第百三十七話 深謀短慮
宿を出た時には、朝と呼ぶには少し遅い時間になっていた。
空には雲がほとんどなく、街道へ降り注ぐ日差しはすでに暖かい。宿の前では、早朝に出発しなかった旅人たちが荷物を荷車へ積み、主人に何かを頼む声と馬の鼻息が入り交じっていた。
謹慎しに戻る身なのだから、急ぐべきなのかもしれない。
だが、父上から何日までに戻れとは言われていない。寄り道をせず、普通にマバール城へ向かっているのなら、少し遅く出たくらいで問題にはならないだろう。
俺は馬上で小さく欠伸を噛み殺し、隣を進むセバスチャンへ目を向けた。
「なんとものんびりした奴らだなぁ」
「妙な奴らですな」
セバスチャンも前方を見たまま頷いた。
街道の先には、二頭の馬が並んでいる。
乗っているのは、どちらも小柄な人物だった。頭から長い外套をかぶり、顔を隠すように俯いている。昨夜、宿の食堂へ現れ、そのまま足早に二階へ上がった二人とよく似ていた。
顔までは見ていない。
だが、小柄な二人連れが、同じような長い外套をまとい、同じ宿から俺たちと同じ方角へ進んでいる。別人と考える方が不自然だろう。
俺とセバスチャンは、二人との間に何人かの旅人を挟めるほど距離を空けて進んでいた。向こうがこちらへ振り返らなければ、同じ街道を偶然進んでいる旅人にしか見えないはずだ。
「あれほど警戒してたんだから、早朝に出るかと思ったんだがな」
もう一度欠伸が出そうになり、口元を手で隠す。
昨夜の二人は、宿の主人とも客とも目を合わせず、顔を伏せたまま二階へ上がった。人目を避けたいなら、まだ空が暗いうちに出発する方が都合はよさそうに思える。
「まあ、ゆっくり寝て、人混みに紛れるつもりだったのかもしれませんぜ」
「あれでか?」
俺は前方の二人へ視線を戻した。
街道には荷車も旅人も多い。その中で、二人の姿だけが妙に黒く浮いている。晴れた日中だというのに、どちらも外套を頭から深くかぶったままだ。
風が吹くたびに長い裾が揺れ、馬の腹へ触れている。
見つかりたくないのか、見てほしいのか、さっぱり分からない。
「暑くないのかな?」
「本人らに聞いてみたらどうです?」
「いきなりそんなこと聞いたら、俺の方が怪しいだろ」
「追いかけてる時点で大して変わりませんぜ」
「追いかけてるんじゃない。様子を見てるんだ」
言い直してみたが、セバスチャンの横顔には納得した様子がなかった。
俺たちもマバール城へ向かっている。
あの二人も同じ街道を進んでいる。
だから、後ろをついていくことになっているだけだ。少なくとも今のところは。
「まあ、正体不明の魔力持ちを、このまま放っておくわけにはいかんからな」
もっともらしく頷くと、セバスチャンが僅かに眉を上げた。
「魔力持ちの旅人なら、他にもそこそこいやすぜ。なんであの二人にこだわるんです?」
「ん? 俺のカンだ」
胸を張って答える。
セバスチャンは何も言わなかった。
ただ、深く息を吸い込み、そのまま長いため息として吐き出した。
「はあ……」
「冗談だ」
「でしょうな。本気だったら、このまま若様だけ置いて帰るところでしたぜ」
「謹慎しに帰る俺を置いていくなよ」
「それで、本当はなんでです?」
セバスチャンの声から軽さが少し消えた。
俺も前方から目を離さず、顔を僅かに引き締める。
「俺の感知魔法に、一応反応したからな」
昨夜、俺が二人へ向けて感知魔法を使ったのは、一瞬の刹那だった。
宿全体へ展開したわけではない。
二人の周囲だけを捉えるほど極小に絞り、魔力反応へ触れた直後には消した。向かいに座っていたセバスチャンでさえ、魔法の発動そのものには気づかなかったほどだ。
それでも、一人は階段へ足をかける直前に動きを緩めた。
外套の奥で顔を動かし、何かを探るように周囲を窺ったように見えた。
「目の前に座っていたお前にも分からんほどの一瞬だったんだぞ。それに反応したってことは、ただの魔力持ちじゃないかもしれん」
セバスチャンが前方の二人から俺へ目を移す。
少し真剣になったように見えたが、その口元はすぐに緩んだ。
「つまり、反応されたことが悔しいと」
「正直、それもある」
否定する理由もないので、俺は素直に頷いた。
「それに、このままだとマバール領へ行くのは確実だからな」
俺が付け加えると、セバスチャンは前方へ視線を戻した。
街道はしばらく先まで真っすぐ伸びている。途中には小さな分かれ道もあるが、どれも周辺の村や町へ続く道だ。このまま一番大きな街道を進めば、やがてマバール領へ入る。
「そうですな」
セバスチャンが短く答えた。
二人の正体が分からない以上、魔力持ちだからという理由だけで捕らえることはできない。旅をする騎士や傭兵なら珍しくもないし、何らかの事情で顔を隠したい者もいるだろう。
だが、昨夜の様子と感知魔法への反応が重なると、何も気にせず先へ行かせる気にもなれなかった。
俺たちは距離を保ったまま、二人の後ろを進んだ。
街道の両脇には畑が広がり、低い柵の向こうで平民たちが土を耕している。荷を積んだ馬車や徒歩の旅人も途切れず、時折、反対側から来た傭兵らしい男とすれ違った。
前を行く二人は、こちらを警戒しているようには見えない。
いや、警戒していないように見せているだけかもしれない。
しばらくは一定の速さで馬を歩かせていたが、街道脇に串焼きを売る屋台が見えると、不意に二人とも手綱を引いた。
屋台の前には荷運びらしい男たちが数人集まり、焼けた肉の匂いが街道まで流れている。二人は馬を降りると、周囲を気にする様子もなく串焼きを買い、その場で食べ始めた。
外套は頭からかぶったままだ。
片手で布の端を僅かに持ち上げ、その隙間から串を差し込んでいる。
食べにくそうだな。
そこまでして顔を隠すなら、屋台になど寄らず、先へ進めばいいと思うのだが。
俺とセバスチャンは速度を落とし、少し手前で街道脇へ馬を寄せた。向こうが食べ終えるまで待っていては露骨なので、馬の具合を確かめるふりをしながら時間を潰す。
二人は急いでいる様子を見せず、串焼きを一本ずつ食べ終えた。片方がもう一本買い、もう片方もそれに続く。
「のんびりしてやすな」
「本当に何しに来たんだろうな」
やがて食べ終えた二人は再び馬へ乗った。
今度はゆっくり進むのかと思えば、少し先で突然馬を早駆けさせた。
前を歩いていた旅人たちが驚いて左右へ散り、荷を背負った男が慌てて道端へ飛び退く。二頭の馬はその間を駆け抜け、あっという間に距離を広げていった。
「急に走るなよ」
思わず呟き、俺たちも見失わない程度に馬を進める。
無理に追いつけば、こちらが後をつけていると教えるようなものだ。幸い、街道は真っすぐで、頭から外套をかぶった二人は遠くからでも見失いにくい。
しばらくすると、二人はまた速度を落とした。
急いでいるように見えたかと思えば、串焼きを買ってのんびり食べる。食べ終わった途端に馬を走らせ、旅人たちを驚かせたと思えば、また何事もなかったように歩かせている。
妙な二人だな。
やっていることが、どうにもチグハグしている。
「ふむ。なんだか若様を見てるようですな」
隣から聞こえた声に、俺はゆっくり顔を向けた。
「ん? いや、ちょっと待て。俺はあんなに変なことはしたことないぞ」
セバスチャンは答えなかった。
手綱を握ったまま、ただじっと俺を見つめている。
その目を見ていると、何故か俺の方が悪いような気がしてきた。
俺はそっと顔を逸らし、前方の二人へ視線を戻す。
まあ、多少は。
うん。
ごく稀に、変なこともしたような気がするような、しないような。
温泉へ行っただけで迷宮を潰したり、帝都に行ったついでに皇帝継承争いへ首を突っ込んだりしたが、あれにはそれぞれ理由があった。
少なくとも、串焼きを食べた直後に意味もなく馬を走らせたことはない。
「はっ、そうか」
俺は前方の二人を見ながら声を上げた。
「ああやって考えなしに動いているように見せて、実は追跡を警戒してるんじゃないか?」
「いや、単に面白がって動いているんじゃないですかい?」
セバスチャンが首を傾げる。
「いや、ほら、なんだ。一見考えなしの行動にも、何らかの意味があるかもしれないだろ」
少し早口になった俺を、セバスチャンが再びじっと見つめてきた。
「何、相手の味方しとるんです?」
「いや、ちょっと居た堪れなくなってな」
あの二人が本当に何も考えず動いているとなると、似ていると言われた俺まで何も考えていないように聞こえる。
それは困る。
「言っておくが、俺はちゃんと考えて動いているからな。こう、深謀遠慮ってやつだ」
「若様は考えて、結局は面倒になるだけじゃ? 深謀遠慮ってより、深謀短慮ですな」
セバスチャンが声を立てて笑う。
「ぐっ……」
言い返そうと口を開いたが、何も出てこなかった。
今の俺は、王都へ勝手に行った結果、父上から謹慎を命じられ、マバール城へ戻る途中である。
これ以上ないほど説得力がなかった。
「まあ、考えすぎて動けんより、ずっとマシですがね」
セバスチャンが肩をすくめた。
「うん、うん。そうだな、そうだよな」
俺が力強く頷くと、セバスチャンの笑みが僅かに薄くなった。
「調子に乗らんでください」
それからも、前を行く二人は大きな街道を外れなかった。
村へ続く細道が右へ分かれても、そのまま真っすぐ進む。少し先で林の間へ消える道が左へ伸びていても、そちらへ馬首を向ける様子はない。
街道を進む旅人の数は、先ほどより少しずつ増えていた。
荷車には穀物や芋を入れたらしき袋や木箱が積まれ、徒歩の男たちは背負い袋を揺らしながら歩いている。俺たちを追い抜く馬もあれば、道端へ寄って休んでいる者もいた。
その中で、頭から外套をかぶった二人は相変わらず目立っている。
今度は急に馬を走らせることもなく、並んでゆっくりと進んでいた。先ほど串焼きを食べていた時と同じく、急いでいるのかいないのか分からない速さだ。
一番大きな街道を進めば、当然マバール領へ着く。
その先まで進むなら、領都マバールへ向かう道も同じだ。
このままマバールへ行くつもりか?
俺は前方の二人を眺めながら、手綱を僅かに引いた。
旅人なら、それ自体はおかしくない。
領都へ向かう商人もいれば、仕事を探す傭兵もいる。むしろ国境や迷宮を抱えている分、魔力持ちには仕事を求めやすい土地なのかもしれない。
だが、あの二人は顔を隠し、宿では周囲を警戒し、俺の感知魔法へ反応したような動きを見せた。
これで何も気にするなという方が無理だ。
「どうします?」
隣からセバスチャンの声がした。
「あの二人、このままだとマバール領の関所に着きますぜ」
「うむ」
俺は短く頷いた。
関所には騎士たちが常駐している。
旅人の荷や身元を確認し、妙な者がいれば止める。普通の魔力持ちが相手なら、騎士たちだけでも十分に抑え込めるだろう。
問題は、感知魔法へ反応したように見えた方だ。
魔力を感じ取るのが上手いからといって、戦闘も強いとは限らない。だが、俺が極小に絞った感知魔法へ気づいたのなら、どの程度の魔力操作を身につけているのか分からない。
関所の騎士たちだけでは抑え込めないかもしれん。
もちろん、あの二人が騒ぎを起こすと決まったわけではない。
俺たちが勝手に怪しいと思っているだけで、向こうには向こうの事情がある可能性もある。顔を隠している理由も、馬を急に走らせた理由も、こちらには分からない。
だからこそ、関所で何か起きてからでは遅い。
少なくとも、何者なのか確かめておく必要はあるか。
前方の二人との間には、荷車が一台入っていた。車輪が乾いた土を削り、細かな埃を後ろへ流している。その向こうで、黒い外套の裾が二つ、馬の動きに合わせて揺れていた。
「よし、接触するぞ」
俺が決めると、セバスチャンは特に驚かなかった。
むしろ、ようやく言ったかというように口元を歪める。
「街道には他の旅人たちもいますんで、大人しめで頼みますぜ」
「分かってる」
「若様の分かってるは、あまり信用できませんな」
「話を聞くだけだ。いきなり攻撃魔法を使ったりはしない」
「いきなりでなければ使うんですかい?」
「相手次第だろ」
セバスチャンが小さく笑った。
向こうが抵抗するなら、手加減する理由はない。だが、何もしていない相手へ突然攻撃するつもりもなかった。
まずは止める。
それから話を聞く。
素直に答えるなら、それで済む。
「追い抜いて、前から止めるぞ」
俺は前方の様子を確かめた。
街道は広く、荷車を避けて横へ出る余地もある。少し先には旅人の間隔が広がっている場所も見えた。あそこで前へ回り込めば、周囲を巻き込まずに二人へ声をかけられる。
「気づいたら逃げるかもしれませんぜ」
「その時はその時だ」
俺は笑い、手綱を握り直した。
逃げるなら追えばいい。
そこで抵抗するなら、今度こそ相応の理由ができる。
「まったく、深謀遠慮が聞いて呆れますなぁ」
セバスチャンも笑いながら、馬の姿勢を整えた。
「動けんよりマシなんだろ」
先ほど言われた言葉をそのまま返す。
セバスチャンは一瞬だけ口を閉じたあと、諦めたように鼻から息を吐いた。
俺は前方の二人から目を離さず、馬の腹へ軽く踵を当てた。




