第百七十話 散歩のつもり
翌朝、俺とセバスチャンは軍馬に乗ってシルディア城を出た。
朝食の席に父上が同席していれば、一応、昨日思いついたことを話しておこうと思っていた。
別に許可をもらうつもりだったわけではない。ただ、顔を合わせたのに黙って出ていけば、後から余計なことを言われるかもしれない。それなら先に伝えておいた方が楽だ。
だが、父上は今朝も朝食の席には現れなかった。
忙しいのだろう。
わざわざ探して仕事の邪魔をするほどのことでもないし、戻ってから話せばいい。
仕方ない。
そういうわけで、俺は予定通りセバスチャンと散歩へ出ることにした。
城門を抜け、朝の空気の中へ出る。
軍馬の蹄が乾いた地面を踏み、一定の音を立てる。背後へ離れていくシルディア城を一度振り返ってから、俺は前へ向き直った。
隣ではセバスチャンが朝からまだぐちぐち言っている。
父上に一言言ってからの方がよかっただの、勝手に出るのはどうだのと、昨日から似たような話ばかりだ。
だが、なんだかんだ言いながらこうして軍馬に乗って同行している。
こいつも興味はあるんだろう。
「とりあえず、どこに行く?」
俺が声をかけると、セバスチャンは馬上で大きくため息をついた。
「そうですな。まずはルディア領に向かいましょうや。その途中で他の領も見ればいいでしょう」
「そういえば、ルディア領ってどの辺にあるんだ?」
今度はさっきより深いため息が返ってきた。
なんだよ。
「ほら、あの関所があった辺りですよ」
「ああ」
言われて、ぼんやりと思い出す。
王都から戻ってきた時、行きにはなかった関所が街道に出来ていた。昨日オルフィアの部屋でも話題に出た場所だ。
あの辺りか。
すごく遠いというほどでもない。
だが、すぐそこまで行って帰ってこられるような距離でもなかったはずだ。
「まぁ、散歩にはちょうどいいか」
「これのどこが散歩なんですかい」
間を置かずにセバスチャンが言ってきた。
「別にどこかを攻めたり落としたりしないぞ。散歩だろうが」
今回は戦いに行くわけではない。
王国側の貴族たちが何をしているのか、その辺を見て回るだけだ。
それを散歩と言わず何と言う。
「こういうのは偵察っていうんですぜ」
「別にただ見て回るだけだ。偵察にもならんさ」
兵の数を数えるわけでもないし、砦へ忍び込むわけでもない。
通り道から見えるものを見て、気になることがあれば少し聞く。その程度だ。
それに。
「……謹慎して暇だったからな」
少し声を落として付け加える。
セバスチャンが横から俺を見た。
「それが本音ですな」
「いいだろうが。あんまりぐちぐち言うと置いて行くぞ」
俺が言い返すと、セバスチャンは少しも困った様子を見せなかった。
「若様、金持っとらんでしょうが」
「……そういえば忘れてたな」
言われて気づいた。
金を持ってきていない。
別にわざとじゃない。ただ、朝飯を食って、そのまま馬に乗って出てきただけだ。
そもそも普段から旅先で金を払っているのはセバスチャンだ。
「まったく、賢いんだかアホなんだかはっきりしてくださいよ」
「ええい、お前が持ってるんなら問題ないだろ」
今ここで必要な金があるなら、それでいい。
忘れたことはもう仕方ない。
セバスチャンは呆れたように俺を見ていたが、やがて諦めたのか前へ顔を向けた。
「へいへい、それじゃ行きましょうや」
「どうせなら美味いものも食いたいぞ」
またため息をつかれた。
なんでだ。
「言っておくが、ただ美味いものを食いたいだけじゃないぞ。美味いものには人が集まる。そこに行けば情報も集まる。どうだ、問題ないだろ」
「へいへい、そうですな」
なんか適当に返された。
だが、間違ったことは言っていない。
人がいないところで耳を澄ませても、何も聞こえるわけがない。どうせ話を聞くなら、人が集まっているところの方がいい。それなら飯まで美味い方がいいに決まっている。
完璧な理屈だ。
「それじゃ街道筋を行きやしょう」
セバスチャンが言った。
「ああ、そうしよう」
俺は素直に頷く。
少なくとも道については、俺よりこいつに任せた方が確実だ。
俺たちは馬の向きをそのまま街道へ合わせ、ルディア領のある方角へ進み始めた。
街道へ出てしばらく進んでいるうちに、俺は何となく周囲が気になり始めた。
道そのものは以前と大して変わっていない。
馬の蹄に踏み固められた土が先へ続き、その両脇には草が伸びている。時折すれ違う人間の数も、俺の記憶ではそこまで増えたようには見えなかった。
ただ、何かが違う。
俺は手綱を握ったまま、向こうから歩いてくる人々へ目を向けた。
以前この街道を通った時は、背中に荷を背負って歩いている者が多かったはずだ。ところが今は、荷物を背負うだけではなく、小さな荷車を引いている姿がちらほら混じっている。
一人で歩いている者もいる。
だが、何人かで固まって進んでいる者たちの姿も前より目についた。
荷物が多いな。
旅人そのものが急に増えたようには見えないのに、一人一人が持っている物が増えているような気がする。
それに、何となく集団が多い。
別に誰も走ってはいない。
荷車を放り出して逃げているわけでもなければ、後ろを振り返りながら慌てているわけでもない。
それなのに妙に引っかかる。
「ふむ、子どもがいますな」
隣からセバスチャンの声が聞こえた。
「子ども?」
言われてもう一度街道へ目を向ける。
確かにいた。
前を歩く何人かの集まりの中に、大人に手を引かれている小さな姿がある。少し離れたところを進む別の集団にも、荷車の横を歩く子どもが見えた。
数そのものは多くない。
だが、以前ここを通った時には、街道で子どもの姿なんてほとんど見なかった気がする。
仕事か何かで移動するなら大人だけでも済むだろう。
わざわざ子どもまで連れて歩いている。
「どう思う?」
俺が聞くと、セバスチャンはすぐには答えなかった。
向こうから来る人々を眺め、それから道の先へ目を向ける。
「まだ分かりませんな。ですが、確かにちょいと変わってますぜ」
「やっぱりそう見えるか」
「ええ」
セバスチャンは短く答え、それから頭を掻いた。
「あんまりいい感じじゃありませんな」
さっきまで俺にぐちぐち文句を言っていた時とは、少し声が違う。
「やはり子どもか?」
俺も少し声を落とした。
「まぁ、子ども連れってのはたいてい訳ありですからな」
セバスチャンの声も少し暗くなる。
俺は返事をせず、すれ違っていく者たちへ目を向けた。
馬に乗っていて、身なりもそこらを歩く平民よりは整っている。
俺たちの魔力そのものを感じ取れなくても、たぶん平民ではないことくらいは分かるだろう。
こちらをちらちら見る者はいる。
だが、目が合わない。
俺が顔を向けると、ほとんどの者がその前に視線を外してしまう。
もちろん、知らない奴に笑いかけてほしいわけじゃない。
俺だって街道ですれ違う人間一人一人に挨拶する気はない。
それでも、なんかおかしい。
前にここを通った時も、平民たちが俺たちへ馴れ馴れしく話しかけてきたわけではなかった。それでも、今ほど妙にこちらを避けるような感じだっただろうか。
怖がられている?
なんとなくだが、そんな気がする。
「ちと急ぎやしょう。なんだか嫌な予感がしやすぜ」
セバスチャンがそう言うと、手綱を軽く動かした。
軍馬の足が少しだけ速くなる。
俺もそれに合わせた。
全力で駆けるほどではない。
だが、のんびり散歩を楽しむ速度でもなくなった。
セバスチャンも何か違和感を感じているようだった。
そのまま街道を進んでも、俺の中に残った引っかかりは消えなかった。
すれ違う人間は歩いている。
荷車も普通に進んでいる。
誰かが叫んでいるわけでもない。
なのに、走っていないのに急いでいるような、妙にざわざわした感じが街道全体にまとわりついている。
何なんだろうな、これ。
答えが出ないまま、俺たちはその日の宿場を目指した。
日が傾き、街道へ伸びる影が長くなった頃、ようやく建物が集まった場所が見えてくる。
夕暮れ近くになって、俺とセバスチャンは宿場へ入った。
宿も店も開いている。
道を歩く人間もいるし、何か大きな騒ぎが起きている様子もない。
見たところ、普通の宿場だ。
それなのに。
馬を進める俺たちへ向けられる視線に、また同じものを感じた。
見られている。
だが、こちらが見ると逸らされる。
やっぱり、なんかおかしい。
俺たちは宿場の中を少し進み、適当な宿の前で馬を止めた。
見たところ、特別立派でもなければ、ひどく古びてもいない。
こういう場所なら十分だろう。
馬を降りると、いつものようにセバスチャンが宿の主人へ話をつけに行った。
俺は少し離れたところで待つ。
別に俺が話してもいいのだが、金を持っているのはセバスチャンだ。なら最初から任せた方が早い。
しばらくして、主人と話していたセバスチャンの眉間に皺が寄った。
「ちっ、そんなに値上げしてるのか?」
思わずそちらを見る。
宿の主人は少し申し訳なさそうな顔をした。
「最近は旅人が増えてまして」
それだけ言って、値段を下げる気はなさそうだった。
セバスチャンは何かぶつぶつ言っていたが、結局は金を払った。
今から別の宿を探したところで、同じようなものなのかもしれない。
部屋を確保し、俺たちは荷物を置く。
広くはないが、二人で寝るには困らない程度の部屋だった。
扉が閉まるのを待ってから、俺はセバスチャンへ聞いた。
「それほど高くなってるのか?」
「ええ、ほとんど倍近くなっとります」
「倍?」
思っていたより大きかった。
「やっぱりおかしいのか?」
「そりゃ多少の値上げはありやすが、倍ってのはおかしいですな」
セバスチャンはまだ納得していないらしく、財布をしまいながら顔を顰めている。
さっき主人は旅人が増えたと言っていた。
「そこまで値上げしても客は来るってことか」
「ええ、たぶんですがね」
「ふーん」
それなら主人が値下げしなかったのも分からなくはない。
高くても泊まる奴がいるなら、わざわざ安くする理由もないだろう。
ただ、街道では人の数そのものが以前より明らかに増えたようには見えなかった。
俺が今日見ただけだから、そこは何とも言えない。
「まぁ、とりあえず飯にするか」
「へいへい」
俺たちは部屋を出て、一階の食堂へ降りた。
中にはすでに何人か客がいる。
騒がしいというほどではないが、あちこちで低い話し声が混ざっていた。
適当な席へ座ると、セバスチャンが近くにいた宿の者へ声をかける。
「おい、メシだ」
「はいよ」
少し待つと、パンとスープが運ばれてきた。
俺はそれを眺める。
パン。
スープ。
以上。
まだ何か来るのかと思って待ってみたが、宿の者は別の客の方へ行ってしまった。
セバスチャンも同じことを考えていたらしい。
「おい、これだけか? 肉は?」
呼び止められた宿の者が振り返る。
「それだけですよ」
随分そっけない。
「まったく」
セバスチャンはぶつぶつ言いながらも、それ以上は何も言わず食べ始めた。
俺もパンを手に取る。
一口齧ったところで、少し眉を寄せた。
なんだこれ。
妙に酸っぱい。
食えないほどではないが、美味いとは言い難い。
スープも飲んでみる。
こちらはもっと普通だ。
ただ、入っているものが少ない。
目につくのは芋くらいだった。
「うーむ、不味くはないが美味くもないな。特にパンがダメだ。なんか酸っぱい」
セバスチャンもパンを齧り、嫌そうな顔をする。
「おそらく古くなっとるんですよ。まったく」
「ふむ、美味いものを探すのは難しくなってきたな」
「まだ言っとるんですか」
「当たり前だろ。大事なことだ」
「へいへい」
分かっていないな。
俺は少し酸っぱいパンをもう一口齧る。
せっかく出てきたんだから、美味いものを食べたいと思うのは当然だ。
まあ、今日は外れだったらしい。
そのまま食べながら、少しだけ周囲の声へ耳を向ける。
別に誰か一人の話を狙って聞いているわけではない。
食堂のあちこちから聞こえてくる声の中に、気になる言葉が混じっていた。
「……税が……」
別の方から、
「……新しい関所……」
さらに少し離れたところから、
「……西の……」
声が小さくて、その前後まではよく分からない。
税。
新しい関所。
どちらも、シルディア城で聞いていた話と重なる。
だが、それ以上は聞き取れなかった。
何の税なのかも、どこの関所なのかも分からない。
西の何なのかに至っては、さっぱりだ。
向かいを見ると、セバスチャンも食べながら何気ない顔で周囲を見ている。
たぶん、こいつも聞いているのだろう。
やがて食事を終えたセバスチャンが、宿の者へ声を飛ばした。
「おい、風呂は?」
宿の者がこちらへ顔を向ける。
「すいません、薪が足りなくて風呂はちょっと」
「それであの値段か?」
「ええ、すいません」
口では謝っている。
だが、あまりすまなそうには見えなかった。
セバスチャンの顔がさらに険しくなる。
宿代は高い。
飯はこれだけ。
そのうえ風呂までない。
俺は残っていたスープを飲み干しながら、さっきから感じている妙な違和感が、また一つ増えたような気がしていた。
そんな話をしていると、少し離れた席で食事をしていた男たちの一人が、こちらへ顔を向けた。
「この辺じゃあ、あちこちに関所やらが出来たからね」
「ああ、まったく困ったもんだよ」
もう一人の男も、うんざりしたように頷く。
関所。
さっき聞こえてきた話と同じだ。
「そんなに増えてるのか?」
俺が聞いてみると、最初に声をかけてきた男が頷いた。
「ああ。それに兵たちがうるさくてね、参ったよ」
「妙に荷を調べるしな」
隣の男も続ける。
荷を調べる。
街道で見た人たちの姿が頭に浮かんだ。
以前より荷物を多く持っている者が目についた。荷車を引いている者もいたし、一人ではなく何人かでまとまって歩く姿も増えていた。
それと関係があるのかは分からない。
ただ、荷物を持って街道を通るだけでも、前より面倒になっているらしい。
セバスチャンが椅子へ座ったまま男たちを見る。
「そんなにいちいち調べてるのか?」
聞かれた男は一度周囲を見てから、少し声を落とした。
「難癖つけてるだけさ。ちょいと渡せば大丈夫だよ」
「ふーん」
俺は頬杖をつきかけてやめた。
何を渡すのかまでは聞かなかったが、それで荷物を調べるのをやめるというなら、ずいぶん適当な話だ。
「めんどくさくなってるな」
「まったくだね」
男が苦笑するように頷いた。
別の席から聞こえていた税の話。
増えているらしい関所。
そこで荷物を調べる兵。
これだけ聞いても、何がどうなっているのかまでは分からない。
ただ、何も起きていないという感じではなさそうだ。
「ありがとよ」
セバスチャンが男たちへ礼を言った。
「ああ」
男も軽く返す。
俺たちはそれ以上聞かず、席を立った。
食堂を出て階段を上がり、自分たちの部屋へ戻る。
扉を閉めると、一階の話し声はかなり遠くなった。
俺は適当なところへ腰を下ろし、セバスチャンを見る。
「さて、どう見る?」
セバスチャンも座りながら腕を組んだ。
「まぁ、おおよそは噂通りですな」
「うむ。関所が増え、税のことも話してる者がいた」
シルディア城で聞いた話では、王国側のあちこちで細かな増税や関所が増えているらしいということだった。
実際にここまで来てみれば、食堂でも似た話が出ている。
それに街道の様子も、以前とは少し違って見えた。
「ええ。しかし、こうなると何も変わってない方も気になりますな」
セバスチャンの言葉に俺も頷く。
何かしているところは分かりやすい。
税を変えれば話になるし、関所を作れば街道を通る人間が気づく。
だが、何もしていないところは噂になりにくい。
だから見に来た。
やはり間違っていなかったな。
「どうだ、来て良かっただろ」
俺が言うと、セバスチャンは顔を顰めた。
「まぁ、とりあえずは」
認めた。
なんだかんだ文句を言っていたくせに、やはり来て良かったらしい。
俺は思わず笑う。
「そうだな、とりあえずはな」
「笑ってないで、とっとと寝ますぜ」
「ん? まだ早いだろ。風呂ないけど」
窓の外はもう暗くなっているが、すぐ寝なければならないほどでもない。
セバスチャンはそんな俺へ目を向けた。
「明日は早めに出立しましょうや」
「ふむ」
「そうすりゃ、また違う様子が見れるかもしれませんからな」
なるほど。
今日と同じ時間に同じように進むより、少し早く出た方が街道を歩く人間の様子も変わるかもしれない。
「ふーん、そうするか」
「ええ、そうしましょう」
セバスチャンがそう言って話を終わらせようとする。
俺は少し考えてから声をかけた。
「なぁ」
「なんです?」
「やっぱり来て良かっただろ」
そう言うと、やはりセバスチャンは顔を顰めた。
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