表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

128/140

第百二十八話 包囲下の王都


 王都が見えてきた頃には、空が少し白く霞んでいた。


 遠くからでも、王城の周囲に人と天幕が集まっているのが分かる。高く厚い城壁はそのまま残り、上には小さな人影が並んでいた。その外側を取り囲むように、北方諸国軍の陣が広がっている。


 王城だけが、王都の中で切り離されていた。


 ここまで来たのだと実感した途端、無意識に身体の内側へ意識が向く。


「目立つんで、感知魔法は使わんでくださいよ」


 隣を進むセバスチャンが、こちらを見ずに言った。


「ああ、分かっている」


 俺は小さく頷いた。


 北方諸国軍の中に、感知魔法を使える者がどれだけいるかは分からない。だが、これだけ兵が集まっている場所で不用意に魔力を広げれば、誰かに気づかれる可能性はある。


 俺たちは王都へ、いくさ見物に来ただけだ。


 わざわざ自分から騒ぎの種になる必要はない。


 馬の歩調を変えず、そのまま人の流れへ混じる。


 王城が包囲されているのだから、王都の中はもっと酷いことになっていると思っていた。


 家々の戸は閉まり、道には人影もなく、逃げ遅れた者が息を潜めている。勝手にそんな光景を想像していたが、実際は違った。


 道には人がいる。


 普段より少ないのだろうが、それでも荷を抱えた男や、子供の手を引く女が足早に歩いていた。開いている商店もあり、布を掛けただけの粗末な台を並べた市まで立っている。


 もっとも、並んでいる品は少ない。


 籠の中に芋が数個だけ残り、それを何人もの客が囲んでいる店もあった。干した肉を細く切り分けて売っている男の前では、値段を聞いた女が顔を歪め、それでも金を払っている。


 俺たちが旅の途中で見た町より、明らかに高い。


 道の辻には、見慣れない装備の兵が立っていた。


 北方諸国軍の兵だろう。


 通りを歩く者へ武器を向けているわけではない。だが、人々は近くを通るたびに声を落とし、視線を合わせないようにして足を速めていた。


 兵たちも、ただ立っているだけではない。


 道の中央で言い争いを始めた男たちへ近づき、短く何かを告げて引き離している。別の辻では、荷を奪おうとしたらしい男が地面へ押さえつけられていた。


 王都を好きに荒らしているようには見えない。


 むしろ、混乱が広がらないよう見張っているらしい。


「すごいもんだな」


 俺は周囲を眺めながら呟いた。


 王城は包囲されている。


 すぐ近くには敵軍がいる。


 それでも人々は店を開き、食べ物を買い、今日を生きようとしていた。


「食わなきゃ生きていけませんからな」


 セバスチャンは、当たり前のことを言うように返した。


「敵がいようが、王様が城に籠もってようが、腹は減りやす」


「まあ、そうだな」


 俺たちも同じだった。


 王都へ着いたからといって、寝床が勝手に用意されるわけではない。


 まずは宿を探した。


 だが、これが思っていた以上に難しかった。


 一軒目は、入口に部屋がないと書いた板を出していた。二軒目は扉こそ開いていたが、主人が顔を見るなり首を振る。三軒目では、普段ならあり得ないような値段を告げられた上に、それでも空きは一部屋しかないと言われた。


 しかもそこにはすでに別の客が詰め込まれているらしい。


 王都の中心へ近づくほど人が増え、宿の前には泊まれないかと頼み込む者までいた。


 仕方なく、俺たちは外れへ向かった。


 大通りから離れると、道幅が狭くなり、閉ざされた戸も増えていく。壁際には荷を抱えたまま座り込む者がおり、軒下で眠っている者もいた。


 何軒目だったか分からなくなった頃、ようやく古い宿で空きを見つけた。


「食事は出せん。湯もない。それでもよければだ」


 疲れた顔の主人が、こちらを値踏みするように見た。


「寝られればいい」


 セバスチャンが答えると、主人はすぐに手を出した。


 代金は高かった。


 それでも断れば、次に部屋が見つかる保証はない。セバスチャンが金を渡すと、主人は枚数を何度も確かめてから、俺たちを奥へ案内した。


 通された部屋には、寝台が二つと小さな机があるだけだった。


 水差しすら置かれていない。


 扉を閉めると、外を歩く人々の足音が薄い壁越しに聞こえた。


 食事も湯もない。


 本当に、ただ寝るためだけの部屋だった。


 荷を寝台の脇へ置き、俺は外套を脱いだ。


 窓は小さく、外から差し込む光も弱い。板戸の隙間には埃が溜まり、壁際には古い染みがいくつも残っている。これであの値段かと思うと笑いたくなるが、泊まる場所すら見つからない者が外にいるのだから、文句を言えるだけ恵まれているのだろう。


 寝台へ腰を下ろす。


 詰め物は薄く、身体を預けると下の板がすぐに分かった。


「さて」


 俺は机の向こうに座ったセバスチャンへ顔を向けた。


「カルデア・トラギスはどこにいるかな?」


 セバスチャンは剣を壁へ立てかけ、椅子へ深く腰を下ろした。


「おそらくは王都の外、北側に野営地でも作っているんでしょうよ」


「そうだな。二百歳近い老婆だもんな」


 王城を包囲する軍のすぐ近くにいるとしても、自分で城壁の前へ立っているとは思えない。


 これほどの軍勢を率いる者なら、命令を出す場所も必要になる。北方諸国の者が集まっている以上、話をまとめる者も必要だろう。王都の北側に大きな陣を構え、その奥にいると考えるのが自然だった。


「いくらなんでも、前線には出ておらんでしょう」


 セバスチャンが呆れたように言う。


「二百近くまで生きてるってだけでも大したもんですぜ。わざわざ城壁の下まで出て、石でも落とされたら笑えやせん」


「それはそうだな」


 俺は寝台の上で片膝を立てた。


 顔だけでも見てみたい。


 以前から名前は聞いていた。かつては王国軍を破り、今また北方諸国軍をまとめ、王城を取り囲むまで進めた女だ。


 何を考えているのかまでは、遠くから眺めただけでは分からない。


「近づくのは難しいよなぁ?」


「難しいでしょうな」


 セバスチャンは即答した。


「王都の中ですら、あれだけ兵が立ってるんです。軍を率いてる本人の周りが緩いとは思えやせん」


 俺も窓の方へ目を向けた。


 北方諸国軍は王都の辻にまで兵を置いていた。王城の包囲だけでなく、市街の混乱まで押さえようとしている。


 その軍勢の中心へ、素性の知れない旅人が近づけるはずもない。


「せめて顔だけでも拝んでみたいが」


「無茶はやめてくださいよ」


 セバスチャンの目が細くなる。


「この王都で騒ぎを起こしたら、逃げるのも面倒ですぜ。感知魔法も使わんように言ったばかりでしょうが」


「分かってるって」


 口では答えたものの、諦めるにはまだ早い気がした。


 軍の中へ正面から入るのは無理だ。


 では、カルデア・トラギスが動く時を待つか。


 王城の様子を見るために、陣の外へ出てくることはないのだろうか。だが、いつ動くかも分からない相手を、王都の中で待ち続けるわけにもいかない。


「うーん」


 考えていると、腹の奥が小さく鳴った。


 セバスチャンがこちらを見る。


「とりあえず、メシにしましょうや」


「宿では出ないぞ」


「だから外へ探しに行くんでしょうよ。考えるにしても、腹が減ったままじゃろくなことになりやせん」


「それもそうだな」


 ここまで来る間にも食べてはいるが、王都へ入ってから宿を探し回ったせいで、思っていたより身体が疲れていた。


 俺は寝台から立ち上がり、外套を羽織り直した。


 セバスチャンも剣を腰へ戻す。


 扉を開けると、廊下には古い木と人の汗が混じった匂いが籠もっていた。下の階から話し声は聞こえるものの、食べ物の匂いはしない。


 主人へ近くで食事ができる場所を尋ねたが、返ってきたのは曖昧な答えだけだった。


「開いてりゃ食える。閉まってりゃ無理だ」


 王都の宿屋とは思えない返事だが、今はそれが普通なのかもしれない。


 俺たちは宿を出た。


 外では日が傾き始めていた。


 狭い通りを行き交う人々は、朝よりもさらに足を速めている。店の前に残っていた品も減り、早くも板戸を閉め始めている場所があった。


 さて、どこかで食えるところを見つけないとな。


 宿のある通りを抜けると、人の数が少し増えた。


 大通りほどではないが、店らしき建物が並び、軒先には何が売られているのかを示す古い板が掛かっている。ただ、その大半は戸を閉ざしていた。開いている店も中は暗く、入口に立つ者が客の顔と手元を確かめてから品を出している。


 食べ物の匂いは、なかなか見つからない。


 代わりに鼻へ入ってくるのは、湿った布と汗、それに道端へ捨てられた汚れの匂いだった。


 建物の壁際には、荷を抱えた平民たちが座り込んでいる。


 家族らしい者同士で身を寄せている者もいれば、一人で壁へ背を預けたまま動かない老人もいた。布を張っただけの場所で子供を寝かせている女の横には、鍋が一つ置かれている。火はなく、中に何か入っているようにも見えない。


 北側から逃げてきたのだろうか。


 聞けば分かるかもしれないが、足を止めて尋ねる気にはならなかった。こちらを見上げる目には、知らない旅人と話したがる余裕がない。


「随分といるな」


「王都の外へ出るよりは、まだマシだと思ってるんでしょうな」


 セバスチャンが声を落として答える。


 王都の外には北方諸国軍がいる。


 その兵たちが市街で暴れているようには見えないが、何も知らない平民が城壁の外へ出るのは怖いだろう。かといって、家へ戻れるとも限らない。


 だから、こうして街角や路地へ集まっている。


 通りを二つ曲がったところで、ようやく煮物らしい匂いが流れてきた。


 匂いを辿ると、古びた酒場の扉が半分だけ開いている。入口の脇には料理の名も値段も出ていないが、中から人の声が聞こえた。


「ここはやってそうだな」


「他に見つかるとも限りやせん。入りましょう」


 扉を押し開ける。


 店内は狭く、空気が濁っていた。


 いくつかの卓は埋まり、外套を着たまま食事をしている者もいる。客の服装はばらばらだが、楽しげに酒を飲んでいる者はいない。器へ顔を近づけ、周囲を気にしながら急いで食べている。


 俺たちが入ると、入口に近い席の男が一度だけこちらを見た。


 すぐに視線を戻したが、他所者だと気づいたのかもしれない。


 店の奥から出てきた主人らしい男は、俺たちの姿を見ても笑わなかった。


「食えるものは?」


 セバスチャンが尋ねる。


「芋と腸詰めだ。酒もある」


「二人分頼む」


 告げられた値段に、俺は思わず主人の顔を見た。


 旅の途中で食べたまともな食事より高い。


 だが、主人は値段を間違えた様子もなく、嫌なら出ていけと言いたげにこちらを見返している。


 セバスチャンが金を払うと、主人は一枚ずつ確かめてから奥へ引っ込んだ。


 空いていた壁際の卓へ座る。


 料理が来るまで、することはない。


 自然と周囲の声が耳に入った。


「北の方は、まだ戻れねえってよ」


 少し離れた卓で、痩せた男が低い声で話している。


「昨日見に行った奴が、家なんぞ残ってねえって言ってた」


「全部か?」


「全部かどうかなんて知らねえよ。兵に追い返されたらしい」


 向かいに座る男が、器の底を指で拭いながら顔をしかめた。


「こっちはまだマシだ。戸を閉めりゃ寝る場所はある」


「そのうち食う物がなくなる」


「もうなくなってるだろ」


 二人の声に笑いはなかった。


 北側では、この辺りより被害が大きいらしい。


 どこまで本当かは分からない。だが、街角にいた者たちの数を見れば、何も起きていないとは思えなかった。


 別の卓からは、もっと小さな声が聞こえる。


「兵どもは、勝手に家へ入っちゃこねえ」


「今のところはな」


「食い物は持っていかれたぞ」


「札は置いていったんだろ?」


「あんなもんで腹が膨れるか」


 話している男の一人が、卓を指先で叩いた。


「逆らったら縛られる。隠しても見つかりゃ持っていかれる。勝手に盗む奴は捕まえてるみてえだが、軍が持っていく分は別だ」


 北方諸国軍は、兵が好き勝手に奪うことを許していないらしい。


 だが、軍そのものが必要とする食料は集めているということか。


 王都の市に並ぶ品が少なく、値段が跳ね上がっている理由の一つは、それかもしれない。


「随分と厳しくやってるんだな」


 俺が小声で言うと、セバスチャンが僅かに頷いた。


「軍勢を遊ばせとくわけにもいきやせんからな」


 主人が料理を運んできた。


 木の皿に、茹でた芋が二つ。


 その横に、短い腸詰めが一本置かれている。湯気は立っているが、香草や油の匂いはしない。


 酒の入った器も卓へ置かれた。


「これで、あの値段か」


 主人へ聞こえないよう呟き、腸詰めを切る。


 一応、肉は入っている。


 だが、口へ運ぶと味は薄く、塩気がかすかに残る程度だった。芋も茹でただけで、何も添えられていない。


「うーん。なかなかだな」


 思わず苦笑する。


 不味くて食えないわけではない。


 値段を考えなければ、腹を満たすには十分だ。


 セバスチャンは酒を一口飲み、器の中を覗き込んだ。


「酒も薄めてますな」


「水よりは酒の味がするだろ?」


「少しだけですな」


「まあ、食えるだけマシだな」


「そういうことですな」


 俺たちは料理を口へ運びながら、引き続き周囲の話へ耳を傾けた。


 店の奥では、年配の男が何度も首を振っている。


「北の兵は、まだ行儀がいい方だ」


「何人か女がやられたって聞いたぞ」


「そりゃいるさ。あれだけ兵が集まりゃ、全部が言うことを聞くわけねえ。だが、見つかった奴は連れていかれたって話だ」


「本当に罰を受けたかは分からんだろ」


「少なくとも、道端で好き放題やってるわけじゃねえ」


 向かいの男は納得していない様子だったが、それ以上は言い返さなかった。


 乱暴された者はいる。


 ただ、軍全体がそれを許しているわけでもないらしい。


 俺が王都へ入ってから見た兵たちも、住民へ絡むより、騒ぎを起こす者を押さえていた。


 話はやがて王城へ移った。


「城の中は、まだ余裕なんだとよ」


「誰が見たんだ」


「知らねえよ。そういう話だ」


「城門を閉めてから、何もしてこねえじゃねえか」


「壁があれだけ高けりゃ、籠もってる方が楽だろ」


「北の軍も攻めねえな」


「攻められねえんだろ。登ろうとすりゃ上から落とされる」


「なら、ずっとこのままか?」


 その問いに答える者はいなかった。


 王城側は城門を閉ざし、籠城に徹している。


 北方諸国軍も、厚く高い城壁を前に攻めあぐねている。


 少なくとも、この酒場にいる者たちはそう考えているらしい。


 俺は残っていた芋を口へ入れた。


 薄い塩味が、妙に長く舌へ残った。


 皿の上を空にしても、腹が満たされたというより、空腹が少し遠のいただけだった。


 それでも、店を出てからしばらく何も食べられない可能性を考えれば十分だ。薄められた酒を最後まで飲み、俺たちは席を立った。


 店の主人はこちらを見たが、追加で何か頼むつもりがないと分かると、すぐに別の客へ顔を向けた。


 外へ出ると、通りは少し暗くなっていた。


 日が傾き、家々の影が道の中央まで伸びている。店じまいを急ぐ者たちの足音が重なり、遠くでは板戸を閉める音が何度も響いていた。


「北の方も少し見てみるか」


 俺が言うと、セバスチャンは予想していたように小さく息を吐いた。


「遠くからですぜ」


「分かってる」


「本当に分かってるんでしょうな?」


「俺を何だと思ってるんだ」


「面白そうだと思ったら、すぐ近づく若者ですな」


 否定しにくい。


 返事をせずに歩き出すと、セバスチャンも隣へ並んだ。


 酒場で聞いた話がどこまで本当なのか、少しは自分の目で確かめておきたかった。北側には北方諸国軍の陣があり、その近くにカルデア・トラギスもいるかもしれない。


 もちろん、今すぐ会いに行けるとは思っていない。


 だが、何も見ずに宿へ戻って考えても、想像の中で悩むだけだ。


 通りを北へ進むにつれて、人の数が減っていった。


 最初は閉まった店が増えただけだった。さらに歩くと、板戸を打ちつけた家が目立つようになり、道端に座り込む者の姿も少なくなる。


 人がいないのではない。


 壊れた家の陰や、閉ざされた戸の向こうから、こちらを窺う気配がある。だが、誰も自分から外へ出ようとはしなかった。


 道の辻には北方諸国軍の兵がいる。


 南側で見た兵より数が多い。


 二人一組で立つ者もいれば、道を塞ぐように並んでいる者もいた。俺たちと同じ方向へ歩く者は止められていないが、荷車や大きな荷物を持つ者は中身を確認されている。


 俺たちは旅人らしい歩調を崩さず、兵たちから距離を取った。


 正面を見たまま、余計な視線を向けない。


 剣を持っていること自体は珍しくない。だが、立ち止まって兵の配置を数えれば、それだけで怪しまれるかもしれない。


 やがて、空気に焦げた匂いが混じり始めた。


 古い煙の匂いだ。


 火はもう見えないが、焼けた木や布の臭いが道の奥から流れてくる。


 さらに進んだところで、家並みが途切れた。


 俺は足を緩める。


 遠くに見える家々は、これまでの通りとは様子が違っていた。


 屋根を失った家がある。


 壁の一部が崩れ、内側が剥き出しになった建物もあった。焼けて黒くなった梁が斜めに残り、その周囲には瓦礫が積もっている。


 道の端には、壊れた荷車が横倒しになっていた。


 片方の車輪が外れ、焦げた荷台の下から縄が垂れている。近くの家は扉ごとなくなり、窓の穴だけが黒く開いていた。


 酒場で聞いた話は、少なくとも全部が嘘ではなさそうだった。


 こちら側より被害が大きい。


 家を失った者たちが南へ逃げ、街角や路地で身を寄せていたのだろう。


 瓦礫の間を動く人影も見えた。


 兵なのか住民なのか、ここからでは判別できない。壊れた家へ入り、何かを運び出している者もいる。


 さらに奥には、王都の外へ続く道が見えた。


 その向こうに、いくつもの天幕が並んでいる。


 距離があるため細かいところまでは分からないが、王城を囲んでいた陣の一部だろう。そこへ向かう道には兵が多く、荷を積んだ車がゆっくりと動いている。


 食料か、武器か、それとも別の物か。


 荷には布が掛けられていて、中身は見えなかった。


「随分といるな」


 声を落として呟く。


「この先は陣に近いらしいですからな」


 セバスチャンも前を見たまま答えた。


 王城の周囲に集まっている兵だけではない。


 市街の北側にも見張りが置かれ、陣へ続く道を押さえている。ここから不用意に進めば、どこへ行くつもりなのか問われるだろう。


 俺は焼けた家々の向こうへ目を凝らした。


 カルデア・トラギスがいるとすれば、さらに奥だ。


 あの天幕のどれかにいるのか、それともここからは見えない別の場所に陣を構えているのか。目印になるようなものは見当たらない。


 そもそも、カルデア本人の姿を知らない。


 二百歳近い老婆を探せばいいとはいえ、遠目に一人ずつ顔を確かめられるはずもなかった。


 もう少し先まで行けば、何か分かるかもしれない。


 一歩進もうとしたところで、セバスチャンが俺の腕を軽く掴んだ。


「あまり近づかんでくださいよ」


 声は小さいが、笑ってはいなかった。


 前方の辻に立つ兵の一人が、こちらへ顔を向けている。


 偶然かもしれない。


 だが、今の俺たちは焼けた街並みを眺めながら立ち止まっている。これ以上長くいれば、不審に思われてもおかしくない。


「ああ」


 俺は素直に頷いた。


 カルデアへ会う前に捕まっては、何をしに来たのか分からない。


 来た道へ身体を向ける。


 慌てて逃げるようには見せず、興味を失った旅人のように歩き出した。セバスチャンも何も言わず隣へ並ぶ。


 背後から呼び止める声はなかった。


 いくつか辻を曲がり、焼けた匂いが薄くなったところで、ようやく肩の力を抜く。


「見られてたな」


「見られてやしたな」


「もう少しくらいなら平気だったんじゃないか?」


「そうやって少しずつ近づいて、最後には陣の中へ入るつもりでしょうが」


「そこまでは言ってないぞ」


「顔に書いてありやした」


 セバスチャンが呆れたように息を吐く。


 俺は笑って誤魔化した。


 北側の被害は確認できた。


 北方諸国軍の陣へ続く道が厳しく見張られていることも分かった。


 収穫がなかったわけではない。


 ただ、カルデア・トラギスへ近づく道は、まだ見つからなかった。


 日が沈みきる前に、俺たちは宿のある王都外れへ戻った。


 宿へ戻る頃には、通りの明かりもほとんど消えていた。


 店は戸を閉ざし、人の姿も昼間より少ない。遠くで兵の声が上がるたび、壁際を歩く者たちが足を速めていた。


 宿の主人は、俺たちが戻っても顔を上げただけだった。


 何も聞かれないのはありがたい。


 狭い階段を上がり、部屋へ入る。扉を閉めると、外の音が少し遠くなった。


 俺は外套を脱ぎ、寝台へ腰を下ろした。


 昼間より板の硬さが気になる。


 酒場で腹へ入れた芋と腸詰めは、すでにどこかへ消えてしまったらしい。腹は満たされていないが、もう一度食事を探しに出る気にもならなかった。


「うーん」


 腕を組み、天井を見上げる。


「カルデア・トラギスに会うのは、かなり難しそうだなぁ」


 向かいの椅子へ座ったセバスチャンが、剣を壁へ立てかけながら首を振った。


「難しいんじゃなく、無理ですよ」


「そこまで言うか?」


「言いやすよ。あの先は北方諸国軍の陣ですぜ。王都の中を歩くのとは訳が違いやす」


 北側で見た兵の数を思い返す。


 焼けた家々の向こうには、陣へ続く道があった。荷車が行き交い、辻ごとに兵が立ち、少し足を止めただけでも視線を向けられた。


 あそこを旅人の顔で抜けるのは難しい。


 仮に抜けられたとしても、その先にカルデアがいる場所まで辿り着けるとは限らない。


 だが――完全に不可能かと言われれば、そうとも言い切れない。はずだ、たぶん。


 俺は腕を組んだまま、頭の中で状況を整理する。


 まず、陣の外縁は厳重だが、物資の出入りはある。荷車が通っていた以上、補給線は機能しているはずだ。そこに紛れる手はあるかもしれない。


 ただし、荷運びの人間は顔を覚えられている可能性が高い。急に増えた人間は目立つ。


 ならば、外から入るのではなく、中へ引き込まれる形を作るか。


「なんとかならんかな?」


「傭兵にでも混ざりますか?」


 セバスチャンが苦笑する。


 俺は少し考え、すぐに首を振った。


「いや、昨日今日入った傭兵じゃ会えんだろ?」


「冗談なんですがね」


「分かりにくい冗談だな」


「本気で考える若様が悪いんでしょうが」


 俺は寝台へ背中を預けた。


 傭兵として紛れ込んでも、軍の外側へ置かれるだけだろう。カルデアの近くへ行くどころか、顔を見る機会すらなさそうだ。


 だが、傭兵という発想自体は悪くないかもしれない。


 軍に属する理由を持つ者――それも、多少の自由が利く立場。


 例えば、伝令や案内役、あるいは捕虜の扱いに関わる者。


 そこまで考えて、俺は小さく息を吐いた。


 どれも完全な行き止まりではないが、かなり難しい。


 王都の住民に紛れる方法も使えない。


 北側へ住む者なら陣の近くまで行けるかもしれないが、あの辺りは被害が大きく、兵の目も厳しい。見慣れない顔が歩けば、今より余計に怪しまれるだろう。


 ならば、王都側からではなく、北方諸国軍側に「必要とされる理由」を作るべきか。


 例えば――情報。


 王都内部の情報を持っていると見せれば、話を聞く価値があると判断される可能性はある。


 問題は、その情報の信憑性と、そこへ辿り着くまでの過程だ。


「正面から会わせてくれと言うのは?」


「どこの誰だと聞かれて終わりですな」


「旅の貴族だと言えば?」


「そんな奴を軍の大将に会わせると思いやすか?」


「思わんな」


 自分で言っておきながら、すぐに諦める。


 マバール家の名を出せば、少なくとも門前払いにはならないかもしれない。


 だが、それでカルデアに会えるとも思えない。


 俺は窓の方へ目を向けた。


 板戸の隙間から、細い夜の色が見える。


 その向こうには王都があり、さらに北には北方諸国軍の陣がある。カルデア・トラギスは、おそらくそのどこかにいる。


 ここまで来て、何も見ずに帰るのは惜しい。


 ならば、危険を抑えつつ接触する方法を選ぶべきか。


 直接会うのではなく、まずは近づく。


 近づいた上で、機会を待つ。


 あるいは、向こうから呼び寄せる。


 例えば、小規模な騒ぎを起こして指揮官を引き出す――いや、それでは余計な被害が出るし、小規模な騒ぎ程度でカルデアが出てくるとも思えない。


 もっと静かで、確実性のある手。


「うーん」


「まだ考えてるんですかい?」


「せっかく王都まで来たんだぞ。顔くらい見たいだろ」


「あっしは別に見たくありやせん」


「付き合いが悪いな」


「若様の好奇心に付き合って、王都まで来てる奴へ言う言葉じゃありやせんぜ」


 確かにそのとおりだった。


 野盗狩りにも付き合い、包囲された王都にも付き合い、今もこうして俺が妙なことを始めないか見張っている。


 俺は少し笑い、再び考え込んだ。


 普通に近づくのは無理。


 旅人としても、傭兵としても難しい。


 名乗ることもできない。


 だが、完全に手がないわけでもないはずだ。


 問題は、その糸口をどう掴むかだ。


「なんか、無理矢理会うしかなさそうだなぁ」


「物騒なこと言わんでください」


 セバスチャンの声が一段低くなった。


「会うために陣へ殴り込もうなんて考えんでくださいよ」


「そこまでは考えてないぞ」


「今は、でしょうが」


 否定しようとしたが、言葉が出なかった。


 力ずくで兵を倒して進めば、カルデアの顔ぐらいは見れるか。話すのは無理だろうけどな。


「うーん」


 俺は唸りながら、寝台へ身体を横たえた。


 天井の染みを眺めながら、頭の中でいくつもの可能性を並べては消していく。


 完全な答えはまだ見えない。


 だが、ただの行き詰まりではない。


 どこかに、通れる隙間はあるはずだ。


 隣では、セバスチャンが深いため息を吐いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
遠くから砲弾魔法撃ち込んだら、おばあちゃん出てこないかな?(物騒)
「城壁に穴あけてやるから会わせろ」
周回して死にゲーの末にようやくクリアできる難易度のクエストを初見クリアしようとするところ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ