第百五十九話 新しい遊び
なんだか可愛らしく見えるな。
そう思ったまま、俺はしばらくオルフィアの顔をぼんやり眺めていた。
本人はまだ少し頬を膨らませている。魔力も時間も足りない、と怒ったところでどうしようもないと思うのだが、考えていることが山ほどあるらしいこいつにとっては、本気で困っていることなのだろう。
その時、背後で扉が開いた。
振り返ると、レティシアが戻ってくるところだった。
「お待たせしました」
手には茶器を載せた盆がある。
やっぱり少し疲れているように見える。
さっきの練習中にもそう感じたから今日は切り上げたのだが、本人はそんなことを気にしていないのか、机の横まで来ると手際よく茶器を並べ始めた。
杯を置き、茶を注ぐ。
その動きには迷いがなく、表情もさっきより柔らかい。
休んでいろと言っても、こうしている方が落ち着くんだろうな。
「ありがとう、レティシア」
オルフィアが素直に礼を言い、差し出された杯を両手で受け取った。
俺も自分の前へ置かれた杯を取る。
「ありがとな」
「はい」
レティシアが微笑む。
茶から立つ湯気が、狭い小屋の中でゆっくり揺れていた。
一口飲む。
うん、美味い。
魔法の練習をして、妙な魔法の話をして、途中から魔力そのものを消せないかなんて話までしていたせいか、温かい茶が妙に身体へ染みる。
向かいを見ると、オルフィアも静かに茶を飲んでいた。
最初の一口を飲んだあと、わずかに目元が緩んだように見える。そのままもう一度杯へ口をつけているところを見ると、どうやらレティシアの淹れた茶が気に入ったらしい。
俺はその杯から立つ湯気を見た。
湯、か。
「なぁ」
「なに?」
オルフィアが杯を少し下げる。
「湯を沸かすような魔法はどうだ?」
「……お湯?」
「ああ」
俺が頷くと、オルフィアは杯を机へ置いた。
さっきまで茶を楽しんでいた顔が、すぐに考え込む顔へ変わる。
こいつ、本当に魔法のことになると切り替わるのが早いな。
「うーん……」
オルフィアは机の上の茶器を見つめたまま、小さく唸った。
「すごく抑えて攻撃魔法を放って、茶器をがっちり防御魔法で守ればいけるかな?」
「なるほど」
攻撃魔法で温めて、壊れないように防御魔法で守る。
出来るのかは知らんが。
だが、攻撃魔法を極端に抑えて使うという発想自体は分からなくもない。
問題は――。
「あの」
俺が考えるより先に、少し離れたところからレティシアの声がした。
見ると、残った茶器を整えていたレティシアが首を少し傾げている。
どうやら今の話が聞こえていたらしい。
「それなら普通に湯を沸かした方がいいのではないでしょうか?」
「……」
「……」
俺とオルフィアは揃って黙った。
小屋の中に、妙に静かな時間が落ちる。
俺は手の中の杯を見る。
温かい。
目の前には、その普通に沸かした湯で淹れた茶がある。
そりゃそうだなぁ。
湯が欲しいなら、普通に湯を沸かせばいい。
わざわざ攻撃魔法を抑えて、そのうえ防御魔法まで使って茶器を守る必要がどこにある。
「いや、でも」
先に沈黙を破ったのはオルフィアだった。
「火が使えない時だったり、たくさんお湯が必要な時なら便利かも?」
「ふむ」
そう言われると、まったく使い道がないわけでもないか。
たくさんの湯。
俺は少し考えて、すぐに一つ思いついた。
風呂だ。
茶を何杯か淹れる程度なら普通に沸かせばいいが、風呂となれば必要な量はまるで違う。
もし魔法で一気に温められるなら、便利な場面はありそうだ。
「風呂の湯を沸かす時とかなら便利かもな」
「でしょ?」
オルフィアの顔が少し明るくなる。
するとレティシアも、オルフィアへ柔らかく微笑んだ。
「そうですね。そのような時にはお願いします」
「う、うん。がんばって考えてみる」
オルフィアが嬉しそうに笑う。
レティシアが本当に便利だと思ったのか、それともオルフィアの考えを否定しないよう気遣ったのかは分からない。
ただ、俺にはなんだか子供をあやしているみたいに見えた。
俺から見ると、レティシアは出来る綺麗なお姉さんだ。
オルフィアも似たように感じているのかもしれない。
少なくとも、そんなレティシアから期待するような言葉を向けられたオルフィアは、随分嬉しそうに笑っていた。
そんなオルフィアを眺めていると、ふと視線が合った。
いや、正確には少し違う。
オルフィアは俺を見たあと、隣にいるレティシアへ視線を向け、また俺を見る。
それを何度か繰り返していた。
なんだ?
さっきまで満足そうに笑っていたのに、今度は妙にそわそわしている。
「なんだ? もう魔法の練習ならやらんぞ」
「そうじゃないけど」
オルフィアが少し不満そうに答えた。
よかった。
正直、もう飽きたし。
もちろん、さっき練習を切り上げたのはレティシアが疲れているように見えたからだ。だが、そのあとも感知魔法だの魔力を消す魔法だの、湯を沸かす魔法だのと、随分長いこと魔法の話をしている。
今日のところはもう十分だろう。
俺は残っていた茶を一口飲みながら、オルフィアを見る。
「じゃあ、なんだ?」
「えっと……」
オルフィアはそう言いながら、膝の辺りに置いていた手を少し動かした。
いや。
手というより、手のひらか。
何かを隠すように軽く握っていた指が少し開き、その隙間から小さな角が見える。
見覚えがあった。
「……サイコロか」
俺が言うと、オルフィアの指が止まった。
そういえば、なんか新しい遊びを教えてやるとか言ってたな。
忘れていたわけじゃない。
ちょっと魔法の話が長すぎただけだ。
それにしても、懲りないやつだ。
前にサイコロで遊んだ時、レティシアがどれだけ強かったと思っている。
またボコボコにされるぞ。
……たぶん俺もだけど。
「ふう」
俺は小さく息を吐き、杯を机へ戻した。
オルフィアはまだサイコロを握っている。
そのくせ、自分から言い出すでもなく、俺とレティシアの顔をちらちら見ている。
そこまでやりたいなら、最初から言えばいいのに。
「どんな遊びなんだ?」
「え?」
「そのサイコロだよ。新しい遊びを教えるんじゃなかったのか?」
「あ、うん!」
オルフィアの顔がぱっと明るくなった。
やっぱりそれか。
仕方ない。
俺は寛大だからな。
少しくらい付き合ってやろう。
別に俺が遊びたいわけではない。
あくまでも、わざわざサイコロまで持ってきて、言い出せずにちらちらこちらを見ていたオルフィアのためだ。
そういうことにしておこう。
オルフィアは握っていた手を開き、三つのサイコロを机へ置いた。
「これはね、前のとはちょっと違うの」
「ほう」
「三つ振るのは同じなんだけど、出た数字をそのまま比べるんじゃなくて、役を作るの」
「役?」
「そう」
オルフィアは三つのサイコロを指先で寄せながら、楽しそうに説明を始めた。
さっき魔法について話していた時とはまた違う。
声が少し弾んでいる。
「まず、ゾロ目が一番強いの」
「三つとも同じ数字か」
「うん。次が連番で、一、二、三とか、二、三、四みたいに数字が続いてるやつ」
なるほど。
三つしかないなら分かりやすい。
「それで、ゾロ目でも連番でもなかったら無役」
「無役でも勝負にはなるのか?」
「なるよ。同じ役だったら、三つの数字を足して、合計が少ない方が勝ち」
「少ない方?」
思わず聞き返した。
前にやった時とは逆だな。
あの時は大きな数字が出れば、それだけ有利だった。
だが今回は一が出ても喜べるらしい。
「そう。小さい方が強いの」
オルフィアはそこで一度言葉を切り、机の上の三つのサイコロを指先で転がした。
「でもね」
口元が少し楽しそうに緩む。
「合計が十六以上になったら、その時点でドボン。負けね」
「ドボン?」
「うん。どんな役でも関係なし」
なるほど。
ただ役を作ればいいだけでもないらしい。
俺は机の上に並んだ三つのサイコロを見ながら、今聞いたルールを頭の中でもう一度並べ直した。
ゾロ目が一番強く、その次が連番。どちらでもなければ無役。
同じ役なら、数字の合計が少ない方が勝つ。
ただし、合計が十六以上になった時点でドボン。
ここまでは分かった。
「それでね、一回振って終わりじゃないの」
オルフィアは机の上のサイコロを一つ摘まみ上げた。
「三度までなら振り直していいの。全部振り直してもいいし、残したいのがあったら、それはそのままでいいよ」
「じゃあ、一つだけ残して二つ振り直してもいいのか?」
「うん」
「二つ残して、一つだけでも?」
「そう。それに、振り直したくなかったら振り直さなくてもいいの」
「ふむ」
なるほどな。
俺は三つのサイコロへ視線を落とした。
最初に振った出目を見て、どれを残すか決める。
一つ残して二つを振り直してもいいし、二つを残して一つだけ振り直してもいい。気に入らなければ全部振り直してもいいし、これ以上触りたくないと思えば、そのまま止めることもできる。
それを三度まで。
大雑把な理解だが、前回よりかなり高度な遊びみたいだ。
前世の感覚で言えば、サイコロでやるポーカーに近いか。
もちろん同じではないが、手元に残すものを選んで、より良い役を狙うというところは似ている気がする。
だが、一番重要なのはそこじゃないな。
今回は、出目が大きければ有利というわけではない。
一、二、三と並べば連番になるし、同じ役なら合計が小さい方が強い。
つまり六が出れば喜べばいい、という遊びではない。
それにドボンもある。
三つの合計が十六以上になった瞬間に負け。
十六というのも、なかなかちょうどいい数に思える。
例えば四、五、六なら合計は十五で連番として残る。五のゾロ目も十五だ。
だが、そこから一つでも大きくなれば危ない。
役をもっと良くしたいからと欲張って振り直せば、その瞬間にドボンすることもあるわけだ。
「あの」
レティシアが机の上のサイコロを見ながら、控えめに声を挟んだ。
「ゾロ目と連番で、合計が同じならどちらが強いのでしょう?」
「ああ」
確かに。
一、二、三なら合計は六。
二のゾロ目も合計は六だ。
同じ数字になる組み合わせはある。
オルフィアは待っていたように笑った。
「ゾロ目だよ」
「なるほど」
レティシアが小さく頷く。
俺も頭の中でもう一度整理する。
「ふむ。つまり、合計が少ないゾロ目、その次に合計が少ない連番を目指すんだな」
「そう」
オルフィアが頷いたあと、すぐに指を一本立てた。
「でも、欲張って振り直して十六以上が出たら、その場で負けね」
「ああ、そうか」
強い役を作ることだけ考えていればいいわけじゃない。
今の出目がそれなりに良ければ、そこで止める判断も必要になる。
俺はサイコロを一つ摘まみ、指先で転がした。
「なるほど。どこまで狙って振り直すか、それとも今の役を維持するか考えるんだな」
「うん」
オルフィアが満足そうに頷いた。
これは思っていたより、かなり考えられた遊びだな。
運だけで決まらないわけではない。
そもそもサイコロなんだから、何が出るかは運だ。
だが、出た後に何を残すか、どこまで狙うかは自分で決められる。
前回よりは頭を使うことになりそうだ。
俺は少し感心しながらオルフィアを見る。
「これ、お前が考えたのか?」
「ううん」
オルフィアはあっさり首を振った。
「けっこう昔からあるみたい。詳しくは知らないけど」
「そうなのか」
てっきり、前に負けたのが悔しくて新しいルールでも考えてきたのかと思った。
まあ、こいつがそう言うなら以前からある遊びなんだろう。
ただ、詳しいことまでは知らないらしい。
俺は隣にいるレティシアへ顔を向けた。
「レティシアは知っているか?」
「いえ」
レティシアは少し考えてから首を振る。
「このような遊びがあると聞いたことはありますが、詳しくは……」
「ふむ」
俺はゆっくり頷いた。
レティシアも詳しく知らない。
つまり、今回は勝ち目があるということだな。
いや。
別に前回だって負けたわけじゃないけどな。
あれは確率分布を研究しただけだ。
そう、研究だ。
なんの記録もしてないけどな。
……まあ、それはいい。
俺は改めて机の上の三つのサイコロを見る。
少し複雑ではあるが、実際に何度か振っていればすぐ慣れるだろう。
役を作る。
残す。
振り直す。
危なければ止める。
細かく考えるより、やってみた方が早そうだ。
俺はサイコロから顔を上げた。
「よし、やるぞ」
「うん!」
オルフィアがすぐに頷く。
レティシアも柔らかく微笑みながら、小さく頷いた。




