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魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


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第百二話 次兄の忠告


 会議室の扉が閉まる音を背中で聞いて、俺は廊下に一人残された。


 アル兄さんは父上と上層部に囲まれたまま、あの柔らかい笑みで席へ促されていた。迷宮管理の拠点から戻ったばかりなのに、休む間もなく報告だ。白馬に乗って城門へ現れた姿だけ見れば完全に物語の王子さまだったが、現実の王子さまは馬から降りたあとに会議室へ放り込まれるらしい。


 いや、王子ではないけど。


 廊下の灯火はまだ明るかった。夕方の光が窓布の隙間から薄く残り、石壁の色を少しだけ柔らかくしている。城内は、アル兄さんの帰還で普段より人の動きが多かった。使用人たちは控えめに足を運びながらも、どこか嬉しそうに見える。武官たちも、すれ違うたびに会議室の方へ意識を向けていた。


 アルディス・マバール。


 父上の次男で、俺の兄。


 俺からすれば昔から優しい兄だが、家中からすれば迷宮管理を任される有能な貴族でもある。帰ってきただけで空気が少し変わる。さすがだなと思う反面、少しだけ羨ましい。俺もそれなりに色々やっているはずなのに、帰還のたびに父上へ呼び出される理由が、だいたい問題報告なのはなぜだろう。


 まあ、心当たりはある。


 帝国で山賊もどきをしたり、メガレア家長男を処理したり、自然発生した迷宮を崩したり、温泉地からよく分からない雛鳥を持ち帰ったりした。並べると、確かに問題報告の塊だ。


 俺は小さく息を吐き、自室へ向かった。


 アル兄さんは会議室を出る時に、後で話そう、と言った。父上や上層部との話が終われば、きっと来るだろう。そう思うと、少し落ち着かない。怒られるとは思っていない。アル兄さんは父上のように重い圧をかける人ではないし、セバスチャンのように雑に転がす人でもない。だからこそ、何を言われるのか分かりにくい。


 自室の扉を開けると、茶の香りが静かに流れてきた。


 レティシアがいた。


 部屋の中は整えられ、机の上の書類は端へ寄せられている。灯火は明るすぎず、暗すぎず、夕方から夜へ変わるこの時間にちょうどいい。机の端ではレアが丸くなっていて、白い綿毛の身体をふくらませたまま、こちらを片目で見ていた。


「お帰りなさいませ、若様」


「ああ、ただいま」


 レティシアの声を聞くと、肩の力が抜けた。


 今日の彼女は普段と同じように見えて、少しだけ所作が硬い気がした。アル兄さんが帰ってきたからだろうか。レティシアは俺の専属使用人だが、幼い頃からマバール城にいる。アル兄さんとも当然顔見知りだ。俺が知らない昔のレティシアを、アル兄さんは知っている。


 それを考えると、少し面白くない。


 いや、別に何があるわけではない。アル兄さんは俺の兄で、レティシアは俺の女で専属使用人だ。そこに変な心配をする必要はない。ないのだが、俺の知らないレティシアを知っている人間がいるというだけで、妙な引っかかりが胸に残る。


 俺は椅子へ座り、レティシアの淹れた茶を受け取った。


 温かい。


 香りもいい。


 レアが机の端で首を傾げる。お前は茶を飲まないだろう、と指を近づけると、案の定つつかれた。別にたいして痛くはないが、腹立たしい。こいつは俺にだけ妙に態度が悪い。


「アルディス様は、まだ会議中でしょうか」


「たぶんな。戻ったばかりなのに大変だよ」


「アルディス様は迷宮管理の拠点におられましたから、報告も多いのでしょう」


「だろうな」


 迷宮管理。


 前から気になっていた。


 俺も迷宮には入った。森型迷宮ではさまざまな魔物と戦ったし、温泉地では自然発生した小さな迷宮へ入った。だが、アル兄さんが関わっているような大規模な迷宮のことは、まだよく知らない。もちろん迷宮に関する伝聞を聞いたことはあるが、実際にどれほど広いのか、何があるのか、分からないことの方が多い。


 扉が叩かれたのは、茶を半分ほど飲んだ頃だった。


 レティシアが俺を見た。俺が頷くと、彼女は扉へ向かい、静かに開く。


「失礼するよ」


 入ってきたアル兄さんは、会議室で見た時より少しだけ疲れているように見えた。


 だが、顔にはいつもの柔らかい笑みがある。衣服も乱れていない。髪も綺麗に整ったままだ。馬で戻って会議を終えて、それでこの状態なのだから、やはりずるい。俺ならもう少しだらけた顔になっている。


「アル兄さん、どうぞ」


「ありがとう。少しだけ邪魔するよ」


 アル兄さんは部屋へ入り、俺を見る前にレティシアへ目を向けた。


 その瞬間、俺は茶杯を持つ指に少し力を入れた。


 別におかしなことはない。アル兄さんは幼少期からレティシアを知っている。だから挨拶するのは当然だ。分かっている。分かっているのに、二人が自然に視線を合わせるだけで、胸の奥が少しだけざわついた。


「レティシアも、大きくなったね」


 アル兄さんは穏やかに言った。


 レティシアが丁寧に礼をする。


「はい。お久しぶりです、アルディス様」


 その声はいつものレティシアだった。使用人として崩れず、柔らかすぎず、距離も正しい。だが、俺にはほんの少しだけ懐かしさのようなものが混じっているように聞こえた。気のせいかもしれない。気のせいだと思いたい。


「アル兄さん」


「うん?」


「レティシアは俺のです」


 言った瞬間、アル兄さんは一度まばたきして、それから苦笑した。


 レティシアは茶器のそばで視線を伏せ、耳のあたりを薄く染める。怒ってはいない。むしろ困っているのだろう。俺も我ながらかなり子どもっぽいとは思う。だが、言わずにはいられなかった。


「うん。分かっているよ」


 アル兄さんはそう言って、俺の向かいの椅子に腰を下ろした。


 レティシアは座らない。俺とアル兄さんへ茶を出し、少し後ろに控える。専属使用人として自然な位置だ。俺の女であっても、兄の前で対等な客として座るわけではない。そういうところを崩さないから、レティシアはレティシアなのだ。


 アル兄さんは茶杯を手に取り、香りを確かめるように目を細めた。


「相変わらず、レティシアの茶は美味しいね」


「ありがとうございます」


 レティシアが静かに答える。


 俺は茶を飲んだ。


 美味い。


 それは事実だ。だから褒めるのは当然だ。だが、アル兄さんに褒められてレティシアが少し嬉しそうに見えるのは、やはり面白くない。俺のものなのに。


 いや、待て、落ち着け。


 兄に嫉妬してどうする。


「それで、アル兄さん」


「うん」


「大きな迷宮って、どんな感じなんですか?」


 俺が尋ねると、アル兄さんは茶杯を置いて、少しだけ考えるように指を添えた。


「大きな迷宮か。そうだね……領内で一番大きい迷宮がどれかは、まだ分かっていないんだよ」


「分かっていない?」


 思わず聞き返した。


 マバール家は迷宮管理を重視している。父上も上層部も、迷宮を放置するような人間ではない。最大の迷宮くらい記録していて当然だと思っていた。


「うん。大規模な迷宮が複数あるからね。どれも果てまで到達していない。だから、最大がどれかも確定できないんだ」


「果てまで到達していない迷宮が、複数あるのですか」


「そうだよ。領都がいくつも入るぐらいの迷宮が、いくつもあるんだ」


 領都がいくつも。


 想像しようとして、頭の中で大きさがぼやけた。町がひとつ入る程度ではない。領都がいくつもなら、もう地形そのものだ。森なのか洞窟なのか、川でも流れているのか、それとも別の形なのか。迷宮という言葉でひとまとめにしていいのかさえ怪しく感じる。


「どうして果てまで調査しないのですか?」


「うん。理由はいくつかあるよ。でも一番は、そこまで調査してもあまり意味がないからだね」


「ん? 未調査の奥地に、何か有用な資源があるかもしれませんよ?」


 迷宮は資源を生む。


 魔石も素材も、特殊な植物もある。俺が森型迷宮へ入った時も、素材の価値は感じた。未調査の奥地なら、もっと珍しいものがあるかもしれない。前世感覚で言えば、未開拓の鉱脈や宝の山を放置しているようなものだ。


「うん。でも、そこまで奥地だと持ち出すのが大変なんだよ」


「ああ」


 言われて、すぐに納得した。


 見つけるだけでは金にならない。持ち出せなければ意味が薄い。奥へ進むには食料も水も人員も必要になる。帰り道も長い。魔物も出る。途中で荷を失えば終わりだ。珍しい素材があったとしても、安定して運べないなら資源にはならない。


「それに、調べるだけでもかなり危険がある。大きな迷宮の奥地には、かなり強大な魔物もいるからね」


「どのような魔物なんです?」


 声が少し前のめりになった。


 強大な魔物。


 危険なのは分かる。分かるが、興味が湧かないわけがない。どれほど強いのか。どんな姿なのか。攻撃魔法は通るのか。防御魔法で受けられるのか。肉体強化魔法でどこまで近づけるのか。考え始めると、胸の奥が少し熱くなる。


 アル兄さんがじっとこちらを見た。


「言っておくけど、退治しようとかしちゃ駄目だよ。危ないから」


「もちろんです」


 俺は微笑んだ。


 きれいに笑えたと思う。


 だが、後ろでレティシアが静かに茶器へ手を伸ばした。新しい茶を注ぎながら、彼女は穏やかな声で言う。


「アルディス様、若様は行く気ですのでご注意ください」


「レティシア」


 俺は振り向いた。


 まだ行くとは言っていない。見物くらいなら問題ないだろう、とは思ったが、言ってはいない。口に出していないなら、せめてもう少し猶予がほしい。


 アル兄さんは困ったように笑った。


「そうか。なら、なおさら駄目だね」


「見物ぐらいなら」


「駄目だよ」


「いけません」


 二人の声がほとんど同時に重なった。


 ひどい。


 兄と専属使用人が組むと強い。しかも、どちらも声を荒げない。怒っているわけでもない。ただ静かに駄目と言われる。こういう時の方が逃げ道が少ない。


「いや、でも退治した方がいいだろ? アル兄さんもそう思いますよね」


 少しだけ抵抗してみる。


 強い魔物がいるなら、放置するより倒した方が安全ではないのか。迷宮の奥にいるとはいえ、いつか浅い場所へ出てくるかもしれない。先に潰しておくのは、貴族の義務と言えなくもない。


「でも、強大な魔物を倒すと、迷宮内部の均衡が崩れてしまうんだよ」


「均衡ですか」


「うん。強い魔物がいる場所には、それなりの理由がある。そこを崩すと、別の魔物の動きも変わる。浅い場所へ強い魔物が出てくることもあるし、今まで安定していた採取場所が荒れることもあるんだ」


 食物連鎖とか縄張りみたいなものか。


 そう考えると分かりやすい。強い魔物がいるから、周囲の魔物が押さえ込まれている場合もある。そいつを倒せば安全になるとは限らない。むしろ空いた場所を別の厄介な魔物が埋めるかもしれない。


 なるほど。


 理屈は分かる。


 分かるが、やってみたい気持ちは消えない。


「例えばですが」


「うん」


「例えば、どこの迷宮なら退治しても構いませんか?」


「駄目だよ」


 早い。


 答えが早すぎる。


「一つ。一つだけでいいのです」


「教えない」


 アル兄さんは微笑んだ。


 柔らかい笑みだった。怒っていない。声も優しい。だが、それ以上聞いても絶対に教えないと分かる顔だった。


 俺は口を閉じる。


 アル兄さんに嫌われたいわけではない。ここでしつこく食い下がれば、本当に警戒される。そうなれば迷宮の話そのものをしてもらえなくなるかもしれない。それは困る。


「それと、正体を隠して倒すのも無しだよ」


 アル兄さんが言った。


 俺は危うく茶を噴きそうになった。


「そんなことしませんよ」


 笑って誤魔化す。


 内心では、少し考えていた。赤布を巻いて、上品な山賊として迷宮へ入り、強い魔物を倒して帰る。帝国でやったことを思えば、不可能ではない気がする。だが、今それを顔に出すのは危険だ。


 視界の端で、レティシアがわずかに微笑んだ。


 見られている。


 たぶん誤魔化せていない。


「父上から聞いたけど、だいぶ色々したみたいだね、ギル」


 アル兄さんの視線が少しだけレティシアへ向いた。


 俺はその意味を理解した。


 レティシアの前でどこまで言っていいのか確認しているのだ。帝国での話は、軽く扱えるものではない。俺が山賊もどきとして帝国内を荒らしたこと、メガレア家の長男を処理したこと、リエリエールを連れ帰ったこと。その全部をレティシアがどこまで知っているか、アル兄さんは知らない。


 俺は小さく頷いた。


「ええ、帝国にも行きましたよ」


 それで、アル兄さんは十分だったようだった。


 俺の頷きと返答で、レティシアが事情を知っていると理解したのだろう。それでも、詳しく聞こうとはしなかった。レティシアが知っていても、帝国での話をこの部屋で茶を飲みながら広げるべきではない。そう判断したのだと思う。


「あまり無茶をしないようにね」


「はい、大丈夫です」


 俺が笑って答えると、アル兄さんは苦笑した。


「本当かな?」


 本当だ。


 大丈夫だ、絶対ではないけど。


 俺は無茶をしたいからしているわけではない。必要があったから動いただけだ。帝国の件も、自然発生迷宮の件も、結果的に派手になっただけで、最初から騒ぎにするつもりだったわけではない。


 机の上で、レアがもぞりと動いた。


 白い綿毛の塊が羽の下から顔を出し、丸い目でアル兄さんを見た。アル兄さんも気づいたように視線を向ける。


「これが温泉地で拾った魔物の雛か」


「ええ。よく懐いているでしょう」


 俺は少し得意になって言った。


 レアは俺の言葉を聞いたように、机の上をとてとて歩いてきた。白い身体が小さく揺れる。ここで俺の手元に来て大人しく座れば、飼い主としての面目が立つ。


 そう思った瞬間、レアは俺の指をつついた。


「……多少、いたずらはしますが」


 俺は笑って取り繕った。


 痛くはない。一応、加減はしているようなので、嘴が当たっても傷ひとつつかない。だが、なぜ俺の指だけを狙うのか。俺の指はそんなにつつきやすそうなのか。


「まあ、懐いてはいるみたいだね」


 アル兄さんは苦笑した。


 レティシアがそっと手を伸ばすと、レアは抵抗もせず抱えられた。むしろ自分から身体を預けるように丸くなる。満足げに目を細め、嘴をレティシアの指へ軽く寄せる姿は、俺に対する態度とあまりにも違った。


「うん。レティシアにはもっと懐いているみたいだね」


「そんなことはありませんよ」


 俺は虚勢を張った。


 レティシアは何も言わず、少し困ったように微笑んでいる。レアは彼女の腕の中でぬくぬくと収まり、こちらを見ようともしない。


 裏切り者め。


「稀に魔物を飼う者もいるけど、注意するんだよ」


「分かっています。今のところ、レアはレティシアとダリアには素直ですし、俺にもまあ、懐いています」


「うん。そういうことにしておこうか」


 アル兄さんの言い方が柔らかい分、少し悔しい。


 レアは温泉地で拾った卵から生まれた。黒い鳥型魔物との関係はまだ断定できないし、成長後にどうなるかも分からない。可愛いから大丈夫、で済ませるには危険な存在なのは分かっている。だが、俺の部屋で書類を避け、レティシアに抱かれて満足そうにしている姿を見ると、危険というより生意気な雛鳥にしか見えない。


「そういえば父上から聞いたけど、ギル、迷宮を壊したんだって?」


 アル兄さんがさらりと言った。


 茶の香りが急に濃く感じた。


「ええ。自然発生した小さな迷宮でしたが、調べていると勝手に崩壊してしまいました」


 俺はできるだけ自然に答えた。


 嘘ではない。


 小さな自然発生迷宮だった。調べていた。崩壊した。それぞれの要素は事実だ。ただ、勝手にという部分に少しだけ解釈の幅があるだけだ。


 アル兄さんがじっと俺を見る。


「本当に?」


「えーっと、調査の過程で必要なだけ内部で攻撃魔法を放ちました」


 目を逸らした。


 レティシアの視線も感じる。あの時のことは既に知られている。宿へ戻った時、卵を抱えて土埃まみれだったのだ。誤魔化しきれないのは分かっている。


「何発ぐらい?」


「えっと、だいたい五発くらいだったかな?」


 アル兄さんはまだ見ている。


 柔らかい顔なのに、逃げ道がない。


「もしかしたら十発ぐらいだったかも?」


 アル兄さんは軽く息を吐いた。


「いいかい、ギル。普通は迷宮は破壊できないんだよ」


「そうなんですか?」


 言ってから、どこかで似たようなことを聞いた気がした。


 確か、セバスチャンもそんな反応をしていた。迷宮が潰れるという話は聞いたことがない、と。会議室でも上層部が妙な顔をしていた。つまり、俺が思っていた以上に変なことだったのだろう。


「少なくとも、僕は知らないね。でも、そもそも内部で迷宮に向けて攻撃魔法を放った貴族も聞いたことがないけど」


「そうなんですか?」


「危ないだろう?」


 アル兄さんは当然のことのように言った。


「大丈夫です。瓦礫は防御魔法で防げますし、埋まっても肉体強化魔法で抜け出せます」


「いや、普通はしないから」


 普通。


 また出た。


 俺の普通と、この世界の普通と、マバール家の普通は、時々ずれる。最近はそのずれにも慣れてきたつもりだったが、迷宮を内部から崩す件については、どうやら俺の方がかなりずれていたらしい。


「学者たちも驚いていたよ」


「そうなんですか?」


 なんか、さっきからこればっかりだな。


 だが他に言いようがない。俺は学者たちが何をどう驚いたのか見ていないし、迷宮研究の詳しい常識も知らない。俺からすると、小さくて資源も乏しく、魔物も弱く、周囲に被害を出しそうな迷宮をとっとと潰しただけだ。


「うん。少なくとも、僕には絶対にできないね」


 アル兄さんは微笑んだ。


 それは褒め言葉なのか、呆れなのか、少し判断に迷う顔だった。たぶん両方だろう。アル兄さんは俺を責めたいわけではない。けれど、放っておくと本当に何をするか分からない弟だとも思っているらしい。


 茶が少し冷めた頃、アル兄さんは杯を置いた。


「そろそろお暇するよ」


「もうですか?」


 思ったより素直に声が出た。


 もう少し話していたかった。迷宮の話も聞きたいし、アル兄さんの拠点のことも聞きたい。これまで離れていた間のことも、もっと聞いてみたい。だが、アル兄さんは戻ったばかりだ。父上たちとの会議も終えたばかりで、疲れていないはずがない。


 アル兄さんは立ち上がり、俺の前で少しだけ表情を改めた。


「いいかい。どんな無茶をしても、僕たちも父上もギルの味方だよ」


 声は穏やかだった。


 だが、軽い言葉ではなかった。


「はい」


 俺は頷いた。


「無茶をしろとは言わないよ。でも、無茶をしても、マバール家ならギルの味方でいられる。小貴族なら、そうはいかないことも多いだろうけどね」


 言葉の意味が、すぐには全部入ってこなかった。


 俺が無茶をした時、家が支える。父上も兄たちも味方でいる。マバール家だから、それができる。小貴族ならできない。たぶん、立場や権力や軍事力の話だ。俺一人の力ではなく、家の重さが俺の行動を受け止めているということだろう。


 分かるようで、まだ分からない。


 俺はもう一度頷いた。


「はい」


 アル兄さんは俺へ近づき、手を伸ばした。


 頭を撫でられた。


 子ども扱いだ。


 そう思ったのに、不思議と嫌ではなかった。アル兄さんの手は軽く、乱暴ではない。幼い頃の俺を知っている兄の手だった。ダリアを懐妊させ、帝国で山賊もどきをやり、迷宮を壊しても、兄にとって俺はまだ末弟なのかもしれない。


「だから、ギルもマバール家のことを考えるんだよ」


「もちろんです」


 俺はすぐに答えた。


 それは本心だった。


 お気楽な三男坊でいたい。レティシアやダリアと楽しく暮らしたい。面倒事はなるべく避けたい。それでも、マバール家をどうでもいいと思ったことはない。父上も、ダル兄さんも、アル兄さんも、大事だと思うマバール家を俺も大事だと思っている。


 アル兄さんは満足したように頷いた。


「うん。それじゃ、おやすみ」


「おやすみなさい、アル兄さん」


 レティシアが扉を開ける。


 アル兄さんは彼女へも静かに頷き、部屋を出ていった。扉が閉まると、部屋には茶の香りと、レアの小さな羽音だけが残った。


 俺は頭に残る手の感触を、しばらく消せずにいた。

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― 新着の感想 ―
多分地球時代も周りに迷惑掛けていたタイプだと思うわ。
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