第百八十一話 紋章の短剣
部屋へ戻ると、俺はすぐに寝台へ身体を投げ出した。
ぎしっ、と嫌な音が鳴る。
やっぱり、この寝台はいまいちだ。
料理はどんどん良くなっているのだから、余裕が出来たらこっちも何とかした方がいい。食事が主体とはいえ、泊まった客が寝台ごと床へ落ちたらさすがに文句を言われるだろう。
そんなことを考えながら天井を眺めていると、扉が軽く叩かれた。
「ん?」
寝台に横になったまま首を上げる。
部屋の中にいたセバスチャンはすぐに扉へ近づいた。
そのまま開くことはせず、まず少しだけ隙間を作り、向こう側を確かめる。
しばらくして扉が開いた。
中へ入ってきた相手を見て、俺は少し驚いた。
「……お前か」
あの女だった。
ここへ来てから、ずっと俺を避けていた女だ。
俺が近づこうとすれば離れていくし、こいつの方へ行こうとすると周りの男まで間へ入ってくる。
まったく。
俺はずっと優しくしていたのに。
女は部屋へ入ると、扉の近くに立ったまま俺をじっと見た。
何か言いたそうにしているが、すぐには口を開かない。
俺も急かさず待っていると、女が小さな声で言った。
「あなたたち、何者なの? 普通の傭兵じゃないでしょう」
やっぱりそれか。
俺は身体を起こし、寝台の端へ腰を下ろした。
「それが知りたきゃ、まずは自分から名乗れよ。わざわざ一人で聞きにきたって事は、お前もなんかあるんだろ?」
女の目がわずかに細くなった。
俺を見る。
それからセバスチャンへ一度視線を向け、また俺へ戻した。
「……私は、ある事が知りたくて彼らと行動をともにしているの」
「ふーん」
それだけか。
何を知りたいのかも言わない。
自分が何者なのかも言わない。
俺たちの正体を聞きに来たくせに、自分のことはほとんど話す気がないらしい。
「なら俺たちは通りすがりの傭兵だな」
俺がそう答えると、女が明らかに不満そうな顔をした。
睨まれている気もする。
だが仕方ない。
俺だけ話せというのは不公平だ。
女はしばらく黙っていたが、やがて絞り出すように言った。
「……私は、ある貴族家に仕える騎士よ」
騎士か。
それなら剣を持っていたのも納得できる。
だが、それでもまだ肝心なところを言っていない。
「ふむ。つまり彼らを探っているのか?」
女が黙り込んだ。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ俺を見ている。
俺は小さく息を吐いた。
「……あのなぁ。覚悟してきたんなら全部話せ。話せないなら戻れ。時間の無駄だ」
俺は別に、こいつの秘密を何がなんでも聞き出したいわけじゃない。
気にはなる。
だが、教えたくないならそれでもいい。
そもそも俺たちの部屋へ来たのは向こうだ。
女はまだ俺を睨んでいたが、しばらくすると、ふっと肩から力を抜いた。
「私は……オルフィアという方に仕えているの」
オルフィア?
俺は眉を寄せた。
オルフィアって、あのオルフィアか?
いや、待て。
よくある名前とは言えない気はするが、この世界にオルフィアという名前の女があいつ一人しかいないとも限らない。
たまたま同じ名前ということだってある。
「……そのオルフィアって、ちょっと変わった女か?」
女の顔が変わった。
「変わってなどいない」
即答だった。
だが、そのあと少し言葉に詰まる。
「その……少し魔法に対して真剣なだけだ」
うん。
これってあいつだよなぁ。
魔法に対して少し真剣。
少し。
まあ、本人の近くにいる奴からすれば少しなのかもしれない。
俺は女の顔をじっと見る。
そう思って見ると、なんとなく誰かに似ているような気がしてきた。
誰だ?
少し考える。
……ジルベッドか?
似てるような。
似てないような。
俺は人の顔を覚えるのがそこまで得意じゃないし、似ていると言い切れるほどでもない。
なら本人に聞けばいいか。
「なぁ、ジルベッドって知ってるか? 茶を淹れるのが下手くそなやつなんだけど」
女が目を見開いた。
「なぜ、お前たちがジルベッドを……」
そこまで言ってから、女は少し眉を寄せる。
「不器用ではあるが、そこまでひどくない……はず」
うん。
たぶんこれってそうだよなぁ。
オルフィアを知っている。
ジルベッドも知っている。
しかも、茶が下手だと言ったら妙に庇った。
顔も似ているような気がする。
そういえば、ジルベッドの姉がどうとか言っていたな。
「ちょっと待て」
俺は立ち上がり、部屋の隅へ置いていた荷物へ向かった。
確か、あいつから何か預かっていた。
姉に会ったら見せろとか何とか。
紋章の入った短剣だったはずだ。
袋を開いて手を突っ込む。
服。
違う。
別の物をどかす。
ない。
「……どこだっけ?」
さらに奥を探る。
ごそごそと中身を動かしながら漁っていると、指先に固いものが触れた。
「あった」
一番底の方に転がっていた。
まったく。
本人に似て不器用な短剣だな。
こういう時くらい、もっと分かりやすいところに出てこいよ。
もちろん入れたのは俺だけど。
俺は取り出した短剣を軽く持ち上げ、女へ見せた。
「これ、知ってるか?」
女の視線が短剣へ向く。
次の瞬間、目が大きく見開かれた。
「それは我が家の紋章……なぜお前たちが?」
うん。
やっぱりこいつ、あれだ。
ジルベッドの姉とやらだ。
ここまで揃えばさすがに間違いないだろう。
「ジルベッドから渡された。姉に見せろってな」
「オルフィア様は?」
俺が言い終えるのとほとんど同時に、女が一歩前へ出た。
「ご無事なのか?」
さっきまで俺たちの正体を探るようにしていた顔とは違う。
声も少し大きくなっている。
「ああ、無事だ」
俺は頷いた。
「まぁ、元気は元気だ。体はな」
女の表情が固まった。
「……体は?」
俺を見る目が一気に鋭くなる。
「なんだ、それは。お前まさか!」
「誤解するな」
何を想像した。
俺は慌てて手を振った。
「あいつの心までは知らんが、体は元気だ。ちゃんと飯も食ってる」
そこは間違いない。
飯を食えているし、普通に動いている。
身体を壊して寝込んでいるわけでもない。
そしてちゃんとクソもしてるだろう。
たぶん。
言わんけどな。
さすがに今それを言ったら、また睨まれそうな気がする。
女は俺の言葉を聞いたまま、しばらく動かなかった。
やがて、身体から力が抜けたように崩れ、その場へ膝をつく。
「そうか……そうか……」
俯いた顔から、小さな声が漏れた。
「良かった。オルフィア様はご無事なんだな」
顔を上げた女の目には涙が浮かんでいた。
そのまま一筋、頬を伝って落ちる。
俺は手の中に残っていた短剣を見る。
それから、目の前で泣いている女へ差し出した。
「ほれ」
女は両手で短剣を受け取った。
家の紋章が入った鞘を確かめるように指でなぞり、そのまま胸へ抱きしめる。
肩が小さく震えた。
まあ、これでこいつを探した目的の一つは果たしたことになるのだろう。
そういえば、もう一人いた。
「ちなみにジルベッドも無事だからな」
念のため伝えておく。
だが、女から特に反応はなかった。
短剣を胸に抱いたまま、まだ涙を流している。
……これはジルベッドには黙っておこう。
次回更新は20時の予定です。




