第百六十七話 美味しいお茶
俺はオルフィアの部屋で茶を淹れている。
いや、正しくは茶を淹れようとしている。
なぜこんなことになったかと言えば、さっきまで俺の向かいでジルベッドの淹れた茶を飲んでいたオルフィアが、ふと思いついたように、
「なら、……ギルがお茶淹れてみてよ」
とか言い出したからだ。
なんで俺が。
一瞬そう思ったが、目の前にある杯へ視線を落とす。
さっき飲み干したジルベッドの茶は、なかなかひどかった。飲めないほどではなかったし、俺はちゃんと最後まで飲んだが、わざわざもう一杯欲しいとは思わない。
いくらなんでも、あれよりは上手く淹れられるだろう。
そう思って引き受けたのだが。
「ねえ、茶葉入れすぎじゃない?」
横から覗き込んできたオルフィアの声に、俺は茶器の中を見下ろした。
「こんなもんだろ」
「そう?」
「ああ」
たぶん。
茶葉が多ければ、その分だけ味も濃くなるはずだ。薄くて何を飲んでいるのか分からないより、ちゃんと味がした方が美味いに決まっている。
俺は自分の判断に頷きながら、さらに少しだけ茶葉を落とした。
横でオルフィアが何か言いたそうな顔をしたが、口は開かなかった。
ふむ。
問題はここからだな。
茶葉を入れて湯を注ぐだけなら、俺にだって出来る。だが、レティシアが淹れる茶は、確かすぐには杯へ注いでいなかったはずだ。
俺は茶器へ湯を注ぎ、そのまま手を止めた。
「ねえ、なにしてるの?」
「こうやって蒸らすのがコツだ」
オルフィアへ言い切る。
たぶん。
なんかレティシアはこうやっていたような気がする。
いつも俺の部屋で手際よく茶を淹れている姿を思い返す。茶葉を入れて、湯を注いで、それから……少し待っていた。
うん。
たしか待っていた。
なら間違ってはいないだろう。
問題はどのくらい待つかだが、そこまでは覚えていない。
短すぎて味が出ないのも困る。
俺はじっと茶器を眺めた。
まだかな。
もう少しか。
せっかくなら美味い方がいいし、しっかり味が出るまで待った方がいいだろう。
向かいではジルベッドが俺の手元を見ている。その隣からオルフィアも茶器へ視線を向けていたが、二人とも何も言わない。
つまり問題ないということだな。
しばらく待ってから、俺はようやく三つの杯へ茶を注いだ。
湯気と一緒に濃い香りが立ち上る。
おお。
これはかなり美味そうじゃないか。
さっきのジルベッドの茶より明らかに色も濃い。これなら味もしっかりしているはずだ。
俺は自分の分には手をつけず、まずオルフィアとジルベッドの前へ杯を置いた。
「どうだ、美味いだろう」
二人が同時に杯を持つ。
オルフィアが一口。
ジルベッドも一口。
そして二人とも、なんか変な顔をした。
「ん? どうした?」
聞いたのに返事がない。
オルフィアは静かに杯を置いた。
ジルベッドも、なぜかそれに合わせるようにそっと杯を置く。
しかも二人とも俺と全然目を合わせない。
なんだ?
嫌な予感がする。
俺は自分の前に置いていた杯ではなく、オルフィアが今しがた置いた杯へ手を伸ばした。
まさか。
いや、そんなはずはない。
ちゃんとレティシアを真似て淹れたのだ。もちろん、レティシアほど美味く淹れられているとは思っていない。
だが、少なくともジルベッドが淹れた茶よりはマシなはずだ。
たぶん。
俺はそのままオルフィアの杯を口へ運んだ。
「…………」
舌へ触れた瞬間、まず強烈な苦味が広がった。
そのまま飲み込む。
喉を通ったところで、今度は妙にイガイガする。しかも口の中には、なんとも言えない渋味がべったりと残った。
俺は杯を少し離し、中の茶を見る。
色は悪くない。
香りだって、それほどおかしいとは思わない。
なのに。
なんだ、これ?
もう一口飲んでみようかと思ったが、さっき口にした味がまだ舌の上に残っている。
俺はしばらく杯を眺めたあと、一つの答えへ辿り着いた。
「………これはあれだ、茶葉が悪いんだな」
原因を特定した俺が顔を上げると、オルフィアがなんか頬を赤くしていた。
なんだ?
さっきの茶がそんなにひどかったのか?
いや、ひどかったけど。
オルフィアは俺が持っている杯をちらりと見てから、立ち上がった。
「もう仕方ないなぁ、私が淹れてあげるわ」
「お前が?」
「なによ」
「いや、別に」
俺より上手いという自信でもあるんだろうか。
まあ、任せてみるか。
オルフィアは茶器に残っていた茶を全て捨てると、新しく茶葉を入れ始めた。
俺はその手元を見る。
少ない。
ほんのちょっとしか入れていない。
「それだけか?」
「これくらいでいいのよ」
「ふーん」
さっき俺が多すぎたから、今度は減らしたらしい。
極端な気もするが、俺の茶があの味だった以上、ここは黙って見ておこう。
その時、オルフィアの手元を見ていたジルベッドが、
「あっ」
と小さく声を漏らした。
だが、オルフィアには聞こえなかったらしい。
そのまま湯を注ぐ。
そして。
すぐに杯へ注ぎ始めた。
おい。
ほとんど蒸らしてないぞ。
さっき俺が時間をかけすぎたから、その逆をやっているんだろうか。
オルフィアは自信ありげに俺の前へ杯を置いた。
「はい」
「おう」
俺は杯を持ち上げ、一口飲んだ。
「………湯?」
思わず首を傾げる。
なんだこれ。
さっきとは正反対だ。
苦くない。
渋くもない。
というか、ほとんど味がしない。
うっすら何かあるような気もするが、温かい湯を飲んでいるのと大して変わらない。
「なによ、その顔」
「いや……」
俺がもう一度確かめようとしたところで、オルフィアが俺の手から杯を奪った。
「あっ」
止める間もなく、オルフィアはそのまま俺の杯へ口をつける。
一口。
そして動きを止めた。
さっきまで少し得意そうだった顔が、なんとも言えないものへ変わっていく。
「………やっぱり茶葉が悪いのね」
なるほど。
オルフィアも正しい結論に至ったようだな。
やはり俺の淹れ方だけが悪かったわけではないらしい。
そう思っていると、横にいるジルベッドが何か言いたそうな顔をしていた。
「なんだ?」
俺が見る。
オルフィアもジルベッドを見る。
「…………」
ジルベッドは口を閉じた。
なんだ?
まあ、黙ったのなら大したことではないんだろう。
「すまんが使用人に言って新しい茶葉を用意させてくれ」
俺がそう頼むと、なぜかジルベッドの肩が小さく動いた。
「いえ、どうせならお茶を用意してもらうようにお願いしてきます」
「ん? そうか」
「はい」
返事をしたジルベッドは、妙に速い足取りで扉へ向かった。
そのまま部屋を出ていく。
閉じた扉を見ながら、俺は首を傾げた。
変なやつだなぁ。
せっかく俺が新しい茶葉で美味い茶を淹れてやろうと思ったのに。
部屋の中には、俺とオルフィアだけが残された。
さっきまでジルベッドが座っていた椅子は空いている。机の上には俺とオルフィアが失敗した茶の杯が残り、まだ薄く湯気を上げていた。
新しい茶が来るまでどうするか。
そう思いながら椅子へ座り直す。
向かいではオルフィアも座ったままだった。
「…………」
「…………」
特に話すこともない。
別に無理に話さなくてもいいだろう。
俺は何となく机の上へ視線を落とした。
すると、妙に視線を感じる。
顔を上げると、オルフィアがこちらを見ていたような気がした。
だが、俺が見るとすぐに目を逸らす。
なんだ?
気のせいかと思って再び机へ目を向ける。
少しすると、また視線を感じた。
今度は横目で確認する。
やっぱり見ている。
しかも一度ではない。さっきからなんだかチラチラと俺の方へ視線を向けている。
「なんだ?」
俺が聞くと、オルフィアはサッと顔を背けた。
「な、なにが?」
「俺を見てただろ」
「……見てない」
「いや、見てた」
「見てないってば」
「そうか?」
「そうよ」
妙に強く言い切られた。
なんだかちょっと機嫌が悪そうになっている。
見ていたと思うんだけどなぁ。
まあ、本人が見ていないと言うなら見ていなかったのかもしれない。
そう思ったものの、少し気になる。
俺は確かめるようにオルフィアをじっと見た。
オルフィアは顔を横へ向けている。
そのまま待つ。
しばらくすると、ほんの少しだけこちらへ顔が動いた。
視線が重なる。
ばっちり合った。
「ほら、見てるだろ」
「……ギルが見てるからでしょ!」
オルフィアがこっちを睨む。
いや、俺が見てるからって見返す必要はないだろ。
そう思ったところで、ふと小さな違和感が引っかかった。
ん?
こいつ、俺のことギルって呼んでたっけ?
さっきもそう呼んでいたような気がする。
うーむ。
呼んでたかな?
俺はオルフィアの顔を見る。
「な、なによ」
「いや」
まあ、いっか。
オルフィアだし。
別に呼ばれて困るような名前でもない。
そのまま気にするのをやめたところで、扉の向こうから足音が近づいてきた。
少しして扉が開く。
戻ってきたジルベッドの手には、ちゃんと茶が用意されていた。
「お待たせしました」
「おう」
机の上に残っていた俺たちの失敗作が片づけられ、新しい杯が置かれる。
湯気と一緒に香りが立った。
さっきの茶よりずっと穏やかな香りだ。
俺は早速杯を手に取った。
一口飲む。
「うん」
美味い。
最初に苦味が舌へ触れるが、さっき俺が淹れたものみたいに嫌な苦さではない。その後から僅かな甘味が残り、飲み込んでも喉がイガイガしない。
ちゃんと茶だ。
むろんレティシアが淹れたものほどではない。
あいつが淹れる茶は、同じように見えるのになぜかもっと美味い。毎日のように飲んでいるせいかもしれないが、それを差し引いても違う気がする。
とはいえ、これは十分美味い。
俺はもう一口飲んだ。
やはり茶葉が悪くなっていたのだろう。
俺とオルフィア、二人続けて失敗したのだから間違いない。
横を見ると、ジルベッドが妙に静かな顔で立っている。
こいつも最初からこれくらいの茶を用意してくれればよかったのにな。
「ねえ、…ギルはこれからどうするの?」
杯を持ったまま、オルフィアが聞いてきた。
「ん、さあな。特になにも言われてないから好きにやっていいんだろうが、まだ噂を集めてるだけだ」
父上から、これから何をしろという話は聞いていない。
なら今のところ、俺が勝手に何かを急いで始める必要もない。
昨日から今日にかけて分かったことだって、まだ断片ばかりだ。
王国側から流れてくる者が増えている。
あちこちで細かな増税や関所が増えているらしい。
そして、オルフィアの父親が死んだ。
何かがあるのかもしれないし、全部別々の話なのかもしれない。
考えるにしても材料が足りない。
だから今は噂を集める。
ちゃんと考えてから動けと父上も言っていたしな。
俺はちゃんと考えている。
なら、その後に動くのは別に問題ないだろう。
杯を傾けながらそんなことを考えていると、向かいのオルフィアが目を閉じた。
さっきまで普通に茶を飲んでいたのに、その手が止まっている。
ん?
どした?
声をかけようかと思ったが、その前にオルフィアがゆっくり目を開いた。
俺を見る。
さっきまでの妙な視線とは違う。
逸らさない。
「もし、もしも、父様が殺されたのなら仇を討ちたいの。協力してくれる?」
その瞳は、真っ直ぐ俺を見つめていた。
すぐに答える代わりに、俺はオルフィアの顔を見返した。
父親が死んだ。
それだけなら、もう分かっている。
だが、殺されたかどうかはまだ分からない。父上だって死因を調べているところだし、今の俺たちが知っているのは、持病らしい持病も聞いていなかったオルフィアの父親が突然死んだということだけだ。
それでも、もし誰かに殺されたのなら。
その時は仇を討ちたい。
オルフィアはそう言っている。
「……お前、人を殺した事あるのか?」
俺が聞くと、オルフィアは視線こそ逸らさなかったが、その瞳が微かに揺れた。
「ギルも私が魔法が得意なのは知ってるでしょ」
「ああ、それは知ってる。見事だとも思う」
実際、オルフィアの魔法は見事だ。
俺とは考え方も使い方も違うし、こいつだから思いつくようなこともある。魔法を使えるか使えないかという話なら、心配する必要はないだろう。
「なら、」
身を乗り出したオルフィアを、俺は片手を僅かに上げて静かに制した。
「魔法を使うことと人を殺すことは別だ」
「…………」
オルフィアが、ようやく俺から視線を逸らした。
握っていた杯へ目を落とす。
「でも、魔法なら」
「そうだな、魔法ならな。だが、いつも魔法が使えるわけじゃない。自分の手で殺す事もある」
オルフィアの指が、杯の縁で止まった。
別に怖がらせようと思って言っているわけじゃない。
やめろと言うつもりもない。
父親が本当に誰かに殺されたとして、そいつを許すかどうかはオルフィアが決めればいい。俺が横から、そんなことは忘れろだの、復讐なんてするなだの言う話でもないだろう。
ただ、中途半端なことを言う気にはならなかった。
「魔法なら空に放とうと人に放とうとさして変わらん」
別に人に向ける時だけ、特別な魔力操作が必要になるわけじゃないしなぁ。
狙う場所が変わるだけだ。
だが、それだけで済むとは限らない。
「だが自分の手で殺す時は感触がある。手も汚れる。匂いもある」
俺の言葉に、オルフィアの瞳が先程より大きく揺れた。
杯を持つ指先にも、ほんの少し力が入ったように見える。
俺はそれ以上、何かを付け足すことはしなかった。
知らないなら、知らないまま格好のいいことだけ考えるより、一度くらい考えておいた方がいい。
実際にその時になってどうなるかなんて、俺にだって分からないのだから。
「別に慣れろとは言わん。だが覚悟は必要だ」
オルフィアの瞳が揺れたまま止まる。
しばらく何も言わなかった。
俺も急かさない。
横に立つジルベッドも口を挟まず、部屋の中には小さな物音さえほとんどなかった。
やがてオルフィアが顔を上げる。
先程まで揺れていた瞳が、今度は俺の目を貫いたように感じた。
「覚悟はあるわ」
静かな声だった。
だが、言った直後にオルフィアは僅かに唇を引き結んだ。
「いえ、本当に覚悟出来てるかは分からない。でも、覚悟はあるの」
今度は、はっきりと言った。
「ふーん」
俺はそれだけ答えた。
「…………」
オルフィアの目が細くなる。
さっきまで真っ直ぐだった視線が、今度は明らかに俺をキツく睨んでいた。
なんだよ。
内心で苦笑する。
協力を頼んだ相手を睨むなよ。
まあ、オルフィアらしいけどな。
俺は残っていた茶を一口飲んだ。
うん。
やっぱり美味い。
少なくとも、俺とオルフィアが淹れたものより遥かに美味い。
「まあ、暇なら手伝ってやる。暇ならな」
杯を置きながら言うと、オルフィアはまだ少し俺を睨んでいた。
だが、すぐにその目から力が抜ける。
「うん、暇なら手伝って」
「おう」
なんだ、その返しは。
暇ならって言ったのは俺だけど。
まあいい。
父上から何か命じられているわけでもないし、今のところ俺がやっているのは噂集めくらいだ。
もっとも、父上がこの城にいる以上、これから何か仕事を頼まれる可能性はある。
それに騎士たちも休ませることにした。
俺一人で勝手に動くにしても、まずは何が起きているのかくらい分からないと話にならない。
オルフィアの父親についても、本当に殺されたのかどうかすら分かっていないのだ。
だったら、まず調べればいい。
それくらいなら出来るだろう。
まったく面倒くさいやつだなぁ。
なんとか暇を作るか。
なんとなく、そう思った。
向かいを見ると、オルフィアは両手で杯を持っていた。
さっきまでの張り詰めた感じは少し薄れたように見える。
俺と目が合うと、オルフィアは杯を机へ戻した。
「手伝ってくれたら美味しいお茶を淹れてあげる」
そう言って微笑んだ。
「ふーん、それは楽しみだな」
今度はちゃんとした茶葉なら、さっきみたいな湯にはならないだろう。
俺が淹れた茶も、茶葉さえ悪くなければもう少し美味かったはずだ。
次は俺も負けないかもしれない。
そんなことを考えながら、ふと横を見る。
そこに立っていたジルベッドのやつの目から、大粒の涙が溢れていた。
なんだ?
こいつ、いつから泣いてたんだ?
俺が見ても、ジルベッドは何も言わない。
ただ黙ったまま、次から次へと頬を伝う涙を拭おうともしていなかった。
変なやつだなぁ。




