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魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


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第百十二話 橋上の激戦


 橋の入口では、三度にわたる攻撃魔法の爪痕が生々しく残っている。


 厚い門扉は中央から裂け、ギギ、と軋みながら片方は蝶番だけを残して斜めに垂れ下がり、もう片方は細かな破片となって石畳へ散らばっていた。


 突破口は出来た。だが油断はできない。


 その瓦礫の間には、人影が折り重なるように倒れていた。


 バサッ、と風を受けた旗布が大きく翻り、その背後で百を超える騎士たちが一斉に手綱を打った。鼓動が一気に速まる。


「おおおおおっ!」


 ドドドドドッ、と橋を揺らすような咆哮と蹄音。音の圧に身体の奥が震える。


 蹄が石畳を激しく打ち鳴らし、衝撃が響く。黒い波となったマバール騎士団が壊れた門へ一気に殺到する。ここで止まれば押し潰される、と直感する。


 砦の中からも怒号が返ってきた。迎え撃つ覚悟が伝わってくる。


「迎え撃て!」


「橋へ入れるな!」


 傷ついたシルディア騎士たちが瓦礫を蹴り飛ばし、ザッ、と飛び越え、槍を構え直す。その動きに、まだ折れていない意志を感じる。


 防御魔法を維持していた反動で顔色は悪い。限界が近い、と見て取れる。


 鎧は焦げ、盾も欠けている。それでも踏みとどまる姿に、わずかな敬意が湧く。


 それでも誰一人として背を向けなかった。逃げ場はないと理解しているのだろう。


 橋を失えば家は終わる。その一点に全てを賭けている。


 その覚悟だけが、疲弊した身体を無理やり立たせている。だからこそ、ここで崩す。


 最初に激突したのは、俺ではなく直属騎士たちだった。任せられる、と判断する。


 右前方から飛び出したオルドが、大剣を肩へ担ぐように構える。あの一撃で道を開くつもりだ。


 肉体強化魔法で膨れ上がった脚力が身体をさらに加速させる。


 ブンッ、と大剣が横薙ぎに唸った。


 ガギィンッ!


 分厚い鋼が鎧ごと敵騎士を薙ぎ払う。重さごと叩き潰す一撃だ。


 鈍い衝撃音。一人目の身体が軽々と吹き飛ぶ。その勢いのまま、ガンッ、と二人目の盾へ刃が叩き込まれた。


 バキッ。


 盾板が砕け、男はそのまま石畳を転がる。


 オルドは止まらない。勢いを殺さないのが正解だ。


 返す刃を振り上げ三人目を肩口から叩き斬る。その豪快な一撃だけで、敵前列が一気に崩れた。


 その隙へジーノが滑り込む。無駄のない動きに安心する。


 スッ。呼吸すら感じさせない。


 長槍はほとんど揺れない。狙いが一点に定まっている。


 半歩。踏み込み。距離を詰める判断が速い。


 トン。迷いがない。


 喉を突く。急所を外さない。


 ズッ。確実に仕留める。


 引き抜く。次へ繋げるための動き。


 シュッ。流れるようだ。


 身体を返し、胸を突く。連続で崩していく。


 必要最小限の動きだけで騎士を一人ずつ仕留め、槍先には余計な力みが一切なかった。


 左ではクレインが剣と攻撃魔法を淀みなく使い分ける。状況判断が早い。


 牽制の小さな攻撃魔法を放つ。


 敵が一瞬、ぐらりと体勢を崩す。その隙を逃さない。


 その瞬間、一気に踏み込み。迷いなく距離を詰める。


 ザシュッ、と首筋へ刃を走らせる。確実に落とす一撃。


 次の敵の攻撃は剣で受け流し、そのまま至近距離から攻撃魔法を叩き込み、橋の欄干まで吹き飛ばした。押し出す判断も的確だ。


 後方ではトールが味方の動きを見極めながら魔力を練っている。巻き込みを避けるための集中が伝わる。


 ギリギリまで引きつける。タイミングを測っている。


 そして、ズドンッ。ここしかない、という一撃。


 味方へ巻き込まぬよう僅かな隙間へ攻撃魔法を撃ち込み、敵の陣形だけを崩す。精密さに舌を巻く。


 爆ぜた衝撃に敵がビクッと足を止めた瞬間、前衛がその隙を逃さず食い破っていく。連携が噛み合っている。


 直属騎士だけではない。全体が同じ意志で動いている。


 他のマバール騎士たちも、防御魔法を身へ纏い、肉体強化魔法で踏み込みを速め、剣と槍だけで押し込んでいた。勢いはこちらにある、と確信する。


 誰一人として弓を構えない。この距離では無意味だと全員が理解している。


 攻撃魔法が飛び交うこの距離では、弓を番える暇があるなら剣を振るう方が速い。


 橋の上は、瞬く間に乱戦へ変わっていった。視界が一気に狭まる。


 ガンッ、キンッ、ドンッ。音が頭の中で反響する。


 怒号と衝撃音が入り乱れる。集中を切らせば終わりだ。


 俺はその喧騒を横目に、静かに感知魔法を拡げる。ここからが本命だ、と意識を切り替える。


 探す相手は一人だけ。余計なものは切り捨てる。


 この橋を守るため、砦全体へ巨大な防御魔法を展開していた男。あれを落とせば終わる。


 シルディア家当主だ。必ずいるはずだ、と確信する。


 無数の魔力反応が意識へ流れ込む。


 橋全体が魔力の奔流に包まれていた。雑音が多すぎる、と眉をひそめる。


 その中で、一つだけ騎士とは質の異なる魔力が揺れている。異質だ、と直感する。


 ゆらり。かなり弱っている。


 かすかに。だが確かに。


 俺は目を細めた。焦点を一点に合わせる。


「……見つけた」


 魔力が細い。明らかに落ちている。


 砦全体を覆う防御魔法。その反動だ。見えない膜が軋むように震え、低く唸る音が耳の奥に響く。


 厚みはある。貴族の魔力だ。だが揺れている。隠せていない。淡い光がちらつき、まるで風に煽られる灯火のようだ。


 かつては大河。今は細い流れ。肌に触れる魔力の流れも揺れている。


 ――今なら届く。


 確信する。同時に焦る。時間がない。


 魔力を練り直す前に終わらせる。絶対だ。


 意識を絞る。


 乱戦。魔力が重なる。普通なら見失う。爆ぜる音、金属がぶつかる甲高い響き、血の匂いが混ざり合う。


 だが、あれだけは違う。追える。


 貴族の魔力は異質だ。


 強さだけじゃない。質が違う。


 騎士は火花。鋭く散る。弾けるたびに乾いた音が耳を打つ。


 貴族は塊。重く、澄む。触れれば冷たい石のような圧がある。


 その塊が橋の奥で動く。


 ゆっくりだ。だが確実だ。


 ――逃がすな。ここで終わらせる。


 歯を食いしばる。奥歯に鉄の味が広がる。


 視線を固定する。


 砦へ続く道の中央。


 騎士が壁を作る。その中心に男。


 あれか。


 鎧は上等。だが傷だらけだ。


 肩当てに深い裂傷。胸当ては焼け焦げている。焦げた金属の匂いが風に乗って届くように感じる。


 俺の攻撃魔法だ。


 右脚が歪んでいる。折れている。


 立てない。騎士に体を預けている。


 それでも立つ。無理やりだ。


 周囲の騎士たちが治癒魔法を使っている。


 光を感じるが淡く弱い。かすかな温もりが空気を震わせる。


 脚を包む。骨を繋ごうとしている。


 だが遅い。間に合っていない。


 簡単には骨は戻らない。


 光が揺れるたび、男の顔が歪む。低く押し殺した呻きが聞こえる。


 苦痛。それでも倒れない。


 左手が上がる。


 ……まだやる気か。


 魔力が膨らむ。わずかずつ。空気が重くなり、肌に圧がかかる。


 遅い。だが止まらない。


 貴族の攻撃魔法だ。


 完成すれば終わる。後ろが巻き込まれる。


 俺なら防げる。


 だが騎士たちには防げない。


 ――間に合え。間に合わせろ。


 鼓動が速い。うるさい。耳の奥で脈打つ音が響く。


 手綱を操る。地面の振動が全身に伝わる。


 撃たせる前に止める。それだけだ。


 その時。


 男を支える騎士が顔を上げる。


 見覚えがある。


 鎧。大剣。


 橋の手前で名乗った男。


 シルディア家筆頭騎士、ダスト。


 奴が支えている。


 間違いない。


「あれが当主だ」


 呟く。


 決まった。迷いはない。


 ――ここで終わらせる。必ずだ。


 あの男を討つ。それで終わる。


「逃がさん!」


 叫ぶ。同時に鐙を蹴る。


 愛馬が踏み込む。石畳を砕く勢いだ。蹄が打つたびに衝撃が響く。


 乱戦へ突っ込む。


 敵騎士が振り返る。一斉だ。鎧が擦れる音が重なる。


「若様!」


 セバスチャンの声。


 理解している。全員だ。


 オルドが薙ぐ。力任せだ。風を切る音が唸る。


 ジーノが突く。道を開ける。刃が肉を裂く鈍い感触が伝わる。


 クレインの魔法が炸裂する。


 橋の中央。爆ぜる。閃光とともに熱風が頬を打つ。


 空白が生まれる。一瞬だ。


 そこへ滑り込む。


 距離が縮む。


 ――まだ遠い。足りない。


 もっと速く。


 喉が焼ける。焦りだ。


 だが目は逸らさない。


 騎士たちの顔が変わる。


 止めなければ終わる。


 それが伝わる。


 最前列に一人出る。


 ダストだ。


 大剣を握る。両手だ。


 ゆっくり前へ出る。


 背後では当主が下がる。


 騎士たちも下がる。


 時間稼ぎだ。


 筆頭騎士の役目。


 ――邪魔だ。だが斬る。


 ダストが剣先を向ける。


「私が相手だ!」


 怒声が橋を震わせた。


「邪魔だ! どけ!」


 喉の奥から絞り出すように怒鳴る。乾いた声が、張り詰めた空気を裂いた。


 馬上から見下ろす視界の先、ダストは微動だにしない。


 答えない。


 ただ、静かに大剣を構え直す。


 重い鉄の刃がわずかに軋み、刃先がゆっくりと下がる。腰が沈み、地面に根を張るように重心が落ちる。


 踏み込みの姿勢。


 その一挙手一投足が、まるで地面そのものを押し潰すような圧を帯びていた。


 背後では、騎士たちがじりじりと後退している。鎧が擦れる音、荒い呼吸、誰もが息を詰めているのが分かる。


 治癒の光は途切れない。


 淡い光が当主の身体を包み、傷口を塞ぎ続けている。


 当主の左手も止まらない。


 指先がわずかに震えながらも、確実に魔力を編み上げている。


 魔力が膨らむ。ゆっくりと、しかし確実に。


 空気が重くなる。肌にまとわりつくような圧迫感。


 ――時間稼ぎ。


 舌打ちを飲み込む。


 消耗しているはずなのに、なお脅威だ。


 俺だけならいい。


 だが、この距離では。


 後続も巻き込む。


 完成させるな。


 馬腹を蹴る。


 筋肉が弾けるように収縮し、馬が前へと跳ねる。蹄が石畳を叩き、乾いた音が連続して響く。


 加速。


 風が頬を打つ。


 ダストは動かない。


 逃げない。


 ただ、俺を見ている。


 その視線は揺るがず、まるでこちらの動きをすべて見透かしているかのようだった。


 意識を逸らすな。


 十歩。


 九。


 八。


 距離が縮まるごとに、空気がさらに重くなる。


 間合い。


 魔力が膨れる。


「ぬおおおおっ!」


 咆哮が空気を震わせる。


 圧が、肌に叩きつけられるように押し寄せる。肺が押し潰されるような感覚。


 別人だ。


「……火事場の馬鹿力か」


 思わず漏れる。


 限界を越えている。


 内側から噴き出す魔力が、制御を無視して溢れ出している。


 無茶だ。


 このままでは壊れる。


 それでも止まらない。


 命を賭けている。


 感知する。


 単純な力じゃない。


 薄い。ほんの僅かに混じる異質な気配。


 ……薄いが貴族の血が混じってるな。


 だから膨れる。


 厄介だ。


 その間にも、当主の魔力は練り上げられていく。


 くそ。


 まとめて吹き飛ばすか。


 だが、貴族を倒すほどの攻撃魔法では橋を巻き込むかもしれない。


 橋脚までは届かないにしても、衝撃で崩れる可能性は高い。


 ここまで残した橋だ。


 これ以上傷を増やしたくない。


 ――少しくらい。


 そう思った、その瞬間。


「若様ぁっ!」


 怒鳴り声が横から突き刺さる。


 視界の端から、馬が飛び込んできた。


 セバスチャンだ。


 一直線。


 迷いのない突進。


 ダストが反応する。


「邪魔だぁっ!」


 大剣が振り下ろされる。


 空気を裂く重い音。


 次の瞬間、鈍い衝撃音が響いた。


 骨が砕ける嫌な音。


 馬の身体が崩れ落ちる。


 だが、その直前。


 セバスチャンはすでに飛んでいた。


 鐙を蹴り、宙へと身を投げ出す。


 着地と同時に抜剣。


 刃が光を反射し、一直線にダストの正面へと立つ。


「若様!」


 それで足りる。


 ダストは半歩踏み込んでいる。


 ほんの半歩。


 だが、そのわずかな動きが空間を生む。


 迷わない。


 強化を引き上げる。


 身体が軽くなる。


 滑り込む。


 肩を掠めるほどの距離で、巨体の脇を抜ける。


「任すぞ!」


 視線は前だけ。


 背後で、低い笑い声が響く。


「任されやした」


 背後で鋼が激しくぶつかり合う音が弾けた。


 振り返らない。


 振り返る必要もない。


 セバスチャンは任せろと言えば任せられる男だ。


 俺がやるべきことは一つ。


 当主を討つ。


 それだけだ。


 肉体強化魔法へさらに魔力を流し込む。


 馬の速度が限界まで乗る。


 正面のシルディア騎士たちが一斉に槍を向けた。


「止めろ!」


「ご当主様に近づけるな!」


 怒号と共に槍が突き出される。


 俺は馬上から右手をかざした。


 魔力を練るほどでもない。


 指先から放たれた小さな攻撃魔法が一直線に走り、先頭の騎士へ叩きつけられる。


 腹当てが弾け飛び、男は槍ごと後方へ吹き飛んだ。


 左右からさらに二人。


 今度は防御魔法を纏ったまま剣で斬り込んでくる。


 剣筋は悪くない。


 だが遅い。


 俺は馬を半歩だけ左へ寄せる。


 刃が肩先を掠めるより早く、防御魔法へ当たって鈍い音を立てた。


 火花が散る。


 剣が耐え切れず刃こぼれを起こす。


「なっ……!」


 驚く暇は与えない。


 返す刃で一人目の喉を裂く。


 そのまま身体を捻り、二人目の胸へ浅く剣を走らせる。


 鎧は裂け、男は呻きながら膝を折った。


 さらに三人。


 攻撃魔法が飛んでくる。


 防御魔法へ当たった瞬間、眩い光が橋の上へ散った。


 熱だけが頬を撫でる。


 届かない。


 俺はそのまま馬を止めない。


 当主まで、あと僅か。


 護衛たちも必死だった。


 身体を投げ出すように前へ出てくる。


 槍。


 剣。


 盾。


 全て俺だけへ集中する。


 ――忠義か。


 胸の奥で小さく呟く。


 嫌いじゃない。


 だが。


「邪魔だ」


 短く言い放ち、剣を振るう。


 肉体強化された一撃は鎧ごと騎士を切り裂き、その勢いのまま次の盾を叩き割る。


 割れた盾の破片が石畳へ飛び散り、足元で乾いた音を立てた。


 止まるな。


 あと少し。


 感知魔法が当主の魔力を捉え続ける。


 まだ練っている。


 だが、完成には至らない。


 間に合う。


 俺は前だけを見据え護衛との間合いを一気に詰めた。


 護衛の騎士が歯を食いしばり、盾を構えたまま前へ踏み出す。


 その意識は俺ではなく、背後の当主だけを見ていた。


 時間さえ稼げればいい。


 その覚悟だけで立っている。


 だが、その程度では止まらない。


 俺は手綱を引き、馬の首をわずかに右へ向けた。


 騎士も合わせて動く。


 その瞬間だった。


 左手から小さな攻撃魔法を放つ。


 轟かせる必要はない。


 人一人を止めるだけなら、この程度で十分だ。


 白く圧縮された魔力が盾へ命中する。


 鈍い破裂音。


 盾が内側へ大きく歪み、受け止めた騎士の身体ごと弾き飛ばした。


 その横を馬が駆け抜ける。


 残る二人が剣を振り上げた。


 金属音が連続して鳴る。


 一人の剣は防御魔法へ弾かれ、その反動で手首が跳ね上がる。


 もう一人は無理やり間合いを詰め、脇腹を狙ってきた。


 悪くない。


 橋の上では正しい判断だ。


 だが、遅い。


 俺は身体を半歩だけ捻り、剣を受け流した。


 刃と刃が擦れ、耳障りな音が響く。


 そのまま手首を返す。


 振り抜いた剣が鎧の継ぎ目へ吸い込まれた。


 鮮血が飛ぶ。


 男は息を呑み、膝から崩れ落ちた。


 残る一人が叫ぶ。


「ご当主様をお守りしろ!」


 叫びへ応えるように、さらに奥から騎士たちが押し寄せる。


 だが、俺の感知魔法は別のものを捉えていた。


 当主だ。


 治癒魔法を受けながらも、なお左手で魔力を練り続けている。


 さっきより速い。


 魔力の渦が徐々に形を成し始めていた。


 間に合わんか。


 いや、間に合わせる。


 俺は鐙を強く踏み込み、馬上から飛び降りた。


 肉体強化魔法が全身を駆け巡る。


 着地と同時に石畳が砕け、身体が前へ弾けた。


 馬と変わらない速度。


 いや、それ以上だった。


 護衛の騎士が驚きに目を見開く。


「なっ――」


 言葉は最後まで続かない。


 剣を振るうより早く、小さな攻撃魔法が胸当てへ突き刺さる。


 鎧が弾け、男は後方へ吹き飛んだ。


 左右からさらに二人。


 攻撃魔法が放たれる。


 どれも俺の防御魔法へ触れた瞬間、霧散して消える。


 次の瞬間には剣が走る。


 肉体強化魔法で振り抜かれた刃は、騎士の剣ごと鎧を断ち切った。


 砕けた刃が石畳へ散る。


 俺は立ち止まらない。


 当主まで、あと数歩。


 感知魔法が、その魔力の鼓動を鮮明に捉えていた。


 背後で剣戟が弾ける。


 鋼がぶつかり合う重い音。


 ダストの怒号。


 セバスチャンの笑い声。


 どちらも聞こえた。


 だが、振り返らない。


 あの男は、背中を預けられる騎士だ。


 俺が見るべき相手は一人しかいない。


 掌の上へ集まり続ける魔力。


 空気が震える。


 橋の石畳が低く唸るような圧迫感。


 ここまで練り上げたか。


 あと一息。


 その一息で完成する。


 俺は足を止めなかった。


 剣を下げたまま、一歩、また一歩と間合いを詰める。


 当主も俺を見ていた。


 歳は五十を越えているだろう。


 深く刻まれた皺。


 疲労で青白い顔。


 それでも瞳だけは濁っていなかった。


 互いに無言のまま距離が縮まる。


 五歩。


 四歩。


 三歩。


 その時だった。


 当主の左手から魔力がふっと消えた。


 攻撃魔法を解いた。


 俺は思わず眉を寄せる。


 撃たないのか。


 当主はゆっくりと息を吐いた。


 苦しげだった呼吸が、不思議なほど静かになる。


「……待て」


 低い声だった。


 戦場の喧騒の中でも、不思議とはっきり耳へ届く。


 俺は剣を構えたまま立ち止まった。


 あと三歩。


 踏み込めば終わる距離。


 当主は俺を真っ直ぐ見つめる。


「幼い子が……城にいる」


 言葉を区切るたび、肩が小さく震える。


「まだ……赤子だ」


 戦場には似つかわしくない言葉だった。


 俺は黙って聞く。


「その子だけは……助けてやってくれ」


 その願いだけだった。


 家を残せとも言わない。


 領地を返せとも言わない。


 自分の命乞いですらない。


 残したのは、赤子一人への願いだけ。


 残したいのは、シルディアの血だけ。


 俺は当主の目を見返した。


 そこには嘘も打算もなかった。


 静かに頷く。


「分かった」


 その一言で十分だった。


 当主の口元が、わずかに緩む。


「……頼むぞ」


 そう呟くと、男は右手で腰の剣を静かに抜いた。


 周囲の騎士たちが息を呑む。


 誰も動けない。


 俺も動かなかった。


 当主は一度だけ空を見上げる。


 朝日が鎧へ淡く反射した。


「シルディア家……万歳」


 迷いなく剣先を首へ当てる。


 次の瞬間、剣先が喉元を完全に貫いた。


 鮮血が朝日に散る。


 男の身体がゆっくりと崩れ落ちる。


 石畳へ膝をつき、そのまま前へ倒れた。


 俺は動かなかった。


 感知魔法だけが、最後まで男を追い続ける。


 重く澄んだ魔力が、少しずつ薄れていく。


 ゆっくりと。


 静かに。


 そして、完全に消えた。


 しばらく、その場を動けなかった。


 橋の上では、なお怒号が飛び交っている。


 剣が打ち合わる音。


 攻撃魔法が炸裂する轟音。


 傷ついた者の悲鳴。


 様々な音が混じり合っているというのに、その男の周囲だけは不思議なほど静かだった。


 俺は倒れた当主を見つめ続ける。


 感知魔法にも、もう何も映らない。


 先ほどまで確かに存在していた重い魔力は、跡形もなく消え去っていた。


 戦いは終わった。


 少なくとも、この男にとっては。


 石畳へ流れた血が、ゆっくりと目の前を広がっていく。


 朝日に照らされた赤は妙に鮮やかだった。


「若様」


 後ろから聞き慣れた声がした。


 肩へ軽く手が置かれる。


 振り返ると、セバスチャンが立っていた。


 鎧のあちこちには剣傷が増え、左肩からは血が流れている。


 外套も裂け、頬には浅い切り傷まで走っていた。


 それでも口元にはいつもの笑みがある。


「死にましたね」


 静かな口調だった。


 感知魔法で確認したのだろう。


 俺は小さく頷く。


「ああ」


 それだけ答えた。


 その時だった。


「おおおおおおっ!」


 橋の向こうから大きな勝ち鬨が上がる。


 直属騎士たちだ。シルディア家当主が倒れた事に気付いたらしい。


 当主の死を見た敵兵たちが、一斉に動揺し始めていた。


 誰かが武器を落とす。


 誰かが後ずさる。


 橋の欄干へ駆け寄る者までいる。


 統率が崩れた。


 感知魔法でも、それがはっきり分かる。


 先ほどまで一つへまとまっていた魔力反応が、蜘蛛の子を散らすように四方へ広がっていく。


 当主が倒れれば貴族家はおしまいだ。


 俺はゆっくりと剣を握り直した。


「敵残党を排除せよ!」


 橋いっぱいへ声が響く。


「逃がすな!」


 その命令と同時に、マバール騎士たちが咆哮を上げた。


「おおおおおっ!」


 黒地に赤い十字の軍旗が風を受けて大きく翻る。


 勢いを失ったシルディア騎士たちは背を向けて走り出した。


 橋から河へ飛び降りる者。


 後ろの門へ殺到する者。


 押し合い、転び、踏みつけ合いながら必死に逃げていく。


 後ろの門扉は人一人がようやく通れるほど開かれたが、押し寄せる兵たちによってさらに押され、大きく広がっていく。


 そこへ次々と敵兵が流れ込む。


 だが、遅い。


 マバール騎士たちは勢いを緩めなかった。


 肉体強化魔法で一気に距離を詰め、逃げ遅れた敵を次々と斬り伏せていく。


 橋の上には再び怒号が満ちていった。


 その喧騒の中で、セバスチャンが俺の剣へ視線を落とす。


 刃はあちこちが欠け、わずかに歪んでいた。


 何人もの騎士を鎧ごと斬り続けた代償だった。


 セバスチャンは苦笑する。


「若様、剣技はまだまだですな」


 俺も自分の剣を見下ろき、小さく鼻を鳴らした。


「やかましい」


 そう返すと、俺たちは同時に笑った。


 その笑い声は、勝利へ沸く橋の喧騒へ静かに溶けていった。

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― 新着の感想 ―
急に文章が幼稚になった?
一気読みしました! 私的に今年1番の作品だと思います!
赤子だけはか。 確かにマバール家にとってもうまく育てれば魔力持ちとしていい感じに使えそうだし、シルディア当主は経済観念とでもいうべきものは優秀だったんだな。 まあ、そのせいで橋の経済的利益と軍事的脅…
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