第百八十七話 実験台はセバスチャン
「若様、何しとるんです。大人しくと言われたでしょうが」
隣から呆れたような声が飛んできた。
「大丈夫だ、別に動いてないしな」
俺はその場から一歩も動いていない。
馬だって止まったままだ。
これほど大人しくしている人間もなかなかいないだろう。
そんなことより、今はこっちだ。
シルフィアへ細く伸ばした感知魔法は、そのまま途切れる様子もない。離れていっても反応は追えているし、今のところ維持するために特別な集中も必要なさそうだった。
ふむ。
この使い方なら、個人の動きはかなり分かりそうだな。
全方位へ薄く広げる使い方も試してみたいが、こうして特定の相手だけを確実に追えるなら、それはそれで別の使い道がある。
問題は、一人だけじゃない場合だ。
複数。
そこまで考えて、俺は隣へ視線を向けた。
セバスチャンが嫌そうな顔をする。
「……なんですかい、その顔は」
「なぁ、セバス。お前、シルフィア追っかけろよ」
「はあ?」
間の抜けた声が返ってきた。
「大丈夫だろ。お前は何も言われてないんだし」
俺が当然のことを言うと、セバスチャンは眉間に皺を寄せた。
「ありゃ、ここで何もせずに二人とも待ってろって意味だと思いますぜ」
「大丈夫だって。お前が先に戻って来ればバレないだろ」
「いや、あっしとしては、あの娘より若様を一人にする方がよほど不安なんですがね」
「大丈夫だ。俺がそんじょそこらのやつに負けるわけないだろ」
「いえ、そういう意味では心配はしとらんのですが」
なんだ、違うのか。
なら何を心配しているんだ。
「大丈夫、大丈夫。俺はここから動かない。大人しく待っててやるって。それにシルフィアが何するか面白そうだろ」
せっかくここまで来たんだ。
どうせなら少しくらい見ておきたい。
俺が熱意を込めて説得すると、セバスチャンはますます困った顔になった。
「いや、他家の話なんで、そこまで興味はないんですが」
「ほれ、行けって」
手を振って追い払う。
セバスチャンはしばらく俺を見ていたが、やがて深いため息を吐いた。
「はぁ、何だかあの娘の気持ちが分かりますなぁ」
そう言いながら馬を降りる。
なんでだ。
シルフィアとセバスチャン、いつの間にそんなに分かり合ったんだ。
「ほら、急げ。見えなくなるぞ」
「いいですかい、何もせんでくださいよ」
念を押すように言い残し、セバスチャンが宿場町へ向かって歩き始めた。
「ああ、大丈夫だ。大人しくここで待ってる」
俺は約束通り、その場で大人しくセバスチャンを見送った。
少しずつ離れていく背中。
よし。
よしよし。
それじゃ、試してみるか。
シルフィアへ繋いでいる感知はそのまま維持する。
その状態で、もう一つ。
先ほどと同じように魔力を柔らかくし、細く、小さくしていく。
今度はセバスチャンだ。
見えているから、どの魔力反応がこいつなのか迷うこともない。
そっと。
そっと。
柔らかく。
細くした魔力を、セバスチャンへ繋げるように伸ばす。
触れた。
その瞬間だった。
セバスチャンがぴたりと立ち止まった。
お?
振り返った。
そのまま俺をじっと見ている。
俺は何もしていない顔で、馬上からセバスチャンを眺め返した。
しばらくすると、セバスチャンはまた前を向き、何事もなかったように歩き始める。
「ふう……」
うーん。
あいつ、なんか疑ってたな。
失礼なやつだ。
主君を信じないとは嘆かわしい。
ただ、実験としては面白い。
シルフィアは触れた瞬間も何も変わらなかったが、セバスチャンは止まって振り返った。
気づいたのかどうかは分からん。
俺が何かするんじゃないかと疑っていただけかもしれない。
まぁ、それは後で聞けばいい。
それより、二人同時でも問題なく追えている。
相手に繋げるところには少しコツがいるが、一度繋げてしまえば感知魔法は感知魔法だ。
維持すること自体は難しくない。
「うーむ……」
二人だけだと、実験としては不十分だなぁ。
誰か魔力持ちでも通らないだろうか。
街道を眺めてみる。
荷を背負った男。
籠を持った女。
荷車を引く者や、旅装の平民たち。
しばらく待ってみても、都合よく魔力持ちが通る様子はない。
残念だ。
仕方なく、繋いだままの二人へ意識を戻す。
シルフィアはもうだいぶ遠い。
だが、どの辺りにいるのかはちゃんと分かる。
しかも予想していたより細かい。
ただ「向こうにいる」というだけじゃない。
少し進んだ。
曲がった。
また進む。
さっきより移動が速い。
そんな位置の変化が、思った以上にはっきり追える。
「かなり面白いな、これ」
慣れれば、もっと正確な距離や位置まで分かるようになるかもしれない。
そうなると、一人に一本で終わらせる必要もないんじゃないか?
例えば頭に一本。
右手に一本。
左手に一本。
それぞれ別に繋いだらどうなる。
位置関係まで細かく追えるなら、どっちを向いたとか、手を上げたとか、そのくらいの動きまで分かるかもしれない。
面白そうだな。
帰ってきたら試してみるか。
いや、もっと増やしてもいい。
両手、両足、それに頭。
例えばレティシアにそれぞれ繋いだら、離れていてもどこで何をしているのか、かなり分かるようになるかもしれない。
そこまで考えて、少しだけ想像する。
……バレたら怒られそうだな。
やめとこ。
レティシアに何も言わず試すのは、たぶん良くない。
なら別の相手だ。
もっと細かい場所ならどうなる?
例えば目の中。
いや、さすがに痛いのか?
今のところシルフィアは何も反応していないし、セバスチャンも痛がった様子はなかった。
でも、目はどうなんだろう。
痛くないなら、瞳の辺りに繋げれば視線の動きまで追えるかもしれない。
さすがにそこまで細かい変化は難しいかな。
分からん。
だからこそ試してみたい。
あの二人が戻ってきたらやってみるか。
……いや。
シルフィアは女だから可哀想だな。
セバスチャンで試そう。
あいつなら多少痛くても大丈夫だろ。
たぶん。
そこで俺は、遠ざかっていくセバスチャンの反応を感じながら、重大な失敗に気づいた。
「しまったな……」
セバスチャンはシルフィアを追わせるより、隣に置いたまま色々実験すれば良かった。
次回更新は17時となります。




