第百三十六話 厄介事の方からやってきた
シルディア城を出た時、空はまだよく晴れていた。
城壁の向こうへ続く街道には柔らかな日差しが落ち、馬の蹄が乾いた土を踏むたび、薄い埃が足元から舞い上がる。急いで走る必要はない。追われているわけでも、どこかへ先回りしなければならないわけでもなかった。
俺はマバール城へ謹慎しに戻る。
そう考えると、あまり胸を張れる帰路ではないのだろうが、王都から戻ってきた時のように馬を酷使せずに済むだけでも気分は軽かった。
隣を進むのはセバスチャンだけだ。
オルドたち他の騎士は、シルディア城へ来た父上の指揮下に入り、一時的に本家のマバール騎士団の一員として動くことになった。
あいつらまでマバール城へ連れ戻されることはない。
たぶん、父上なりの温情なんだろうな。
王都へ向かったのは俺とセバスチャンだけだ。オルドたちは俺が何をしていたのかさえ知らず、ザイン殿の指示に従ってシルビア橋と周辺を守っていた。
父上のもとで働かせておけば、今回のこととは無関係だとはっきり分かる。俺の直属騎士だからというだけで、一緒に処分されるような形にはならない。
それどころか、本家本元のマバール騎士団へ混ざって働けるのだから、あいつらにとっては悪い話ではないだろう。
セバスチャンは一応、俺と王都まで同行した。
しかも筆頭騎士だ。
俺を止められなかった責任を問われてもおかしくない立場だが、父上から正式な処分は言い渡されていない。その代わり、謹慎する俺についてマバール城へ戻る。
表向きは処分なし。
実際には骨休めを兼ねた軽い処分というところか。
セバスチャンなら、休めと言われても働こうとする。俺のそばへ置いておけば、少なくとも前線で朝から晩まで動き続けることはできない。
父上は、そこまで考えているのかもしれない。
「若様」
隣から低い声が飛んできた。
「なんだ?」
「くれぐれも厄介事はいけませんぜ」
セバスチャンはこちらを見ず、街道の先へ顔を向けたまま言った。
その言葉だけで、先ほどまで少し良かった気分が削られる。
「分かっている。謹慎しに城へ戻る途中で、厄介事なんか起こさんよ」
苦笑しながら答えると、セバスチャンの口元が僅かに動いた。
「どうだか」
「聞こえてるぞ」
俺が睨むと、セバスチャンは何も言わずに肩をすくめた。
信用がない。
王都まで勝手に行った直後なのだから仕方ないのかもしれないが、さすがに今回は俺だって大人しく帰るつもりだ。
「あのなぁ」
手綱を軽く引き、セバスチャンの馬と並ぶ。
「もうシルビア河からこっちは、アル兄さんの働きでマバール家に服従した貴族家しか残ってないんだぞ」
「そうですな」
「ほとんどマバール領みたいなもんだ。厄介事なんか起こるかよ」
少し不貞腐れて言うと、セバスチャンは横目で俺を見た。
「そう言い切ると、起こりそうで嫌なんですがね」
「起こらん」
「ならいいんですが」
どうにも納得していない声だった。
だが、俺にも厄介事を避けようという気はある。
服従した貴族家の領地を通るとはいえ、わざわざその家の屋敷へ泊まれば面倒になりかねない。俺の身分を明かせば、向こうも何もせずに追い返すわけにはいかないだろうし、こちらも世話になった以上は挨拶だけで済まないかもしれない。
そもそも謹慎しに帰る途中で歓待を受けるのも妙な話だしな。
「他の貴族家に泊まったりすると厄介になりかねんからな。普通に宿屋へ泊まろう」
自分でも、かなり真っ当な提案だと思う。
これで俺がきちんと問題を避けようとしている事が分かっただろう。
それを示すように大きく頷くと、セバスチャンも少し考えてから頷き返した。
「そうですな。その方がいいでしょうな」
「だろ?」
ようやく信用された気がして、胸を張る。
街道沿いの宿屋へ入り、食事をして、寝る。
翌朝になれば、またマバール城へ向かう。
それだけだ。
どう考えても、厄介事など起こりようがなかった。
街道は、思っていたよりも歩きやすかった。
道の両脇には低い草が広がり、その向こうには畑や小さな林が点々と続いている。遠くに見える屋根は低く、煙突から細い煙が上がっていた。荷車とすれ違うたび、積まれた袋や籠が軋み、御者がこちらを避けるように手綱を引く。
前にこの道を通った時は、こんなものを眺める余裕などなかった。
シルビア橋を落とすため、ただ先を急いでいた。街道がどこへ曲がり、どこに畑があり、どの辺りから家が増えるのかなど、ほとんど覚えていない。
こうして馬の速度を抑えて進んでみると、悪くなかった。
「けっこういい感じの街道だな」
俺が周囲を見回しながら言うと、セバスチャンがこちらへ顔を向けた。
「何がです?」
「こうして進むと、風情がある」
道端では、荷を背負った平民がこちらを避けて立ち止まっている。少し先には細い水路があり、その脇に建てられた水車がゆっくりと動いていた。
特に立派な景色というわけではない。
だが、王都まで急いで走った後だからか、静かに続く街道が妙に穏やかに見える。
「前は駆け抜けただけだったからな。ゆっくり見ると、なかなかいい」
「若様」
「なんだ?」
「謹慎しに向かうんですよ。分かっとりますか?」
セバスチャンの声は低く、俺の機嫌に冷たい水をかけるようだった。
「いいだろ。城に着けば、きちんと謹慎するんだから」
「着くまでが遊びみてえな言い方をしないでくだせえ」
「そんなつもりはない」
笑いながら答え、もう一度街道の先を見る。
マバール城までは、まだ日がかかる。
急げと命じられたわけではないし、寄り道をするつもりもない。普通に進んでいるだけなら、少しくらい景色を楽しんでも問題ないはずだ。
そこで、ふと疑問が浮かんだ。
「ん?」
「今度は何です?」
「ところで、謹慎って何するんだ?」
セバスチャンが黙った。
馬の蹄が土を叩く音だけが、しばらく二人の間に続く。
俺が顔を向けると、セバスチャンは深く息を吐いた。
「はあ……」
「なんだよ」
「何もしないのが謹慎なんですよ」
「何もしない?」
「そうです」
何もしないと言われても、少し困る。
城に戻れば、確認しておきたいことはいくつもある。シルビア橋へ出ている間に、生産拠点がどうなったのかも気になっていた。
「城下の生産拠点に行くのは?」
「ダメに決まってるでしょうが」
今度は、はっきりと呆れた顔をされた。
「いや、遊びに行くわけじゃないぞ」
「仕事でもダメです」
「様子を見るだけだ」
「それを大人しくしてねえと言うんです」
セバスチャンは手綱を持ったまま、こちらへ身体を少し向ける。
「特に命がない限りは、城で大人しくしといてくだせえ」
「つまり、城内で過ごせばいいのか」
俺が納得して頷くと、セバスチャンは苦笑した。
「正確には、城内で大人しく過ごすんですよ」
「同じだろ」
「若様の場合は、その違いが大事なんです」
城内から出なければいいのなら、そこまで難しくはない。
自室で休み、食事をして、レティシアたちと話す。レアもいるだろうし、退屈することはないはずだ。
何もしないというのも、たまには悪くない。
そう思いながら進んでいると、日が傾くにつれて街道の色が少しずつ赤く変わっていった。
畑で働いていた平民の姿が減り、代わりに宿場へ向かう荷車が増えていく。やがて道の先に建物が集まり、その中でも少し大きな屋根の下に、馬を繋ぐ場所が見えた。
「あそこにするか」
「そうですな」
宿屋へ入ると、俺たちは二人分の部屋と馬の世話を頼み、その場で代金を払った。
余計なことを聞かれることもなく、主人は受け取った金を確かめると、部屋の場所と食事ができる時間だけを告げた。
貴族家へ泊まるより、やはりこっちの方が気楽だ。
荷物を部屋へ置き、日が落ちてから一階へ戻る。
食事の席には、焼いた肉と茹でた野菜、硬めのパン、それに薄い色のスープが並んでいた。
もちろん、城の料理のような上品さはない。
それでも、焼き目のついた肉からは脂の匂いが立ち、湯気の残る野菜には薄く塩が振られている。スープは少し味が弱かったが、硬いパンを浸せば悪くなかった。
「うん。なかなかだな」
「気に入ったようで何よりですな」
俺は肉を切り分けながら、ようやく何事もなく一日が終わりそうだと思った。
そう思った直後、宿屋の扉が開いた。
外から冷え始めた空気が入り込み、灯りの火が僅かに揺れる。近くの席にいた客が何気なく顔を向けたが、すぐに自分たちの食事へ戻っていった。
入ってきたのは、二人連れだった。
どちらも小柄だ。
頭から身体まで隠せるほど長い外套をまとい、顔も深く伏せている。外套の裾から覗く足の運びだけでは、年齢も性別も分からない。
二人は入口で立ち止まることなく、まっすぐ宿の主人がいる方へ向かった。
「ん?」
肉を口へ運ぼうとしていた手が止まる。
別に、外套を着ていること自体はおかしくない。日が落ちれば冷えるし、旅人なら埃を避けるために身体を覆うこともある。
だが、あの二人は妙に周囲を見ない。
顔を伏せ、近くの客と目を合わせることを避けるように歩いている。宿の主人へ向き合う時も外套の奥から顔を出さず、差し出した金が受け取られると、短く何かを告げただけで階段へ向かった。
なんか怪しい二人だなぁ。
俺は肉を持ったまま、視線だけを横へ流した。
一応、ここもうちの領地みたいなものだからなぁ。
正確には、マバール家に服従した貴族家の領地だが、妙な魔力持ちが入り込んでいるなら、何も見なかったことにするのも落ち着かない。
念のためだ。
俺は身体の内側で魔力を動かした。
拡げない。
宿全体へ触れさせる必要もない。
二人が立つ周囲だけを薄く包み、触れた瞬間には消えるほど短く感知魔法を展開する。
二つ。
確かな魔力反応があった。
そのうち一人が、階段へ足をかける直前に僅かに動きを止めた。
ほんの一瞬だ。
外套の奥で顔が動き、何かを探るように辺りを窺ったように見えた。だが、こちらへ振り向くことはなく、すぐに前を行くもう一人を追って階段を上り始める。
気づきかけたか?
あれほど細く短く絞った感知魔法だ。
目の前にいるセバスチャンでさえ、魔法そのものには気づいていないように見える。それでも違和感を覚えたのなら、少なくとも鈍い相手ではない。
二人は階段でも顔を伏せたままだった。
上から下りてきた客が道を譲っても見向きもせず、足早に二階へ上がっていく。その姿が見えなくなってから、俺は止めていた手を動かし、肉を口へ運んだ。
向かいに座るセバスチャンは食事の手を止めていた。
俺が二人を見ていたことには気づいたらしい。
「魔力持ちですかい?」
周囲へ聞こえないよう声を落として尋ねてくる。
「ああ」
頷き、肉を噛む。
焼き目の香ばしさは先ほどと同じはずなのに、意識はすっかり二階へ向いていた。
セバスチャンは深く息を吐いた。
「はあ……」
「なんだよ」
「いえ、何でもありやせん」
何でもない顔ではない。
俺が厄介事を起こさないと断言した日の夜に、正体の分からない魔力持ちが二人も現れたのだ。言いたいことは分かる。
だが、今回は本当に俺のせいではない。
「密偵かなんかかな?」
硬いパンを千切り、スープへ浸しながら尋ねる。
セバスチャンは一度だけ階段へ目を向け、すぐにこちらへ戻した。
「あんなに怪しい密偵なんぞ、いるはずないでしょうが」
「わざと怪しくして、逆に密偵じゃないと思わせるとか」
「それで目をつけられちゃ意味がねえでしょう」
「それもそうか」
密偵なら、もっと普通の旅人らしく振る舞うはずだ。
少なくとも、宿へ入っただけで客に覚えられるような格好はしないだろう。俺が気づいたのも、二人があまりに周囲を避けていたからだ。
「それじゃ、傭兵か?」
「傭兵なら、コソコソする必要はないんじゃねえですかね」
セバスチャンは肉を切りながら答えた。
「旅をする魔力持ちがそこまで珍しいわけでもねえですし、傭兵だってんなら、あそこまで顔を隠す理由も分かりやせん」
「つまり、訳ありってことか」
思わず口元が緩む。
密偵には見えず、傭兵らしくもない。
それでいて二人とも魔力を持ち、一人は俺の感知魔法へ気づきかけた。
何者なのか、少し気になった。
向かいから鋭い視線を感じる。
顔を上げると、セバスチャンが軽く俺を睨んでいた。
「何を喜んでるんですか?」
「喜んでない」
「その顔でよく言えますな」
俺はパンを口へ運び、何事もなかったように食事を続ける。
「俺の責任じゃないぞ」
「まだ何も起きてやせんよ」
「厄介事の方からやってきただけだ」
小さく笑うと、セバスチャンはもう一度、今度は先ほどよりも深いため息を吐いた。




