第百七十二話 関所
街道を進んでいると、やがて前方に関所が見えてきた。
朝の光はもう道の端まで届いていて、遠くからでも街道を塞ぐように建てられた木組みが見える。別に大層なものではない。太い材木を組んだ柵と、人が詰めるための小さな建物。街道の幅に合わせて作られた、ごく普通の関所だ。
前世の感覚だと、こういう場所を見ると国境とかパスポートとか、そんなものを思い浮かべる。
だが、この世界にパスポートなんてものはない。
手形のようなものもない。
では、何のために関所なんてものがあるのか。
簡単だ。
不審な奴が通らないか見張って、ついでに通行税をいただくためだ。
むしろ、こっちの方が大事なところも多いかもしれない。
ちなみに通行税に決まった額なんてものはない。それぞれの領地が勝手に決めている。
それなのに面白いことに、なんとなく相場みたいなものはある。
考えてみれば当たり前か。
いくら領主が好きに決められるからといって、馬鹿みたいに高くすれば誰も通らなくなる。関所を通るたびに荷物を全部ひっくり返されるような面倒な道なら、避けられるものなら避けるだろう。
人も荷も通らなくなれば、取れるものも取れない。
結局、近くの領地と比べながら、極端になりすぎないところへ自然と落ち着くのだろう。
そんなことを考えながら近づいていく。
やはり、関所そのものは大した規模ではなかった。
材木を組んだ柵の向こうに何人かの兵が立ち、その奥に小さな建物がある。立派な石壁もなければ、大勢の兵を置けるような広さもない。
ただ、それでも人はそれなりに集まっていた。
荷を背負った者。
小さな荷車を引いている者。
俺たちと同じ方向へ進もうとしている者もいれば、反対側から来た者もいる。
一人ずつ順番に前へ進み、兵に何かを聞かれてから通されている。
その様子を馬上から眺めているうちに、ふと疑問が浮かんだ。
「なぁ」
「なんです?」
隣を進むセバスチャンへ顔を向ける。
「領地を捨てた領民なんかが、関所を通れるのか?」
昨日から、シルビア橋の方へ向かう人間をかなり見ている。
あいつら全員がマバール領まで来るつもりなのかは分からない。
だが、仮に本当に領地を捨てて移動している奴がいるとして、こんな関所を普通に抜けられるのだろうか。
セバスチャンは前方の関所を眺めながら、特に悩むこともなく答えた。
「自分の領民以外なら大して気にしませんぜ。他人事ですから」
「ふーん、そんなもんか」
思っていたより雑だった。
俺が首を傾げると、セバスチャンは続ける。
「自分の領地に領民が少ないなら、招き入れるいい機会ですからな。わざわざ返すような手間はかけませんぜ」
「でも、元の領主からしたら困るだろ」
「見逃した方が悪いんですから」
あっさりしているな。
だが、昨日考えたことと合わせれば分からなくもない。
領民は必要だ。
税を払い、畑を耕し、領地の中で働く。
そんな人間が自分から入ってくるなら、領民が欲しいところにとっては都合がいい。
一方で、逃げられた側からすれば損だ。
なら、逃げられる前に自分で止めろということか。
「つまり、関所で自分たちの領民が逃げてないか確認してるだけか」
「まぁ、それと手間賃を取るのが仕事ですな」
セバスチャンが何でもないように答える。
手間賃。
通行税のことだろう。
随分と気軽な言い方だ。
俺はもう一度、関所へ目を向ける。
ちょうど一人の男が兵の前に立ち、何か話しているところだった。少し離れているので内容までは聞こえない。
そこで、もう一つ疑問が浮かんだ。
「だが、どうやって自分たちの領民だと分かるんだ?」
パスポートもない。
手形もない。
平民を一人ずつ細かく記録しているわけでもない。
それで、目の前に立った人間が自分のところの領民かどうかなんて分かるものなのか。
「ああいうのは、たいてい地元の平民兵が調べますからな」
セバスチャンが関所を顎で示した。
「案外見抜けるもんですぜ。逃げるやつは動きも目立ちますからな」
「ふむ」
言われてみれば、そういうものなのかもしれない。
平民の多くは、生まれた土地でそのまま一生を過ごす。
特に農民ならそうだ。
耕す土地があり、そこで暮らし、その子どもも同じ辺りで育っていく。
そうやって先祖代々、同じ土地に根付いて暮らしている。
なら、同じ地域に住んでいる者同士なら、直接知り合いでなくても、どこかで見た顔というのは案外多いのかもしれない。
まして関所に立っているのが地元の平民兵ならなおさらだ。
誰だかまでは分からなくても、あの辺りの村で見たことがあるとか、この辺に住んでいる奴じゃないかとか、その程度なら気づくこともあるのだろう。
そこへ、普段の行き来とは違うような荷を抱えて現れれば目立つ。
全部見抜けるわけではないだろうが、案外分かる。
セバスチャンが言ったのは、そういう意味なのだろう。
俺は関所へ並ぶ人々を眺めながら、ゆっくりと馬を進めた。
順番が進むにつれ、関所の様子も少しずつ近くに見えてくる。
兵たちは通行人を一人ずつ止め、短く言葉を交わしている。すぐに通される者もいれば、荷へ目を向けられている者もいた。
何を基準にしているのかまでは分からない。
ただ、全員を同じように扱っているわけではなさそうだ。
俺たちの番が来るまで、それほど時間はかからなかった。
馬を進めると、前に立っていた兵がこちらを見る。
その視線が俺とセバスチャンを順番に見て、乗っている軍馬へ移った。
それから聞かれたのは、名前と、どこから来たのか、どこへ行くのか、その程度だった。
俺とセバスチャンは聞かれたことへ答える。
荷を見せろとも言われない。
身体を調べられることもない。
結局、ほとんど止められることもなく、そのまま関所の向こうへ通された。
あっさりしたものだ。
関所を抜け、少しだけ馬を進めてから俺は後ろを振り返った。
さっきまで俺たちがいた場所では、次の通行人が兵の前へ進んでいる。
「魔力持ちはほとんど素通しだな」
「まぁ、暴れられて困るのは向こうですからな」
セバスチャンの答えもあっさりしている。
確かにそうか。
俺たちは別に暴れるつもりなんてない。
だが、向こうからすればそんなことは分からない。
わざわざ強く出て、揉め事を起こす必要もないということだろう。
少なくとも、今の関所ではそういう扱いだった。
「マバール家の関所だと、もうちょい厳しく調べられるけどな」
俺が言うと、セバスチャンは当然だと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「そりゃマバール家は騎士が多いですから。そこらの並の貴族とは違います」
随分と誇らしげだ。
まぁ、間違ってはいない。
関所で何かあった時に対処できる奴が多いなら、それだけ相手へ強く出ることもできる。
逆に、平民兵が中心なら、魔力持ちへ余計なことをして揉める方が面倒なのだろう。
俺はもう一度、遠ざかり始めた関所へ目を向けた。
そこで、さっき通過する時に見えた光景を思い出す。
「そういや、何人か連れていかれてたな」
「ええ」
セバスチャンも見ていたらしい。
「おそらく地元の平民でしょう」
断定はしなかった。
だが、さっきまでの話を考えれば、その可能性はありそうだ。
兵に止められた何人かが、そのまま関所脇の方へ連れていかれていた。
俺たちのように簡単な質問だけで終わる者とは明らかに扱いが違った。
「どうなるんだ?」
「さあ」
セバスチャンが肩をすくめる。
「そのまま帰されるのか、なんらかの罰を受けるのか。領地次第ですな」
「ふむ」
そこまで共通して決まっているわけでもないのか。
逃げようとした領民を見つけた。
では、その後どうするか。
そこから先は、その土地を治める側が決めるということらしい。
考えてみれば、通行税の額ですら領地ごとに違う。
領民をどう扱うかまで、どこも同じである必要はないのだろう。
俺には、さっき連れていかれた奴らが本当に逃げようとしていたのかも分からない。
セバスチャンも「おそらく」と言っただけだ。
だから、それ以上考えても仕方がない。
前へ視線を戻す。
街道はそのまま先へ伸びていた。
朝はもう完全に始まり、行き交う人の姿も見えやすくなっている。
馬の歩調に合わせて身体を揺らしながら、俺はさっきの関所を思い返した。
俺たちは名前と行き先を聞かれただけ。
荷物すらほとんど気にされなかった。
一方で、止められて連れていかれる者もいる。
ずいぶん扱いが違う。
だが、魔力持ちを相手にすればそうなるのも分からなくはない。
前世で言えば、最初から武装しているようなものだ。
しかも、止めろと言ったからといって、本当に止められるとは限らない。
強引に何かしようとして暴れられれば、困るのは関所にいる兵の方だ。
そう考えると、俺たちへの扱いが軽かった理由にも納得できた。
マバール家の関所が少し違うのも、結局はそこなのだろう。
止める力がある。
だから調べられる。
単純といえば単純な話だ。
俺は小さく息を吐き、そのまま街道の先へ目を向けた。
「とりあえず美味いもの探すか」
俺がそう言うと、隣を進んでいたセバスチャンがこちらを見る。
「まだ諦めとらんのですか?」
何を愚かなことを聞いているんだ、こいつは。
「当たり前だ。絶対諦めん。なんならルディア領に行かなくても構わん」
そう言い切ると、セバスチャンは少し呆れたような顔をした。
まったく。
別に、本当に美味いものが重要なのではない。
いや、重要ではある。
美味いものが食えるなら当然食いたいし、昨日みたいな食事が続くのは困る。
だが、それだけではないのだ。
大事なのは物流を知ることだ。
昨夜泊まった宿は値段がかなり上がっていた。
それなのに出てきた食事は、碌なものではなかった。
パンと芋ばかりで、肉もない。
それが単純にあの宿の手抜きだったなら、大した問題ではない。
値段を上げられるだけ上げて、食事には金をかけない。
客としては腹立たしいが、それだけの話だ。
だが、もし違ったら。
街道を進みながら、俺は周囲へ目を向ける。
人はいる。
昨日からずっと、人の流れそのものはむしろ増えているように見える。
それなのに食事が貧しくなっている。
なら、物の流れはどうなっている?
食料がちゃんと運ばれているのか。
それとも、どこかで滞っているのか。
今回見たような関所が各地に増えているのなら、単純にそこで時間を取られているだけという可能性もある。
人を止める。
荷を調べる。
通行税を取る。
昨日の宿で聞いた話では、荷物を細かく調べられることも増えているらしい。
そんな場所が増えれば、物が動く速度は当然落ちるだろう。
それなら、まだ分かりやすい。
道を通る物そのものが減ったわけではない。
運ぶのに時間がかかっているだけだ。
だが、もし物そのものが不足しているのなら、少し話が変わってくる。
俺は手綱を握りながら、昨日食べた薄い食事を思い出した。
あの宿だけなのか。
それとも、どこへ行っても似たようなことになっているのか。
次の場所で普通に肉が出てきて、食い物も十分にあるなら、昨日の宿が酷かっただけかもしれない。
だが、何か所か見ても同じなら、少なくとも宿一軒だけの問題ではない。
物が動いていないのか。
物がないのか。
その違いだけでも大きい。
もし物流が滞っているのなら、なぜ滞っているのか。
各地に増えた関所のせいなのか。
人の移動が増えて街道そのものが混み始めているのか。
それとも、そもそも運ばれる物の量が減っているのか。
原因が違えば、そこから先に考えられることも変わる。
もちろん、一度や二度食事を見ただけですべてが分かるわけではない。
だが、材料にはなる。
何も見ずに考えるよりは遥かにましだ。
そのためにも、美味いものを探す必要がある。
うん。
完璧な理由だな。
俺は自分の考えに少し満足しながら、さらに先を考える。
物の流れが関所で滞っているだけならいい。
面倒ではあるが、それなら原因は目に見える。
関所が増えた。
調べる時間が長くなった。
だから運ぶのに時間がかかる。
それならまだ理解しやすい。
だが、食料そのものが市場へ出てこなくなっているのなら、少し問題だ。
この世界には、残念ながら食料を生み出す魔法なんてものはない。
魔法なら何でもできるわけではない。
どれだけ魔力が強くても、何もないところからパンや肉が生み出すことは出来ない。
食うものは作らなければならないし、作ったものは運ばなければならない。
そして貴族は極めて頑強な生き物だが、食わずに生きられるわけでもない。
平民より身体が強くても、腹が減らないわけじゃない。
騎士だって同じだ。
戦うなら、なおさら食料は必要になる。
そこまで考えたところで、俺の頭に一つの可能性が浮かぶ。
もし。
各領地で食料の備蓄が始まっているのなら……。
市場へ出す分を減らして、自分たちのところへ残している。
そんなことがあれば、宿や街へ回ってくる食料も減る。
もちろん、まだ何も分からない。
昨夜の宿一軒を見ただけだ。
食料が本当に不足しているのかさえ確認できていない。
それなのにあまり決めつけるのは早い。
だが、昨日から見ている王国側の変化を考えれば、無視していい可能性でもないように思えた。
税が上がる。
関所が増える。
人が動く。
もし、それに加えて食料まで動き始めているのなら。
それぞれが何を考えているのか、少しは見えてくるかもしれない。
俺は前方の街道を眺める。
朝の光の中、道はまだ長く続いている。
この先に何があるかは分からない。
だが、とりあえず食べてみればいい。
美味いものが普通にあるなら、それはそれで嬉しい。
なければ、なぜないのかを考えればいい。
どちらに転んでも無駄にはならない。
うん。
やはり美味いもの探しは重要だ。
俺は少しだけ手綱を握り直した。
もちろん美味いものは食いたいけどな。




