第百二十五話 いくさ見物への道
シルディア城を出てから間もなく、俺とセバスチャンは街道沿いの小さな町へ立ち寄った。
馬を置いている店はすぐに見つかったが、並んでいたのは軍馬とは程遠い馬ばかりだった。荷車を引かせるためのものや、商人が街道を移動するために使うものが中心で、身体つきもマバール騎士団の馬ほど逞しくはない。
それでも、徒歩で王都を目指すよりはましだ。
セバスチャンが店の男と値段を交渉し、脚の状態や蹄を確かめてから二頭を選んだ。俺には違いがよく分からなかったが、こいつが選んだのなら問題はないだろう。
荷を鞍へ結びつけ、町を出る。
馬は素直に街道へ入ったものの、走り出してすぐにセバスチャンがこちらを見た。
「軍馬じゃないんで、あまり無茶はできませんぜ」
「ああ、分かっている」
「本当に分かってるんでしょうな?」
「分かってるって」
疑い深いやつだ。
俺が馬を潰すまで走らせるとでも思っているのだろうか。急いではいるが、王都へ着く前に馬が使えなくなれば、余計に時間がかかる。それくらいは俺にも分かる。
街道の両側には、低い草原が続いていた。ところどころに畑があり、遠くでは平民らしい人影が土を耕している。王都が包囲されているとはいえ、さすがにここまで来ると戦の気配は薄い。
それでも、すれ違う荷車は少なかった。
王都へ向かう者より、王都から離れる者の方が多い。家財らしい荷を積んだ荷車もあり、こちらとすれ違う時には誰もが警戒するような目を向けてきた。
「まったく、こんなヤバいことして、怒られても知りませんぜ」
セバスチャンがまた文句を言い始めた。
「ザイン殿が上手く誤魔化してくれるだろ」
「誤魔化せるのも少しの間だけでしょうが」
「少しあれば十分だ」
「何が十分なんですかねぇ」
俺は肩を竦めた。
父上に知られれば、確かに怒られるかもしれない。
だが、だからといって引き返す気にはならなかった。
前世でいうところのアレクサンダー大王やハンニバルほどではないのかもしれない。俺はカルデア・トラギスの戦をすべて知っているわけではないし、何百年も後にどのように語られるかも分からない。
それでも、北方諸国をまとめ、老いてなお自ら軍を率い、王城を包囲するところまで来た人物だ。
間違いなく、この世界の歴史に残る。
その最後になるかもしれない戦が、今まさに行われている。
見ないわけにはいかんだろう。
俺がそんなことを考えている間も、セバスチャンはぶつぶつと文句を言っていた。
だが、馬の速度を落とす様子はない。
引き返そうとも言わない。
こいつも、やっぱり見たいんだろうなぁ。
「王都まで、どれくらいかかる?」
気楽に尋ねると、セバスチャンは呆れたようにこちらを見た。
「分かるわきゃないでしょうが。今はいくさ中なんですぜ」
「だいたいでいい」
「まともに進むなら、ひと月はかかるでしょうな」
「ひと月か」
「宿場で道を聞いて、関所で止められて、領主の兵に探られながら進めば、ですけどね」
セバスチャンは前方へ視線を戻した。
「若様の言う通り、何もかも無視して突き進むなら、半月ほどじゃないですかね?」
「半月か。なら、急げば間に合いそうだな」
「だからといって馬を潰さないでくださいよ」
「分かってる」
同じ注意を何度も繰り返され、俺は苦笑した。
しばらく進んだところで、ふと呼び方が気になった。
街道には人が少ないとはいえ、これから宿場や関所を通ることになる。そのたびにセバスチャンが俺を若様と呼んでいれば、身分のある人間だと自分から知らせるようなものだ。
「若様と呼ばれると目立ちそうだな。ギルでいいぞ」
「確認しますが、あくまでいくさ見物なんですよね?」
呼び方には答えず、セバスチャンが妙な確認をしてきた。
「ん? ああ、そうだ」
俺は笑った。
「別に、謎の通りすがりとして参加しようとか考えてないぞ」
「いけませんぜ。若様が参加したら、めちゃくちゃになるんですから」
「めちゃくちゃとは酷いな。それと、若様じゃなくギルだ」
「へいへい。ギル様」
「呼び捨てでいいぞ」
「それなら、くそガキの方がいいですな」
セバスチャンが楽しそうに笑う。
「はっはっはっ。それは却下だ」
俺も笑い返した。
クソじじいにくそガキと呼ばれながら王都へ向かうのも、それはそれで気楽かもしれない。だが、他人の前で呼ばせるには余計に目立ちそうだった。
「それより、くれぐれも魔力は抑えてくださいよ」
笑みを引っ込めたセバスチャンが、改めて念を押してくる。
「分かっている。並程度まで抑えておく」
俺が普段どおりの魔力を出していれば、感知魔法を使える貴族や騎士にはすぐに怪しまれる。
ギルバート・マバールだとまでは分からなくても、妙に強い魔力を持つ若い貴族が王都へ向かっているとなれば、話が広がるかもしれない。
俺は身体の内側へ意識を向け、外へ漏れる魔力を静かに絞った。
完全に隠せば、それはそれで不自然だ。
少し強めの魔力を持つ騎士。
その程度に見えれば十分だろう。
「こんなもんか?」
セバスチャンが俺の方へ意識を向け、少しして頷いた。
「まあ、そのくらいなら」
「なら問題ないな」
「問題だらけですがね」
また文句を言うセバスチャンを横目に、俺は王都へ続く街道を見た。
道は遠くまで伸び、その先は緩やかな丘の向こうへ消えている。
半月。
何もなければ、それくらいで着く。
何もないはずはないが、だからこそ面白そうだった。
街道を進んでしばらくすると、前方に木の柵が見えてきた。
道の左右へ粗末な柵を伸ばし、その中央だけを荷車一台が通れるほど開けている。脇には小さな詰め所があり、槍を持った平民らしい男たちが数人立っていた。
関所か。
王都まで行くなら、こういう場所をいくつも越えることになるのだろう。
「そういや、関所はどうするんだ?」
俺が尋ねると、セバスチャンは心底呆れたような顔をした。
「それぐらい考えてから動いてくださいよ」
「お前なら何か用意してるんだろ?」
「人任せにもほどがあるでしょうが」
文句を言いながらも、セバスチャンは外套の内側へ手を入れた。
取り出したのは、折り畳まれた通行証だった。少し古びているが、丁寧に扱われていたらしく、破れも大きな汚れもない。
「まあ、王都からの使者や密偵どもから奪った通行証くらいなら用意してますがね」
「さすがだな」
「頼みますよ、本当に」
俺が素直に感心すると、セバスチャンはむしろ疲れたように息を吐いた。
関所へ近づくと、槍を持った男が手を上げた。
「止まれ。どこへ行く?」
セバスチャンが先に馬を進め、懐から通行証を出す。
「王都へ向かう途中だ」
男は受け取った通行証を開き、書かれている文字と印を確認した。こちらへ一度視線を向けたものの、それ以上深く聞こうとはしない。
近くにいた別の男が俺たちの馬と荷を眺める。
セバスチャンは通行証を持つ男へ近づき、何かを手渡した。指の間で小さく金属が鳴る。
男の顔がわずかに緩んだ。
「通っていい」
それだけだった。
通行証が返され、柵が開かれる。
俺たちは馬を進め、そのまま関所を抜けた。
随分とあっさりしている。
「案外簡単に通れるんだな」
関所が後ろへ遠ざかってから言うと、セバスチャンは鼻で笑った。
「小領主の関所なんざ、あんなもんですよ。狙いは金ですから」
「魔力持ちを通すと危なくないか?」
俺が首を傾げると、セバスチャンは当然のように答えた。
「危ないから通すんですよ」
「ん?」
「本来なら、魔力持ちは厳しく取り調べます」
セバスチャンは馬を進めながら続ける。
「どこの家の者か。何のために領内へ入るのか。武器は何を持っているか。聞くことはいくらでもあるでしょうな」
「なら、聞けばいいだろ」
「命懸けでまで取り調べる役人は、そうはいませんよ」
ああ。
そういうことか。
関所にいたのは平民ばかりだった。
こちらが魔力持ちだと分かっていて、無理に止めようとすれば、何をされるか分からない。少し金を取って通す方が、自分たちにとっては安全なのだろう。
「そんなもんか」
「渡す金次第ですがね」
セバスチャンが平然と答える。
その後も、街道筋にある関所をいくつか通った。
使う通行証は場所によって変えた。王都の使者が持っていたものもあれば、密偵から奪ったらしいものもある。
どの関所でも、少し金を渡せば大きな問題にはならなかった。
荷を詳しく調べようとする者もいたが、セバスチャンが低い声で急いでいると告げると、すぐに引き下がった。
「なあ」
また一つ関所を抜けたところで、俺は少し不安になった。
「マバール領でも、こんなもんなのか?」
セバスチャンは俺の顔を見ると、声を上げて笑った。
「まさか」
「違うのか?」
「マバール領の関所には、必ず騎士たちがいますからね。そう簡単には通しゃしませんよ」
少し安心した。
「さっきみてえなのは、騎士を関所にまで用意できない、ちっぽけな領地だけですぜ」
「なるほど。金のための関所にまで騎士は配置できんか」
「そういうことです」
小さな領地では、騎士の数にも限りがある。
城や屋敷、領主の護衛に必要な騎士を、通行料を取るためだけの関所へ置く余裕はないのだろう。
「それに、王城印の通行証ですしね」
セバスチャンが懐を軽く叩いた。
「下手に止めて、後から王都に睨まれる方が面倒だと思ってるんでしょうよ」
「うーん」
俺は少し考えてから頷いた。
「あの使者には感謝しないとな」
セバスチャンは前を向いたまま、淡々と返した。
「もう殺してますけどね」
日が傾き始めた頃、街道の先に町の屋根が見えてきた。
大きな町ではない。街道に沿って家々が並び、その中央付近に宿屋と酒場らしい建物が集まっている。行き交う荷車は少なく、道端に立つ者たちも、遠くから近づく俺たちを警戒するように眺めていた。
馬の歩みも、朝より明らかに重い。
軍馬ではないのだから、これ以上進ませるのはよくないだろう。
「今日はここまでだな」
「そうですな。無理をさせて、明日から歩く羽目になるのは御免ですぜ」
セバスチャンは馬の首筋へ目を向けながら頷いた。
街道沿いにある宿屋の前で馬を止める。
古びてはいるが、それなりに大きな建物だった。入口の脇には荷車を置く場所があり、奥には厩も見える。窓からは灯りが漏れ、肉と煮た野菜の匂いが外まで流れていた。
俺たちが中へ入ると、帳場にいた男がすぐに顔を上げた。
「二人ですかい?」
「ああ。馬も二頭頼む」
交渉はセバスチャンに任せる。
宿屋の主人が示した金額を聞いた瞬間、セバスチャンの眉が上がった。
「随分と値上げしてるな」
「仕方ないんですよ」
主人は困ったように笑い、両手を広げた。
「王都側から物がほとんど届かないんでね。食料も酒も、前みたいには入ってこないんです」
「ほう。そんなに酷いのかい?」
「まあ、王都以外には、それほど被害はないみたいですけどね」
主人は声を少し落とした。
「王都の方は囲まれてるって話ですし、周りの村も食料を持っていかれてるとか」
断言する口調ではない。
行商人や旅人から聞いた話を、そのまま繋いでいるのだろう。
「北方諸国の兵は、随分と行儀がいいんだな」
セバスチャンが探るように言うと、主人は首を傾げた。
「どうでしょうね。王都じゃ略奪されてるみたいですよ。ただ、こっちまでは兵が来てないんで」
「なるほどな」
セバスチャンは軽く頷いた。
主人は俺たちの服や荷を見た後、少しだけ身を乗り出した。
「それより、東側のマバール領が帝国についたって噂の方が気になりますよ」
やはり、こちらが東から来たことには気づいているらしい。
セバスチャンは顔色を変えなかった。
「あっちは、だいぶ落ち着いたみたいだがな」
「そりゃ何よりですよ」
主人はほっとしたように息を吐いた。
「東も西も戦じゃ、たまったもんじゃありませんからね」
「ここの領主様は、どっちにつくんだい?」
セバスチャンが何気ない調子で尋ねる。
主人は一度だけ周囲を見回したものの、すぐに笑った。
「さあ? どっちでも、私ら平民には関係ありませんよ」
「たくましいな」
「税が増えなきゃ、どっちでも構いませんよ」
「まったくだな」
二人が笑い合う。
俺には、そこまで簡単に割り切れる感覚がまだよく分からなかった。
王国か帝国か。
どちらに属するかは、貴族にとって家の存続そのものに関わる。だが、平民にとっては、日々の暮らしが変わらず、払う税が増えなければ、それでよいのかもしれない。
宿屋の主人は帳場の下から鍵を取り出した。
「こちらが鍵になります。二階の一番奥を使ってください。食事は用意できますが、風呂は町の公衆浴場を使ってください」
「ああ、分かった。飯はすぐに頼む」
「承知しました」
鍵を受け取り、俺たちは階段を上がった。
板張りの廊下は歩くたびに小さく軋む。二階の一番奥にある部屋へ入り、扉を閉めると、下から聞こえていた話し声が少し遠くなった。
部屋には寝台が二つと、小さな机が一つあるだけだった。
荷を下ろし、俺は固くなった肩を回した。
「庶民ってのは、たくましいんだなぁ」
先ほどの主人の顔を思い出しながら言うと、セバスチャンは荷を寝台の脇へ置いた。
「戦うのは貴族と騎士の役割ですからね。巻き込まれなきゃ、あんなもんですよ」
「そんなもんか」
「巻き込まれりゃ、他人事じゃいられませんがね」
「なるほどな」
俺は頷きながら、窓の外へ目を向けた。
夕暮れの町では、家々に灯りが点り始めている。
王都が囲まれていても、ここでは人が働き、飯を食い、明日の心配をしている。
まだまだ、平民の感覚は分からんなぁ。
荷を置いて少し休んだ後、俺たちは一階の食堂へ下りた。
先ほどより人が増えている。
宿の客だけではないらしく、仕事帰りらしい男たちや、近所から来たような女たちも卓を囲んでいた。椅子を引く音と話し声が重なり、奥では給仕の女が皿を抱えて忙しそうに行き来している。
空いている卓へ腰を下ろすと、すぐに食事が運ばれてきた。
大きな器には、塩茹でにされた肉と野菜が入っている。汁の表面には薄く脂が浮かび、その隣には硬そうなパンが置かれた。
俺はパンを手に取り、指でちぎる。
そのまま噛めば顎が疲れそうだったので、温かな汁へ浸してから口へ運んだ。
肉の塩気と野菜の甘みが染み込み、見た目より悪くない。
「なかなか美味いな」
向かいに座るセバスチャンも、パンを汁へ浸していた。
「ちと脂が多すぎますな」
「年だな」
俺が笑うと、セバスチャンは眉を上げた。
「上品な口なもんで」
「よく言う」
肉を一切れ口へ入れながら、周囲の会話へ耳を傾ける。
王都が包囲されているのだから、食堂中が戦の話で持ちきりかと思っていた。
だが、聞こえてくるのは戦況よりも、物の値段に対する愚痴ばかりだった。
「ちっ。また酒を値上げしたのかよ」
隣の卓で、髭を生やした男が杯を持ち上げて文句を言う。
給仕の女は、皿を置きながら面倒そうに返した。
「しょうがないんだよ。前ほど入ってこないんだから」
「少しくらい安くしろよ」
「だったら水でも飲みな」
周囲から笑い声が上がる。
男は不満そうに口を尖らせながらも、杯を手放そうとはしなかった。
「まったく、いくさなんざ、お貴族様だけでやりゃいいのにな」
別の卓から声がした。
「王国だの北方諸国だの、どうでもいいがねぇ」
「王様は何してんだい?」
「さあなぁ。王城に籠もってんじゃねえのか」
「北方諸国ってのは、どんな奴らなんだ?」
「噂じゃ、こっちより税が安いらしいぞ」
「ほう。それなら、ご領主様も北方諸国になってほしいねぇ」
その言葉に、卓を囲んでいた者たちが顔を見合わせる。
一人の年老いた男が、皺だらけの顔で笑った。
「どうかね。ご領主様なら、なんのかんのと言って税を取るんじゃねえかね」
「それじゃ変わらんか」
「そうだな」
また笑いが起きる。
誰も声を潜めようとしない。
王家を罵っているわけでも、北方諸国を褒め称えているわけでもなかった。ただ、自分たちの暮らしが少しでも楽になる方がよいと、酒を飲みながら話しているだけだ。
俺は汁に浸したパンを口へ運び、ゆっくりと噛んだ。
貴族なら、どちらへつくかで家の未来が変わる。
王国に残るのか、北方諸国につくのか、帝国へ移るのか。誰を支持し、誰と婚姻を結び、どこへ兵を出すのか。判断を誤れば領地も命も失う。
だが、ここにいる平民たちが見ているのは、酒の値段と税の額だった。
王都が囲まれていても、明日の食事は必要になる。
王が誰であろうと、畑を耕さなければ腹は満たせない。
宿屋の主人が言っていたことも、食堂の客たちが笑っている理由も、何となく分かる気がした。
それでも、俺が同じように考えられるかと言われれば難しい。
俺は生まれた時から貴族だった。
前世の感覚が残っていても、今の俺が知っている暮らしは貴族の暮らしだ。税を取られる側ではなく、領地を守り、治める側として育ってきた。
「どうしました?」
セバスチャンがこちらを見る。
「いや」
俺は首を振り、残った肉へ手を伸ばした。
「平民ってのは、思ってたより国にこだわらないんだな」
「国より、今日食えるかどうかの方が大事でしょうからね」
「そんなもんか」
「そんなもんですぜ」
セバスチャンは脂の浮いた汁を少し避け、柔らかくなったパンだけを口へ運んだ。
食堂では、まだ酒の値段を巡る言い争いと笑い声が続いている。
王国が揺れても、この町の夜はいつもどおり更けていくらしい。
俺はその喧騒を聞きながら、明日も王都へ向けて進む道のことを考えていた。




