第百二十六話 旅路の値段
王都へ向かう旅は、思っていたよりも順調だった。
朝になれば馬へ鞍を載せ、街道へ出る。昼頃には一度休ませ、水と餌を与えてから再び進む。軍馬ではないため無理はさせられないが、その分、脚の様子や呼吸を確かめながら進むことにも慣れてきた。
関所では、セバスチャンが通行証と金を出す。
役人たちは王城の印を確認し、俺たちを何度か見た後、決まって道を開けた。細かく荷を調べられることもなければ、行き先をしつこく聞かれることもない。
日が傾けば町や宿場へ入り、馬を厩へ預けて宿を取る。
食事の美味い宿屋もあった。
肉を柔らかく煮込み、野菜にまで味が染みている宿では、硬いパンさえいくらでも食べられた。反対に、塩辛い肉と冷えた汁しか出てこない宿もあり、セバスチャンが一口食べただけで顔を顰めたこともある。
寝台も同じだ。
藁が柔らかく、朝までよく眠れる宿もあれば、身体を動かすたびに寝台が軋み、背中へ固い藁の茎が刺さる宿もあった。
それでも、俺には面白かった。
今日はどんな飯が出るのか。部屋は広いのか。主人は話好きか、無愛想か。城にいれば毎日同じ部屋へ戻るが、旅では一日ごとに何かが変わる。
「旅というのも、なかなか楽しいな」
街道を並んで進みながら言うと、セバスチャンが横目で俺を見た。
「金を使っているからですぜ」
「そうなのか?」
「そりゃそうでしょうよ」
セバスチャンは前を向いたまま、呆れたように続ける。
「関所じゃ通行証を見せた上で金を渡す。日が暮れりゃ宿を取る。馬には餌を食わせて、あっしらも毎日腹いっぱい食ってる。これで苦しい旅になったら、そっちの方がおかしいですぜ」
言われてみれば、その通りだった。
「普通の行商人は違うのか?」
「もっと関所で手こずりますな。渡す金を惜しめば荷を調べられるし、積んでる物によっちゃ余計に取られる。毎晩、宿へ泊まるとも限りませんよ」
「野宿か?」
「荷車のそばで寝るか、安く泊めてくれる場所を探すかですな。宿代を毎日払ってたら、稼ぎがなくなっちまう奴もいるでしょうよ」
俺は少し前を走る荷車へ目を向けた。
荷台には布をかぶせた荷が積まれ、その横を疲れた顔の男が歩いている。馬を使ってはいるが、自分は荷台にも御者台にも乗っていない。馬へ余計な負担をかけないためだろう。
俺たちとは、同じ街道を進んでいても旅の形が違うらしい。
いくつかの町と村を通り過ぎたが、見える範囲では生活そのものが崩れている様子はなかった。
畑では平民が働き、道端には子供の姿もある。町へ入れば店は開いており、宿屋にも食事が用意されている。
以前に比べて物の値段は上がっているらしい。一部の酒や食料が入らないという話も、何度か聞いた。
それでも、今すぐ食べるものがなくなるほどではない。
「あまり、いくさの影響はないようだな」
俺が言うと、セバスチャンはすぐには頷かなかった。
「影響が出るのは、これからでしょうな」
「これから?」
「今は、まだ物がありますからね」
セバスチャンは街道脇に広がる畑へ目を向けた。
「王都から来る荷が減っても、店や倉には残りがある。近くで取れる物なら、すぐに消えたりもしませんよ。ですが、いくさが長引けば、これからどんどん足りなくなるでしょうよ」
届かない物から減っていく。
減れば値段が上がり、高くなれば買えない者も増える。王都周辺だけで起きているように見える戦でも、道と荷を通じて少しずつ遠くへ広がっていくらしい。
「マバール領にも影響が出るか?」
「大して影響はありませんよ」
セバスチャンは迷わず答えた。
「そもそも、マバール領は王都方面からの物資に、それほど頼ってませんからね。まったく何もないとは言いませんが、こっちの町ほど困りゃしませんよ」
「そうなのか」
「若……ギルが、大雑把な出入りを見てたのは知ってますがね。どこから何を仕入れて、何が止まると困るかとなると、また別の話ですぜ」
呼び方を直しながら言うセバスチャンに、俺は苦笑した。
領地全体でどのくらいの金や物が動いているかは、ある程度見てきたつもりだった。
だが、その数字が実際の生活へどう繋がっているのかとなると、まだ感覚が追いついていない。
数字を知っていることと、その意味を理解していることは違うらしい。
俺は馬の歩みに身体を揺らしながら、街道の先を見つめた。
まだまだだな。
もっと学ばなきゃな。
そのまま街道を進んでいると、昼を少し過ぎた頃、前方に町が見えてきた。
大きな町ではない。
低い建物が街道の両側へ集まり、その外側には畑が広がっている。遠目には、これまで通ってきた町と大して変わらないように見えた。
だが、近づくにつれて妙なことに気づいた。
町の入口付近に人が集まっている。
何かを話しているようだが、声はまとまらず、落ち着きがない。こちらへ顔を向けた者が隣の者へ何かを告げると、その視線が次々に俺たちへ集まった。
「そろそろ、いくさの影響が出てるのかな?」
隣を進むセバスチャンへ尋ねる。
「いえ。まだこの辺りなら、そこまで大きな影響はないと思うんですがね」
セバスチャンも町の様子を見ながら首を傾げた。
畑が焼けているわけではない。家が壊されている様子もなく、煙が上がっている場所も見えない。
それでも、町の人間たちは明らかに何かを警戒していた。
俺たちが町へ入ると、道端にいた者たちが一歩ずつ退いていく。母親らしい女が子供を抱き、店先にいた男は開けていた戸を半分だけ閉めた。
なんか変な反応だな。
旅人を珍しがっているという感じではない。
恐れている。
それも、俺たちが何者か分からないから警戒しているというより、何か悪いものが来ると考えているような反応だった。
通りの先から、槍を持った男たちが走ってきた。
鎧は身につけていない。服の上から革を重ねただけの者もいれば、普段着のまま槍を握っている者もいる。
町の衛兵なのだろう。
だが、騎士ではない。魔力も感じない。
平民たちだった。
「と、止まれ!」
先頭の男が槍を突き出す。
声は震え、穂先も小さく揺れていた。
それでも、道を開けるつもりはないらしい。
セバスチャンの眉が寄る。
「なんでい?」
「止まれ!」
同じ言葉を繰り返す声が、さらに上擦った。
平民には感知魔法は使えない。
俺とセバスチャンが魔力持ちだと、確かめられているわけではないはずだ。それでも、服や武器、馬上での振る舞いから、普通の旅人ではないと察したのかもしれない。
危険だと思いながら、それでも止めようとしている。
「まあ、待て」
俺は不機嫌そうなセバスチャンを片手で制した。
「放っておきましょうや」
「まあ、いいじゃないか」
笑いながら馬を止める。
平民が俺たちへ槍を向けるなど、普通なら避けるはずだ。それでもこうして前へ出てきたということは、何か理由があるのだろう。
少し面白そうでもある。
「何があった?」
なるべく穏やかな声で尋ねる。
「協力できることなら、協力してやるぞ」
衛兵たちはすぐに答えなかった。
槍を向けたまま、互いの顔を見合わせている。こちらを信用していいのか決めかねているようだった。
セバスチャンが隣で深いため息を吐く。
「はあ……」
だいたい俺が何を考えているか分かったのだろう。
「こんなところでぐずぐずしてると、間に合わなくなりますぜ」
「少しくらいなら大丈夫だろ」
「その少しが積み重なるんですがね」
俺たちの会話を聞いて、衛兵たちの緊張がわずかに緩んだ。
先頭の男が唾を飲み込み、ようやく口を開く。
「こ、この先の村が、野盗に襲われたんだ」
「野盗?」
聞き慣れないわけではないが、山賊と何が違うのかが気になった。
「山賊じゃないのか?」
「いや……どちらでもいいけど」
衛兵が戸惑った顔で答える。
「それもそっか」
呼び方が違っても、やっていることが同じなら大した問題ではない。
「とりあえず、この先の村が、その野盗とやらに襲われているんだな?」
「そ、そうだ」
「なぜ助けに行かん?」
俺が尋ねると、男は槍を握り直した。
怯えてはいる。
だが、その問いには少しだけ強い声で答えた。
「我々はこの町を守るのが仕事だ」
「なるほどな」
衛兵たちが町を離れられない理由は分かった。
この先の村を助けるために全員で出て、その間に町が襲われれば意味がない。野盗が村だけを狙っているとも限らないし、別の仲間が近くに潜んでいる可能性もある。
正直なところ、目の前の男たちは、強そうには見えなかった。
それでも逃げずに槍を持ち、町の入口に立っている。
自分たちが守るべき場所を分かっているのなら、責めるほどのことではないだろう。
「ふむ」
俺は衛兵たちの顔を順番に見た。
「どうだ? 俺たちが、その野盗とやらを退治してやろうか?」
言った瞬間、隣から嫌そうな視線を感じた。
顔を向けるまでもなく、セバスチャンだ。
「あほなこと考えんでください」
「いいじゃないか。どうせ通り道だし」
「突っ切りゃいいでしょうが」
セバスチャンは深く眉を寄せた。
王都へ向かう途中で余計なことへ首を突っ込めば、それだけ到着が遅れる。こいつの言いたいことは分かる。
だが、襲われている村が本当にこの先なら、避けて通るにしても結局様子を見る必要がある。
道を塞がれているかもしれないし、野盗が街道へまで出てくる可能性もある。
それなら、最初から退治してしまった方が早い。
何より、久しぶりに少し身体を動かせそうだった。
衛兵たちは俺とセバスチャンを見比べた後、恐る恐る口を開いた。
「この町は貧しい。それほど報酬は払えないが……」
そこを気にしていたのか。
「かまわん。ついでだ」
俺が笑うと、衛兵たちの表情が揺れた。
安心したようにも見えるし、逆に俺が何を考えているのか分からず警戒しているようにも見える。
ただ、少なくとも槍の穂先は少し下がった。
「まったく……」
セバスチャンが諦めたように息を吐く。
引き返せとは、もう言わなかった。
俺が一度決めたら止めても無駄だと分かっているのだろう。
それとも、こいつ自身も少しは野盗退治を楽しみにしているのかもしれない。
セバスチャンは馬上から衛兵たちを見下ろした。
「おい。野盗どもは退治してやるが、村の住人までは面倒見きれんぞ」
衛兵たちが顔を上げる。
「怪我人の手当てだの、焼かれた家の建て直しだの、奪われた食料の穴埋めだの、そこまでこっちへ押しつけるな」
「ああ。それで十分だ」
先頭の衛兵が何度も頷いた。
「野盗さえいなくなれば、村の者たちは町へ逃がせる。怪我人も、こちらで何とかする」
「ならいい」
セバスチャンは短く答えた。
俺は衛兵へ村の場所を尋ねた。
町を抜け、そのまま街道を進み、途中で脇道へ入る。そこから先はそれほど遠くないらしい。
襲っている野盗の数までは分からないという。
村から逃げてきた者が、町へ助けを求めに来ただけだった。話を聞く限り、少なくとも十人や二十人ではないらしい。
俺は念のため感知魔法へ意識を向けた。
町の中には、目立った魔力反応はない。
衛兵も住民も平民ばかりだ。
野盗の中に魔力持ちがいるかどうかは、まだ遠すぎて分からない。近づけば確認できるだろう。
「案内は?」
俺が尋ねると、衛兵たちはまた顔を見合わせた。
一人くらい同行させるつもりだったが、町の警備を減らすのはまずいのかもしれない。
「道だけ教えてくれればいい」
そう言うと、先頭の男が脇道の位置と、村までの目印を説明した。
街道沿いに立つ大きな木。
その先にある細い道。
畑を二つ越えれば村が見える。
迷うほど複雑ではなさそうだ。
「分かった」
手綱を引き、馬の向きを変える。
セバスチャンも渋い顔のまま、それに続いた。
「本当に行くんですな」
「ここまで話を聞いて、行かない方がおかしいだろ」
「普通は逆ですぜ」
「そうか?」
「王都へいくさ見物に向かってる途中で、野盗退治へ寄り道する奴はいませんよ」
それは確かにそうかもしれない。
だが、せっかく目の前に面白そうなことが転がっている。
見過ごす理由もなかった。
町の住人たちは道の両側へ避け、俺たちを見送っていた。
怯えた目も残っているが、その中に期待のようなものも混じっている。
あまり期待されても困る。
俺たちがやるのは、野盗を消すことだけだ。
村をどうするかは、生き残った者たちが考えればいい。
町の外へ出ると、街道の先に低い丘が見えた。
風が草を揺らし、その向こうへ道が伸びている。
俺は自然と口元を緩めた。
「よし。それじゃ行くぞ」
「分かりましたよ」
セバスチャンが諦め混じりに答える。
俺は馬の腹を軽く蹴った。
「さぁ、野盗狩りだ」




