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魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


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第百十一話 橋を渡せ


 夜が柔らかくほどけ始める頃、高台の草は白く濡れていた。


 東の空はまだ青黒く、地平の端だけが細く灰色に滲んでいる。シルビア橋はその薄闇の底に沈み、巨大な影のように大河の上へ横たわっていた。橋の両端に建つ砦では、夜番の灯火がまだ揺れている。火の色は遠く、湿った朝気の向こうで小さく滲み、昨日の夕暮れに見た赤い石橋とはまるで別のものに見えた。


 風は冷たい。


 鎧の隙間から入り込む朝の冷気に、俺は軽く肩を回した。


 眠った時間は長くない。


 それでも身体は重くなかった。夜のうちに余計なことを考え続けなかったのが良かったのかもしれない。眠れるかどうか少し怪しいと思っていたが、横になれば案外すぐに意識は落ちた。


 戦場前に眠れるのは、悪いことではない。


 馬の鼻息が聞こえる。


 高台の上では、すでに騎士たちが動き始めていた。


 大きな声を出す者はいない。誰も急かされていないのに、動きは静かで速い。夜の間だけ少し緩めていた鎧の留め具を締め直し、革紐を引き、金具の噛み合わせを指先で確かめる。剣を抜いて刃を朝の光へかざす者もいれば、槍の穂先を布で拭き、柄を確かめる者もいる。


 天幕の近くでは、クレインが荷の分け方を見ていた。馬ごとに積む量を調整し、すぐ使うものと後で使うものを分けている。こういう時、あいつは本当に細かい。だが、細かい人間がいるから、戦場で余計な不足に悩まずに済む。


 オルドは少し離れた場所で剣を振っていた。


 力任せではない。


 肩を慣らし、身体の動きを確認しているだけだ。ジノは槍の石突きを地面に軽く立て、目を伏せるようにして呼吸を整えている。トールは周囲を見ながら馬具を直し、時折こちらの様子も窺っていた。


 セバスチャンは、いつものように妙に自然な顔で立っていた。


 傷の多い鎧は朝露を薄く受け、補修跡の金具が鈍く光っている。眠そうにも見えないし、気負っているようにも見えない。昨日と同じ顔だ。これから橋を奪いに行くというのに、まるで朝市へ向かう朝のようだった。


「若様、鎧を」


 近くにいた騎士が声をかけてくる。


「ああ」


 俺は両腕を軽く広げた。


 背中側の留め具を締め直される。革紐が引かれ、胸元が少し圧迫された。昨日の移動中は呼吸を楽にするため少し緩めていたが、このまま戦うわけにはいかない。肩を回し、腰をひねり、脚を軽く踏み込む。


 悪くない。


 動きを邪魔するほどではない。


 剣を確かめ、短く息を吐いたところで、簡素な朝食が配られ始めた。


 パンとスープ。


 それだけだ。


 固めのパンを手で割ると、乾いた音がした。スープは豆と刻んだ肉を少し入れただけのものだが、湯気が立っているだけで十分ありがたい。夜明けの冷えた空気の中では、温かいものが胃に落ちるだけで身体が起きる。


 俺も他の騎士たちと同じものを受け取った。


 特別扱いされた料理など出ない。


 こんな場所でそんなものを持ち込む方が面倒だし、戦う前に重い食事をする気にもならない。パンをスープへ浸し、少し柔らかくしてから口へ運ぶ。


 味は悪くない。


 だが、うまいかと言われると微妙だ。


 硬いパンと薄い塩味のスープ。腹を満たし、身体を動かすための飯であって、楽しむための飯ではない。そういう意味では正しい。正しいのだが、やはりもう少し何とかしたい気もする。


 生産拠点で試作している保存食が頭をよぎった。


 瓶詰めの煮魚。


 金属容器のシチュー。


 油脂を混ぜて日持ちを良くする案も試してみた。


 いくつかは形になりつつあるが、まだ実験段階だ。味も安定しないし、保存状態によっては腹を壊しそうなものもある。持ち歩いて戦場で食うには、まだ怖い。


 惜しいが、とても実戦には使えんな。


 俺はパンを噛みながら、心の中でため息を吐いた。


 戦場飯の改善は大事だ。


 兵がまともに食えれば動きも変わる。前世の知識としても、食事が重要なのは分かっている。分かっているが、思いつきだけで即完成とはいかない。下手なものを持ち込んで腹を壊せば、敵に斬られる前に終わる。


 まずは無難が一番だ。


 そう思っていると、隣へ腰を下ろしたセバスチャンが、パンをかじりながらこちらを見た。


「若様」


「なんだ」


「シルディア家に降伏勧告しますかい?」


 朝食のついでに聞くような口調だった。


 周囲にいた騎士たちが、少しだけこちらへ意識を向ける。


 俺はスープを一口飲んだ。


 温かい塩気が喉を通る。


「橋を大人しく渡してくれるんなら、降伏を認めてもいいぞ」


 セバスチャンは一瞬だけ目を細め、それから喉の奥で笑った。


「若様も意地が悪い」


「なんでだよ。ちゃんと認めるって言ってるだろ」


「橋を渡した時点で、シルディア家は半分死んだようなもんですぜ」


 それはそうだ。


 シルビア橋は、ただの橋ではない。


 あれを握っているからこそ、シルディア家は周辺へ影響力を持てる。そこをこちらへ差し出せば、残る領地や砦がどうであれ、家の力は大きく削られる。降伏というより、首から下を差し出すのに近い。いや、上かな?


 だが、俺は肩を竦めた。


「正しい騎士は、敵を殺して奪って分けるんだろ」


 セバスチャンは今度こそ声を出して笑った。


「その通りです」


 周囲の騎士たちにも笑いが広がる。


 血生臭い冗談だ。


 だが、この場では不自然ではない。これから俺たちは敵を殺し、橋を奪い、必要な領地を押さえに行く。綺麗な言葉で包んでも、やることは変わらない。


 セバスチャンは笑いを収めると、残ったパンをスープへ浸した。


「降伏勧告をするにしても、聞きゃしないでしょうな」


「だろうな」


 俺もそう思う。


 橋を渡せと言われて渡すなら、そもそもここまで兵を集めていない。


 シルディア家当主も、その騎士たちも、橋を守るためにそこへいる。自分たちの家を支える場所から、そう簡単に退くはずがない。


 だからこちらは奪う。


 向こうは守る。


 それだけの話だ。


 朝食を終える頃には、東の空が明るくなり始めていた。


 草の露が光を受け、小さく白く輝く。大河の水面も少しずつ色を取り戻し、シルビア橋の輪郭が闇から浮かび上がっていく。


 食器が片付けられ、火が消される。


 天幕は手早く畳まれ、布は丸められ、杭は抜かれた。荷は分散して馬へ積まれていく。余計なものを一頭へ集中させない。戦闘中に馬を失った時、全てがまとめて消えるのを避けるためだ。


 クレインが荷の位置を確認し、トールが馬の腹帯をもう一度締め直す。


 見張りに出ていた騎士たちも戻り、短く報告を済ませる。


 敵の大きな動きはない。


 こちらの準備も終わった。


 俺は高台の上を見回した。


 昨夜あった天幕はもうない。


 火の跡だけが残り、踏み固められた草が、ここに俺たちがいたことを示している。だが、それも昼を過ぎれば風に紛れて分からなくなるだろう。


 全員がこちらを見ていた。


 俺は手綱を受け取り、馬の首筋を軽く叩いた。


「行くぞ」


 その一言で、騎士たちが一斉に動いた。


 鐙へ足を掛け、鎧を鳴らして馬上へ上がる。馬が鼻を鳴らし、蹄が湿った土を踏む。誰も叫ばない。誰も急がない。それでも空気は明らかに変わった。


 出陣の空気だった。


 俺も馬に乗る。


 視界が少し高くなり、高台の向こうにシルビア橋が見えた。


 その横へ、一騎が進み出る。


 掲げられた軍旗が朝風を受けて広がった。


 黒地に、赤い縦長の十文字。


 余計な飾りはない。


 ただ、遠目にもはっきり分かる強い色と形だけがある。


 シンプルだが、格好いい旗だよなぁ。


 俺はそんなことを思いながら、風にたなびく軍旗を見上げた。


 マバール家の旗。


 赤布を巻いて山賊もどきをしていた時とは違う。


 今日は顔を隠さない。


 名も隠さない。


 この旗を掲げて、真正面から橋を奪う。


 俺は手綱を握り直した。


 軍旗が風に鳴る。


 高台を下る道へ馬首を向けると、背後で鎧と馬具の音が静かに重なった。


 シルビア橋へ向けて、マバール騎士たちはゆっくりと進み始めた。


 高台を下る道は、昨夜見た時よりも細く感じた。


 草に残った朝露が馬の脚へ触れ、そのたびに小さな水滴が跳ねる。斜面の土は少し湿っていたが、ぬかるむほどではない。馬たちは落ち着いていた。鼻を鳴らし、蹄で土を踏みしめ、騎士たちの手綱に従ってゆっくりと下っていく。


 俺は先頭で馬を進めながら、視線を前へ向けていた。


 シルビア橋はまだ遠い。


 それでも、高台を降りて街道へ近づくほど、橋の姿は少しずつ大きくなっていく。朝日が東から差し始め、石橋の側面に淡い光を落としていた。夜明け前の灰色だった橋は、今は冷たい白さを帯びている。大河の水面には薄い霧が漂い、橋脚の根元をぼかしていた。


 昨日は上から見下ろした。


 今は近づいている。


 それだけで、橋の大きさが違って見えた。


 あれを正面から奪うのか。


 そう思うと、胸の奥が少しだけ熱くなる。


 怖いわけではない。


 むしろ逆だ。


 赤布で顔を隠し、山賊を名乗って動く戦いも嫌いではない。あれはあれで面白い。相手の隙を突き、知らぬ顔で奪い、必要なら証拠ごと焼く。実に合理的だ。


 だが、今日は違う。


 マバール家の軍旗を掲げ、堂々と進む。


 正面から名乗り、正面から奪う。


 それはそれで、悪くない。


 背後では、鎧と馬具の音が一定の間隔で続いていた。


 誰も喋らない。


 それでも重苦しさはない。


 騎士たちはそれぞれの呼吸で、戦う準備を整えている。馬の首筋に手を置く者、手綱を握り直す者、槍を抱え直す者。視界の端で、軍旗が朝風にたなびいている。


 黒地に赤の十文字。


 その旗が揺れるたび、こちらの存在を大きく示していた。


 隠れる気はない。


 逃げる気もない。


 俺たちはここにいる。


 そう告げる旗だった。


 街道へ降りる頃には、橋の方角からわずかなざわめきが届き始めていた。


 距離はまだある。


 声が聞き取れるほどではない。


 だが、空気が揺れている。


 人が動き、馬が動き、金具が鳴り、砦の中で何かが慌ただしく整えられている気配がある。こちらが高台を降りたことに気づいたのだろう。


 俺は感知魔法を薄く拡げた。


 意識を前方へ押し出すように、魔力を静かに伸ばす。


 頭の中へ、光点が浮かび上がる。


 シルビア橋の手前、こちら側の砦へ魔力反応が集まっていた。昨夜よりも明らかに濃い。動きもある。砦内に散っていた反応が、門の周辺へ寄っていく。


 予想通りだ。


 こちらが進めば、門へ戦力を集中させる。


 橋を守るなら当然の動きだった。


「集まってきてますかい?」


 少し後ろから、セバスチャンが声をかけてきた。


「ああ。こちら側の砦に寄っている」


「なら、向こうもやる気ですな」


「やる気がなかったら困る」


 そう返すと、セバスチャンが喉の奥で笑った気配がした。


 やる気がない相手なら、そもそも橋を渡せばいい。


 だが、そんな都合のいいことは起きない。


 しばらく進むと、街道の先で橋の全体がはっきり見えるようになった。


 巨大な門。


 その奥へ続く橋。


 門の上には兵が並び始めている。遠目でも分かるほど、槍や旗が動いていた。砦の壁面には朝日が当たり、石の継ぎ目が白く浮き出ている。


 こちらの進軍に気づいたのだろう。


 砦の門が開いた。


 そこから二騎が出てくる。


 先頭の一騎は、なかなか見事な鎧を身につけていた。


 朝日を受けた金具が鈍く光り、肩や胸当てには飾りもある。実戦用ではあるが、ただの量産鎧ではない。手入れも行き届いている。乗っている馬も良い。動きに無駄がなく、騎士の重さに慣れている。


 少し後ろには、軍旗を掲げた騎士が続いていた。


 シルディア家の旗だろう。


 こちらのマバール旗に対する返礼のようでもあり、意地のようにも見えた。


 二騎は橋から離れ、街道上をこちらへ向かってくる。


 俺は手を軽く上げ、後ろの騎士たちへ止まる合図を出した。


 馬の足が揃って緩み、やがて隊列が静かに止まる。


 シルディア家の騎士たちも、こちらから一定の距離を保って馬を止めた。


 近すぎず、遠すぎず。


 弓なら届くかもしれない。


 攻撃魔法なら当然届く。


 だが、会話をするには十分な距離だった。


 先頭の騎士が馬上で背筋を伸ばす。


 顔は日焼けし、顎は厚く、目つきは鋭い。年は俺よりずっと上だろう。声を張る前から、喉の強そうな男だと分かった。


「シルディア家筆頭騎士、ダストである!」


 声が朝の街道へ響いた。


 腹から出た、よく通る声だった。


 名乗りとしては悪くない。


 俺も馬上で姿勢を正す。


「ギルバート・マバールだ」


 それだけ答える。


 余計な飾りは要らない。


 こちらの軍旗を見れば、誰の軍勢かは分かる。俺の名も、おそらく向こうには伝わっているはずだ。


 ダストは俺を睨みつけた。


 その視線には明らかな敵意がある。


 同時に、値踏みもあった。


 若造。


 辺境伯家の三男。


 だが、マバール家の旗を掲げて先頭に立つ者。


 向こうが俺をどう見ているのか、何となく分かる気がした。


 ダストは馬上で身を乗り出すようにして吠えた。


「何用か!」


 用件は分かっているだろうに。


 そう思ったが、口には出さない。


 形式は大事だ。


 向こうは聞く。


 こちらは答える。


 その形を整えてから、戦いになる。


「シルビア橋を大人しく渡せ」


 俺はまっすぐ答えた。


 一瞬、ダストの顔が固まった。


 次の瞬間、見る間に顔が赤くなる。


 怒りだ。


 それも、分かりやすい怒りだった。


 鼻の穴が広がり、手綱を握る手に力が入る。馬がその変化を感じてか、わずかに首を振った。


「そのようなことが認められると思うか!」


 また吠えた。


 声量だけなら大したものだ。


 そりゃそうだ。


 俺は内心で頷いた。


 橋を渡せと言われて、はいどうぞと差し出すわけがない。言っている俺自身も、そんな返答は期待していない。むしろここで頷かれた方が困る。どう処理するか、別の意味で悩むことになる。


 だが、こうして正面から怒られると、少し面白かった。


 何というか、まともな反応だ。


 最近は裏の仕事やら山賊もどきやらで、まともではない会話ばかりしていた気がする。正面から来て、正面から怒鳴り、正面から拒絶する。実に分かりやすい。


「認めなくても奪うだけだ」


 俺は言った。


 ダストの顔がさらに赤くなった。


 兜の下から覗く額に血管が浮いたように見える。


「出来るものならやってみよ!」


 そう吠えると、ダストは勢いよく手綱を返した。


 後ろの旗持ちも慌てずに続く。


 二騎は土を蹴り、砦へ向かって駆け戻っていった。


 蹄の音が遠ざかっていく。


 俺はその背中を眺めた。


 悪くない騎士だ。


 少なくとも、逃げる顔ではなかった。


 家を守るために怒り、橋を守るために吠え、これから門の向こうでこちらを待つ。立場が逆なら、味方としては頼もしかったかもしれない。


 まあ、敵なら殺すだけだが。


「若様」


 背後からセバスチャンの声がした。


「なんだ」


「もうちょっと格好いいこと言ってくだせえよ」


 振り返ると、セバスチャンが苦笑していた。


 その横で、何人かの騎士が笑いを堪えている。


「なんでだよ。素直に答えただけだろ」


「素直すぎるんですぜ。橋を渡せ、奪うだけだ、じゃあ山賊と変わりません」


「正面から名乗っただけ上等だろ」


「まあ、それはそうですがね」


 セバスチャンは肩を竦める。


 そのやり取りで、後ろの騎士たちの間に小さな笑いが流れた。


 緊張はある。


 だが、固まりすぎてはいない。


 ちょうどいい。


 俺は再び前方へ視線を向けた。


 ダストたちは砦へ戻っていく。


 門の上の兵たちが動き、旗が揺れ、槍の列が整えられる。


 感知魔法に映る魔力反応が、さらに濃くなっていった。


 当主か。


 それとも上位の騎士か。


 強めの反応が門の奥へ寄っている。周囲の騎士たちもそれに合わせるように魔力を高めていた。数は多い。一つ一つの反応が集まり、門を中心に重なっていく。


 やがて、砦の空気そのものが変わった。


 本来なら、魔力は目に見えない。


 少なくとも、普通に立っているだけで光として見えるものではない。感知魔法で捉え、身体で圧を感じるものだ。


 だが今、砦の門の周囲が白く霞んだように見えた。


 朝の光とは違う。


 石壁そのものが内側から薄く光っているような、奇妙な白さだった。門とその周囲を包むように、厚い防御魔法が展開されている。


 かなりの数で重ねている。


 俺は思わず目を細めた。


「ほう」


 悪くない。


 思っていたよりも、ずっとまともだ。


 シルディア家も、その周辺から集まった騎士たちも、ただ数を揃えただけではないらしい。門を守るために魔力を合わせ、防御魔法を重ねている。簡単に破られる気はないという意思が、白く輝く砦から伝わってきた。


 隣へ馬を寄せたセバスチャンも、同じものを見て低く呟く。


「なかなかですな」


「ああ。当主と騎士五十人ぐらいか」


 感知魔法で捉える限り、その辺りだ。


 一人の強い反応を中心に、複数の反応が門周辺へ集まっている。全員が完全に同じ防御魔法を作っているわけではないだろうが、重ねて支える形にはなっている。


 力押しだけでは面倒そうだ。


 まあ、力押しするのだが。


「このまま見物してたら、魔力切れにならんかな」


 俺が言うと、セバスチャンが呆れたように鼻を鳴らした。


「敵さんも馬鹿じゃねえんですぜ。交代しますよ」


「だよな」


「そういう雑な期待はやめなせえ」


 正論だった。


 あれだけの数がいるなら、魔力を使う者を入れ替えながら維持できる。こちらが黙って眺めていれば、向こうもその間に準備を固めるだけだ。


 それでは意味がない。


 俺は手綱を握り直し、門を見据えた。


「んじゃ、予定通りに動くか」


「そうしてください」


 セバスチャンの返事は軽かった。


 だが、その声の奥にある緊張は分かる。


 ここから先は、冗談では済まない。


 俺が門を破れるかどうか。


 最初の一撃で、こちらの流れが決まる。


 橋の前で止まったまま、マバール騎士たちは静かに待っていた。


 軍旗が風に鳴る。


 白く霞む砦の門を見据えながら、俺は身体の奥で魔力を揺らし始めた。


 身体の奥で魔力を巡らせる。


 静かに。


 ゆっくりと。


 慌てて高める必要はない。身体の底から満ちてくるように、魔力は自然と全身へ広がっていく。


 胸の奥が熱を帯びる。


 指先まで魔力が行き渡ると、周囲の空気がわずかに張り詰めた。


 後ろの騎士たちも、その変化へ気づいたのだろう。


 誰も声は出さない。


 ただ、固唾を呑んで俺の背中を見ている。


 セバスチャンが馬を寄せ、小さく口を開いた。


「若様」


「なんだ」


「壊すのは門だけですぜ」


 俺は思わず苦笑した。


「大丈夫だ。任せておけ」


 そう答えながらも、身体へ巡らせていた魔力を少しだけ落とす。


 ……これくらいでいいかな。


 昨日の軽口を思い出す。


 橋へ穴を開けるな。


 信用がない。


 まったく失礼な話だ。


 だが、否定もできない。


 今回は橋を奪う戦いだ。


 壊すためではない。


 俺は右手をゆっくり前へ向けた。


 門。


 狙うのはそこだけ。


 防御魔法を含めても、橋脚には絶対に逸らさない。


 魔力が掌へ集まる。


 空気が震える。


 周囲の温度まで変わったように感じるほど、濃い魔力が一点へ凝縮されていく。


 砦の上でも異変へ気づいたらしい。


 兵たちが慌ただしく動き始め、門の周囲へさらに魔力が集まる。


 白く霞んでいた防御魔法が、一段と厚みを増した。


「……行くぞ」


 誰へ言ったわけでもない。


 俺はそのまま腕を振り下ろした。


 次の瞬間、圧縮された魔力が一直線に走る。


 空気を引き裂きながら放たれた攻撃魔法は、朝日に照らされた街道を一瞬で駆け抜け、防御魔法の壁へ激突した。


 轟音。


 世界そのものが揺れたようだった。


 土が跳ね、街道の砂利が浮き上がる。


 衝撃波がこちらまで押し寄せ、馬たちが耳を伏せた。


 白く輝いていた防御魔法が大きく歪む。


 何十枚もの硝子へ同時に石を叩きつけたような轟音が走り、砦全体が激しく震えた。


 だが――。


「残ったか」


 防御魔法は消えていなかった。


 白い輝きは大きく弱まっている。


 それでも、まだ門を覆っている。


 砦の上からどよめきが起きた。


 敵兵たちの顔までは見えない。


 それでも、あれだけの一撃を受けて立っていることに、誰もが驚いているのは伝わってくる。


 こちらも同じだった。


「これほどとは……」


 後方で誰かが息を呑む。


「若様の攻撃魔法を止めたぞ」


「まさか耐えるとは」


 直属騎士たちも目を見開いていた。


 彼らも俺の攻撃魔法は何度も見てきた。


 だが、それを真正面から防ぎ切る防御魔法は初めて見る。


 俺は門を見つめたまま首を傾げる。


「んー……」


 少し弱め過ぎたか。


 いや。


 セバスが余計なことを言うからだ。


 門だけ。


 門だけ。


 なんて何度も言われたら、加減を考え過ぎる。


 もう少しだけ強くても良かった。


 俺は再び右手を前へ向ける。


 砦の上では騎士たちが必死に魔力を流し込んでいる。


 揺らいだ防御魔法を維持しようと、白い輝きが脈打つように明滅していた。


 なら、もう一発だ。


 再び魔力が集まる。


 今度は少しだけ強く。


 ほんの少しだけ。


 攻撃魔法を放つ。


 再び轟音。


 一発目よりも激しい衝撃が防御魔法を揺らした。


 砦の石壁から砂埃が舞い、門の前で白く光っていた防御魔法がさらに薄くなる。


 あと少し。


 そう思えるほど弱まった。


 だが、それでも消えない。


 しぶとい。


 俺は思わず眉をひそめた。


 砦の中でも悲鳴のような叫びが聞こえてくる。


 それでも魔力は途切れない。


 当主か。


 筆頭騎士か。


 かなり強い奴が支えている。


「若様」


 横からセバスチャンの声が飛ぶ。


「砦の門だけですぜ!」


「分かっている!」


 思わず言い返す。


 そんなに信用がないか。


 ……いや、まぁ、仕方ないかもしれない。


 俺は小さく息を吐き、狙いをさらに絞った。


 門だけ。


 余計な場所はいらない。


 魔力を一点へ圧縮する。


 先ほどまでとは違う。


 広く叩くのではなく、小さく、深く。


 魔力が収束しきしむ音すら聞こえそうだった。


「これで終わりだ」


 掌から放たれた攻撃魔法が一直線に走る。


 次の瞬間。


 これまでで最大の轟音が大地を揺らした。


 爆煙が門の前を覆う。


 土煙と砕けた石片が空高く舞い上がり、朝日を遮る。


 白く輝いていた防御魔法は、煙の中で音もなく砕け散った。


 感知魔法へ映っていた分厚い壁が、一気に薄くなる。


 完全ではない。


 わずかに名残はある。


 だが、もはや防御魔法としては機能しない。


 砦の中から大きなどよめきが広がった。


 その変化を感じ取ったのは、俺だけではない。


「おおおおおっ!」


 背後で咆哮が上がる。


 マバール騎士たちだった。


 誰か一人ではない。


 全員が喉の底から声を張り上げる。


 長槍が掲げられ、剣が抜かれ、軍旗が大きく翻る。


 防御魔法は崩れた。


 突破口は開いた。


 今しかない。


 俺は剣を抜き放ち、高く掲げる。


「突撃!」


 その一声で、百を超える騎士たちが一斉に馬腹を蹴った。


 大地が震える。


 無数の蹄が街道を叩き、黒地に赤い十文字の軍旗が朝風を切り裂いた。


 シルビア橋へ向けて、マバール騎士団が雪崩れ込んでいく。

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