第百二十三話 老将の焦り
北方諸国軍の後方に張られた天幕は、前線の喧騒からわずかに離れていた。
静かではある。
だが、穏やかではない。
厚い布越しにも、周囲を巡回する騎士たちの足音が絶えず聞こえてくる。鎧が擦れる硬い音。短く交わされる合図。天幕の入口には常に人の気配があり、少し離れた場所にも複数の騎士が控えている。
守られている。
そう言えば聞こえはよいが、カルデアには自分の衰えを囲われているようにも思えた。
「ふっ……」
寝台へ背を預けたまま、カルデア・トラギスは自嘲気味に小さく笑った。
「若い頃は、防御魔法があれば鎧など要らなんだというのにのう」
かつては鎧を身につけないことを恐れたことなどなかった。
刃が届くより早く防御魔法で止めればよい。矢が降るなら弾けばよい。敵が近づくなら、それより先に踏み込めばよかった。
自分の魔力が尽きるなど、考えたことすらない。
だが今は違う。
「今では、その鎧すら重くて身につけられんか」
膝の上へ置いていた手を、ゆっくりと持ち上げる。
皮膚は薄く、指は細い。幾度も武器を握り、敵の血を浴び、北の大地をまとめ上げてきた手とは思えないほど萎びている。
握り締めようとしても、若い頃のような力は戻らなかった。
「魔力も、いつまで保つことやら」
口元に浮かんだ笑みは、そのまま苦いものへ変わった。
魔力が消えたわけではない。
今も使える。戦おうと思えば戦えるだろう。
だが、一度大きく使えば、どこまで戻るか分からない。昨日までできたことが、明日も同じようにできるとは限らない。
カルデアは手を下ろし、薄暗い天幕の天井を見上げた。
焦りすぎたか。
その考えが浮かぶのは、これが初めてではない。
王国へ攻め込む時期を誤ったのではないか。もう少し待つべきだったのではないか。北方諸国をさらに固め、王国の内側が崩れるまで耐えるべきだったのではないか。
考えたところで、答えはいつも同じところへ戻る。
自分には、その時間がなかった。
せめて、あと二十年。
二十年早く生まれていれば、北方諸国をもっと早くまとめられた。
若いうちに諸国を従え、次の世代を鍛え、十分な兵と食料を整えてから南へ向かえただろう。
二十年遅く生まれていれば、王国の混乱が大きく広がるのを待つことができた。
王家と貴族の間にさらに亀裂が入り、地方が王都を見限り、争わずとも崩れかけたところへ手を伸ばせたかもしれない。
だが、そのどちらも駄目だった。
己の生まれた時と、王国が崩れる時が噛み合わない。
「ままならんものじゃな」
誰に聞かせるでもなく呟き、カルデアは目を細めた。
そして、一人の男の顔を思い浮かべる。
「ガルシア・マバールめ」
自然と声が低くなった。
あの男はこちらの焦りを見抜いた。
北方諸国がいつまでも待てないことも、カルデア自身に残された時間が少ないことも、すべてを知っていたわけではないだろう。それでも、こちらが急いでいることだけは見誤らなかった。
そして、最悪の時期に王国を見捨てた。
マバール家が王国に残っていれば、こちらはより慎重にならざるを得なかった。王国軍が崩れても、あの家が動けば戦況は変わる。兵を進めるにも、常に警戒する必要があった。
だが、ガルシアは王国を捨てた。
こちらにとって道が開いたように見せながら、その実、王国の崩壊だけを早め、自分たちは安全な場所へ移った。
腹立たしい。
こちらの都合など何一つ考えず、最も嫌な時期を選びおった。
だが、当主として見れば頼もしい男だった。
家と領地を守るためなら、長く仕えた王家さえ切り捨てる。迷いがない。情に引かれず、必要とあれば昨日までの味方を敵へ回す。
あれほどの男が北方諸国にいれば、と考えたことも一度や二度ではない。
天幕の外で、足音が止まった。
「カルデア様。ムーバーン様とブリーラン様がお見えです」
「通せ」
入口の布が持ち上がり、外の白い光が細く差し込む。
先に入ってきたのは、肩幅の広い大柄な男だった。その後ろに、細身の男が静かに続く。
二人とも前線から戻ったばかりなのだろう。鎧には土埃が残り、身体には薄く汗の匂いがまとわりついている。
大柄な男は寝台の近くまで進むと、声を抑えて呼びかけた。
「お婆様」
カルデアはその一言に含まれた気遣いを聞き取り、わずかに眉を上げた。
「……大丈夫じゃ」
心配する必要はないと示すように微笑む。
「報告があるのじゃろう? ムーバーン」
「はい」
ムーバーンは一礼し、落ち着いた声で話し始めた。
「包囲は順調です。王城から大きな動きはなく、こちらの陣を崩そうとする試みもありません。城外へ逃れようとする者は増えておりますが、兵の配置に穴は作っておりません」
「そうか」
「ただ、兵糧に不安があります」
カルデアは表情を変えなかった。
ムーバーンも余計な言葉を挟まず、続ける。
「王都に蓄えられていると見込んでいた食料が、事前の報告よりはるかに少ないことが分かりました。運び込める量も予定を下回っております。このまま包囲を続けた場合、兵へ十分に食わせ続けることが難しくなるかもしれません」
声は冷静だった。
報告としては不足がない。
だが、カルデアの胸の内には、じわりと苛立ちが広がっていた。
ならば、なぜ奪わぬ。
周辺の領地を焼き、隠している食料を吐き出させればよい。拒む者がいるなら見せしめに殺し、村ごと踏み潰せば、次の村は自ら差し出す。
食料が足りないと報告する前に、手に入れる方法などいくらでもある。
包囲を維持できないのであれば、犠牲を出してでも城壁を越えればよい。
兵を失うことを恐れて時間を失えば、最後にはより多くを失う。
王家を交渉へ引きずり出したいのであれば、自分を囮に使えばよい。カルデア・トラギスが前へ出たとなれば、王国側も無視はできまい。
その隙に何をするかなど、考えるまでもない。
優しすぎる。
カルデアは黙ったまま、ムーバーンの顔を眺めた。
味方を大切にするのはよい。
兵を無駄死にさせたくないと考えることも、民を飢えさせたくないと考えることも、間違いではない。
だが、優しさとは味方へ向けるものだ。
敵にまで優しさを見せてどうする。
敵である。
ただそれだけの理由で、何の罪もない民草を笑って踏み躙らねばならぬ日もある。それができなければ、自国の民へ向けるはずだった優しさまで奪われる。
ムーバーンは、それを理解していない。
鍛え損なったか。
カルデアは後ろに控える細身の男へ視線を移した。
ブリーランは静かに立ち、ムーバーンの報告を聞いている。
兵糧が頼りないと思うのであれば、殺して奪えばよいものを。
「ブリーラン」
「はっ」
「何か意見はあるか?」
ブリーランはわずかに姿勢を正した。
「このまま包囲を続ければ、王国側は大きく譲歩した形で講和すると考えます」
「そうか。そうじゃな」
カルデアは穏やかに微笑んだ。
ブリーランも、安心したように口元を緩める。
「はい。大きく領土を奪うことができましょう」
その笑顔を見ながら、カルデアは静かに頷いた。
違う。
そのために攻め込んだわけではあるまい。
領土を奪うだけなら、ここまで大きく動く必要はない。王城を囲み、王国そのものを揺らし、多くの兵と食料を費やした意味を理解していない。
細い息が、口から漏れた。
ブリーランの表情がわずかに強張る。
「何かありましたら、おっしゃってください」
声に緊張が滲んでいた。
「いや、少し疲れただけじゃ」
カルデアは笑って答えた。
「そうですか」
ムーバーンも心配そうにこちらを見ている。
ブリーランは深く頭を下げた。
「報告は以上です。どうかお休みください」
「うむ。そうさせてもらおうか」
二人が一礼し、天幕の入口へ向かう。
その背へ、カルデアは静かに声をかけた。
「報告なら、二人で来なくてよい」
二人が同時に足を止め、振り返った。
「二人とも前線を離れれば、何かあった時に抜かれかねん」
「はっ」
ムーバーンが頷き、ブリーランもそれに続く。
今度こそ二人は天幕を出ていった。
鎧の擦れる音と足音が少しずつ遠ざかり、完全に気配が消えてから、カルデアはそっとため息を吐いた。
「北の大地の厳しさでも、人は鍛えられんか」
寒さに耐え、飢えを知り、弱ければ死ぬ土地で育っても、心まで強くなるとは限らない。
カルデアは再び萎びた手へ目を落とした。
ガルシアなら。
あの男ならば、もっと厳しく育てるのだろうな。
シルビア橋の砦の一室で、ギルは机の前で筆を止めたまま、しばらく紙を眺めていた。
窓の外からは、大河を渡る風の音が聞こえてくる。厚い石壁に遮られていても、時折、橋を通る荷車の軋みや兵の呼び声が微かに届いた。
机の上には、まだ一文字も書かれていない紙がある。
レティシアたちへ送る手紙だ。
「うーん……」
ギルは筆先を紙の上へ近づけ、また離した。
なんて書こうかな。
寂しくてたまらん、とかか。
頭に浮かべてみたものの、実際に書かれた文章を想像した途端、妙に情けなく思えてくる。
城を離れてから日が経っている。
レティシアの淹れる茶も飲んでいない。リエリエールの柔らかな声も、ダリアの姿も見ていない。今の砦に不足があるわけではないが、自室へ戻った時の落ち着きとは違う。
寂しいこと自体は間違いではなかった。
だが、そのまま書くのは何か違う。
ギルは椅子の背へ身体を預け、筆を指先で転がした。
こう、寂しさをやんわりと伝えて、俺の愛情を滲ませるような名文を書きたいよな。
読んだレティシアたちが、俺も私たちを想ってくれているのだと安心できるような文章。
露骨すぎず、薄すぎず、格好よく。
そこまで考えたところで、今度は別の不安が浮かぶ。
いや、しかし。
そんなことを書けば、レティシアたちも気に病むかもしれない。
ただでさえ戻る時期は決まっていない。こちらが寂しいと書けば、早く帰ってきてほしいと思われるかもしれないし、自分たちが側にいないせいだと余計な心配をさせるかもしれない。
ダリアは妊娠中だ。
余計な負担をかけるのはよくない。
ギルは考えた末、筆先を紙へ落とした。
砦では問題なく過ごしていること。
シルビア橋の様子は落ち着いていること。
食事もきちんと取っていること。
皆のことを想っていること。
結局、書き上がったのは近況を簡単に並べた、随分と無難な手紙だった。
乾き始めた文字を上から読み返す。
寂しいとは一言も書いていない。
だが、最後には皆へ会える日を楽しみにしていると添えた。これなら重くはないだろうし、何も想っていないとも思われないはずだ。
「まっ、こんなとこか」
ギルは満足したように頷き、筆を置いた。
紙をすぐに畳まず、しばらく乾かすため机の端へ寄せる。
次の伝令が来たら渡しておこう。
そう考えたところで、扉が控えめに叩かれた。
「ギルバート様」
聞き慣れた声に、ギルは扉へ顔を向ける。
「入れ」
扉が開き、オルドが室内へ入ってきた。
いつものように姿勢を崩さず、机の少し手前で足を止める。視線が一瞬だけ机上の手紙へ向いたように見えたが、何も尋ねず一礼した。
「セバスチャン殿がお呼びです」
「ん?」
ギルは思わず首を傾げた。
「セバスが?」
「はい」
珍しいな。
セバスチャンがこちらへ来るのではなく、わざわざ呼び出す。何か手を離せない事情があるのだろう。
「どこだ?」
尋ねると、オルドはわずかに声を落とした。
「地下です」
その一言で、穏やかだった気分が少し変わった。
砦の地下に用がある時は、大抵ろくな話ではない。
「分かった」
ギルは椅子から立ち上がり、外套を整えた。
机の上の手紙を一度見てから、オルドとともに部屋を出る。
廊下には兵が行き交っていた。窓から入る光はまだ明るく、砦の上階には人の声も多い。
だが、地下へ続く階段へ近づくにつれ、その気配は薄れていった。
石段は狭く、壁には小さな灯りが間を空けて置かれている。降りるたびに空気が冷たくなり、湿った石と古い鉄の匂いが濃くなっていった。
オルドは余計なことを話さない。
ギルも尋ねなかった。
呼んだのがセバスチャンなら、着いてから聞けばよい。
地下には鉄格子の牢屋が並んでいた。
どれも空だ。
暗い中に細い格子だけが並び、人の姿は見えない。そのさらに奥に、ひとつの小部屋がある。
近づく前から、血の臭いがした。
乾いたものではない。
つい先ほどまで、誰かが流していた血の臭いだ。
小部屋の前には兵が一人立っていた。ギルを見ると黙って身体を退け、扉へ手をかける。
蝶番が軋み、重い扉が開いた。
室内にはセバスチャンと数人の兵がいた。
壁際には血のついた布と道具が置かれ、床にも黒ずんだ染みが広がっている。その中央では、一人の男が椅子へ縛りつけられていた。
身につけている服は、それなりに金がかかっている。
だが、顔は腫れ上がり、元の形が分からないほど歪んでいた。指も何本かが逆向きに折れ、力なく垂れている。
男は荒い息を吐きながら、片方しか開かない目でギルを睨んだ。
ギルはその姿を一度見てから、セバスチャンへ視線を向けた。
「なんだ、こいつ?」
セバスチャンは血のついた手を布で拭いながら、いつもの調子で笑った。
「どうも王都からの使いらしいですぜ」
「は?」
ギルは椅子へ縛られた男をもう一度見た。
腫れ上がった顔。折れた指。金のかかった服には血と汚れが染みつき、胸元の飾りも半ば引きちぎられている。それでも男は背を丸めず、残った片目でこちらを睨み続けていた。
「なんで王都から使者なんて来るんだ?」
「さあて。あっしも聞いた時は驚きましたよ」
セバスチャンは笑いながら、近くの机へ手を伸ばした。
そこには血のついていない一通の書状が置かれている。丁寧に折られ、封を切られた跡があった。
「こいつが持ってたもんです」
差し出された書状を受け取り、ギルは開いた。
紙は厚く、文字も整っている。乱れのない書き方だけを見れば、随分と立派なものだった。
だが、書かれている内容を読み進めるうちに、ギルの眉が少しずつ上がっていく。
「ふーん」
爵位の剥奪。
領地の返還。
王家への服従。
マバール家がこれまでに受けた恩を忘れず、速やかに命令へ従うようにとも書かれていた。
「爵位の剥奪に、領地の返還命令か」
声に出してみると、余計に妙な内容に思えた。
マバール家はすでに帝国貴族だ。
王国の辺境伯ではない。領地も王国から切り離し、帝国へ属している。王国側が今さら剥奪すると言ったところで、何が変わるのかよく分からない。
ギルは書状の端をつまんだまま、思わず笑った。
「こんな書状なんだな」
「あっしも初めて見ましたよ」
セバスチャンも面白そうに笑う。
王都の貴族たちが何を考えているのかは分からない。だが、少なくとも、この命令がマバール家へ通じると本気で思っているらしい。
ギルは書状から顔を上げ、縛られた男へ視線を移した。
「王都貴族はアホなのか?」
男の肩が震えた。
痛みのせいか、怒りのせいかは分からない。砕けた歯の隙間から血の混じった息を吐き、掠れた声を絞り出す。
「だ、黙れ……この、裏切り者……」
小さな声だったが、言葉だけははっきりしていた。
ギルは少し感心した。
「なかなかの根性だなぁ」
ここまで痛めつけられても、まだ言い返す気力が残っている。王都の貴族たちがアホなのかと聞いたところで、素直に答えるはずもないが、それでも黙り込まないのは大したものだった。
とはいえ、それで何かが変わるわけではない。
ギルは男から興味を失い、再びセバスチャンへ向き直った。
「それで、なんで俺を呼んだんだ?」
「一応、王都からの正式な使者らしいんでね」
セバスチャンは肩を竦める。
「勝手に始末しちまうより、若様に聞いた方がいいかと思いまして」
「ふーん」
「どうします? 治癒魔法で癒して、王都へ送り返しますかい?」
笑いながら聞いてくるあたり、セバスチャン自身もそんなつもりはないのだろう。
ギルは椅子へ縛られた男を見た。
指は折れ、顔は潰れ、歯も砕けている。治癒魔法を使えば、ある程度は戻せるかもしれない。だが、わざわざ魔力を使い、食料を持たせ、王都へ返す理由がない。
戻したところで、また似たような書状を持って来るだけかもしれなかった。
「そんな手間かけんでいいだろ」
ギルは書状を畳みながら、軽く言った。
「殺せ」
椅子が床を擦った。
縛られた男が身体を大きく捩り、縄を軋ませる。
「待て!」
砕けた歯のせいで声は濁っていたが、先ほどよりも大きかった。
「正式な使者を殺すことは、王国法で禁じられている!」
ギルは瞬きをした。
「そうなんか?」
セバスチャンへ尋ねると、血を拭っていた手が止まる。
「一応、王家からの使者を害すると死刑のはずですぜ」
「へえ」
知らなかった。
正式な使者を殺せば死刑。
王国に仕えている間なら、重い決まりだったのだろう。王家からの言葉を運ぶ者を守らなければ、命令そのものが届かなくなる。
だが、今のギルには関係がない。
マバール家は王国を離れた。王国法で死刑だと言われても、王国側にギルを捕らえ、裁く力はない。
そもそも、その王家は今、北方諸国軍に王城を囲まれている。
「ふーん」
ギルは書状をセバスチャンへ返した。
「まあ、もう関係ないだろ。殺せ」
「へいへい」
セバスチャンは軽く答え、壁際へ立てかけてあった剣へ手を伸ばした。
男が激しく暴れる。
「待て! 貴様、自分が何を――」
言葉は最後まで続かなかった。
剣が横へ走り、男の首を断った。
椅子へ縛られた身体が一度大きく跳ねる。切り落とされた頭は床へ落ち、鈍い音を立てて転がった。遅れて首の切り口から血が溢れ、椅子の脚を濡らしながら石床へ広がっていく。
部屋にいた兵たちは動じなかった。
ギルも、落ちた頭を一度見ただけだった。
男に根性があったことと、生かして帰すことは別だ。王都へ戻せば、こちらの様子を伝える。治癒魔法まで使ってやる価値もない。
セバスチャンは剣についた血を振り落とし、布で拭いながら尋ねた。
「死体はどうします? 橋の近くにでも晒しますかい?」
ギルは首のない身体を眺めた。
王都からの使者を殺したと示せば、こちらが王家の命令を拒絶したことは分かりやすい。だが、わざわざ運び出して晒し、見張らせるのも面倒だった。
「そこまでしなくていいだろ。めんどくさいし」
「そうですな」
セバスチャンはあっさり頷き、控えていた兵たちへ顎を向ける。
「片づけとけ」
「はっ」
二人の兵が動いた。
一人が床へ落ちた頭を拾い、もう一人が椅子の縄を切る。支えを失った身体が重く傾き、血で濡れた床へ崩れ落ちた。
兵たちは慣れた手つきで死体を持ち上げ、小部屋の外へ運んでいく。
扉が開いた時、地下の冷たい空気が流れ込んだ。血の臭いが少し薄まり、廊下の奥へ遠ざかる足音だけが残る。
ギルは空になった椅子へ目を向けた。
王城は北方諸国軍に囲まれている。
地方の貴族たちも、すぐに王都へ集まっている様子はない。それなのに、王都から送られてきたのは援軍を求める書状でも、協力を申し出る書状でもなかった。
爵位を剥奪する。
領地を返せ。
王家へ従え。
すでに帝国貴族となったマバール家へ、そんな命令を持たせて正式な使者を送り出した。
命令を出せば従うと、まだ本気で思っているのだろうか。
ギルは床に残った血を見ながら、小さく息を吐いた。
王都はやばそうだなぁ。




