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魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


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第十三話 十人の騎士


 翌朝の食堂は、いつもより少しだけ空気が硬かった。


 窓から差し込む朝の光は明るく、磨き上げられた銀器の縁を淡く光らせている。白い皿の上には焼き目のついたパンが置かれ、温められた肉の脂が静かに香り、薄く香草を浮かべたスープからは湯気が立っていた。何一つ、朝食としての形は崩れていない。使用人たちの立ち位置も、給仕の手順も、食堂に流れる静かな緊張も、マバール家の朝としては見慣れたものだった。


 けれど、そこに父がいた。


 ガルシア・マバール。


 マバール家の当主であり、エルディア王国の辺境を預かる大貴族であり、俺の父でもある男が、珍しく朝食の席についていた。


 それだけなら、ただ珍しいな、で済む。


 問題は、父上がかなり疲れて見えたことだ。


 背筋が崩れているわけではない。皿へ向かう姿勢も、杯を取る指先も、いつも通りに整っている。口元には余計な感情が出ておらず、周囲へ弱さを見せるような振る舞いもない。何も知らない者が見れば、今日も変わらぬ当主の姿にしか見えないだろう。


 だが、長く同じ城で暮らしていれば、細かな違いは分かる。


 眉間の皺がいつもより少し深い。


 視線が皿の端へ落ちる時間が長い。


 パンを裂く動きが、ほんのわずかに遅い。


 給仕が新しい皿を置いた時、反応が半拍だけ鈍った。


 どれも小さな違いだ。ひとつだけなら、気のせいで済む。だが、いくつも重なると、さすがに見過ごせない。


 うーむ。


 なんかあったな、これは。


 ギルはスープを口へ運びながら、内心でそう判断した。


 父は当主として忙しい。そんなことは分かっている。王国と帝国の国境を抱え、領内の迷宮を管理し、寄親として寄子たちの面倒を見て、王都との距離も測らなければならない。暇なわけがない。


 だが、疲れを外へ見せる人ではない。


 少なくとも、俺の前で分かりやすく疲れて見えることは少ない。兄たち相手ならともかく、成人もしてない俺の前ではなおさらだ。気楽な三男坊として見られていた俺に、余計な重さを感じさせるような父ではなかった。


 つまり、かなり面倒な何かがある。


 帝国か。


 王都か。


 迷宮か。


 あるいは、その全部か。


 可能性を考え始めると、いくらでも出てくる。帝国皇帝の状態がどうのという話も頭をよぎるし、善良王の妙な理想主義がまた何か面倒を起こしている可能性もある。国境の小競り合いが大きくなったのかもしれないし、迷宮から強い魔物が出たのかもしれない。


 だが、ここで俺が「父上、お疲れですか」などと言うのは失礼だろう。


 心配のつもりでも、当主に向かって疲れを指摘するのは、あまり良い振る舞いではない。しかも食事の席だ。使用人たちもいる。たとえ身内の場であっても、言葉にすれば形になる。貴族って面子の生き物だからな。


 黙っとこ。


 やぶへびになっても嫌だし。


 必要なら言ってくれるだろう。


 ギルは何事もない顔で肉を切り分けた。


 戦場帰りだからか、朝から少し重い肉でも問題なく入る。胃が疲れている感じはない。むしろ、ここしばらく村で奪った家畜を適当に焼いたものばかり食っていたせいか、城の食事が妙にありがたく感じる。


 牛がまずかった記憶が蘇りかけて、ギルは心の中で少し顔をしかめた。


 この肉は柔らかい。


 臭みもない。


 当たり前だが、村の荷曳き牛とは全然違う。


 人は慣れるものだなと思う。戦場で食った肉のまずさも、焼いた村の匂いも、帰ってきてしまえばこうして朝食の中へ沈んでいく。消えるわけではない。だが、日常の中で少しずつ場所を変えていく。


 それにしても、父上の疲れは気になる。


 うーむ。


 こういう時、回復魔法でもあれば便利なんだが。


 治癒魔法はある。傷を塞ぎ、病の一部に働きかけ、肉体を元の状態へ戻す魔法だ。だが、疲労そのものを綺麗に消し飛ばすような回復魔法は、少なくとも俺は知らない。疲労は怪我ではない。身体が使われた結果であり、魔力を流せば全部元通り、というものではないらしい。


 どうやったらいいのかも分からん。


 前世でも、疲れたら栄養を取ってゆっくり休んでください、くらいだったもんな。


 でも、あれってどうなんだ?


 ゆっくり休めないから疲れていると思うんだが。


 休めるならそもそもここまで疲れない。栄養を取れと言われても、忙しければまともに食う時間もない。前世で疲れていた会社員時代の自分を思い出すと、医者や健康記事の言う正論は正しいが役には立たないことが多かった。


 寝ろ。


 食え。


 無理するな。


 それができたら苦労しない。


 この世界でも結局は同じかもしれない。


 魔法があるから何でもできるわけではない。疲労は疲労として溜まるし、当主の仕事は誰かが代われるものでもない。父上ほどの男でも、こうして朝食の席で疲れが滲むことがある。


 そんなことを考えていると、父が静かに杯を置いた。


 乾いた音はしなかった。銀の杯が卓布の上へ静かに収まる。それだけで、周囲の使用人たちの動きがほんの少し整った。


 食事を終えた合図だ。


 食堂の空気が、一段変わる。


「ギルバート」


「はい、父上」


 ギルは姿勢を正した。


 父は俺を見た。疲れはある。だが、視線そのものは鈍っていない。いつものように、短く、逃げ場のない目だ。


「初陣は上手くいったようだな」


 胸の奥で、何かがすとんと落ちた。


 これは、褒められたと考えていいんだよな。


 良かった。


 やりすぎとか言われるかと思った。


 いや、やりすぎと言われてもおかしくない自覚はある。村を十以上焼いたらしいし、人数で言えばかなりの数を殺している。セバスチャンは平然としていたが、父上がどう受け取るかは別問題だ。


 だが、父の声に不満はなかった。


 大げさな称賛でもない。息子の武功に浮かれるような甘さもない。ただ、家の男として、初陣を無事にこなし、役目を果たしたことを認める声だった。


 ギルは頭を下げた。


「はっ。ありがとうございます」


 父は軽く頷く。


 その顔に強い笑みはない。だが、失望もない。少なくとも、俺は失敗したわけではないらしい。


 それだけで十分だった。


「お前に直属の騎士を許す」


 一瞬、意味の理解が遅れた。


「十名ほど選んでおきなさい」


 今度は、胸の奥が少し跳ねた。


 直属の騎士。


 それは明確なランクアップだった。


 もちろん、まだ俺は正式に貴族として対外的に大々的な立場を得たわけではない。王都へ披露されたわけでもないし、社交の場で一人前として扱われる段階でもない。家の内側での話だ。


 だが、家の内側であっても、直属の騎士を許されるというのは大きい。


 それは、俺がただの三男坊ではなく、マバール家の中で一定の役割と力を認められたということだ。誰かに守られるだけではなく、誰かを従え、動かす側へ立つということでもある。


 ギルはすぐに頭を下げた。


「はっ、ありがとうございます」


「うむ」


 父はそれだけで席を立った。


 周囲の者たちが静かに頭を下げる。


 疲れている。


 それでも、足取りは乱れない。扉へ向かう背は大きく、当主としての形を崩していない。だが、ギルにはやはり、ほんの少しだけいつもより重く見えた。


 食堂を出ていく父の背を見送りながら、ギルはしばらく黙っていた。


 おお。


 直属の騎士か。


 これはかなり大きいぞ。


 対外発表されていないから家内だけだけど、それでも大きい。


 ダル兄さんも、アル兄さんも、直属の騎士は最初十名だったはずだ。ということは、息子に十名の騎士をつけるのはマバール家の伝統なのかもしれない。あるいは、ただ単に父上の癖なのかもしれないが。


 十名。


 少なくはない。


 だが、多すぎもしない。


 管理できる範囲であり、同時に周囲へ意味を示す数だ。


 ギルは食後の茶へ手を伸ばした。


 温かい香りが鼻へ抜ける。


 思考が少しずつ、朝食の席から自分の立場へ移っていく。


 アル兄さんは俺より十歳上。


 ダル兄さんは二十歳上。


 父は分かりやすく十年ごとに息子に恵まれたわけだ。


 父には離宮に正妻、側室合わせて十名の女がいるが、男子はこの三人だけだ。他にも姉が何人かいるのだが、俺はほとんど会ったことがない。全員、他家へ嫁入りしているからだ。


 この世界は、男尊女卑傾向が強い。


 前世の感覚からすれば、かなり分かりやすい。男が家を継ぎ、女は他家へ嫁ぎ、血縁と同盟の線を伸ばす。後継者がいる以上、姉たちは他家に嫁いでマバール家を支える。


 戦国時代の武家とかと一緒な感じだと思う。


 顔もほとんど覚えていない姉たちが、どこかの貴族家でマバールの血と名を背負って暮らしている。そう考えると少し不思議だが、この世界ではそれが普通だ。


 そして俺は、今のところ最後の男子兼末っ子だ。


 貴族家としては、三人も息子がいるのはかなり恵まれている。これ以上は必要ないとの判断だろう。たぶん。


 もちろん、父が今後も子を作らないと決まっているわけではない。だが、現実的には兄二人がいて、その下に俺がいる。それだけで家としては十分に強い。


 しかも、兄たちは優秀だ。


 ダル兄さんは国境付近の砦を管理しているし、アル兄さんは領内の迷宮の一つを任されている。どちらも、俺から見ればちゃんと役目を持つ大人の貴族だ。


 俺は今までどおりの気楽な三男坊の位置を維持するつもりだ。


 兄たちが優秀なら、俺はお気楽枠でいられる。面倒事を避けて、内政っぽいことをやって、興味のある開発を進めて、レティシアと楽しく過ごす。そういう立ち位置を、かなり本気で望んでいる。


 ギルは茶を飲み干し、ゆっくり立ち上がった。


 まずはレティシアと相談だな。


 自室へ戻る廊下は、朝の光で明るかった。


 先日までの戦場帰りの空気が、まだ身体のどこかに残っている気がする。鎧を着ているわけでもないのに、歩く時の足音が以前より少しだけ重く聞こえた。身体の芯に、まだ走った感覚や焼いた村の熱が残っているのかもしれない。


 だが、城の廊下はいつも通りだ。


 磨かれた床。


 壁に掛けられた織物。


 忙しそうに行き来する使用人。


 すれ違うメイドたちは頭を下げ、文官らしき男は書類を抱えて小さく礼をする。みな、俺が戦場で何をしてきたか知っているのかもしれない。あるいは知らないのかもしれない。だが、目線の硬さは以前と少し違う気がした。


 自分が変わったのか。


 周囲が変わったのか。


 たぶん、両方だ。


 自室の前に着くと、扉のそばに控えていたメイドが頭を下げた。


「若様」


「ああ」


 扉を開ける。


 中には、レティシアがいた。


 窓辺の布を整えているところだった。朝の光を背に受け、クラシカルなメイド服の黒と白が柔らかく浮かび上がって見える。背筋は伸び、動きは静かで、指先まで無駄がない。


 昨日までのあれこれを思い出すと、よくそんな顔で仕事できるなと少し感心する。


 いや、そこがレティシアの凄いところなのだろう。


 レティシアはギルを見ると、すぐに手を止めて一礼した。


「お帰りなさいませ、若様」


「ただいま」


 その言葉を交わすだけで、妙に落ち着く。


 ギルは椅子に腰を下ろし、軽く息を吐いた。


「レティシア、少し相談がある」


「はい」


 レティシアの表情が、すぐに仕事の顔へ変わる。


 真剣で、落ち着いていて、こちらの言葉を逃さず受け止める顔だ。


 夜の柔らかさとは違う。


 この顔も好きだな、とギルは思った。


 だが、今は相談だ。


「父上から、直属の騎士を十名選ぶように言われた」


 レティシアの目がわずかに動いた。


 驚きはあったのだろう。


 だが、声は乱れない。


「おめでとうございます、若様」


「ああ。ありがとう」


「初陣の功を認められたのですね」


「たぶんな」


 ギルは少しだけ肩をすくめた。


「やりすぎと怒られるかと思っていたから、少し安心した」


 レティシアは何かを言いかけ、ほんの少し言葉を選んだように見えた。


「若様が御無事に戻られたことが、何よりでございます」


 そう言われると、胸が少し温かくなる。


 戦果よりも、無事。


 レティシアはそう言う。


 それが甘いと感じるより先に、嬉しいと思ってしまうあたり、俺もまだまだだなと思う。


「それで、誰を選ぶかだ」


「はい」


 レティシアは静かに机の前へ移動し、紙と筆を用意した。


 その動きが自然すぎて、ギルは少しだけ笑いそうになる。


 こういうところが、本当に仕事のできる女だ。


 クールビューティーってやつだな。


 クラシカルなメイド服も似合うが、前世風に言えばスーツとかもよく似合いそうだ。白いシャツに黒いジャケットを着て、髪をまとめて書類を抱えて歩いていたら、かなり絵になるだろう。


 いや、そんなことを考えている場合ではない。


 ギルは椅子に深く座り直した。


「まず確認だが、父上の言う直属の騎士というのは、単純に騎士を十人選べという意味ではない」


「はい」


 レティシアは頷く。


「騎士家から十名を選ぶ、という意味でございます」


「そういうことだ」


 ギルは指先で机を軽く叩いた。


 ここで注意しなくてはいけないのは、直属の騎士とは、ただ強い騎士を選べということではない点だ。


 いや、騎士も選ばなきゃいけない。


 だが、それだけでは足りない。


 あの言葉の意味を正しく言えば、騎士家より十名を選びなさい、だ。


 つまり、戦場で前に立つ者だけではなく、書類を扱い、人を動かし、家同士の関係を背負う者まで含まれる。


 武官ばかりを十名選べば、俺は戦いたがっていると思われる。


 文官ばかり選べば、戦いに興味がないと思われかねない。


 どちらもよろしくない。


 騎士家の人間なら、どちらもある程度鍛えられているとは思う。剣も槍も、馬も、魔法も、最低限は学ぶはずだ。だが、やはり武官寄り、文官寄りはある。家ごとの傾向もあるし、本人の資質もある。


 十人という数は、選び方でかなり色が出る。


「まずは武官寄りを三か四」


 ギルが言うと、レティシアは筆を動かした。


「文官寄りも三か四。残りで調整、という形でしょうか」


「そうだな」


 さすがに早い。


 こちらが考えていた方向を、ほとんどそのまま言葉にしてくれる。


「俺の立場を考えると、完全に武へ寄せるのは危険だ。初陣帰りだからこそ、なおさらな」


「若様はすでに十分な武功を示されました」


 レティシアが静かに言う。


「今後は、それをどう扱うかを示す必要があるかと存じます」


「そうだな」


 その通りだ。


 俺は村を焼いた。


 それはいずれ家中に知られるだろう。


 その直後に武官ばかり選べば、ギルバートは戦場へ傾いたと見られる。別にそれが悪いわけではないが、文官系や内政に関わる家臣たちからすると面白くないだろう。俺がこれまで生み出してきた産業のことを考えれば、彼らにも期待があるはずだ。


 逆に、文官ばかりを選べば、武官系からは初陣で成果を出しておいて、結局机仕事へ逃げるのかと思われるかもしれない。


 面倒だ。


 貴族社会、本当に面倒だ。


 だが、この面倒さを無視すると後でさらに面倒になる。


 なら最初から面倒を見越して動く方がいい。


「候補を挙げてくれ」


「承知いたしました」


 レティシアは紙へいくつかの名を書き始めた。


 筆先が滑る音が静かに響く。


 ギルはその手元を見ながら、頭の中で家中の騎士家を思い浮かべた。


 俺はこれまで、男の騎士たちにはあまり興味がなかった。


 正直に言えば、女性や内政や前世知識を使った実験の方に意識が向いていた。騎士たちは父上や兄たちの周囲にいる者、くらいの認識だったのだ。


 だが、初陣を経験した今では、さすがに以前と同じではまずいと思う。


 誰がどの家の者で、何が得意で、誰と繋がっているのか。


 知っておかなければならない。


 それが直属の騎士を持つということなのだろう。


「まず、武官寄りであれば、グラント家のオルド様」


「オルド」


 聞き覚えはある。


 たしか三十前後の男だ。兄の配下にいたような気がする。


「実戦経験は?」


「国境での小競り合いを数度。魔物討伐にも参加経験がございます」


「悪くないな」


「ただし、やや気性が荒いとの噂もあります」


「扱いにくいか?」


 レティシアは少しだけ考えた。


「若様が御せるなら、力になるかと存じます」


「俺が御せなかったら?」


「距離を置かれるのがよろしいかと」


 しれっと言う。


 ギルは少し笑った。


「現実的だな」


「直属に加える以上、扱いきれぬ者は避けるべきかと」


「それもそうだ」


 荒い者は使い方を間違えると面倒だ。


 だが、俺の周囲に全員大人しい者ばかりを集めても、それはそれで弱い。戦場に出るなら、荒さを力に変えられる者は必要になる。


 初陣で見た戦いは、綺麗なものではなかった。


 村を焼き、奪い、逃げる。


 その現実に耐えられる者が必要だ。


「候補には入れよう」


「はい」


 レティシアが名を書き留める。


「次は?」


「バレック家のジノ様」


「ジノ」


「武官寄りですが、比較的落ち着いた方です。年齢は二十代半ば。槍を得意とされます」


「性格は?」


「慎重だと聞いております」


「慎重な武官は欲しいな」


 ギルは頷いた。


 荒い者だけでは困る。


 攻める者と見る者がいる。


 それが組織としては自然だろう。


「ただ、家格はやや低めです」


「低いのは問題か?」


「若様の直属に選ばれれば、本人にとってはかなりの栄達となります」


「なら忠誠は期待できるか」


「期待できるかと」


 候補に入れる。


 家格が低い者を引き上げる意味は大きい。高い家の者ばかり集めれば見栄えはいいが、俺自身への忠誠より家同士の都合が強くなるかもしれない。逆に、低い家から選べば、本人にとって俺は引き上げてくれた恩人になる。


 それは悪くない。


「文官寄りは?」


「まず、ラディス家のクレイン様」


「聞いたことはある」


「数字に強く、倉や物資の管理に適性があります。戦場経験は薄いですが、騎士家の者として基礎は積んでおります」


「補給や金の管理か」


 ギルは少し身を乗り出した。


「それは欲しい」


 戦場へ出て、改めて思った。


 俺は貨幣感覚が弱い。


 銀貨や金貨の種類は知っていても、どの程度の価値か、どのくらい集めれば十分か、実感が薄い。セバスチャンはその辺りを感覚的にやっていたが、俺の直属としては、数字で把握できる人間が欲しい。


 村をいくつ焼いて、どれだけ奪ったか。


 それがどれほどの価値になるのか。


 どの程度の兵を動かせるのか。


 どれだけの物資に換算できるのか。


 そういうものを感覚ではなく数字で見られる者は必要だ。


「クレインは候補に入れよう」


「はい」


 レティシアが名を書き足す。


「他には?」


「エルマン家のトール様。文官寄りですが、交渉事に強いとのことです」


「交渉か」


「寄子家との調整や、商人相手の折衝で評価があります」


「商人相手」


 それは興味がある。


 俺の内政や産業には、商人との関係が必要だ。シルクも、炭も、食文化も、作るだけでは意味がない。流す経路と買う相手が要る。


「俺のところでは使いやすそうだな」


「はい。ただし、少し癖がある方とも聞きます」


「癖?」


「利に敏い、と」


「それはいいことじゃないか?」


「度を越すと、嫌われます」


「なるほど」


 利益に敏い人間は嫌いではない。


 だが、自分の利益だけを見る者は困る。


 そこは見極めが必要だ。


「候補」


「はい」


 レティシアが筆を動かす。


 名前が増えていく。


 ギルは椅子の背にもたれ、レティシアの横顔を見た。


 真剣な顔だ。


 美しい。


 いや、本当に美しい。


 仕事をしている時のレティシアは、夜の柔らかさとは違う魅力がある。目元は涼しく、唇は引き締まり、こちらの言葉を受け止めるたびに表情がわずかに動く。


 なんというか、仕事の出来る大人の女だ。


 クラシカルなメイド服も似合うが、前世のスーツを着せたら、たぶんかなり危ない。


 黒のタイトなスーツに、白シャツ。


 髪は後ろでまとめて、手には書類。


 胸元は少し苦しそうで、だけど顔は真面目。


 歩くたびに柔らかく揺れて、それでいて本人は仕事の顔を崩さない。


 いかん。


 話し合いに集中しろ。


「若様?」


 レティシアがこちらを見る。


「いや、何でもない」


「お疲れでしょうか」


「別の意味で少し疲れているかもしれない」


 レティシアの頬がわずかに赤くなる。


 すぐに視線を紙へ戻したが、その反応だけで十分だった。


 かわいい。


 だが、今は騎士選びだ。


「続けよう」


「はい」


 そこから、二人で候補を詰めていった。


 武官寄り、文官寄り、若手、やや年上、家格、本人の性格、家の立場、父上や兄たちとの関係。


 名前が出るたびに、レティシアは知っている情報を整理してくれる。


 ギルも自分の記憶と照らし合わせる。


 選ぶべきは、単に強い者ではない。


 俺の周囲を形作る者たちだ。


 ギルバート・マバールがどういう立場を目指すのか。


 周囲は、この十名を見て判断するだろう。


 武に寄りすぎず。


 文に逃げすぎず。


 父や兄たちの顔も立てつつ、自分の色も出す。


 面倒だ。


 だが、面白くもある。


 自分の手で、小さな家臣団を作るようなものだからだ。


「レティシア」


「はい」


「お前の名も入れておく」


「承知いたしました」


 レティシアは当然のように筆を動かした。


 驚きはない。


 照れも、ためらいも、ここでは表に出さない。


 それでいい。


 レティシアは騎士家の娘であり、俺の専属であり、上級メイドでもある。兄たちも直属の十名には、それぞれ館や城を任せるための上級メイドを一名は入れている。将来的に俺が館や離宮を持つなら、内を差配する者は必ず必要になる。


 なら、レティシアを外す理由はない。


 むしろ外せば、俺が自分の足元を見ていないと思われるだろう。


 直属の騎士といっても、全員が前線で剣を振るう必要はない。主の生活を整え、館の内を差配し、使用人たちを束ね、外へ出る時には身近な補佐として動く者も必要になる。


 特に俺の場合は、開発拠点や城下の職人たち、使用人たちとのやり取りも多い。


 そういう意味でも、レティシアは単なるお気に入りではない。


 必要な人材だ。


 もちろん、俺にとってはそれ以上の意味もある。


 だが、それをこの場で言葉にする必要はない。


「若様」


「何だ」


「わたくしは、内の差配を担う者として名を入れてよろしいのでしょうか」


「当然だ」


 ギルは即答した。


「今の俺に館はないが、いずれ持つことになるだろう。その時、誰が内を見てくれるかは重要だ」


「はい」


「兄上たちもそうしているなら、なおさらだ。俺だけ外す方が不自然だろう」


「承知いたしました」


 レティシアは静かに頷き、名前を書き加えた。


 整った文字で、自分の名を紙の中へ置く。


 その手つきは落ち着いていた。


 だが、よく見ると耳がわずかに赤い。


 ギルはそれを見て、口元が緩みそうになるのを抑えた。


 こういうところが可愛い。


 仕事では当然のように受け止める。


 けれど、心のどこかではちゃんと反応している。


 その差がたまらない。


「レティシア」


「はい」


「お前が入ることで、俺の直属の形が少し締まる」


「締まる、でございますか」


「そうだ。武官だけでも文官だけでもない。城や館の内側を見られる者がいる。それだけで周囲への見え方は違う」


「光栄でございます」


「身に余るなどと言うなよ。お前なら背負える」


 レティシアが少しだけ目を瞬かせた。


 ギルは肩をすくめる。


「俺の直属になるんだろう。なら、光栄が大きいなら、お前がそれに見合えばいい」


 レティシアの表情が、少しだけ変わった。


 緊張と、嬉しさと、決意が混ざったような顔だった。


「はい、若様」


 その返事は、いつもより少し深かった。


 これで一人。


 いや、レティシアを含めて候補は九名まで絞れた。


 紙の上には、整った文字で名前が並んでいる。


 オルド。


 ジノ。


 クレイン。


 トール。


 他にも、武官寄りと文官寄りを取り混ぜた者たち。


 そして、レティシア。


 九名。


 残り一名。


「さて」


 ギルは腕を組んだ。


「誰にするか」


 ここが難しい。


 最後の一人は、単なる穴埋めではない。


 最後に誰を選ぶかで、全体の意味が変わる。


 武官を入れれば、やや戦寄りになる。


 文官を入れれば、内政寄りになる。


 若い者を入れれば将来性。


 実績のある者を入れれば安定。


 家格の高い者を入れれば政治的意味が出るし、低い者を入れれば引き上げと忠誠が生まれる。


「バランスだけを考えるなら、文官寄りが一人欲しいところか」


 ギルが言う。


「はい。現在の候補ですと、武官寄りがやや強うございます」


「だが、初陣後だからそれで自然という見方もある」


「その通りでございます」


「うーむ」


 ギルは紙の名前を眺めた。


 候補に入らなかった者たちの顔や家も思い浮かべる。


 こうして考えると、十名というのは少ない。


 もっと選べれば楽なのに、と思う。


 だが、多ければ多いで派閥ができる。管理も面倒になる。十名というのは、やはり意味のある数なのだろう。


「レティシアはどう思う」


 ギルが問うと、レティシアは少しだけ考えた。


「若様が今後、どちらへ重きを置かれるかによるかと存じます」


「俺自身はどちらもやるつもりだ」


「であれば」


 レティシアの視線が紙の端に落ちる。


「最後の一人は、若様が個人的に信を置ける者がよろしいかもしれません」


「個人的に?」


「はい。武官、文官、家格、均衡。それらは既に九名である程度整っております」


 レティシアは静かに続けた。


「最後の一名まで均衡で選べば、綺麗ではあります。ですが、若様の直属です。若様が御自分の意思で選ばれたと分かる者が一人いてもよろしいかと」


 なるほど。


 ギルは少し感心した。


 綺麗に整えるだけではなく、あえて自分の意思を入れる。


 それもまた、周囲への示し方になる。


「そうなると、誰だ」


 個人的に信を置ける者。


 ギルは考えた。


 レティシアはもう入っている。


 他に、個人的に信を置ける騎士家の者。


 ……あまりいない。


 これまで興味を持ってこなかったツケが来ている。


 ギルは額に指を当てた。


「俺、交友関係狭いな」


 思わず呟く。


 レティシアは少しだけ困ったように目を伏せた。


「若様は幼少より、研究や製作に関心を向けておられましたので」


「やめろ、優しく言うな。余計に刺さる」


「申し訳ございません」


「謝られるともっと刺さる」


 ギルはため息を吐いた。


 だが、逃げていても決まらない。


 最後の一人。


 自分の意思で選ぶ一人。


 その意味を考えながら、ギルはもう一度紙へ目を落とした。


 名前の列が、急に重く見えた。


 騎士を選ぶ。


 家を選ぶ。


 未来の自分の形を選ぶ。


 そういうことなのだろう。


 気楽な三男坊でいたかったのに、いつの間にかずいぶん遠くまで来たものだ。


 紋章を与えられ、レティシアを抱き、地獄のような訓練を受け、帝国の村を焼き、父から直属の騎士を許された。


 たった二カ月ほどの間に、人生の密度がおかしなことになっている。


 ギルは小さく笑った。


「若様?」


「いや」


 レティシアを見る。


 真剣な顔で、こちらの言葉を待っている。


 やはり美人だ。


 そして頼りになる。


「考えよう」


 ギルは紙を手元へ引き寄せた。


「最後の一人は、少し時間をかける」


「承知いたしました」


「だが九名はこれでほぼ決まりだ」


「はい」


「レティシア」


「はい」


「お前も、俺の直属だ」


 改めてそう言うと、レティシアは深く頭を下げた。


「この身も、心も、若様のために」


 その言葉に、ギルの胸が少し熱くなる。


 仕事の話をしているはずなのに、どうしても別の熱が混じる。


 だが、今は抑える。


 直属の騎士。


 十名。


 それはただの褒賞ではない。


 これから自分が何者になるのかを形にする、最初の一歩だった。

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