第百二十九話 招待させる方法
翌朝になっても、都合のいい手は浮かばなかった。
板戸の隙間から入る光は弱く、狭い部屋の中には夜の冷えがまだ残っている。俺は硬い寝台へ腰を下ろしたまま、何度目になるか分からない考えを頭の中で繰り返していた。
北方諸国軍の陣へ、正面から入る。
旅人を装う。
傭兵に紛れる。
どれもカルデア・トラギスの近くまで行ける気がしない。
そもそも、あの老婆がどこにいるのかも分からない。北側の陣にいるというのも、年齢から考えた予想に過ぎなかった。そこへ入り込めたとしても、広い陣の中を当てもなく探し回れば、すぐに怪しまれるだろう。
窓の外から、人の足音が聞こえる。
王都へ来てから、すでに何度も同じような朝を迎えた気がした。
だが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
マバール領を出てから、それなりに日数が経っている。無断で来ている以上、帰りが遅くなるほど面倒も増えるだろう。
諦めることも必要だ。
頭では分かっている。
会う約束をして来たわけでもなく、カルデアの側に俺と話す理由があるわけでもない。いくさ見物という目的だけなら、王城を包囲する軍も、被害を受けた王都も、自分の目で十分に見た。
それでも、ここまで来て顔も見ずに帰るのは惜しかった。
北方諸国軍をまとめ、二百歳近くまで生き、王城を囲んでいる女だ。
声を聞いてみたい。
どんな顔でこの状況を見ているのか、僅かでも確かめてみたい。
別に、ゆっくり腰を据えて話し合いたいわけではない。
顔を見て、少し言葉を交わせればそれでいい。時間にすれば、ほんの僅かで済むはずだ。
なら、いっそ突撃するのもありかなぁ。
北方諸国軍の陣へ強引に入り、止める兵を押し退けて、カルデア本人の前まで進む。
騒ぎにはなる。
だが、俺とセバスチャンなら逃げるだけなら難しくない。相手の数が多くても、足止めを振り切って王都の外へ抜けるくらいはできるだろう。
北方諸国へ行く機会など、今後あるとも思えない。
マバール領から見れば王国のさらに向こう側だ。用事もないのに、わざわざ王国を横切って訪れる場所ではなかった。
それに俺は、すでに帝国貴族でもある。
王国側の都合を、そこまで考えてやる必要もないよな。
この機会を逃せば、次はないかもしれない。
やはり、強引に会うしかないのではないか。
「若様」
向かいから呼ばれ、顔を上げる。
セバスチャンは椅子へ座り、こちらをじっと見ていた。
「なんだ?」
「焦って動くと損しますぜ」
「別に焦ってないぞ」
「そういう顔じゃありやせん」
何も口にしていないのに、だいたい考えていることを読まれているらしい。
俺は視線を逸らし、板戸の隙間へ目を向けた。
「カルデアが生きてりゃ、会う機会もあるでしょうよ」
「北方諸国まで行く機会なんてないだろ」
「向こうがどこかへ出てくることだってありやす。今ここで無茶をする必要はねえでしょう」
それは正しい。
カルデアが王都に居続けるわけでもない。今回の戦が終われば、別の場所へ動くこともあるだろう。
だが、次に居場所を知った時、俺が自由に動けるとは限らない。
今はカルデアのすぐ近くまで来ている。
諦めるには、あまりにも近かった。
「ああ」
俺は小さく頷いた。
「そうだな」
返事をしながらも、頭の中では北方諸国軍の陣が消えなかった。
どれほどの兵が守っているのか。
どこから入れば短く済むのか。
そして、何人までなら騒ぎになる前に押し退けられるのか。
セバスチャンのため息が、狭い部屋の中へ静かに落ちた。
その日も、俺たちは北側へ向かった。
同じ道ばかり使えば目立つため、宿を出る時間も通る道も少しずつ変える。商店の残り物を眺め、開いている店を探す旅人のように歩きながら、遠回りして北方諸国軍の陣が見える場所へ近づいた。
焼けた家々の手前には、前に来た時と同じように兵が立っている。
ただ、眺める位置を変えると見えるものも違った。
陣へ続く道では荷車が行き交い、その前後を武器を持った兵が歩いている。王都から運び出された荷なのか、外から届いた物なのかまでは分からない。天幕の並ぶ方から来た兵が辻の見張りと短く言葉を交わし、代わるように持ち場へ入る姿も見えた。
油断している様子はない。
誰もが周囲へ目を配り、見慣れない者が立ち止まれば、すぐに視線を向けてくる。
俺たちは長居せず、その日は一度引き返した。
別の日には、王城が見える側から北方諸国軍の動きを探った。
城壁の外へ広がる陣は、近くで見るよりずっと大きい。王城を囲む兵だけでなく、離れた場所にも天幕が続き、その間を人と馬が絶えず動いている。
王城へ近い場所ほど兵が多い。
だが、すべての場所へ同じ数が置かれているわけではなかった。荷を運ぶ道、王城へ向かう道、王都の北側へ入る道。それぞれに見張りはいるが、間にはどうしても隙間がある。
俺は通りを歩きながら、何度も視線だけを動かした。
正面から入れば止められる。
だが、最初の囲みを抜けるだけなら難しくない。
魔力を抑えたまま接近し、肉体強化魔法で一気に距離を詰めれば、平民兵は反応できないだろう。騎士が混じっていても、数人なら押し切れる。
その先で増援が来る前に進めばいい。
陣全体を相手にするなら話は別だが、突破するだけなら可能だろう。
セバスチャンが隣で僅かに顔をしかめた。
「また数えてるんですかい?」
「何をだ?」
「見張りですぜ。さっきから視線が同じところを行ったり来たりしてやす」
「気のせいだろ」
「だったらいいんですがね」
セバスチャンは前を向いたまま声を落とした。
「いくら抑えても、魔力持ちがあまりうろつくと目立ちますぜ」
俺たちは魔力を隠している。
だが、完全に消せるわけではない。近くで感知魔法を使われれば、簡単に分かるだろう。
その上、同じ辺りを何度も歩いている。
兵から見れば、用もないのに陣の周囲を探る怪しい二人組だ。
「今日は戻るか」
「そうしてください」
引き返しながら、もう一度だけ陣の方へ目を向ける。
突破はできる。
そこは、もう問題ではなかった。
問題は、その後だ。
カルデア・トラギスがどこにいるのか分からない。
大きな天幕を目指せばいいのかもしれない。だが、遠くから見える天幕の中にも、大きなものはいくつもある。各国の貴族が使っているのか、兵を集めるためのものなのか、見ただけでは区別できなかった。
当てもなく陣の中を走り回れば、その間に騎士も貴族も集まってくる。
力ずくで押し通ることはできても、カルデア本人を見つけられなければ意味がない。
いっそ、貴族でも捕まえて居場所を吐かせるか。
だが、相手が素直に教えるとも思えない。偽の場所へ誘導されれば、余計に面倒になる。
俺は歩きながら眉を寄せた。
強引に突撃する案へ、かなり傾いている。
だが、突破した先で目指す場所がない。
結局そこだけが、どうしても決まらなかった。
宿へ戻る道すがらも、俺の頭から北方諸国軍の陣は離れなかった。
突破することだけなら、できる。
最初に立ちはだかる兵を退け、騎士が集まる前に奥へ入り込む。セバスチャンと二人なら、そう難しいことではないだろう。
だが、カルデア・トラギスの居場所が分からないままでは、陣の中で余計な時間を使う。
見つけるまでに何人倒すことになるのかも分からない。
そこまで考えたところで、別の問題が頭に浮かんだ。
うーん。でもなぁ。
父上は、北方諸国軍に頑張ってほしそうなんだよなぁ。
むしろ、王国側が弱くなることを望んでいるようにも見える。
王家や王都貴族が今までどおりの力を持ち続けるより、北方諸国軍に削られた方が帝国貴族となったマバール家には都合がいいのかもしれない。
そんなところへ俺が現れ、北方諸国軍を薙ぎ払ったらどうなる。
父上、怒るよなぁ。
しかも、俺は王都へ来ることすら伝えていない。
無断で領地を離れ、勝手に王都まで来て、挙げ句の果てに北方諸国軍へ喧嘩を売る。
バレた時、本気で怒られそうだ。
俺は歩きながら、思わず顔をしかめた。
「今度は何を悩んでるんですかい?」
隣のセバスチャンがこちらを見る。
「いや、父上に怒られるかと思ってな」
「ようやく、そこへ気づきやしたか」
「まだ何もしてないだろ」
「何かする気だった顔をしてやしたぜ」
否定はしなかった。
北方諸国軍の兵を倒しながら陣へ入る案は、かなり現実味を帯びていた。もう少し考えが進んでいたら、明日にでも実行していたかもしれない。
だが、父上に怒られるとなると話は別だ。
俺は北方諸国軍のために王都へ来たわけではない。
カルデアの顔を見たいだけだ。
そのために父上の考えを邪魔するのは、さすがに割に合わない。
やはり、諦めるしかないのか。
足元へ視線を落とす。
乾いた土の上を、何人もの足が踏んだ跡が続いている。通りの向こうでは、荷を抱えた平民が北方諸国軍の兵を避けるように道の端へ寄っていた。
王国側。
その言葉が頭の中に残る。
北方諸国軍を減らせば、父上に怒られるかもしれない。
ならば――。
「ん?」
足が止まりかけた。
北方諸国軍ではなく、王国側を弱体化させるなら問題ないのか。
父上が望んでいるのが王家や王都貴族の弱体化なら、そちらを削る方が話は早い。
北方諸国軍へ喧嘩を売っても、その後に王国側をもっと減らせば、結果としては父上の邪魔にならないのではないか。
いや、そもそも北方諸国軍の陣へ入る必要すらないのかもしれない。
カルデアの居場所が分からないから困っていた。
こちらから探すのが難しいなら、向こうから出てきてもらえばいい。
そうか。
そうだよな。
俺は考えすぎていたらしい。
「よし。宿に戻るぞ」
歩調を上げる。
「さっきから宿へ戻ってるところでしょうが」
「なら、もう少し急ぐぞ」
口元が勝手に緩んだ。
どうして、こんな簡単なことに気づかなかったのだろう。
無理に陣へ入り、広い中を探し回る必要などない。
出てこざるを得ない状況を作ればいいのだ。
「なんか変なこと思いつきましたね」
セバスチャンが疑うように俺を見た。
「案外、俺は頭が硬いみたいだ」
「何を思いついたんですかい?」
「いいことだ」
俺は笑った。
「若…ギルがそう言う時のいいことは、だいたい悪いことなんですがねぇ」
後ろからぼやく声が聞こえたが、今は説明する気にならなかった。
狭い通りを抜け、宿へ急ぐ。
部屋へ入った途端、セバスチャンが背後で扉を閉めた。
俺が寝台へ腰を下ろすより先に、低い声が飛んでくる。
「何を思いついたんです?」
「いや」
俺は振り返り、笑った。
「こちらから探すのが難しいなら、相手から出てきてもらえばいいと思わんか?」
「は?」
セバスチャンの顔から、呆れすら消えた。
「カルデア・トラギスに会うには、それしか思いつかん」
「いやいや。なんで向こうが若様に会いに出てくるんですかい?」
「それをこれからやるんだろ」
俺は机へ肘をつき、セバスチャンを見上げた。
「お前は、何か思いついたか?」
「会わなきゃいいでしょうが」
今度こそ、はっきり呆れた声が返ってきた。
「せっかくここまで来たんだぞ」
「いくさ見物なら、もう十分でしょうが。王城も見た。北方諸国軍も見た。王都の惨状まで見た。これ以上、何を見る必要があるんです?」
「カルデアの顔だな」
「そこを諦めろと言ってるんですよ」
俺は少し考え、仕方なく片手を上げた。
「やってみて無理なら諦める」
セバスチャンの目が細くなる。
「何をするんですかい?」
「北方諸国軍を薙ぎ払うと、父上に怒られそうだからな。別の方法でいく」
セバスチャンは俺の顔を見たまま、しばらく動かなかった。
「別の方法?」
「ああ」
俺は寝台から立ち上がり、脇へ置いていた荷を手に取る。
「とりあえず、荷物をまとめろ」
「いや、先に説明してください」
「説明なら向かいながらでもできる」
「今まで説明せずに動いて、ろくなことになった試しがないでしょうが」
それは少し言いすぎではないだろうか。
帝国へ行った時も、結果だけを見れば悪くなかった。野盗狩りだって、村人は助かった。
今回も、カルデアに会えれば目的は果たせる。
俺は外套を畳みかけ、すぐに羽織り直した。もうこの宿へ戻るつもりはない。王都の中で騒ぎを起こすなら、荷を残しておく方が面倒だった。
「馬はどうするかな」
宿の外に預けた二頭を思い浮かべる。
騒ぎになれば、取りに戻る余裕がなくなるかもしれない。
「うーん。捨てるのもなんだし、乗っていくか」
「だから、何をするつもりなんです?」
セバスチャンの声が低くなる。
俺は荷をまとめながら振り返った。
「ん? あちらから招待してもらおうと思ってな」
「は?」
「向こうから迎えに来てもらえば、カルデアの居場所を探す必要はないだろ」
「なんで北方諸国軍が、素性も知れない若様を招待するんですかい?」
「それは、俺を放っておけないと思わせればいい」
セバスチャンの眉間に、深い皺が寄った。
俺はその顔を見て笑い、荷を肩へ掛ける。
「とりあえず行くぞ」
「まったく説明になってないでしょうが」
「無理なら、このまま王都を突破して逃げるからな」
北方諸国軍の陣へ近づいて騒ぎを起こせば、宿へ戻るのは難しい。王都の中へ留まるより、そのまま外へ抜けた方が早いだろう。
セバスチャンを見て、軽く顎を上げる。
「お前なら大丈夫だろ?」
「そりゃ、逃げるぐらいなら」
言いかけたセバスチャンは、諦めたように肩を落とした。
「はあ……」
大きなため息を残し、それでも自分の荷をまとめ始める。
やはり頼りになる男だ。
宿の主人へ部屋を出ると告げると、引き止められることもなかった。まだ泊まれる日数は残っていたが、返金を求める気もない。余計なやり取りをするより、早く動いた方がいい。
外へ出て馬を受け取り、俺たちは北へ向かった。
王都の通りは、昨日までと変わらず重い空気に包まれていた。
開いている店の前には僅かな品を求める人が集まり、辻では北方諸国軍の兵が周囲を見張っている。俺たちは急がず、荷を持って王都を離れようとしている旅人のように馬を進めた。
北側へ近づくにつれ、焦げた匂いが濃くなる。
焼けた家々の間を抜け、陣へ続く道が見えるところまで来ると、兵たちの視線がこちらへ向いた。
二人とも武器を持ち、荷まで積んでいる。
警戒されるのは当然だろう。
それでも、まだ止められない。
俺たちは一定の速度を保ったまま進んだ。
「何をするんですかい?」
隣から、セバスチャンが小声で尋ねる。
前方には、北方諸国軍の兵が立っている。
その奥には天幕が並び、さらに多くの人影が動いていた。ここから先へ進めば、さすがに呼び止められるだろう。
「こうするんだ」
俺は笑い、身体の奥へ押さえ込んでいた魔力を解放した。
長い間、小さく押し込めていたものが一気に広がる。
身体の周囲で空気が震えた。
馬が大きく身を強張らせ、前脚を踏み替える。手綱を握って落ち着かせながら、魔力を隠すために薄く重ねていた抑えを外していく。
大地まで揺れているような感覚が足元から伝わった。
魔力を持たない兵たちにも、何かが起きたことくらいは分かったらしい。
前方にいた者たちが一斉にこちらを向く。
魔力反応を捉えられる者たちの動きは、さらに早かった。
陣の中で怒鳴り声が上がる。
天幕の間から騎士たちが飛び出し、こちらへ向けて走ってきた。遠くにいた者まで顔を上げ、次々に武器を手へ取っている。
「また無茶苦茶なことを……」
セバスチャンが、がっくりと肩を落とした。
「これなら、向こうから来るだろ?」
「来るでしょうな。殺しに」
俺たちの前へ、北方諸国軍の兵が集まり始める。
だが、誰もすぐには斬りかかってこなかった。
槍や剣を向けながら距離を取り、俺たちを囲むように左右へ広がっていく。魔力を感じ取った騎士たちは平民兵より前へ出るものの、その足取りにも慎重さがあった。
俺の魔力量を確かめるように、鋭い視線が何度も向けられる。
さらに奥から、別の魔力反応が近づいてきた。
カルデアほどのものかは分からない。
だが、平民でも騎士でもない。貴族らしい魔力だった。
それを合図にしたように、囲みがさらに厚くなる。
馬の周囲には槍先が並び、逃げ道を塞ぐように兵が立った。
ひとまず、こちらを無視できないとは思わせられたらしい。
囲みの奥から、一人の男が前へ出た。
身なりは周囲の騎士より整っている。腰には剣を下げているが、抜いてはいない。こちらへ向ける目には警戒があり、その奥には俺の魔力を測ろうとする色が見えた。
近づいていた魔力反応は、この男のものらしい。
だが、カルデア・トラギスではない。
男が足を止めると、周囲の騎士たちも僅かに姿勢を変えた。少なくとも、この場で命令を出せる立場ではあるのだろう。
俺は馬上から男を見下ろし、声を張った。
「カルデア・トラギスに会わせろ! 敵意はない!」
槍を構えていた兵たちの間に、微かなざわめきが走る。
名を直接呼んだことに反応したのか、それとも敵意がないという言葉を誰も信じていないのか。どちらにしても、囲みが緩む気配はなかった。
「会わせられるか!」
騎士の一人が叫んだ。
「どこの誰とも知れぬ者を、カルデア様の御前へ通すと思うか!」
当然だな。
俺は小さく頷いた。
隣でも、セバスチャンが何度も頷いている。
「うんうん」
「何を納得してるんだ?」
「いや、あちらの言い分が真っ当だと思いやしてね」
「俺もそう思うぞ」
「だったら帰りましょうや」
「それとこれとは別だ」
セバスチャンが深く息を吐く。
俺は改めて正面の男へ顔を向けた。
「それなら、無理矢理押し通ることになるが?」
周囲の空気が一段張り詰めた。
槍先が揃って上がり、騎士たちが一歩ずつ間合いを詰める。こちらの馬も緊張を感じ取ったのか、落ち着かずに首を振った。
前へ出た貴族らしい男だけは動かなかった。
俺の魔力を正面から受けながら、表情を崩さず立っている。
「できると思うか?」
低い声だった。
挑発というより、こちらの覚悟を確かめているようにも聞こえる。
俺は笑った。
「できんと思うか?」
男の目が細くなる。
互いに視線を逸らさない。
周りには平民兵も騎士もいる。さらに奥からも人が集まり続け、囲みは厚くなるばかりだった。
全員を倒す必要はない。
正面を崩し、騎士が立て直す前に奥へ抜ける。陣の中へ入ってからは、集まってくる魔力反応の大きい方を目指せば、カルデアへ近づけるかもしれない。
今までと違い、こちらの存在はすでに知られている。
騒ぎを聞けば、本人か、その近くにいる者が動く可能性もある。
少なくとも、宿で悩み続けるよりは話が進んだ。
「若様」
セバスチャンが諦めきった声を出す。
「こんなやり方で会えるわけないでしょうが」
「まだ分からんだろ」
「今にも戦が始まりそうですぜ」
「そのために来たようなものだろ」
「いくさ見物であって、いくさを始めに来たんじゃありやせん」
それはそうだ。
だが、ここまで来て引き返す気にもならない。
俺は周囲へ視線を走らせた。
騎士たちは攻撃の合図を待っている。平民兵の中には、俺の魔力を感じ取れない者もいるはずだが、前へ出た騎士たちの緊張を見て、迂闊に近づこうとはしていなかった。
「北方諸国軍を薙ぎ払うのは、やめたんじゃないんですかい?」
セバスチャンが小声で尋ねる。
「大丈夫だ」
「何がです?」
「王国軍は、もうちょい多めに薙ぎ払うから」
「は?」
セバスチャンの声と、周囲の誰かの声が重なった。
俺は正面の男へ向けて笑う。
「そうすれば変わらんだろ」
返事はなかった。
さっきまで殺気立っていた騎士たちまで、一瞬だけ動きを止めている。
王国軍をより多く倒せば、北方諸国軍を多少減らしても釣り合う。
少なくとも父上が王国側の弱体化を望んでいるなら、結果としては悪くないはずだ。
それに、北方諸国軍へ一方的に味方するつもりもない。
俺はカルデアに会いたいだけだ。
「アホですなぁ」
セバスチャンが、心の底から呆れたように呟いた。
「失礼だな」
「その理屈を聞いて、他に何と言えってんです?」
正面の貴族らしい男も、すぐには言葉を返さなかった。
俺が冗談を言っているのか見極めようとしているのかもしれない。だが、こちらは魔力を隠していない。冗談だけで、これほどの魔力を晒しながら軍の前へ出てくる者はいないだろう。
沈黙の間にも、囲みの後方では人が動いていた。
騎士たちが左右へ分かれ、何かを通すように道を開け始める。
小さなざわめきが、奥からこちらへ近づいてきた。
誰かが命令を出したわけではない。だが、その人物の姿を認めた者から順に身を引き、自然と一本の道ができていく。
その向こうから、一人の貴族がゆっくりと歩いてきた。
まだ距離がある。
顔までははっきり見えない。
それでも、周囲の者たちの反応は、先ほど前へ出てきた男とは明らかに違っていた。
俺は手綱を握り直し、口元を上げた。
「来たか」




