第百五十八話 魔力を消す魔法
結局、俺はオルフィア式の感知魔法を覚えることができなかった。
もちろん、諦めたわけではない。
あんな意味の分からない使い方を一度教わった程度で完全に理解できると思っていたわけでもないし、何度か試せばそのうち感覚を掴めるはずだ。俺はこれまでだって、そうやって魔法を覚えてきた。
ただ、今日はここまでにした。
レティシアが集中を解いた時、椅子の背へ少し身体を預けて、いつもより深く息を吐いたからだ。
「レティシア、今日はもうやめよう」
「ですが、若様。もう少しでしたら――」
「いい。続きはまた今度でいいだろ」
レティシアは何か言おうとしたが、俺がそう言うと素直に頷いた。
無理をして何かあったら大変だ。
そもそもオルフィア自身、あの感知魔法はかなり難しくて疲れると言っていた。根を詰めたところで上手くいくとは限らないし、疲れて魔力操作が雑になれば余計に遠回りになるかもしれない。
だから今日は終わりだ。
決して俺が飽きたわけではない。
断じて違う。
「じゃあ今日はここまでね」
オルフィアもあっさりそう言った。
どうやら最初から、俺たちが今日だけで習得できるとは思っていなかったらしい。
まあ、レティシアはかなりいいところまでいっていたようだが。
俺とは違って。
「レティシアはかなり近かったよ。最初よりずっと細く長くできてたし」
「ありがとうございます」
オルフィアに褒められ、レティシアが少し照れたように微笑む。
さっきから何度目だ、それ。
俺は一度も褒められてないぞ。
いや、別に褒めてほしいわけではない。
別に俺は子供じゃないんだからな。
ただ、俺には散々「違う」「それじゃない」「なんで分からないの」と言っていたくせに、レティシアには随分優しいなと思っただけだ。
それだけだ。
俺は椅子に座り直し、机の向こうにいるオルフィアを見た。
こいつが考える魔法は、やはり変だ。
普通の感知魔法を知っているからこそ、あんな使い方を考えつく方がおかしいと思う。
なら、もしかすると。
「なあ」
「なに?」
「例えばこう……魔力とか、体力とか、精神力とかを数値にして見られるような魔法って作れないか?」
「……は?」
オルフィアの眉が僅かに寄った。
そんな顔をするな。
俺だって、今思いついたばかりなんだから。
前世のゲームなんかでは定番だった。
自分がどのくらい強いのか、何が得意なのか、あとどれくらい余裕があるのか。数字で見られれば一目で分かる。
もちろん、この世界でそんなものを見たことはない。
だからこそ、あれば便利だと思った。
俺自身は自分の魔力に困ったことなどほとんどないが、他人を見る時には役に立つだろう。相手の魔力がどのくらいあるのかまで数字で分かれば、いちいち感覚だけで判断する必要もなくなる。
オルフィアなら、何か妙な方法を思いつくかもしれない。
そう期待していたのだが。
「バカなの? そんなの数値化なんてできるわけないじゃない」
冷たい声であっさり切り捨てられた。
「……そこまで言うことないだろ」
「だって、できないものはできないもの」
それはまあ、そうなのかもしれない。
人間の能力を数字で表すなんて、考えてみれば無茶な話だ。
体力といっても何をどう測るのか分からないし、精神力なんてもっと分からない。前世のゲームだから数字になっていただけで、現実の人間まで同じように扱えるわけではない。
分かっている。
分かっているが。
ちょっとムカつくな。
俺が黙ってオルフィアを見ていると、横でレティシアが静かに立ち上がった。
「それでは、お茶を用意しますね」
「いや、別にいいぞ。疲れてるだろ」
「大丈夫です」
「無理しなくていいんだが」
そう言っても、レティシアは柔らかく笑っただけだった。
どうもレティシアとしては、こうして一息つくのに茶を淹れない方が落ち着かないらしい。
練習をやめたのもレティシアを休ませるためなんだけどな。俺が飽きたわけじゃなく。
俺がもう一度止めるより先に、レティシアは小屋の扉へ向かった。
「すぐに戻ります」
「ああ」
扉が開き、外の明るさが細く床へ伸びる。
レティシアが外へ出ると、その光はすぐに消え、木の扉が静かに閉じた。
小屋の中が、急に静かになったような気がした。
別にさっきまで騒がしかったわけではない。
レティシアが一人出ていっただけだ。
それなのに、机を挟んでオルフィアと二人きりになると、どこか空気が変わったように感じる。
俺は特に気にせず椅子の背へ身体を預けたが、向かいのオルフィアは何故か少し落ち着かない様子で左右へ視線を動かした。
なんだ?
何か気になるものでもあるのか?
俺もつられて小屋の中を見回してみる。
当然、何もない。
さっきまでと同じだ。
「ねえ」
オルフィアが口を開いた。
「なんだ?」
「他にはどんな魔法考えてるの?」
おお。
やはり俺の素晴らしい発想力に興味を持ったらしい。
さっきの数値化する魔法は一瞬で切り捨てられたが、発想そのものは悪くなかったのだろう。
ならば、今度こそ驚かせてやろうではないか。
「うーん、そうだな……」
何がいい?
便利で、分かりやすくて、俺にも役に立つもの。
そう考えた瞬間、一つ思いついた。
「例えば、美人だけを感知する魔法なんてどうだ?」
「…………」
オルフィアが黙った。
なんだ?
俺は返事を待ったが、代わりに向けられたのは妙に冷たい視線だった。
なんだか、道端に落ちているゴミでも見るような目だ。
「いや、便利だと思わないか?」
「他には?」
「……出来るかどうかくらい答えろよ」
「他には?」
完全に流された。
まあ、俺だって本当にそんな魔法が作れると思って言ったわけではない。
本当だぞ。
美人なんて結局は見る人間によって違うだろうし、何を感知すれば美人になるのか俺にも分からん。
ちょっと言ってみただけだ。
しかし、このままでは俺の発想力そのものまで疑われそうだな。
ここはきちんと考えて、今度こそ素晴らしい案を出さなければならない。
「うーん……」
あれば便利な魔法。
前世なら何が欲しかった?
真っ先に思いつくのは飛行だ。
自由に空を飛べれば移動は楽だし、戦いでも使い道はいくらでもある。
だが、飛行魔法なら一応もうある。
本当に最低限。
最低限も最低限だが。
全裸で空中を歩き回るだけみたいなものだけどな。
あれを普通の飛行魔法と呼んでいいのかは今でも少し疑問だが、少なくともオルフィアは飛行魔法として研究している。
それなら別のものだ。
便利そうな魔法。
面白そうな魔法。
「うーむ……」
考えながら、ふとオルフィアを見る。
目が合った。
オルフィアはまだ俺の答えを待っている。
その顔を眺めていると、不意に別の案が頭へ浮かんだ。
「ふむ。胸が大きくなる魔法とか?」
「…………」
今度はさっきより酷かった。
ゴミを見るような視線ではない。
完全にゴミを見る視線だ。
オルフィアは何も言わず、ただ俺をじっと見ている。
いや。
これはもう、見ているというより完全に睨んでいる。
「……需要はあると思うんだが」
返事はない。
俺はオルフィアの視線に耐えながら、もう一度考え始めた。
別にオルフィアがどうこうという話ではない。
そういう魔法が欲しい女だっているんじゃないかと思っただけだ。
ただオルフィアを見て思いついただけだ。
だが、どうやらこれ以上くだらないことを言うと本気で怒られそうだ。
今度こそちゃんと考えよう。
ちゃんとだ。
俺は机へ肘をつき、これまでオルフィアから聞いた話を思い返す。
感知されにくい感知魔法。
飛行魔法。最低限だけど。
魔力を持たない平民を感知する魔法。
肉体強化魔法と治癒魔法を使って作物の成長を促す方法。
それから――。
「ああ、そういえば」
オルフィアが考えている中に、もう一つあった。
防御魔法を集団で使う。
まだ考えているだけだと言っていたが、一人で使うものを複数人で使おうという発想そのものは面白い。
なら。
「攻撃魔法を集団で使うことは出来ないか?」
口にした瞬間、オルフィアの目が僅かに変わった。
さっきまで俺を射抜いていた視線が、ほんの少しだけ和らいだように見える。
本当に、ほんの少しだけだが。
「それも考えたわ」
お。
今度はちゃんと答えてくれた。
しかしオルフィアはすぐに少し眉を寄せた。
「でも、攻撃魔法はそれぞれだから」
それだけ言うと、また何かを考えるように口を閉じた。
なるほど。
確かに、それはそうだな。
攻撃魔法は、攻撃魔法だ。
この世界では、それで話が終わる。
前世のゲームなんかだと、火だの風だの、使う力の性質ごとに分けられていることが多かった。そこからさらに得意不得意があったり、似たもの同士でまとめられていたりする。
だが、この世界では違う。
何をどう飛ばそうが、何をどう壊そうが、攻撃するために使うなら攻撃魔法だ。
俺自身、同じ攻撃魔法でも用途によって使い方をかなり変えている。
広く焼くように使う時もあれば、一点へ絞って貫くように使う時もある。
同じ人間が使うだけでもこれだ。
使う人間そのものが変われば、もっと違う。
だから、攻撃魔法を集団で使うと言っても、ただ全員で一斉に撃つだけなら今までと何も変わらない。
十人が十人、それぞれ好きな攻撃魔法を使うだけだ。
オルフィアが考えている集団での防御魔法みたいに、複数人の魔法を一つの何かとして扱おうとするなら、まず攻撃魔法そのものをある程度まとめなければならないのだろう。
たぶん。
少なくとも俺には、今すぐ他の方法は思いつかない。
そうなると、使う側全員が共通した新しい攻撃魔法を覚えるようなものになる。
簡単ではなさそうだ。
「うーん……」
俺は腕を組んだ。
攻撃魔法が駄目なら、別のもの。
五大魔法で考えると――。
いや。
五大魔法から考えるのが駄目なのか。
攻撃。
防御。
肉体強化。
感知。
治癒。
この五つから一つ選んで、普通とは違う使い方を考える。
それはもう、オルフィアが散々やっている。
感知されにくい感知魔法なんて、その最たるものだろう。
俺が五大魔法を順番に眺めて、「これはどうだ」「あれはどうだ」と考えたところで、こいつが先に似たようなことを考えている可能性が高い。
なら、逆だ。
五大魔法から何ができるか考えるんじゃない。
先に、今までとは違う何かを考える。
そこから魔法へ持っていく。
そんなことを考えていると、ふとオルフィアが前に言っていた言葉が頭へ浮かんだ。
魔力は魔力。
ただの魔力だけでは、何の力もない。
俺が魔力をそのまま解放した時だって、何かが壊れたわけではなかった。
感知できるようになったわけでもない。
空を飛べたわけでもない。
攻撃するなら攻撃魔法として。
感知するなら感知魔法として。
魔力をそう使うことで、初めて魔法になる。
確かに、それは分かる。
体内を巡っている魔力が、ただ存在しているだけで何かを壊したり、勝手に周囲を感知したりするなら面倒どころの話ではない。
……ん?
俺はそこで思考を止めた。
いや。
ちょっと待て。
魔力だけでは何の力もない?
本当にそうか?
俺は自分の身体へ意識を向ける。
いつもと変わらない。
魔力は体内にある。
別に何かの魔法を使っているわけではない。
それでも――魔力を持つ者は、魔力を持たない者より長命で、頑丈だ。
そんなことは、この世界では珍しくもない常識だ。
すでに死去しているが、カルデアなどは分かりやすい例だろう。
だったら、何の力もないというのは少し違うんじゃないか?
魔法として何かを起こす力はない。
それはそうなのかもしれない。
だが、身体の中にあるだけで、何かしら肉体へ影響している可能性はある。
生命力を高める。
そんな言い方でいいのかは分からない。
前世の知識へ無理矢理当てはめるなら、細胞を活性化させるようなものだろうか。
……いや、それも分からんな。
そもそも俺は、前世でそんなものを詳しく研究していたわけではない。
細胞という言葉と、大雑把な意味を知っている程度だ。
だが、考えてみれば他にも妙なことはある。
妊娠中の女には、魔力持ちはあまり近づかない方がいいとされている。
そういう風習がある。
それだけではない。
魔力を持つ女が妊娠すると、魔力操作がかなり不安定になる。
さらに、普段より魔力そのものも弱まる。
何故だ?
俺は机へ視線を落としたまま考える。
もし、魔力そのものが身体に何の影響も与えないのなら、妊娠した時だけそんな変化が起きる理由は何だ?
腹の中には、これから生まれてくる子供がいる。
まだ成長途中の身体。
もし魔力そのものに、身体を活性化させるような働きがあるのなら。
母親の魔力が普段のまま強く働くことは、胎児にとって何か都合が悪いのかもしれない。
だから母体が無意識に魔力を弱めている。
胎児への影響を抑えるために。
……なんてことも、あり得るんじゃないか?
もちろん、ただの思いつきだ。
妊娠中に魔力が弱まる本当の理由なんて俺は知らない。
だが、もしそうなら。
魔力は魔力だけでも、何らかの力を持っていることになる。
俺は腕を組んだまま、しばらく黙り込んだ。
さて。
どうやって確かめる?
考えてみたが、すぐに答えは出なかった。
そもそも、魔力が身体の中で何をしているのか確かめる方法が思いつかない。
前世の知識を使って、細胞を活性化させているんじゃないか、なんて考えてみたところで、それをどうやって調べる?
細胞だの何だのは、この世界では一般的どころか存在しない知識だろう。
少なくとも、俺はこの世界でそんな話を聞いたことがない。
俺自身だって、前世で詳しく勉強していたわけではないのだ。
なんとなく知っている言葉を持ち出して、それっぽく考えているだけに近い。
顕微鏡でもあれば――いや、それがあったところで俺に何が分かるんだ。
駄目だな。
もっと単純に考えた方がいい。
魔力があることで身体に何かが起きているのなら。
魔力がない状態と比べればいい。
魔力を持たない平民と比べるだけでは駄目だ。生まれた時から違う人間を比べたところで、それが本当に魔力だけの差なのか俺には判断できない。
なら――。
「ふむ」
俺は顔を上げた。
向かいではオルフィアがまだこちらを見ている。
俺はそのまま口を開いた。
「魔力を消す魔法は作れないか?」
「……え?」
オルフィアが目を見開いた。
まあ、そうなるよな。
俺だって、自分で言っていておかしなことを言っていると思う。
魔法を使うには魔力が必要だ。
その魔力を使って、魔力そのものを消そうというのだから。
オルフィアは少しの間黙ったあと、確かめるように口を開いた。
「魔力を消す魔法を、魔力を使って作るの?」
俺は頷いた。
そういうことだ。
方法なんてまったく分からない。
出来るかどうかさえ知らない。
ただ、もし魔力そのものを消すことができるなら、今考えていることを確かめる手掛かりにはなるかもしれない。
オルフィアは俺を見たまま、もう一度口を開いた。
「それって、魔力封印とは違うのよね?」
「あれは魔力の流れや魔力操作を乱すだけだからな」
魔力封印なら俺も使ったことがある。
他人の魔力を相手の体内へ流し込み、その魔力の流れを乱す。
そうすれば思った通りに魔力を動かしにくくなり、結果として魔法も使いにくくなる。
だが、相手の魔力そのものがなくなるわけではない。
「魔力封印じゃない。魔力を消すんだ」
「魔力を……消す」
オルフィアが小さく繰り返した。
それから、俺の言葉を噛み締めるように何度も小さく頷く。
さっきまで胸を大きくする魔法なんて言った俺を睨んでいた時とは、随分違う反応だ。
しばらくして、オルフィアが顔を上げた。
「ふーん」
その目は真っ直ぐ俺へ向いていた。
「面白いこと考えるわね」
お。
褒められた。
今日初めてじゃないか?
別に褒められたかったわけではないけどな。
「私はむしろ、魔力を強める方法を考えてたわ」
「そんなこと考えてたのか?」
今度は俺が少し驚いた。
魔力を強める。
俺が今考えていたものとは、まるで逆だ。
「むしろ、そっちの方が自然じゃないかしら」
「そうか?」
「そうよ」
オルフィアは当然のように頷いた。
俺は少し考える。
魔力を強くしたい。
そう言われても、どうにも実感が湧かない。
「うーん。俺は魔力で苦労したことないからな」
「そっちの方が珍しいわよ」
即答された。
そんなものか。
まあ、俺の魔力が普通ではないことくらいは分かっている。
魔法を使う時も、足りなくなることより、どのくらい抑えて使うかを考える方が多い。
だから最初から「もっと強くしたい」という方向へ頭が向かなかったのかもしれない。
「じゃあ、どうやって魔力を強めるんだ?」
「……」
聞いた途端、オルフィアの視線が横へ逃げた。
なんだ、その反応。
「まだ考えてる途中」
小さな声だった。
俺はしばらくオルフィアを見た。
感知されにくい感知魔法。
衣服を着たままでは使えない飛行魔法。
魔力を持たない平民を感知する魔法。
作物へ使う魔法。
集団で使う防御魔法。
そして今度は、魔力を強める方法。
「……お前、考えてるばっかりだな」
「仕方ないじゃない!」
オルフィアが勢いよくこちらを向いた。
「魔力も時間も足りないんだもん!」
そう言って、頬を少し膨らませる。
俺は思わず黙った。
なんだ、その顔。
さっきまで魔力だの何だのと真面目な話をしていたのに、急に子供みたいにむくれている。
天才なのか変態なのか分からない女だが、こうして見ていると妙なところで年相応に見える。
なんだか面白い。
そして――。
少し、可愛らしかった。
少し体調を崩してしまいました。
申し訳ありませんが今後しばらくは本編が短くなるかもしれません。
毎日更新は継続する予定です。
ご了承ください。




