第百六十話 勝てないサイコロ
最初にサイコロを手に取ったのはオルフィアだった。
まあ、こいつから誘ったんだし、一番慣れていそうなのもこいつだ。なら最初に振るのが自然だろう。
机の上には、さっきオルフィアが取り出した三つのサイコロが転がっている。
俺とレティシアはその向こう側にいるオルフィアへ視線を向けた。
「じゃあ、私からね」
オルフィアは三つまとめて手の中へ収めると、軽く転がしてから机の上へ放った。
ころころと小さな音を立てて転がったサイコロが、少し離れたところで順番に止まっていく。
三。
三。
四。
ふむ。
特に役はない。
ゾロ目でも連番でもないから無役だな。
だが、合計は十だ。さっき聞いたルールなら、同じ役同士では合計が少ない方が強い。無役とはいえ、そこまで悪い数字じゃないんじゃないだろうか。
俺がそう思って見ていると、オルフィアの指が伸びた。
掴んだのは――三。
しかも、二つある三のうち片方だけだ。
ん?
三を振り直すのか?
俺なら四の方を振り直したくなる気がする。三が二つ揃っているんだから、四を振って三が出ればゾロ目だ。
いや、待て。
別に俺が口を出すことじゃないな。
これは勝負だ。
相手がどう振るか教えてやる必要なんてない。
オルフィアは残った三と四には触れず、握った一つだけを振った。
ころころ。
出た目は――一。
これで、一、三、四。
合計八。
ふむ。
先ほどより強くはなったな。
相変わらず無役だけど。
オルフィアはすぐには次のサイコロへ手を伸ばさなかった。机の上に並んだ三つを見比べるように視線を動かし、少しだけ考えている。
なるほど。
振り直せるからといって適当に振ればいいわけじゃないんだな。
残すサイコロと振るサイコロを、そのたびに選ばないといけない。
やがてオルフィアの手が動いた。
今度は四を掴む。
残るのは一と三だ。
ふーん。
やっぱり振るたびに考えなきゃいけないんだな。
オルフィアが四だったサイコロを転がす。
机の上を小さく跳ねて、止まった目は三だった。
一、三、三。
合計七。
うん。
また強くなった。
無役なのは変わらないけどな。
オルフィアにはまだ振り直せる回数が残っている。ここから三を一つ振り直して二が出れば、一、二、三の連番になる。
俺なら狙いたくなるところだ。
だが、オルフィアはすぐにはサイコロを取らなかった。
一、三、三。
その三つをじっと見ている。
指先がわずかに動いたものの、そのまま止まった。
「ここまでにするわ」
「ほう」
思わず声が出た。
振り直さないのか。
連番を狙えるのに。
もちろん振ったところで二が出るとは限らない。今は無役とはいえ合計七だ。変な数字が出れば、かえって弱くなることもある。
ある種の戦略的撤退ってやつか。
面白いな。
ただ三個振るだけだと思っていたが、どこで止めるかまで考え始めると、思ったより頭を使う。
「それでは俺が振るぞ」
オルフィアの前から三つのサイコロを引き寄せ、そのまま手の中へ収めた。
さて。
前回の遊びでは、小さい数字ばかり出た俺だ。
あの時はそれが微妙だったが、今回は違う。
同じ役なら合計が少ない方が勝つ。
つまり、このルールは俺にかなり有利に働くはずだ。
ようやく俺の時代が来たかもしれない。
「そりゃ」
三つまとめて机へ放る。
乾いた音を立ててサイコロが散り、一つずつ止まっていった。
俺はその目を見る。
六。
六。
六。
「…………」
うん。
六。
六。
六だな。
三つとも。
「いきなりドボンね」
オルフィアの冷たい声が飛んできた。
合計十八。
十六以上は、その時点でドボン。
ゾロ目がどうとか考える以前の問題だった。
「なんでだ! おかしくないか! 前回六なんてほとんど見てないぞ!」
思わず机の上のサイコロを指差した。
こいつら、さっきまでどこに隠れてたんだ。
六なんてほとんど出なかったじゃないか。
それがなんで今になって三つまとめて出てくる。
「まぁ、まだ一度だけですから」
隣からレティシアの柔らかな声がした。
慰めるような微笑みを向けられる。
そうだ。
まだ一度だ。
一度だけなら偶然だろう。
最初から騒ぐほどじゃない。
そう自分に言い聞かせている間に、レティシアが三つのサイコロを手に取った。
白い指先の中で、ほんの少しだけ転がす。
俺みたいに勢いよく投げることもなく、掌を傾けるようにして、そっと机の上へ放った。
ころ、ころ、と三つが転がる。
止まった。
一。
二。
三。
「なんでよ!」
今度はオルフィアが叫んだ。
「あら」
レティシアは自分の前に並んだ一、二、三を見下ろし、それから静かに微笑んだ。
レティシアの前には、一、二、三。
綺麗に並んだ連番を見つめていたオルフィアの口元が、わずかに引きつっている。
「くっ……」
小さく漏らしたオルフィアが、机の上へ手を伸ばした。
一、二、三を崩すように三つのサイコロを掴み取る。
さっき俺を慰めてくれたレティシアは、何事もなかったように座っている。その穏やかな顔をちらりと見たオルフィアは、今度はレティシアがやったのと同じように、手のひらの中でサイコロを転がした。
ころころと小さな音が鳴る。
そのまま、そっと机へ。
出た目は――
五。
五。
五。
「おっ」
今度はゾロ目だ。
合計は十五。
十六以上ならドボンだから、かなり際どいところではある。だがゾロ目は役だ。ここから振り直して変な目が出るより、このまま止めた方がいい気がする。
オルフィアも同じことを考えたのか、三つのサイコロを見ながら少しだけ首を傾けた。
「うーん……これでいいわ」
やっぱり止めるらしい。
その判断は分かる。
……ん?
でも、待てよ。
「なぁ」
「なに?」
「これだと、合計の少ない連番とだとどっちが強いんだ?」
例えば、さっきレティシアが出した一、二、三。
あれは合計六だ。
今のオルフィアは五、五、五で合計十五。
合計だけなら圧倒的にレティシアの方が少ない。
「ゾロ目よ」
オルフィアは当然のように答えた。
「合計が少ない方が強いのは、同じ役同士の時だけ」
「ふむ。つまり、さっきのレティシアの出目より今の出目の方が強いんだな?」
「そうよ」
オルフィアが頷く。
なるほど。
役が最優先なのか。
ゾロ目、連番、無役。
まずはそこで勝ち負けが決まって、同じ役だった時に初めて合計を見る。
それなら、レティシアが常に勝つ可能性なんてかなり低いな。
さっきの一、二、三も、たまたま最初の一投で綺麗に並んだだけだ。
もちろん、俺の六、六、六も偶然だ。
そうだ。
たまたまだ。
なら、やはり勝ち目はある。
「よし」
俺はオルフィアの前からサイコロを掴んだ。
今度こそだ。
さっきはいきなりドボンしたが、同じことが二度続くはずもない。
手の中の三つをまとめて机へ転がす。
五。
五。
四。
「……ふむ」
合計十四。
オルフィアの十五よりは少ない。
だが、俺には役がない。
五、五、四はただの無役で、オルフィアはゾロ目。
だから俺の方が弱い。
なら振り直すしかない。
連番を狙ったところでゾロ目には負けるんだから、欲しいのは俺もゾロ目だ。
そう考えをまとめ、三つのサイコロへ手を伸ばした。
全部まとめて掴む。
「えっ、四を残さないの?」
オルフィアの声に、手が止まった。
「……あ」
そっか。
四を残せば、振り直した二つが四になった時に四のゾロ目になる。
しかも四、四、四なら、五、五、五より合計が少ない。
勝てるじゃないか。
「なるほどな」
俺は手の中から四のサイコロだけを机へ戻そうとした。
「ダメ!」
「ん?」
「思わず言っちゃったけど、一度掴んだらやり直し!」
ぴしゃりと言われた。
俺は手を止めたまま、無言でオルフィアを見る。
オルフィアも俺を見る。
「……聞いてないぞ」
「ダメったらダメ! 遊びなんだからちゃんと真剣にやりなさい」
む。
言っていることは完全に正しい。
遊びだから適当でいい、なんてことはない。決められたルールで勝負するから面白いんだ。
それは分かる。
分かるんだが。
掴んだら必ずやり直しなんて、さっきの説明では聞いてないんだがなぁ。
まあいい。
もう三つとも掴んでしまった。
なら三つとも振ればいいだけだ。
必要なのはオルフィアの五、五、五より強いゾロ目。
一、二、三、四。
どれでもいい。
四種類もある。
「見てろよ」
「なによ」
手の中のサイコロを振る。
ころころと転がった三つが止まった。
五。
五。
六。
「おい!」
思わず声が出た。
合計十六。
ドボンだ。
なんでだ。
前の遊びではろくに見なかった五や六が、なんで今日はこんなに連続する。
さっきは六、六、六。
今度は五、五、六。
確かに何度も振っていれば、全体ではそれなりに平均へ近づいていくのかもしれない。
でも今じゃなくていい。
俺が負ける方向へ平均化しなくていいんだ。
机の上の五、五、六を睨んでいると、横から白い指が伸びた。
レティシアだ。
俺の無残な出目を責めるでもなく、いつも通りの柔らかな表情で三つを拾う。
今度は手のひらで転がす時間すらほとんどなかった。
そのまま、そっと振る。
二。
四。
六。
うんうん。
そうだよな。
そういうこともあるよな。
レティシアだけいつも都合のいい目が出るわけじゃない。
今のは無役。
合計十二。
普通だ。
これが普通なんだ。
なぜか少し安心している俺の前で、レティシアは机の上のサイコロを眺めていた。
ほんの少しだけ間を置いて、三つすべてへ手を伸ばす。
「お、おい」
思わず声を掛けた。
全部振り直すのか?
二とか四とかあるんだから、どちらか残した方がいいんじゃないか。
俺だって、ついさっきそれで失敗したばかりだぞ。
だがレティシアの指はもう三つ全部を掴んでいる。
一度掴んだらやり直しはできない。
オルフィアがそう言ったばかりだ。
レティシアは何も言わず、そのまま三つを振った。
ころころと転がっていく。
三。
三。
三。
「…………」
えっと。
なんだこれ?
いや、一、一、一とかじゃないから普通なのか?
普通……なのか?
いや、でもなぁ。
そう考えていると、机の上へにゅっと手が伸びてきた。
オルフィアだ。
何も言わない。
三、三、三と並んだサイコロを無言で掴むと、そのままレティシアへ視線を向けている。
じっと。
かなりじっと見ている。
ちなみに俺のことはまったく見ていない。
いや、俺は関係ないからな。
今の三、三、三を出したのはレティシアだし、俺はその前に五、五、六で勝手にドボンしただけだ。
オルフィアはレティシアから視線を外さないまま、手の中のサイコロを机へ転がした。
一。
二。
四。
お。
無役ではあるが、合計七。
かなりいいんじゃないか?
最初の勝負でオルフィアが止めた一、三、三と同じ合計だ。このまま止めても十分強そうに見える。
だが、オルフィアの手は止まらなかった。
二と四を掴む。
一だけを残すらしい。
なるほど。
一を残して二つ振るのか。
一が二つ出れば一のゾロ目だし、二と三なら一、二、三にもなる。
さっきより攻めるな。
オルフィアは無言のまま二つを振った。
ころころと転がり、止まる。
二。
四。
「…………」
変わってない。
残った一まで含めれば、一、二、四。
さっきとまったく同じだ。
俺はオルフィアの横顔を見た。
何も言わない。
そのまま再び二と四を掴んだ。
どうやら、もう一度いくらしい。
また二つのサイコロが転がる。
今度は――一と六。
最初から残していた一と合わせれば、一、一、六。
うーん。
どうなんだろう。
最初の一、二、四は合計七だった。
今は一、一、六で合計八。
無役のままだから、数字だけ見れば弱くなっている。
振って良かったのか?
……いや。
良かったんだよな。
一が二つ揃ったんだから、残っている六だけを振ればいい。
次に一が出れば一、一、一。
六より大きな目が出ることもないんだから、今より悪くなることもない。
たぶん。
俺がそんなことを考えていると、やはりオルフィアは六だけを摘まみ上げた。
残された一、一には触れない。
最後の一個を振る。
ころころ。
六。
「…………」
変わらずか。
最終的には一、一、六。
最初の一、二、四より弱くなったけど、あの場面なら六を振るのが正解だったはずだ。
たぶん。
俺もまだ始めたばかりだから、断言はできん。
オルフィアはしばらく一、一、六を見ていたが、やがて顔を上げた。
じろっ。
今度は俺を見る。
なんだよ。
俺は無関係だろ。
レティシアに勝てないことまで俺の責任にされても困る。
そんなことを思いながらサイコロを受け取り、三つまとめて振った。
四。
五。
六。
「……うん」
なんか、そうなる予感があった。
合計十五。
高い。
ものすごく高い。
だが、連番ではある。
十六には届いていないからドボンでもない。
えーと。
これはどうすればいいんだ?
振り直した方がいいのか?
四、五、六だから連番としては成立している。今のオルフィアは一、一、六の無役だから、このまま止めれば俺の勝ちだ。
でもなぁ。
まだレティシアが残っている。
ちらりと横を見る。
レティシアはいつもの穏やかな顔で机を見ていた。
……なんか、このまま止めるのも不安だ。
四、五、六。
一応は役だ。
だが連番の中では、もっと小さい方が強い。
俺は少し迷ってから、五と六を掴んだ。
四だけ残す。
今度はちゃんと考えたぞ。
ここからもっと強い連番が出来るかもしれないし、四のゾロ目だって狙える。
「よし」
二つを振る。
六。
六。
「…………」
残っている四。
今出た六、六。
四、六、六。
合計十六。
「ふう……」
そうか。
そうなるか。
なるほどな。
なんだか妙に納得できた。
さっきまでなら文句の一つでも言いたくなった気がするが、三回も続くとそういうものなのかもしれない。
俺が静かに自分のドボンを受け入れていると、横からレティシアの腕がにゅっと伸びてきた。
白い指がサイコロを集める。
「どうぞ」
別に止めてない。
もう好きに振ってくれ。
レティシアは三つを優しく手の中で転がし、そのまま机へ放った。
四。
四。
四。
「…………」
うん。
そっか。
そうなるんだな。
なんだか納得できる。
オルフィアの一、一、六は無役。
俺はドボン。
そしてレティシアは四のゾロ目。
またレティシアの勝ちだ。
オルフィアを見る。
無言だった。
レティシアを見る。
静かに微笑んでいた。
そこから先の勝負は、なんかすごかった。
別に毎回、一、一、一だの一、二、三だのが出たわけじゃない。
オルフィアだってそこそこいい出目を出した。残すサイコロを考えて、時には早めに止め、時には最後まで振り直す。俺もさすがに何度かやればルールは分かってきたし、最初みたいに何も考えず全部掴むようなことはしなくなった。
なのに負けた。
俺が。
そしてオルフィアも。
何度やっても最後に勝っているのはレティシアだった。
なんでか知らんけど勝ってた。
全部。
レティシアが。
俺は次の勝負の準備をしているレティシアから少しだけ顔を逸らし、オルフィアへ身を寄せた。
「なぁ」
「なによ」
声が小さい。
さっきまでより明らかに元気がない気がする。
俺も声を落とした。
「あれ、なんかの魔法じゃないのか?」
オルフィアの目が細くなる。
一瞬だけレティシアへ視線を向けた。
「魔力は動いてないわ」
「そうか……」
低く返ってきた声も、なんとなく納得していないように聞こえた。
まあ、そうだよな。
俺だって納得していない。
魔法ならまだ分かる。
いや、サイコロで勝つために魔法を使うレティシアなんて想像できないけど、原因があるという意味では分かりやすい。
だがオルフィアが見た限り、魔力は動いていないらしい。
なら、本当に普通に振っているだけなのか。
俺はレティシアへ視線を戻した。
レティシアは静かに微笑んでいた。
「…………」
うん。
俺とレティシアの出目を合わせると、だいたい平均なのかもしれんなぁ。
俺の方に五や六が出て、レティシアの方には勝てる目が出る。
二人分合わせれば、きっとどこかで帳尻が合っているんだろう。
たぶん。
調べる気にもならんが。
机の上には、何度も転がされた三つのサイコロがある。
それを眺めているうちに、ふと思った。
もういっそのこと、城内サイコロ大会でもするか?
謹慎中で暇だし。
三人でやってレティシアが全部勝つなら、もっと人数を増やせばいい。
十人でも二十人でも集めれば、さすがのレティシアもいつかは負けるかもしれん。
それに俺だって、そのうち一回くらいは勝てるかもしれん。
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