第百七十五話 腕試し
にやにやと笑っているセバスチャンと一緒に、俺は黙って男たちの後について行った。
もちろん、真面目な俺は笑ったりしない。
ちょっと笑いたい気持ちはあるけどな。
宿を出た男たちは、こちらを振り返って確認することもなく、そのまま宿場町の外へ向かって歩いていく。夜の町にはまだ酒場から漏れる声が残っていたが、それも通りを離れるにつれて少しずつ遠ざかっていった。
家並みが途切れる。
踏み固められた道から外れ、男たちは木立の中へ入っていった。
枝の隙間から差し込む月明かりは弱く、少し先へ進めば宿場町の灯りも木々に遮られて見えなくなる。足元には落ち葉や細い枝が散らばっていて、男たちが踏むたびに乾いた音がした。
ふむ。
ずいぶん離れるな。
まあ、人目についたらまずいってのは分かる。
宿場町の真ん中で剣を抜いて殴り合いでも始めれば、さすがに目立つ。こいつらが何をしようとしているのかはまだ知らないが、わざわざ俺たちの腕を確かめようとしている以上、余計な騒ぎを起こしたくはないんだろう。
でもなぁ。
そこまで派手になるかなぁ。
そうなったら、それはそれで面白そうだけどな。
俺はそんなことを考えながら、気楽に男たちの背中を追った。
隣ではセバスチャンも何も言わない。
さっきまで酒を飲んでいたとは思えない足取りで、薄暗い林の中を普通に歩いている。
しばらく進むと、木々の向こうに黒っぽい影が見えてきた。
建物だ。
さらに近づくと、それが林の中にぽつんと建った小屋だと分かった。
そこまで大きくはない。
だからといって、一人か二人しか入れないような小ささでもない。何人かで使うには十分そうな、どこにでもありそうな普通の小屋だった。
……なんだ。
ちょっと残念だな。
もう少しこう、秘密基地的な建物を期待していたんだが。
地下へ続く隠し扉でもあるとか、外から見ただけでは分からない何かがあるとか。
いや、勝手に期待していただけなんだけどな。
俺たちと話していた男が小屋の前まで進んだ。
こいつがこの中では一番偉いのか?
宿でも代表して話していたし、ここまで案内したのもこいつだ。少なくとも、まとめ役みたいな立場ではあるんだろう。
男は扉の前に立つと、拳を上げた。
ドン、ドン、と遠慮のない音が林の中へ響く。
少しすると、中から物音がした。
扉が開く。
そこから数人の男が出てきた。
……いや。
違うな。
男たちの後ろから、もう一人出てくる。
一人だけ女だ。
「ん?」
思わずそちらを見る。
腰には剣。
暗くて細かいところまでは分からないが、服装も歩き回るだけの格好というより、身体を動かすことを考えたものに見える。
ふーん。
女騎士ってやつかな?
……女騎士。
なんか最近聞いたな。
俺は女の顔をじっと見る。
どこかで見たような。
いや、気のせいか?
……ああ。
そうだ。
王都から帰ってきた時に、行きにはなかった関所が出来ていた。
あそこに女騎士がいた。
確かにいた。
ただし――。
顔をほとんど憶えてないんだよなぁ。
俺は少し目を細めて女を見る。
似ているような気もする。
でも、似ていないような気もする。
そもそも比べるための記憶が曖昧なんだから、どうしようもない。
うーん。
やっぱり分からん。
「こいつらと戦ってもらう」
声がして、俺は視線だけを少し動かした。
さっきのおっさんが、小屋から出てきた連中を示している。
「言っておくが、殺すのは禁止だ」
「攻撃魔法は? 使ってもいいのか?」
俺は女の顔を見たまま、適当に聞いた。
「それは禁止だ。目立ちすぎる」
「ふーん」
なるほど。
林の中とはいえ、攻撃魔法まで派手に使えば何が起きるか分からない。
「なら他の魔法は? それと全員一気にか? それとも一対一を繰り返すのか?」
聞きながら、もう一度女を見る。
うーむ。
似てるかなぁ?
それなりに美人だとは思うんだが、それと顔を覚えているかは別だ。
こうして見ても、やっぱり似ていないようにも感じる。
俺があまりに女ばかりを見ていたからだろうか。
小屋から出てきた男たちの中から、一人が動いた。
それなりに若い男だ。
そいつが横へ一歩進み、そのまま俺と女の間に立つ。
ちょうど顔が見えなくなった。
……ん?
もしかして、単なる女好きと誤解された?
いや。
否定はしないけど。
「……一対一だ」
おっさんの声がした。
「攻撃魔法以外は使って構わん」
「あっそ」
俺はその言葉に頷いた。
「それなら、あの女からでいいか?」
俺がそう言うと、さっき俺の視線を遮った若い男が一歩前へ出てきた。
……ん?
いや、お前じゃないんだが?
俺が見たかったのは後ろの女だ。
戦うついでに近くで見れば、さすがにもう少し分かるかと思ったんだけどな。
「……戦う相手はこちらが決める」
後ろから、おっさんの声が飛んできた。
振り返ると、なんだか少し疲れたような顔をしている。
大丈夫か?
「ふーん。まあいっか。誰でもたいして変わらんだろ」
別に女と戦うことそのものが目的じゃない。
分からないなら、あとでまた見ればいい。
俺は肩を軽く回しながら、身体の中で魔力を動かした。
肉体強化魔法を全身へ巡らせる。
足。
腰。
背中。
肩。
腕。
普段から使っている感覚だから、いちいち意識しなくても身体に馴染んでいく。
続けて防御魔法も展開した。
こっちは念のためだ。
俺には攻撃魔法を使うなと言った。
だが、向こうまで同じ条件なのかは聞いていない。
たぶん同じなんだろうとは思うが、勝手に決めつける必要もない。
防げるものは防いでおけばいい。
若い男は俺から少し離れた場所に立ち、こちらを見ている。
腰には剣がある。
……あ。
「そうだ。武器は? 使っていいのか?」
聞いてなかったな。
素手でやるのか、剣を使うのか。
殺すなとは言われたが、それ以外はまだ曖昧だ。
おっさんは俺を見たあと、若い男へ一度視線を向けた。
「好きにしろ」
「ふーん」
好きにしろ、か。
俺は腰の剣へ手を伸ばしかけて、止めた。
どうするかなぁ。
せっかくの剣をこんな腕試しで傷めるのも嫌だ。
相手がどれくらいの奴かも分からないし、変な受け方をして刃が欠けたりしたら面倒だ。
……そうだ。
ちょっと試してみるか。
俺はすでに展開している防御魔法をそのまま維持した。
その上でもう一度、魔力を動かす。
ただし、今度はいつもの防御魔法とは違う。
オルフィアから教えてもらった部分型防御魔法。
全身を覆うのではなく、必要な場所だけに防御魔法を展開する。
最初に聞いた時は、わざわざそんなことをする意味があるのかとも思った。
でも、こういう時には便利かもしれない。
俺は意識を両腕へ集中させた。
全身を覆っている防御魔法を崩さないようにしながら、別に新しく動かした魔力を右腕と左腕へ寄せていく。
肩から先。
肘。
前腕。
手首。
拳。
魔力の形を整えながら、腕だけを包むように展開する。
いつもの防御魔法より狭い。
そのぶん、細かく形を合わせる必要がある。
片方だけなら簡単なんだが、左右を同時にやると少しだけ感覚が違った。
右が強くなれば左が雑になる。
左へ意識を向けすぎれば右が薄くなる。
そこを少しずつ整える。
……うん。
こんなもんか?
俺は軽く拳を握った。
開く。
もう一度握る。
腕を曲げ、伸ばしてみても、魔力が崩れる感じはない。
なかなか上手く出来た。
と思う。
たぶん。
実際に使えるかどうかは、まだ分からんけどな。
でも通常の防御魔法も展開したままだ。
もし部分型の方が上手く働かなかったとしても、いきなり腕が斬り落とされるようなことにはならないだろう。
それなら十分だ。
せっかく試す機会があるんだから、使ってみればいい。
俺は若い男へ向き直った。
相手はもう剣の柄へ手をかけている。
構えから見ても、まったくの素人という感じではない。
「いつでもいいぞ。好きにかかってこい」
そう言うと、若い男の手が動いた。
鞘から剣が抜ける。
刃が月明かりを一瞬だけ拾った。
次の瞬間、男が地面を蹴った。
速い。
間を測るような動きも、余計な牽制もない。
一気に距離を詰めてくる。
うん。
なかなか早い踏み込みだなぁ。
しかも無言。
変な掛け声も上げず、そのまま剣を振り上げる。
高得点だ。
俺がそんなことを考えている間にも、若い男の剣は頭上から振り下ろされてきた。
振り下ろされる剣を見ながら、俺は左腕を上げた。
避ける必要はない。
むしろ避けたら、何のためにこんなことをしているのか分からない。
狙いを外さないように、剣の軌道へ左腕を差し込む。
刃が迫る。
そのまま俺の腕へ――ぶつかった。
硬い衝撃が左腕を通って肩まで響いた。
けれど、痛みはない。
肉を斬られた感触もなければ、皮膚が裂ける感じもない。
剣は俺の左腕に当たったところで、ぴたりと止まっていた。
おお。
俺は自分の腕を見る。
傷はない。
血も出ていない。
部分型防御魔法も崩れている様子はなかった。
うん、成功だな。
試してみた甲斐があった。
俺がそんなことを考えている間、目の前の若い男は剣を振り下ろした姿勢のまま、きょとんとした顔をしていた。
まあ、そうなるか。
剣を腕で受け止める奴なんて、普通はあまりいないだろう。
でも戦っている最中に止まるのはよろしくないな。
俺は空いている右腕を引いた。
両腕に部分型防御魔法を展開しているんだから、こっちも試してみよう。
もちろん、殺さない程度にな。
腰を少し入れ、若い男の顔へ右拳を叩き込む。
拳が頬へ当たった。
いや、当たったというより、めり込んだ。
頬の肉がぐっと横へ押され、そのまま男の身体が地面から離れていく。
なんだろう。
妙にゆっくり見える。
拳が離れ、首が横へ振れ、男の身体が宙へ投げ出されていく。
あっ。
鼻水。
顔から細いものが飛んでいった。
そのまま若い男は数歩分ほど飛び、地面へ落ちた。
どさり、と重たい音が林の中へ響く。
少し土が舞った。
……ん?
俺は倒れた男を見る。
動かない。
いや、よく見ると手足が小さくぴくぴくしている。
うん。
手加減も成功だな。
ちゃんと生きてる。
俺は右拳を開き、指を何度か動かしてみた。
痛くない。
皮も剥けていない。
次に左腕を見る。
さっき剣をまともに受けた場所にも傷はなかった。
部分型防御魔法はまだ両腕を覆っている。
もちろん、何も感じなかったわけじゃない。
剣を受け止めた時にはそれなりの衝撃があったし、男を殴った右腕にも手応えは残っている。
けれど、その程度なら肉体強化魔法でなんとでもなる。
腕そのものを傷つけずに剣を受けられる。
殴っても拳を痛めない。
しかも、普通の防御魔法を残したまま使える。
うん。
かなり使えると言っていいんじゃないか、これ。
俺はちょっと気分が良くなった。
せっかくだ。
もう一人ぐらい試せば、もっと使い方が分かるかもしれない。
「よし、次!」
声をかける。
返事はない。
……ん?
小屋の前にいた連中は、誰も前へ出てこなかった。
何人かは地面に倒れている若い男を見ている。
例の女もそこにいる。
さっきまで俺と女の間に立っていた男が吹き飛んだせいで、また顔が見えるようになっていた。
でも今は、そっちより次だ。
俺は待ってみた。
やっぱり誰も来ない。
……大丈夫か? こいつら。
一対一で順番にやるんじゃなかったのか?
さっきのおっさんは俺の実力を確かめると言っていたんだから、一人だけで終わるとは思っていなかった。
仕方ない。
誰も出てこないなら、優しい俺の方から近づいてやろう。
俺は両腕の防御魔法を維持したまま、一歩前へ進んだ。
「ま、待て! そこまでだ!」
後ろから大きな声が飛んできた。
俺は足を止め、振り返る。
おっさんがこっちを見ている。
「いや、まだ一人だけだぞ。もうちょっとぐらいいいだろ?」
「いや、実力は充分に理解した。もういい、やめろ」
充分?
一人しか戦ってないのに?
それでは比較も何も出来ないだろう。
俺だって、せっかく部分型防御魔法が使えそうだと分かったところなのに。
「もう何人かぐらいいいだろ。ちゃんと手加減するし」
そう言って、俺はまた前へ進む。
小屋の前にいる男たちは動かない。
なら誰でもいい。
近い奴から相手をしてもらえば――。
「やめろ! いや、お願いだからやめてください!」
……ん?
俺は足を止めた。
さっきまで命令するように話していたおっさんが、なぜか急に丁寧になった。
しかも、なんだか泣きそうな顔をしている。
そんな顔をされても困る。
殺してないぞ。
攻撃魔法も使ってない。
武器だって使ってない。
攻撃魔法以外は好きに使っていいと言われたから、防御魔法と肉体強化魔法を使っただけだ。
相手もちゃんと生きている。
……俺は悪くないよなぁ。
そう思いながら、なんとなく後ろを見る。
「ぶははははははっ!」
林の中に大きな笑い声が響いた。
セバスチャンだ。
腹でも痛いのかと思うくらい身体を揺らし、こっちを見ながら大笑いしている。
……なんだよ。
俺はちゃんと手加減したぞ。




