第百七十四話 正しい騎士
結局、俺たちはそのまま宿にいることにした。
どちらでも良かったのだ。
昨日のおっさんが何者なのかも分からないし、あいつが言っていた「経験を積める場所」がどこなのかも分からない。そもそも今日になって、本当にまた声をかけてくるのかさえ分からない。
ただ、これまでより少しぐらいは詳しい情報が得られそうな気はした。
それなら一日くらい残ってみてもいい。
気に入らなければ、その場で蹴飛ばせばいいだけだしな。
「乗るんですかい?」
向かいに座っていたセバスチャンが尋ねてきた。
「まだ決めてない」
俺はそう答えてから、昨日の食堂でのことを思い出す。
「だが、お前は酒を奢られてご機嫌だっただろ」
少しからかうつもりで言ってやると、セバスチャンは鼻を鳴らした。
「ふん。本当に出来るやつなら、それまでの宿代ぐらい払っていきますぜ」
「図々しいなぁ」
酒一杯奢られた程度では足りなかったらしい。
こいつ、本当に遠慮というものがないな。
だがセバスチャンは悪びれもしなかった。
「見せ金ってやつですよ。これから雇うんなら、持っとるところを見せるもんです」
「ふむ」
そう言われると、ただ図々しいだけでもないらしい。
昨日のおっさんは、俺たちを傭兵だと思っている。
少なくともセバスチャンがそういう話にしたし、向こうもそれで話を続けていた。
「それほど優秀とはいえんか?」
「そうですなぁ。素人じゃありやせんが、それほど慣れてもいませんな」
セバスチャンは少し考えてから答えた。
昨日も、俺たちを見ていたことは簡単に気づかれていた。
セバスチャンが振り返っただけで何人か揃って視線を逸らしたくらいだ。
それでも、気づかれたあとに一人がこちらへ来て話を続けた。
何も知らない奴らというわけでもないのだろう。
俺は少し興味が出てきた。
「お前ならどうする?」
「ふむ」
セバスチャンは腕を組み、ほんの少しだけ考える。
「目的は言わずに、報酬は先に払いますな。せめて半分程度は」
「持ち逃げされんか?」
金だけ受け取って消えられたら、それで終わりじゃないのか。
だが、セバスチャンは当然のように首を振った。
「だから先に半分払うんですよ。上手くいけば倍出すとか言えば、そうは逃げません」
「ふーん、そんなもんか」
最初に金を出して、本当に払えるところを見せる。
そのうえで、もっと欲しければ働けと言うわけか。
確かに、何も出さずに働けと言われるよりは信用できる気がする。
「ええ。それで働きが悪けりゃ殺して奪えばいい」
「……本当に山賊向きだな、お前」
途中までは少し感心していたのに。
最後ですべて台無しになったぞ。
俺が呆れていると、セバスチャンはむしろ不思議そうな顔をした。
「何言っとるんですか。それが正しい騎士ってやつです」
「そうかあ? そうなのか?」
本当に?
金を払って雇う。
働きが悪かったら殺して金を取り返す。
どこをどう聞いても山賊の理屈にしか聞こえないんだが。
俺が納得できずに見ていると、セバスチャンは声を立てずに笑った。
「一皮剥けば大して変わりませんよ。敵味方さえちゃんと区別すりゃ問題ありませんぜ」
そう言って、また笑う。
うーむ。
言われてみれば、こいつは昔からこんな奴だったな。
敵を殺す。
敵から奪う。
それを味方へ与える。
セバスチャンにとっては、それが騎士としておかしなことではない。
俺にはどうしても山賊と紙一重に聞こえるのだが、本人は何も疑っていないらしい。
まぁ、確かに味方さえ良ければいいか。
俺は椅子の背へ身体を預けながら、ぼんやりと考える。
そもそも、この世界には前世でいうところの明確な法の支配というものがない。
別に法そのものが存在しないわけではない。
決まりはあるし、守らなければならないこともある。
だが、それだけですべてが決まるわけでもなかった。
強い奴が何かを決めれば、その判断が通ることがある。
貴族なら貴族の力がある。
騎士なら騎士の力がある。
同じことを言っても、誰が言うかで重さが変わる。
前世なら、俺はもっと簡単に「それは正しい」「それは間違っている」と考えていた気がする。
少なくとも、正義というものは人より先に存在していて、誰がやったかではなく、何をやったかで判断されるものだと思っていた。
だが、この世界では少し違う。
正義とは力であり、強者そのものに近い。
正しいと主張しても、それを相手に認めさせられなければ何も変わらない。
権利だって同じだ。
自分にはこれだけの権利がある。
そう言ったところで、相手が踏み潰してくるなら、それを止めるものが必要になる。
強い貴族なら、より多くを主張できる。
弱ければ、同じようにはいかない。
結局、自分が主張できて、それを相手に認めさせられるところまでが、実際に持てる権利なのかもしれない。
ある意味では、権利を法ではなく、自分自身の力で守らなければならない世界なのだ。
そう考えると、セバスチャンの言葉も少しだけ分かる。
敵と味方。
まず守るべきものを間違えない。
自分の味方を守るための力を持つ。
敵まで同じように守ろうとして、肝心の味方を守れなくなったら意味がない。
まぁ、確かに敵まで守る余裕は無いな。
だからこそ、俺は強くあらねばならない。
そのために努力もしている。
……つもりだ。
魔力だって鍛えているし、必要なら戦う。
面倒だと思いながらも、やるべきことはそれなりにやっている。
うん。
俺って偉いよな。
誰かに褒めてほしいぐらいだ。
そんなことを考えながら過ごしているうちに、昼になった。
別に宿へ閉じこもっている理由もない。
昨日の男が本当に来るとしても、言われたのは今日また声をかけるということだけで、何時とは聞いていない。
だから俺とセバスチャンは、昼間のうちに宿場町を少し見て回ることにした。
目的があるような、ないような散歩だった。
通りには昨日と同じように人がいる。
荷を運ぶ者もいれば、店先で何かを売っている者もいる。道の端では立ち話をしている者もいて、俺が見た限りでは、町全体が妙に緊張しているようには感じなかった。
少なくとも、怯えているようには見えない。
昨日の男たちが何をしているのか。
誰のために人を探しているのか。
それはまだ分からないが、この宿場町そのものが今にも戦に巻き込まれそうな空気というわけでもなさそうだ。
だからといって何も起きないとも限らないけどな。
俺たちは通りを歩きながら、特に急ぐこともなく店先を眺めていった。
途中で屋台もいくつか見つけた。
せっかくだ。
何か美味いものでもあれば、それだけで今日ここに残った意味が一つ増える。
そう思って何か所か寄ってみたのだが。
うーむ。
悪くはない。
食えないわけでもない。
だが、これを食べるためにまた来たいと思うほどでもなかった。
残念。
俺は手にしていたものを食べ終えながら、少しだけ肩を落とす。
この世界を旅していて前から思っていたが、宿場町ごとの名物料理みたいなものをあまり見かけない。
もちろん、俺が知らないだけかもしれない。
全部の店を回ったわけでもないし、地元の人間しか知らない食い物がある可能性だってある。
それでも、前世なら旅先へ行けば「ここではこれを食べる」みたいなものが結構あった気がする。
この世界では、そこまで食い物へ手をかける余裕がないのだろうか。
腹が満ちれば十分。
まずは食えることが大事。
そういう場所が多いだけなのかもしれない。
だが、あった方が面白いと思うんだよな。
その土地へ行かなければ食べられないもの。
旅の途中で、それを目当てに寄り道するくらいの料理。
うーむ。
いっそのこと、俺が作るか?
そう考えたところで、頭に浮かんだのはシルビア河だった。
あれだけ大きな河なら、魚くらいいるだろう。
俺は魚のことなんて詳しくないが、地元の者なら美味い魚くらい知っているはずだ。
それを焼くなり煮るなりすれば、何か作れないだろうか。
シルビア橋名物。
……国境の橋で名物というのも、なんか変か?
いや、人が通る場所ならむしろいいのかもしれない。
橋を渡る前に食う。
渡ったあとに食う。
それだけでも人が寄る理由にはなる。
俺自身も、シルビア橋へ行くたびに美味いものが食えるなら嬉しい。
そういえば、マバール城の食事も美味い。
城だから当然、そこらの宿よりずっと手をかけているし、肉料理なんかはかなり満足できる。
だが。
マバール城といえばこれ。
そう言える料理を考えると、すぐには思いつかなかった。
強いて言えば肉料理かな?
でも、それだと随分大雑把だ。
肉ならよその土地でも食うだろうし。
各地に名物料理があれば面白いのにな。
そこへ行く理由が、戦とか仕事とか面倒事だけじゃなくなる。
美味いものを食べるために旅をする。
うん。
悪くない。
もっとも、俺が知らないだけという可能性もまだ捨てきれない。
俺は少し前を歩いていたセバスチャンへ声をかけた。
「なぁ、この町の名物料理って知ってるか?」
セバスチャンが振り返る。
「さあ、そんなもんあるんですかね」
それだけ言って、また前を向いた。
……あまり興味は無さそうだな。
旅慣れているこいつなら何か知っているかと思ったのだが、聞く相手を間違えたかもしれない。
結局、昼の間にこれはと思う料理は見つからなかった。
そうして町をうろうろしながら時間を潰し、日が落ちる頃になって、俺たちは宿へ戻った。
別に昨日の奴らのために早めに食堂へ行くつもりはない。
かといって、わざと遅らせて焦らす気もなかった。
そんな駆け引きをするほど、こちらはあいつらに執着していない。
単に、腹が減ったから飯を食いに行く。
それだけだ。
そもそも、本当に来るかどうかも分からないしな。
俺とセバスチャンはいつも通りの調子で食堂へ入り、空いている席へ腰を下ろした。
食堂には、昨日と同じように何人もの客がいた。
飯を食っている者もいれば、酒を飲みながら話している者もいる。
俺たちも適当に注文を済ませ、そのまま待つ。
別に入口を気にすることもしなかった。
来るなら来るだろうし、来なければ来ない。
それだけだ。
運ばれてきた飯へ手をつけながら、俺は昼間から引っかかっていたことをもう一度考える。
名物料理。
やっぱりあった方がいいと思うんだよなぁ。
シルビア河の魚を使うなら、まず地元の者に何が美味いか聞かないと駄目か。
焼く方がいいのか。
煮た方がいいのか。
そもそも俺が知らないだけで、すでに何か美味い食い方がある可能性もある。
「なぁ」
「なんです?」
「シルビア河の魚って食ったことあるか?」
セバスチャンが食事の手を止める。
「ありやすが」
「美味かったか?」
「さあ?」
「覚えてないのかよ」
「魚は魚でしょうが」
こいつに聞いた俺が馬鹿だった。
美味いかどうかくらい覚えとけよ。
「お前、食い物に興味なさすぎないか?」
「食えりゃいいでしょう」
「良くない」
「そうですかい」
「良くないんだよ」
旅をするなら美味いものを食いたい。
どうせ同じ道を歩くなら、次はあれを食べようと思えるものがあった方が絶対にいい。
セバスチャンはどうでもよさそうに食事を続けている。
うーむ。
いつかこいつにも分からせてやる。
そんなバカ話をだらだら続けていると、食堂の扉が開いた。
何気なくそちらを見る。
見覚えのあるおっさんたちが入ってきた。
来たか。
俺は食事の手を止めずに眺める。
昨日も俺たちを見ていた連中だ。
その中から、昨日セバスチャンと話した男がこちらへ歩いてくる。
「よお」
男は俺たちの卓のそばで足を止めた。
「話を聞く気になったか?」
セバスチャンはちらりと男を見る。
「まぁ、話ぐらいはな」
それだけ答えた。
受けるとは言わない。
断るとも言わない。
昨日と同じだ。
男もそれ以上は聞かず、宿の者へ片手を上げる。
「酒だ」
短くそう言って、そのまま俺たちの卓についた。
俺は何も言わずに様子を見る。
連れてきた男たちは、全員がこちらへ座るわけではなかった。
昨日と同じように、何人かは少し離れたところにいる。
やがて酒が運ばれてきた。
男は受け取ると一口飲む。
それを待っていたように、セバスチャンが口を開いた。
「この辺りってことは相手は誰だ? 帝国じゃあるまい」
男の手が止まる。
だが、驚いた様子まではなかった。
少しだけ酒杯を眺め、それからまた口をつける。
「詳しくは言えんが、まぁそうだ」
帝国じゃない。
昨日より一つだけ分かった。
だが、それだけだ。
誰と戦うのか。
どこで戦うのか。
そもそも誰がその戦をやろうとしているのか。
肝心なところは何も分からない。
セバスチャンも無理に聞き出そうとはしなかった。
「ふん」
酒を飲む男を眺めながら、少しだけ口元を歪める。
「それでいい経験になるのかね。つまらん相手はごめんだぞ」
孫に戦を教える。
昨日から使っている話だ。
だから、相手が弱すぎるなら意味がない。
そういうことにしているらしい。
男はセバスチャンではなく、今度は俺を見た。
ちらりと見るだけだったが、昨日より少し長い。
「まだ若いが大丈夫なのか?」
俺は口を挟まなかった。
今のところ、俺は戦を教えられる孫だからな。
勝手に喋って変なことを言うより、セバスチャンに任せておいた方がいい。
するとセバスチャンは、俺の方すら見ずに笑った。
「それは安心しろ。保証してやる」
随分と自信満々だな。
まぁ、こいつなら俺がどれくらい戦えるかは知っている。
男はすぐには返事をしなかった。
俺を見て、次にセバスチャンを見る。
それからまた俺へ視線を戻した。
何かを考えているようには見えるが、何を考えているのかまでは分からない。
俺は残っていた飯を口へ運びながら、その視線を受け流した。
しばらくすると、男が小さく息を吐いた。
「すまんが、少し確かめさせてもらうぞ」
そう言って、今度ははっきりと俺を見る。
確かめる。
何をだ?
俺は手にしていたものを皿へ戻した。
「ん? なんだ? 殺し合うか?」
聞いてみると、男が苦笑する。
「物騒な孫だな」
いや、確かめると言われたから聞いただけなんだが。
戦えるかどうかを知りたいなら、実際に戦うのが一番早いだろう。
俺がそう思って男を見返していると、男は酒杯を卓へ置いた。
「殺すのは禁止だが、何人かと戦ってもらう」
そう言って、肩越しに後ろをちらりと見る。
俺もそちらへ視線を向けた。
昨日から一緒にいた男たちがいる。
どうやら、お仲間と戦ってほしいようだ。
なるほど。
口でどれだけ強いと言っても、本当に使えるかまでは分からない。
それなら一度やらせてみる。
俺たちを雇うかどうか考える側からすれば、分からなくもない。
ただ、一つ面倒な条件がついた。
「うーん、殺さないようにか」
俺は少し考える。
相手の強さが分からない以上、最初から力を入れすぎるわけにはいかない。
こっちは確かめられる側だ。
いきなり殺してしまったら、さすがに話にならないだろう。
とはいえ、絶対に何があっても死なせないと約束するのも面倒だ。
「殺しても怒るなよ」
そう言って、俺は椅子から立ち上がった。
男が少しだけ眉を動かす。
だが、今度は「物騒だ」とは言わなかった。
セバスチャンを見ると、こいつは座ったまま俺を見上げていた。
口元が僅かに緩んでいる。
何が面白い。
いや、俺も少し面白くなってきているから人のことは言えないか。
昨日までは、王国内の様子を少し詳しく知れればそれで良かった。
今日だって、話が気に入らなければ断ればいいと思っていた。
それが今度は、何人かと戦って実力を見せろという。
随分と妙なところまで来たものだ。
男はすぐには立たなかった。
残っていた酒を見て、それから酒杯を持ち上げる。
せっかく頼んだものを残す気はないらしい。
何口かに分けることもなく、きっちりと飲み干した。
空になった酒杯を卓へ戻し、ようやく立ち上がる。
「こっちだ。ついて来い」
それだけ言うと、男は先に歩き出した。
近くにいた男たちも動く。
俺はその背中を見ながら、少しだけ笑った。
どこへ行くのかは知らない。
どれくらいの奴らと戦わせるつもりなのかも分からない。
それでも、さっきまで宿で飯を食いながら話していた時よりは、ずっと面白そうだ。
俺も男の後を追って食堂を出る。
背後では椅子の動く音がした。
振り返らなくても、セバスチャンが立ったのだろうと分かる。
宿の外へ出ると、日が落ちたあとの空気が頬に触れた。
俺たちが来た時よりも通りは暗くなっていて、昼間に歩き回った宿場町とは少し違って見える。
先を行く男たちは、止まらずそのまま歩いていく。
俺は数歩遅れてついていった。
面白くなってきたな。
内心でそう思う。
もちろん、相手がどれほど強いかはまだ分からない。
何のために人を集めているのかも、結局ほとんど聞けていない。
帝国を相手にする話ではない。
今のところ確かに分かったのは、それくらいだ。
だが、ここまで来たなら見てみたい。
こいつらがどんな連中を使っているのか。
俺たちを試して、その先で何をさせようとしているのか。
気に入らなければ、その時にやめればいい。
そう考えながら歩いていると、横へセバスチャンが並んだ。
ちらりと見る。
にやにやしている。
やっぱり笑っていやがる。
俺が何も言わずに見ていると、セバスチャンもこちらを見た。
それでも笑みは消えない。
どうやら、こいつも似たようなことを思っているらしい。
俺は前を歩く男たちへ視線を戻し、そのまま後をついていった。




