとするシルフィアから視線を外し、俺は少し離れたところで黙ってこちらを見ているセバスチャンへ顔を向けた。
酒杯を片手に持ったまま、こいつはさっきから口を挟んでいない。
「セバスチャン」
「なんですかい?」
「お前なら死んだ当主に忠誠を誓うか?」
セバスチャンは考える様子も見せなかった。
「誓いませんな」
「ほら」
「ほら、じゃありません!」
シルフィアがまた俺を睨む。
なんで俺に怒る。
答えたのはセバスチャンだぞ。
だがセバスチャンは気にした様子もなく、酒杯を指先で軽く揺らした。
「生きてる者の忠誠は死者には届きません。死者に届くのは死者の忠誠だけでしょうな」
ずいぶん変なことを言う。
シルフィアも一瞬だけ言葉を失った。
セバスチャンはそんな俺たちを見て、口元を緩める。
「まぁ、死んだことは無いんで分かりませんがね」
そう言って笑った。
シルフィアは露骨にセバスチャンを睨んでいる。
だが、睨まれている本人はまるで気にしていない。むしろ笑ったままシルフィアを見返した。
「そもそもあっしなら、もし若様が殺されりゃ何が何でも相手を殺しますぜ」
「おい」
「卑怯もクソもねぇ。死ぬか生きるかなんざどうでもいいでしょうが」
さらっと物騒なことを言いやがった。
貴族と騎士には圧倒的な力の差がある。
だが、こいつなら本当にやりそうなのが嫌だ。
「それで死ねば、まぁ、あの世とやらでまた若様に仕えりゃいい。生き延びれば新たな主に忠誠を誓う。それだけですな」
「やめてくれ」
「へ?」
「死んでからもお前の顔を見るなんてごめんだ。鬱陶しい」
せっかく死んだのに、そこでまでこいつと顔を合わせるとか勘弁してほしい。
「それなら俺の子でも支えてやってくれ。俺は大人しく死んどく」
セバスチャンは一瞬だけ目を丸くし、それから声を上げて笑った。
「ひでぇ主君ですなぁ」
「死んだ後まで働きたくない」
「そこですかい」
笑いながら、セバスチャンは残っていた酒を一息にあおった。
空になった酒杯を机へ置き、そのまま今度はシルフィアへ視線を向ける。
さっきまで笑っていた顔のままだ。
「まぁ、生きとるんなら、生きとる相手に忠誠を誓やぁいいんじゃないですかい?」
「ですが、私はご当主様へ忠誠を……」
途中から声がおかしくなった。
ん?
俺はシルフィアをちらりと見る。
目の縁が妙に濡れている。
そのまま見ていると、なんか液体が頬を伝った。
なんだこいつ。
セバスチャンも当然気づいたはずだが、そこには触れなかった。
「別に死んだからって忠誠を棄てることもないでしょうが」
さっきまでより少しだけ静かな声だった。
「それを抱えたまま忠誠を誓やぁいい。忠誠なんざいくら増えても誰も困らんのですから」
そこで少しだけ間を置き、セバスチャンは付け足した。
「敵以外は」
次回更新は、20時となります。




