第百七十九話 宿屋経営は難しい
飯が美味い。
酒もある。
人も妙に真面目で、見ていて飽きない。
だったら、もう少し別の使い道もあるんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら食事をしていた時、俺は思いついたことをそのまま口にした。
「なぁ、いっそのことここを宿屋にしたらどうだ?」
何人かがこちらを見る。
俺は手元の皿を指先で示した。
「飯も美味いし酒もある。それにみんななかなか真面目で面白い。これなら流行るんじゃないか?」
悪くないと思う。
少なくとも、これまで泊まった宿の中には、ここの飯よりずっと酷いところもあった。
それなのに、誰も返事をしなかった。
なぜだ?
流行ると思うんだが。
俺が首を傾げていると、隣で酒を飲んでいたセバスチャンが杯を置いた。
「いや、宿屋なんてそう簡単にはいかん。安すぎてもダメ、高すぎてもダメだ。こう、ちょうどいい感じの値段は簡単には分からんのだ」
「なるほど、深いな」
確かにそうだ。
俺は旅の金をほとんどセバスチャンに任せているから、宿の値段なんて細かく気にしていない。
安ければ客は来るかもしれない。
でも、安すぎれば飯や酒を出すほど苦しくなる。
高くすれば儲かるかもしれないが、今度は客が来ない。
言われてみれば面倒だ。
俺が感心していると、セバスチャンも腕を組んで頷いた。
「うむ、なかなか考えておる」
「つまり、今は相場を見て上手く出来るか試しているのか」
「うむ。かなり考えられた経営だな」
やっぱりそういうことか。
だから宿屋にしろと言っても誰も返事をしなかったんだな。
まだ試している途中なのだろう。
周囲の者たちも俺たちの話を静かに聞いている。
何か言いたそうに口を開きかけた奴もいたが、俺がそちらを見ると黙った。
大したことではないんだろう。
セバスチャンは酒を一口飲んでから、今度は小屋の外へ目を向けるように顎を上げた。
「ここは街道から少し離れているからな。食事と酒に気を使うのは正しいだろう」
「うむ、なるほどな。正しいやり方だな」
立地が悪いなら、別のところを良くする。
ちゃんと考えてるじゃないか。
でも、それなら立地の方も少しくらい良くしてやればいい。
俺は周囲を見回した。
「なぁ、なんだったら俺が手伝ってやろうか?」
何人かの顔が固まった。
「なに、攻撃魔法を何発か放てば木々は吹き飛ぶ。そしたら道も作りやすいだろ。少しくらいなら大丈夫だろ、いい宣伝にもなるし」
「や、やめろ! 絶対にするな!」
突然、大きな声が飛んできた。
見ると、若い男が立ち上がっている。
たぶん、俺が腕試しで殴り飛ばした奴だ。
いや、違ったか?
まあ、たぶん合ってるだろう。
男は顔を引きつらせ、身体をわずかに震わせていた。
ずいぶん心配性だな。
「大丈夫だ。そういうの得意だし、その方がお前たちも将来的に安定するだろ。任せろ」
「違う、そうじゃない。目立つと困るんだ」
「ふむ」
なるほど。
やっぱり不安なのか。
いきなり人目を集めても、ちゃんと客を迎えられるか心配なんだろう。
「不安なのは分かるが自信を持て。大丈夫だ。最初は苦しくても、この料理と酒なら頑張れば上手くいく」
「違う! ここを知られると困るんだ!」
男はさらに声を大きくした。
俺は少し考える。
「ん? まだ料理の修行をしたいのか?」
「だから違う!」
「大丈夫だ。そこらの宿屋には絶対に負けん。自信を持っていい」
実際、美味い。
今まで食べた宿の飯と比べてもかなり上だ。
これなら堂々と客に出していいと思う。
ところが、若い男は両手で頭を抱えた。
「そうじゃない……くそっ、こんなことなら料理の練習なんかするんじゃなかった……」
ん?
今、なんと言った?
俺は眉を寄せた。
「ダメだぞ!」
男がびくりとする。
「厳しくても料理には手を抜くな! 自分たちの強みを忘れるな!」
せっかくここまで美味くなったのに、諦めるなんてもったいない。
飯が美味いというのは大事だ。
少なくとも、俺とセバスチャンがここに残っている理由の一つにはなっている。
「うむ、これもかなり美味いしな。腕は上がってる、自信を持て」
セバスチャンが酒の肴を指でつまみながら頷く。
そこまで言うなら俺も確認してみよう。
ちょっと行儀が悪いが、セバスチャンの前に置かれていた酒の肴を一つ指でつまみ、そのまま口へ放り込む。
噛むと、最初に素材の味が広がった。
それだけじゃない。
噛んでいるうちに奥からしっかりとした味が出てくる。酒に合わせているのか少し濃いが、嫌な強さではなかった。
「うん」
これは美味い。
「素材を活かしながらも奥にしっかりと味がある。腕は上がっている。大丈夫だ」
「違う、そうじゃない……」
俺が殴り飛ばしたかもしれない男は、とうとう頭を掻きむしり始めた。
なんでそんなに自信がないんだ?
周囲を見ると、小さく笑っている奴がいる。
頷いている奴もいた。
ほら。
こいつらだって分かっているじゃないか。
「うむ。厳しく育てようとする姿勢は分かるが、人は褒めて伸ばすべきだと思うぞ」
若い男だけが厳しく考えすぎているのかもしれない。
料理なんて俺には作れないから詳しいことは分からんが、実際に美味くなっているんだから、もう少し自信を持たせてやってもいいだろう。
俺は笑っている者や頷いている者たちへ視線を向けた。
「大丈夫だ。お前たちの努力は確実に実を結んでいる。このまま自信を持って続けろ」
何人かが顔を伏せた。
笑っているのか?
まあいい。
少なくとも嫌そうには見えない。
ただ、あの若い男だけは、がっくりと肩を落としていた。
「違う……そうじゃない……」
ぶつぶつと何度も繰り返している。
大丈夫だろうか。
「ふーむ、なかなか大変なんだな」
俺が呟くと、セバスチャンも大きく頷いた。
「若いうちはついつい他人を厳しく鍛えがちだからな」
いや。
お前の修行は今でも充分厳しいような気もするが?
そう思ったが、今は言わないでおくことにした。
若い男はまだ小さく何かを呟きながら、肩を落としたまま俺たちから離れていく。
俺はその背中を黙って見つめた。
大変なんだろう。
料理も、人を育てるのも、宿屋をやるのも。
でも、ここまで頑張ったなら、途中で投げ出すのはもったいない。
がんばれよ。
俺は肩を落として離れていく男を、心の中で応援した。
一度での投稿が少し難しくなってきたため、今後は分割での投稿に変更させていただきます。
一日あたりの内容は、できるだけこれまでと同じくらいのボリュームで進める予定です。
次回の更新は明日5時となります。




