第百五十四話 変態にも生きる権利はある
「オルフィア」
俺はできるだけ優しく声を掛けた。
「別に恥じる事じゃないぞ。恥ずかしいとは思うが、お前は誰にも迷惑を掛けていないんだ。むしろ、喜ぶ者たちもいるかもしれん。誇れ」
「だから誰が変態なのよ!」
また怒られた。
さっきからずっとこんな調子だ。
小屋の中には朝の光が薄く差し込み、木の壁に細長い明るさを作っている。その穏やかな空気とは正反対に、目の前のオルフィアは椅子へ座ったまま俺を睨んでいた。
うーむ。
女心とは難しいな。
俺としては、かなり真摯に受け入れてやっているつもりなのだ。
全裸で空中を歩き回りたい。
普通ならなかなか他人には言えない趣味だろう。
それでも俺は否定していない。
むしろ、誰にも迷惑を掛けないなら好きにすればいいとまで言っている。
それなのに、なぜ怒る?
俺は改めてオルフィアを見た。
はっきり言って、レティシアやリエリエールのような成熟した女の魅力はない。
二人とは身体つきがまるで違う。
オルフィアの身体は、こう……平面的だ。
だが、顔立ちそのものは整っている。
じっと見れば普通に美人だし、活発に動く表情も悪くない。
世の中には色々な好みの男がいる。
なら、こういう平面的な女性に魅力を感じる男だって一定数いるだろう。
そういう相手なら、全裸で空中を歩くオルフィアを見て喜ぶかもしれない。
…………。
ふむ。
もしかして。
俺はようやく一つの可能性に気づいた。
オルフィアは全裸になる事そのものを恥じているんじゃないのかもしれない。
平面的な己の肉体を恥じているのでは?
なるほど。
だから俺が「全裸で歩き回ってもいい」と励ましても怒るのか。
自分では見せたくないと思っているものを、俺が勝手に見せても構わないと言っているのだから、そりゃ怒る。
ようやく分かった。
いやぁ、危なかった。
もう少しで女心を理解できない男になるところだった。
しかし、そうなると話は少し難しい。
いくらなんでも、明日から急にレティシアやリエリエールのような素晴らしい肉体になる事は不可能だろう。
前世で聞いた話がどこまで本当だったのか分からないが。
ああいう身体つきには遺伝や食生活、生活習慣なんかの色々なものが関係していたはずだ。
いくら今日から食事を変えて、よく寝て、身体に良さそうな生活を始めたところで、明日の朝に突然大きくなっているなんて事はないだろう。
そもそも、確か遺伝の影響がかなり大きかった気がする。
そうなると本人の努力だけではどうにもならない部分もある。
うーむ。
オルフィアが自分自身に自信を持ってくれればいいんだが。
俺は少し考え、出来るだけ穏やかな声で話しかけた。
「オルフィア」
「なによ」
まだ警戒するような目を向けてくる。
大丈夫だ。
今度こそ間違えない。
「人間には様々な魅力がある」
「……え?」
「決して一つの価値だけで魅力が決まるわけではない。お前はお前の魅力を高めればいいんだ」
俺は真摯に告げた。
もちろん、俺は大きな胸が好きだ。
それは否定しない。
だが、別に胸だけを見て女の魅力を判断しているわけじゃない。
顔だって重要だ。
性格だって重要だ。
お尻だって重要だ。
女の魅力というものは、そんな単純な一つだけで決まるものではないのだ。
俺の言葉が届いたのか、さっきまで険しかったオルフィアの表情が少しだけ和らいだように見えた。
「それは……そうだと思うけど」
小さく呟く。
その声からも、先ほどまでの怒りが少し薄れているように感じる。
やはり。
俺の考えは正しかったらしい。
オルフィアは自分の身体に自信を持てずにいたのだ。
俺はさらに言葉を続けた。
「オルフィア、他人と比べるな」
オルフィアが顔を上げる。
「お前にはお前だけの魅力がある。自信を持て」
自分でもなかなか良い事を言っていると思う。
他人と比べたところで仕方がない。
レティシアはレティシア。
リエリエールはリエリエール。
そしてオルフィアはオルフィアなのだ。
オルフィアは黙ったまま俺を見ている。
さっきまでの怒った顔ではない。
なら、もう一押しだ。
「オルフィア、世界は広いんだ」
「……うん」
「きっと、お前を認めてくれる場所はある」
俺は力強く言い切った。
心の中で、こっそりと付け加える。
――たぶん。
いや。
本当にあるかもしれない。
前世にだってヌーディストビーチとかいうものがあったはずだ。
俺は行った事がないので詳しくは知らないが、裸でいても問題ない場所だったような気がする。
だったら、この世界だって探せば似たような場所がある可能性はある。
全裸空中歩行魔法だって、男がやったら死刑だ。
だが、オルフィアなら認めてくれる場所がどこかにあるかもしれない。
美人ではあるし。
変態だけど。
「そう思う?」
オルフィアが少し不安そうな顔で俺を見る。
ここで迷ってはいけない。
俺はすぐに力強く頷いた。
「ああ。必ずある」
本当にあるかどうかは分からない。
だが、こういう時は断定した方がいい。
不安になっている相手へ「たぶん」とか「もしかしたら」なんて言ったところで自信を持てるわけがない。
必要なのは力強い肯定だ。
なんなら、どうしても見つからなければ俺が用意してやってもいい。
アル兄さんにこっそり頼んでおけばいいだろう。
夜中に全裸で空中を歩く女を見ても、警備兵たちにはそっとしておくように、と。
決して石など投げるな。
騒ぐな。
捕まえようとするな。
ただそっと笑顔で見守ってやれ。
そんな指示を出してもらえばいい。
少しマバール城下の評判が怪しくなるかもしれない。
夜になると裸の女が空を歩く城下町。
うむ。
ものすごく怪しいな。
だが、それぐらいなら俺が受け入れよう。
変態にも生きる権利ぐらいはある。
オルフィアはしばらく俺の顔をじっと見つめていた。
そして、ゆっくりと頷く。
「ありがとう」
「うむ」
俺も満足して頷いた。
迷える者を救うというのは気持ちがいいものだな。
変態だけど。
俺は寛大だから、変態ぐらいは受け入れてやる。
女なら。
男の変態は殺すけど。
いや、男の変態にも生きる権利そのものはあるのだろう。
だが、権利なんて概念は現実の力の前では無力なものなのだ。
オルフィアは満足そうに笑うと、椅子へ座り直した。
「それじゃ、次は感知魔法ね」
「ああ、頼むぞ」
俺も笑顔で頷く。
どちらかというと、俺としてはこちらの方が本命だ。
部分的な防御魔法も面白かったし、使いこなせれば何かと役に立つかもしれない。オルフィアの全裸空中歩行を支えるという、あまり名誉ではなさそうな用途もある。
だが、感知魔法は違う。
これは俺自身、これまで何度も使ってきた魔法だ。
便利なのは間違いない。
離れた場所にいる魔力持ちを探せるし、目で見えない場所にいる相手だって捉えられる。何か怪しいものがないか調べたい時にも使える。
その一方で、不便なところもある。
まず、魔力持ちしか感知できない。
まぁ、これは仕方ない。
そもそも魔力を感知するための魔法なのだ。存在しないものを感知しろと言われても無理だろう。
だが、もう一つの欠点はなんとかしたい。
感知魔法を使えば、こちらが感知した事を相手に気づかれる場合がある。
魔力を探る以上、どうしても相手の体内にある魔力がわずかに反応する。
油断している相手なら、その程度の変化など気にも留めない。
だが、警戒している相手となると話は別だ。
なんとなく誰かに見られたような気がする。
空気が微かに動いたような気がする。
感じ方は人によって違うが、自分の魔力の扱いに慣れている奴ほど、その小さな違和感を拾いやすい。
こちらとしては相手を警戒して感知しているのに、警戒すべき相手ほど気づきやすいのだから面倒な話だ。
それを防げるなら、感知魔法は今よりずっと使いやすくなる。
俺は自然と期待を込めてオルフィアを見た。
オルフィアも俺の視線から何かを感じ取ったのだろう。先ほどまでの柔らかな表情を少し引き締めると、机へ身を寄せた。
「いい? 感知魔法って、実はかなり変な魔法なの」
「ん?」
いきなり予想していなかった言葉が出てきた。
「変とはどういう事だ?」
感知魔法は五大魔法の一つだ。
多少なりとも魔法を学んだ者なら、誰でも使えるといっていいほど一般的な魔法でもある。
俺自身、子供の頃から当たり前のように使ってきた。
精度や届く範囲には差があるとしても、魔法そのものを変だと思った事はない。
オルフィアは俺の疑問を聞き、なぜか嬉しそうに何度も頷いた。
「そうよね。五大魔法だもん。一般的な魔法よね」
「ああ」
「でも、一般的なら普通ってわけじゃないのよ」
…………。
深い。
変態であるオルフィアの言葉は意外と深かった。
一般的に知られているからといって、それが普通だとは限らない。
なるほど。
少数派を変態扱いするな、という事か。
どうやら先ほどの俺の言葉は、思っていた以上にオルフィアの心へ届いていたらしい。
俺が密かに感心していると、オルフィアは小さく首を傾げた。
「いい? 攻撃魔法を考えてみて」
「攻撃魔法?」
「そう」
言われた通り考える。
攻撃魔法は、魔力を放って相手を攻撃する魔法だ。
どう使うかによって結果は変わる。
貫く事もあれば、焼く事もある。
形も威力も使い手によって様々だが、相手を攻撃するために使うものならまとめて攻撃魔法として扱われている。
だが、それと感知魔法に何の関係がある?
「どういう意味だ?」
俺が尋ねると、オルフィアは小屋の壁へ顔を向けた。
「例えば、そこの壁に攻撃魔法を放ったらどうなる?」
指差された先を見る。
木の板で作られた壁だ。
薄っぺらいというほどではない。小屋の壁としてはそれなりの厚みがあるのだろう。
だが、攻撃魔法を受け止められるようなものではない。
「簡単に壊れるな」
俺ならもちろん壊せる。
というより、あの程度ならおそらく多くの魔力持ちが破壊できるだろう。
オルフィアは続けた。
「それなら、あの壁の向こうを感知しようとしたら?」
「壁の向こう?」
そこで、ようやく俺にもオルフィアの言いたい事が少し見えた。
攻撃魔法なら、壁に当たる。
そして壊す。
だが感知魔法なら。
「なるほど。感知魔法なら壁は破壊されないな」
「そう」
オルフィアが頷く。
ふむ。
改めて考えてみると、確かに妙な理屈だ。
俺は椅子へ座ったまま、先ほど指された壁をじっと見た。
攻撃魔法でも感知魔法でも、使っているものは魔力だ。
攻撃魔法を使う時だけ体内から攻撃用の魔力を取り出し、感知魔法を使う時だけ感知用の魔力へ切り替えているわけではない。
元になっているものは同じだ。
それなのに、攻撃魔法として使えば目の前の木板を壊し、感知魔法として使えばその木板を壊す事なく、向こうにある魔力を探る事ができる。
もちろん、何の影響もないとまでは言い切れない。
ものすごく細かく調べれば、何かしらの変化が起きている可能性はある。
だが、少なくとも目で見て分かるような傷はつかない。
木が削れるわけでもなければ、穴が開くわけでもない。
同じ魔力なのに。
使い方が違うだけで、なぜここまで違う?
俺は壁から視線を戻し、オルフィアを見た。
「なぜだ?」
思わず尋ねる。
ここまで順番に話したのだから、当然オルフィアは何か答えを持っているのだろう。
そう思って待っていると、オルフィアはにこりと笑った。
「さぁ?」
…………。
思わず、オルフィアの胸元に攻撃魔法を放ってやろうかと思った。
もしかしたら腫れて少し大きくなるかもしれん。
いや、ならないだろうけど。
ここまで真剣に話を聞かせておいて、その答えが「さぁ?」とはどういう事だ。
俺が黙ったまま厳しい視線を向けると、オルフィアもさすがに何かを感じ取ったらしい。さっきまで浮かべていた笑みを引っ込め、少しだけ身体を前へ傾けた。
「ごめんなさい。なぜ違うのかは本当に分からないの」
「……本当に?」
「本当よ」
オルフィアは真剣な顔で頷いた。
「分かったのは、感知魔法は魔力にだけ反応してるって事だけ」
「…………」
それだけ聞けば、何を当たり前の事を言っているんだ、となる。
感知魔法が魔力に反応する。
そんなものは感知魔法を少しでも使った事がある者なら誰でも知っている。
魔力を持っていない者は感知できない。
逆に、目で見えない場所にいても魔力があれば感知できる。
だから俺だって、さっき感知魔法の欠点として真っ先にそれを考えたのだ。
もし俺がもう少し頭の悪い人間だったなら、「そんな当たり前の事を偉そうに言うな」と、本当にオルフィアへ攻撃魔法を放っていたかもしれない。
胸元に。
もしかしたら奇跡が起きるかもしれないし。
だが、こいつが言いたいのはそんな表面的な話ではない。
俺はもう一度、オルフィアが指差した木の壁を見る。
攻撃魔法はあれに反応する。
正確には、俺があれへ向かって攻撃魔法を使えば、魔力は木の壁へ作用する。
壊れる。
感知魔法は違う。
壁の向こうへ魔力持ちがいたとして、そいつを探るために感知魔法を使っても、途中にある木の壁は壊れない。
では、なぜだ?
同じ魔力を使っている。
それなのに、感知魔法として使った時だけ、魔力ではないものへ目立った影響を与えず、魔力だけに反応する。
オルフィアが分からないと言っているのは、そこなのだろう。
「つまり……」
俺は腕を組んだ。
「感知魔法が魔力に反応する事じゃなくて、なぜ魔力以外には反応しないのか分からないって事か?」
「そう!」
オルフィアの顔が一気に明るくなった。
やっぱりか。
だが、分かったところでさらに面倒になったぞ。
魔力に反応する事を調べるなら分かる。
実際に感知すればいい。
反応が返ってくるのだから、それを確かめれば済む。
しかし、魔力以外に反応していない事を調べる?
反応していないものをどうやって調べるんだ。
いや。
反応していないという反応を調べるのか?
…………なんだそれ。
自分で考えておいて、わけが分からなくなりそうだ。
「うーむ……」
腕を組んだまま考え込む。
目の前にある木の机。
椅子。
壁。
俺たちの服。
感知魔法を使えば、この中で拾うのは俺たちの魔力だ。
では、その途中に存在する他のものに対して、感知魔法として使われた魔力がどうなっているのか。
何もしていないのか。
何かしているが、俺たちには分からないだけなのか。
それすら今の俺には判断できない。
「……すごいわね」
考えていると、オルフィアの声が聞こえた。
「ん?」
顔を上げる。
オルフィアは俺をじっと見ていた。
さっきまで説明する側だったのに、今は少し感心したような顔をしている。
「父様なんて、何度説明しても分からなかったのに」
「そうなのか?」
「うん。感知魔法が魔力に反応するのは当たり前だろうって、ずっとそこで止まっちゃったの」
なるほど。
それなら、俺が今考えた事と同じところまでは来なかったという事か。
オルフィアの瞳が妙に輝いている。
そんな顔をされると、少しむず痒い。
俺は椅子へ深く座り直し、当然のような顔を作った。
「当たり前だ。お前に分かる程度の事なら俺にも分かる」
「なによ、それ」
オルフィアが少し頬を膨らませた。
だが、俺は平然としておく。
本当は、内心でかなり驚いていた。
俺には前世の知識がある。
あの頃に何をどこまで知っていたのかなんて、今となっては曖昧な部分も多い。それでも、この世界で生まれ育った者とは違う物の見方を多少は持っている。
だから、オルフィアが何を疑問に思っているのか、かろうじて追いかけられた。
だが、オルフィアは違う。
少なくとも今聞いた話では、誰かに答えを教えてもらったわけではなさそうだ。
当たり前に使われている感知魔法を見て。
攻撃魔法と比べて。
なぜ同じ魔力なのに違うのかと疑い。
なぜ魔力にだけ反応するのか、というところまで自分で辿っている。
ほとんど単独でここまで考えたのだとしたら、とんでもない。
驚くべき知性と言っていいだろう。
俺は改めてオルフィアを見る。
平面的な身体。
整った顔。
そして、魔法について妙なところまで掘り下げる頭。
…………ふむ。
前世でも、天才には変態が多かったような気がする。
いや。
逆なのか?
変態だから天才なのだろうか。
普通の人間が気にもしないところを気にして、普通ならやらない事をやるから、新しいものを見つける。
そう考えると、あり得そうな話ではある。
もちろん俺の前世の曖昧な印象なので、本当にそうなのかは知らない。
だが、少なくとも目の前には一人いる。
全裸で空中を歩きながら魔法の常識を疑う女が。
おそらくオルフィアも、そんな変態の一人なのだろう。
「さすがだな、オルフィア」
今度は素直に言った。
「え?」
「そこまで自分で考えたんだろ。大したもんだ」
オルフィアは一瞬だけ目を丸くした。
それから、その顔にぱっと笑みが広がる。
「ありがとう」
輝くような笑顔だった。
うむ。
間違いない。
オルフィアは天才だ。
変態だけど天才だ。
いや、もしかすると変態だから天才なのかもしれない。
普通の奴なら服を着たまま使えない時点で諦めそうな飛行魔法を、全裸になってまで続けているのだから、その執念がこういう妙な発見にも繋がっている可能性はある。
俺は一人で納得しながら、ゆっくりと頷いた。
うーむ。
やはり全裸空中歩行魔法は認めてやろう。




