第百六十八話 動かない貴族
俺は割り当てられた部屋で、セバスチャンから報告を受けていた。
向かいに立つ男は、俺の筆頭騎士だ。
直属の騎士たちの中では一番経験があり、俺が何かやろうとすれば大抵こいつが隣にいる。任せておけば騎士たちもまとめてくれるし、俺が細かいところまで口を出さなくても勝手に必要なことをやってくれる。
非常に便利な男である。
そんなセバスチャンだが、騎士としての身分そのものは下級騎士だった。
俺としては、そろそろ上級騎士に引き上げてもいいんじゃないかと思っている。
実績なら十分だろう。
少なくとも、こいつより経験も実力もない上級騎士なんて普通にいるはずだ。
だが、残念ながら俺にはそんな権限はない。
自分の直属騎士だからといって、俺が勝手に下級騎士を上級騎士へ変えられるわけではない。騎士の身分を変えるなんてかなり重大なことだ。それが出来るのは、マバール家の当主である父上だけだった。
まあ、本人はあんまり気にしてないみたいだけどな。
セバスチャンから、上級騎士になりたいだの、身分を上げてくれだのと言われたことはない。
それどころか、下級騎士であることには利点もある。
平民や平民兵と気楽に話せるのだ。
俺もけっこう気安く話しかけたりするんだが、どうしても相手の方が俺の身分を気にしてしまう。
俺としては普通に話しているつもりなのに、向こうが勝手に姿勢を正したり、妙に言葉を選んだりするんだよな。
つまらん。
その点、セバスチャンは俺よりずっと気軽に相手の中へ入っていける。
今回みたいに噂を拾わせるなら、その立場はなかなか便利だった。
「どうも各地で税を増やしとるのは、王国からの指示や増税じゃないようですな」
セバスチャンの報告に、俺は少し眉を寄せた。
「じゃあ、なんで税を増やしてるんだ?」
「そこまでは、はっきりしやせんが」
「あまり税を増やしすぎると、平民たちの生活自体が成り立たんぞ。それは領主としては不都合だろう」
税なんて取れるだけ取ればいい、というものでもない。
平民が生活出来なくなれば、その土地で働く者そのものが弱る。
商売をしている者なら利益も減るだろうし、日々の暮らしすら苦しくなれば、そこからさらに税を取ろうとしても限界がある。
領主にとっても良いことばかりではないはずだ。
それでも、王国側のあちこちで増税する領が出ている。
しかも王国から命じられたわけでも、王国そのものの税が上がったからでもないらしい。
「おそらくですがね、焦っとるんじゃないですかね」
「焦る?」
俺が聞き返すと、セバスチャンは少し顎を撫でた。
「王都は北方諸国軍と和平を結んだとはいえ、包囲までされましたからな」
「ああ」
それは俺も知っている。
知っているどころか、その時の王都まで行っている。
カルデアに会いに行った時、王都の外には北方諸国軍がいた。
結局は和平となったが、王国の中心である王都が包囲されたという事実そのものは消えない。
「それに、王国最強と謳われたマバール家は帝国へ移りやした。誰が自分を助けてくれるか分からなくなってるんじゃないですかね」
「ふーん」
なるほど。
俺は椅子の背に少し身体を預けた。
「それで慌てて税を増やして、防備を整えてるのか。なんというか今更だろ」
危なくなってから慌てて武具を揃えたり、守りを固めたりするくらいなら、最初から備えておけばいい。
敵が来る時に、こっちの準備が終わるまで待ってくれるわけでもないんだからな。
だが、俺の言葉を聞いたセバスチャンは、少し困ったように口元を歪めた。
「いや、若様。若様はマバール家だからそう思うんですぜ」
「ん?」
「国境から離れた領は、そこまで考えたりしませんぜ」
「そういうもんか?」
「内地の貴族はたいていそうですな。武具や砦より、領内の整備や、それこそ自分たちに使うでしょうな」
言われてみれば、そうなのかもしれない。
俺にとっては、いつ敵が来てもいいように備えておくのは当たり前だった。
だが、それは俺がマバール家で育ったからなのだろう。
俺は机の上へ視線を落としながら、小さく唸った。
「ふむ、それで今になって慌てて軍備を整えているのか」
セバスチャンにそう答えながら、改めてマバール家が帝国へ移った影響の大きさを考える。
俺たちにとっては、もう済んだ話という感覚もある。
王国から帝国へ移り、シルビア橋を押さえ、シルディア城もこちら側になった。今ではマバール家は帝国貴族として動いているし、俺自身も王国にいた頃と比べて何か急に変わったという感じはあまりない。
だが、王国側から見れば全然違うのか。
これまで比較的安全な国内に領地を持っていた貴族からすれば、たまったもんじゃないだろうな。
いきなり国境がシルビア河まで動いたのだ。
昨日まで国内だった場所の向こう側が、今では帝国になっている。
そうなれば、新しく国境警備を王国から命じられる貴族もいるだろう。
しかも、もし帝国と戦うことになったら、その相手に出てくる可能性があるのは、少し前まで王国最強と謳われていたマバール騎士団だ。
……それは嫌だな。
俺が王国側の貴族だったとしても、出来れば相手にはしたくない。
父上はもちろん、マバール家の騎士たちはずっと国境で戦ってきた。戦うこと自体に慣れているし、突然敵が来ても今更慌てて武具を揃えるような連中ではない。
なるほど。
慌てるのも当然か。
俺は椅子の肘掛けへ指を置き、軽く叩いた。
しかし、慌てたところで間に合うのか?
武具だけなら、金を出せばある程度はなんとかなるかもしれない。
もちろん数を揃えるとなれば簡単ではないだろうが、それでもある程度ならなんとか出来る。
だが、砦は違う。
金を集めた次の日に、立派な砦が突然生えてくるわけじゃない。
場所を決めて、造り始めて、それから完成するまで時間がかかる。
敵が来るかもしれないから今から造ります、と言ったところで、その敵が完成を待ってくれるはずもない。
それでも各地で税を増やしているということは、少なくとも何かをしようとはしているんだろう。
そこで、ふと別の考えが浮かんだ。
……もしかしたら、帝国へ亡命を望む王国貴族は、俺が思っているよりずっと多いのかもな。
全員が王国に残って戦うと決めているとは限らない。
王都は一度包囲され、マバール家まで帝国へ移った。
それを見て、それでも王国に残ると決める者もいるだろう。
逆に、別の道を考える者がいてもおかしくはない。
そう考えると、今まで気にしていた相手も少し変わってくる。
増税している領は目立つ。
税が上がれば平民が困るし、関所が増えれば旅人も気づく。武具を集めたり兵を増やしたりすれば、それも噂になるだろう。
だが、そういう貴族は少なくとも何かしら防備を整えようとしている可能性が高い。
なら案外、増税までして軍備を整えようとしている貴族より、そうしていない貴族の方に注意した方がいいのかもしれない。
何もしていないから安全、とは限らない。
まだどうするか決めていないのかもしれないし、何か別の理由で動けないのかもしれない。
あるいは、わざわざ王国側で戦う準備をする必要がないと考えているとか。
俺は視線を上げた。
「ふむ、セバス」
「なんですかい?」
「あまり動きのない領も調べられるか?」
セバスチャンはすぐには答えなかった。
少し眉を寄せ、考えるように顎へ手をやる。
「うーん」
珍しく歯切れが悪い。
やがてセバスチャンは、僅かに首を傾けた。
「動いてないんじゃ、特に噂にもならんでしょうし、ちょいと難しいですぜ」
「それもそうか」
言われてみれば、その通りだった。
今まで拾えているのは、何かが変わったからこそ広まった話ばかりだ。
税が増えた。
関所が増えた。
王国側から流れてくる者が増えた。
普段と違うから誰かが気づき、それを話すから噂になる。
逆に、昨日も今日も何も変わっていない領があったところで、
あそこの領はいつも通りですよ。
なんて話を、わざわざ誰かがするとは思えない。
いつも通りでは噂にもならんよな。
俺は肘掛けを叩いていた指を止めた。
これは今のやり方だけだと難しいかな。
そこで、ふとオルフィアとの会話を思い出した。
最近、王国側では増税する領が増えているらしいが何か知らないか。
そう聞いた俺に、オルフィアは、自分がいた時にはルディア領で特にそんな話は出ていなかったと答えていた。
あの時は、王国全体で何が起きているのか知りたくて聞いただけだった。
もし増税はしていなくても、急に武具を集めていたり、防備を整えたりしていたなら、オルフィアはその話もしただろう。
少なくとも、あいつがルディア領にいた段階では、そんな目立った変化はなかったということになる。
そしてルディア家の当主は、オルフィアと俺の婚姻を利用して、家ごと帝国側へ移ろうと考えていた。
ふむ。
やっぱり、何もしていない方も気になるな。
俺は椅子へ深く腰を掛け直した。
まだ動いていない領主は、どうするか決めかねているのかもしれない。
金がなくて動けないだけかもしれないし、もともと防備が整っているから慌てる必要がないという可能性だってある。
それとも……。
最初から、王国に残って戦うつもりがないのか。
ルディア家のように。
もちろん、何もしていないというだけで、帝国へ亡命するつもりだと決めつけることは出来ない。
だが、少なくとも調べてみる価値はありそうだった。
問題は、さっきセバスチャンが言った通り、動いていない相手ほど噂では拾いにくいことだ。
何か別の方法はないものか。
俺は少し考えてから、ふと顔を上げた。
「まだマバール家が帝国へ移った事を知らない王国貴族はいると思うか?」
「は?」
セバスチャンが一瞬、妙な顔をした。
そんなことを今さら聞くのか、とでも言いたそうだ。
だが一応確認しておきたい。
何もしていない理由が、単純に情勢を知らないからという可能性もなくはない。
セバスチャンは少し考えるように目を細めたが、すぐに肩をすくめた。
「よほどの間抜け以外は知っとるでしょうな」
「それもそうだよな」
俺もそう思う。
マバール家が帝国へ移ったなんて、俺たちだけの小さな話ではない。
国境そのものが動いたのだ。
王国側の貴族なら、自分の領地がどこにあろうと全く関係がないとは言えないだろう。
まして王都が北方諸国軍に包囲された後だ。
周囲の情勢を気にしていない方がおかしい。
とはいえ。
いや、もしかしたら本当に知らない貴族もいるかもしれないけど。
広い王国だ。
全員が全員、きちんと事情を把握していると決めつけるのも危ない。
だが、そんな相手を一人ずつ探していたらきりがない。
俺は腕を組んだ。
噂では目立った動きしか拾えない。
動いていない相手が何を考えているかは分からない。
なら。
……現地に行って確認した方が早いか?
別に領主本人へ会う必要はない。
その辺を見て回るだけでも、少なくとも雰囲気くらいは分かるだろう。
兵が増えているのか。
人の出入りがどうなっているのか。
普段と違う様子があるのか。
何もなければ何もないで、それも一つの材料にはなる。
うん。
悪くない気がする。
「なんか変なこと考えてますな」
不意に声をかけられた。
顔を上げると、セバスチャンが俺をじっと見ている。
「なんだよ」
「いや、その顔をしてる時の若様は、たいてい何か碌でもない事を考えてますからな」
なんだ、その言い方は。
別に大したことじゃない。
「いや、ちょっと思いついただけだ」
そう答えた瞬間、セバスチャンの顔が歪んだ。
なんだ、その反応は?
俺はまだ何もしてないぞ。
そもそも、ちゃんと考えてから動けと父上にも言われている。
だから俺は今、ちゃんと情報を集めて考えているところだ。
噂だけでは分からない。
なら実際に見に行く。
別におかしな話でもないだろう。
俺は机の上へ視線を戻した。
出かけるなら、一応オルフィアには言っておくか。
昨日、暇なら手伝ってやると言ったばかりだ。
王国側へ行くなら、あいつの父親のことだって何か分かるかもしれない。
それに、どうせそっちへ行くなら。
ルディア領にも暇なら寄ってもいいしな。暇ならだけどな。




