第百八十三話 降ろしてください
街道を駆ける馬の背で、前に乗せた女が急にもぞもぞと動き始めた。
「あの、ちょっと、降ろして、降ろしてください」
最初は風に消えそうな声だったが、俺が手綱を緩めないでいると、身体まで捩ってジタバタと暴れ始める。
危ないだろ。
さっきまであの小屋から離れるために走らせていたが、振り返っても追ってくる馬の姿はない。後ろから聞こえるのもセバスチャンの馬の蹄ぐらいだ。
まぁ、追手も来てないみたいだし、速度を緩めても大丈夫だろう。
仕方ない。大人しく降ろしてやるか。
手綱を引いて馬を止め、女を地面へ降ろしてやる。すると足が地面についた途端、女は勢いよくこちらを振り返った。
「何を考えているんですか! それとも何も考えてないんですか!」
顔を真っ赤にして怒鳴ってくる。
なんだこいつ。
「何怒ってるんだ? 特に大事な荷物はないんだろ?」
「私は! 同行するとは言っていません!」
「ん?」
そうだったか?
小屋の中で一緒に出てきたし、俺が抱えて馬に乗せた時も何か言ってはいたが、同行しないとは聞いていない気がする。
「だが、嫌とは言ってなかったよなぁ」
念のため後ろへ顔を向ける。
少し離れたところで馬を止めていたセバスチャンも、俺と女を見比べてから頷いた。
「言っとりませんなぁ」
「ほら」
「うっ……で、でも、大人しくと言いましたよね」
女は一瞬言葉に詰まったものの、すぐに別のところを突いてきた。
そこは何もおかしくない。
「大人しく出てきただろ。誰も死んでないぞ」
「それ、本気で言ってます?」
なんだか失礼なことを聞いてきた。
「なんだよ、なんか文句あるか?」
俺が眉を寄せると、女は何かを言い返そうとして口を開き、結局そのまま大きく息を吐いた。
「……本気なんですね」
なんだその言い方は。
女は肩を落とすと、俺たちに背を向けて街道を歩き始めた。
「信じられない……どうしてこんな事になるの。私はきちんと務めを果たしていただけなのに……」
小声で何かぶつぶつ言っている。
このまま放っておくのも妙なので、俺は馬をゆっくり歩かせ、その後ろについていった。セバスチャンも何も言わず隣についてくる。
「なぁ、どこに行くんだ?」
「仕方ないので自領に戻ります!」
振り返りもせずに答えが飛んできた。
ずいぶん怒ってるな。
「あいつらのところに戻りたいなら、近くまで送って行くぞ」
せっかくなので優しく言ってやる。
すると女の足がぴたりと止まり、ゆっくりこちらを振り返った。
「あなたたちと一緒にあんな無茶苦茶な逃げ方して、戻れる訳ないでしょうが!」
また怒鳴られた。
失礼な女だなぁ。
「俺は平和主義で有名なんだぞ。なぁ」
隣を見る。
セバスチャンは前を向いたまま、何も答えなかった。
なぜだ?
女はしばらく俺とセバスチャンを交互に見ていたが、やがてがっくりと肩を落とした。
「……まずは宿場町に向かいます。そこに仲間たちがいますので」
「そうか」
だったら、なおさら歩く必要はないな。
「なぁ、馬乗れよ。さっきまで一緒に乗ってただろ」
「それは無理矢理!」
即答された。
女はそのままズンズンと歩き続ける。
なんだかんだで面白い女だなぁ。
さすが変態令嬢オルフィアに仕えているだけの事はある。しかも、これまであいつらと一緒に行動していて、それでも正体に気づかれていなかったのなら、それなりに有能ではあるんだろう。
……あっ。
そういえば、肝心なことを聞いていなかった。
「なぁ、お前、名前は?」
女は歩く速度を落とさず、振り返りもしなかった。
「シルフィアです!」
「ふーん、シルフィアか」
聞いた名前を頭の中で転がしてみる。
なんとなく聞き覚えがあるような、ないような。
「なんかオルフィアに似てるな。なんか特別な関係あるのか? あっ、シルビア河にも似てるな。なんか関係あるのか?」
今度こそシルフィアが振り返った。
「弟はオルフィア様の乳兄弟です! その縁で私は幼い頃からオルフィア様に仕えているんです! それと河と関係ある訳ないじゃないですか!」
一気に怒鳴られた。
河のところだけ妙に強かった気がする。
「ふーん。それで名前が似てるのか?」
「いえ、それは偶然だと思います。弟が乳兄弟なのは確かですが」
さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、今度は少し落ち着いた声だった。
怒鳴って多少すっきりしたのかもしれない。
シルフィアは再び前を向き、街道を歩き始めた。
次回更新は12時になります。




