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魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


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第百話 広がる喜び


 ダリアの懐妊が確認された翌朝、マバール城はいつも通りに目を覚ましたようで、どこか違っていた。


 城壁の上では夜番を終えた兵が交代し、中庭では馬の世話をする使用人が水桶を運んでいる。厨房の方からは焼いたパンの匂いが流れ、廊下では朝の支度に追われる足音が途切れず響いていた。普段と同じ音、同じ光、同じ石壁。けれど、その中に混じる声が少し柔らかい。


 俺が自室を出ると、廊下にいた若い使用人がすぐに頭を下げた。


「おはようございます、ギルバート様。ダリア様のこと、おめでとうございます」


「ああ、ありがとう」


 最初の一人には、まだ普通に返せた。


 だが、階段へ向かうまでに三人、朝食の席へ着くまでにさらに五人、食後に部屋へ戻る途中で老文官にまで祝われると、さすがに顔の置き場に困った。誰も大げさに騒いではいない。祝いの言葉も、礼節を弁えた穏やかなものだ。それでも、すれ違う者たちの目に浮かぶ喜びが、こちらの胸までくすぐってくる。


 ダリアが孕んだ。


 しかも、胎の子から魔力反応が出ている。


 その事実は、治癒魔導師たちが動いた時点で城内に伝わっていたのだろう。マバール城は広いが、こういう話は驚くほど早い。普段は書類の山に埋もれている文官まで、今日ばかりは俺を見る目が柔らかかった。


 父上にも昼前には呼ばれた。


 会議室ではなく、執務室だった。机の上には王都から戻った後の書類がまだ積まれており、父上はその一枚に目を通していた。俺が入ると、父上は顔を上げ、しばらく俺を見た。


「ダリアが懐妊したそうだな」


「はい」


「胎の子から魔力反応があったと聞いた」


「治癒魔導師も確認しました」


 父上は短く頷いた。


「めでたいな」


 言葉はそれだけだった。


 だが、口元がわずかに緩んでいた。父上がそういう顔をするのは珍しい。王都の話でも、国境の話でも、帝国の話でも、父上の顔は滅多に崩れない。その父上の顔が、ほんの少しだけ柔らかくなっている。


 それを見た瞬間、俺の中でまた現実味が増した。


「ありがとうございます」


 頭を下げると、父上は既に書類へ視線を戻していた。


 けれど、その声は普段より温かかった。


「まずは落ち着け」


「……はい」


 なぜ父上にまで言われるのか。


 いや、理由は分かっている。昨日の俺の慌てぶりは、治癒魔導師たちから父上の耳に入っているのだろう。たぶん、上層部にも伝わっている。かなり恥ずかしい。


 その日のうちに、俺は何度もダリアの部屋へ向かいかけた。


 だが、そのたびにレティシアに止められた。彼女は俺の動きを完全に読んでいるらしく、廊下の角や扉の前で静かに待っている。


「若様、ダリアは休んでいます」


「様子を見るだけだ」


「先ほどもご覧になりました」


「ほんの少しだけ」


「若様がほんの少しで済まされたことはございません」


 反論できなかった。


 ダリア本人にも止められた。


「ギル様、私は大丈夫ですから」


 椅子に座った彼女は、昨日より少し照れたように笑っていた。腹はまだ何も変わらない。いつものダリアだ。だが、そこに小さな魔力があると知っているだけで、こちらの目が勝手に下腹部へ向かってしまう。


「無理はするな」


「はい」


「気をつけて動くんだぞ」


「はい」


「寒くはないか」


「大丈夫です」


「茶は熱すぎないか」


「大丈夫です」


「椅子は硬くないか」


「ギル様」


 そこでダリアは苦笑した。


「レティシア様に怒られてしまいますよ」


 その言い方があまりにも普段通りだったので、俺はようやく少しだけ息を抜けた。


 夜になり、自室へ戻る頃には、城内の浮き立つ気配も少し落ち着いていた。昼間の明るさは窓布の外へ消え、石壁には灯火の柔らかな影が揺れている。レアは机の端で丸くなり、白い綿毛を膨らませていた。今日は俺が慌ただしかったせいか、いつもより大人しい。


 俺は長椅子へ腰を下ろした。


 その隣にはリエリエールがいる。


 彼女は薄い夜着の上に布を羽織り、膝の上で指を重ねていた。灯火に照らされた髪は淡く光り、こちらを見つめる目は穏やかだった。


「今日は、城中が嬉しそうでしたね」


「そうだな」


 俺は身体を預ける。


 自然と、リエリエールの豊かな胸に側頭部が触れた。柔らかい。相変わらず、凄まじい存在感だ。だが今夜は、その感触にすぐ意識を持っていかれるほど頭が軽くなかった。


「ギル様?」


「考え事だ」


「ダリア様のことですか」


「ああ」


 リエリエールは何も言わず、俺の髪に指を通した。ゆっくりと撫でる動きが、今日一日浮ついていた頭を少しずつ沈めていく。


 貴族の愛妾になった平民が妊娠すること自体は、よくある話だ。


 平民の女性は孕みやすい。


 この世界では、魔力が弱い女性ほど子を宿しやすいとされている。逆に、魔力が強くなるほど難しくなる。貴族の女は魔力が強い。だから貴族家は、子を得ることに苦労する。家を継ぐ者、血を残す者、魔力を繋ぐ者。そのすべてが大事だから、貴族たちは男が女に興味を持つこと自体を強く否定しない。


 確実に魔力持ちが生まれるのは、貴族同士。


 騎士家ではたまに。


 貴族と平民では極めて稀に。


 俺は治癒魔導師やレティシアから聞いた話を、頭の中で転がした。ダリアは平民だ。彼女が子を宿すこと自体は驚かれていない。驚かれたのは、その子が魔力反応を示したことだ。


「ギル様は、やはり凄い方なのですね」


 リエリエールが静かに言った。


「俺が凄いというより、運が良かったんだろう」


「そうでしょうか」


「そうだろう」


 俺は目を閉じたまま答える。


 もちろん、自分の魔力が関係している可能性はある。治癒魔導師たちも、そう見ているようだった。俺の魔力はかなり強い。その血を受けた子が、平民の母体に宿りながら最初から魔力反応を示した。それはたぶん、かなり珍しい。


 だが、それを俺の手柄のように思うのは違う気がした。


 ダリアが宿したのだ。


 あの柔らかな身体の内側で、小さな命を抱えているのはダリアだ。


 だから、城内の祝福が俺へ向けられるたび、嬉しいのと同時に、少しだけくすぐったかった。


「昼間、レティシア様に止められていましたね」


「見ていたのか」


「見ておりました」


 リエリエールが笑う。


 逃げ場がない。


「仕方ないだろう。気になる」


「ダリア様もお困りでした」


「うむ」


 それも分かっている。


 治癒魔導師にも言われた。妊娠中、特に初期は男が近づきすぎるものではない、と。この世界では、男が妊娠中の女へ近づきすぎると胎の子が穢れるという考えがある。そういう言い方をされると、前世の感覚では少し眉をひそめたくなる。


 ただ、完全に迷信だと切り捨てる気にもなれなかった。


 貴族女性が妊娠すると、初期は魔力が不安定になる。


 それはこの世界でよく知られている。魔力が身体に根ざした力なら、胎内で細かく分かれ、増え、形を作っていく段階に外から強い魔力が触れれば、何か影響が出てもおかしくない。俺の魔力は強い。無意識に近づきすぎるだけでも、ダリアや胎の子に負担になる可能性はある。


 母体が本能的に魔力を抑える。


 そういうこともあるのかもしれない。


 もちろん、単に妊娠初期の閨事を避けさせるための経験則という面もあるだろう。妊娠初期に無理をすれば、子が流れる危険がある。医学的な理屈は分からなくても、長い経験の中で避けるべきものとして残った習慣なのかもしれない。


 どちらにせよ、今の俺にできることは少ない。


 近づきたい。


 触れたい。


 安心させたい。


 だが、それが逆に負担になるなら、我慢するしかない。


「難しいものだな」


「はい」


 リエリエールは短く答えた。


 その声に含まれる柔らかさが、少しだけ胸にしみた。


 次に考えたのは、子供の将来だった。


 ダリアの腹にいる子は、騎士家の養子になるだろう。功績のある騎士家に入り、騎士として育てられる。魔力持ちは幼い頃の教育が大事だ。魔力の扱い、身体の鍛え方、武器の握り方、礼節、主家との距離。そういうものを最もよく知っているのは、やはり騎士家だ。


 養子といっても、母子の関係が絶たれるわけではない。


 ダリアが望めば会える。


 子が望んでも会える。


 俺の感覚で近いものを探すなら、前世の名門寄宿学校に入るようなものだろう。もちろん、実際には家と家の関係が絡むため、もっと重い。だが、親から奪われるというより、教育のために預けるという方が近い。


 そして成人したら、養育した騎士家を後ろ盾として新しい騎士家を作る。


 マバール家を支える新たな騎士家。


 それが、平民女性が産んだ貴族の子に用意される道の一つだった。


「おおよそ二十年か」


「何がですか?」


「子が育って、騎士家を作るまでだ」


 口に出すと、ずいぶん遠く感じた。


 二十年。


 その頃、俺は今の俺ではない。


 ダリアも、今のままではない。


 平民の愛妾が二十年後まで同じ寵愛を保っているとは限らない。だから成人した子が新しい騎士家を興した時、産みの母を引き取ることもあるのだろう。そう考えれば、制度として冷たいばかりではない。


 だが、俺はダリアを手放すつもりはなかった。


 少なくとも今は、そう思えない。


 あの笑顔を二十年後に遠くから眺めるだけなど、考えたくもない。


「レティシアなら、実家が引き取るんだろうな」


「レティシア様のお子ですか」


「ああ」


 レティシアが子を産んだ場合、彼女の実家が養育することになるだろう。騎士家の娘であり、魔力持ちでもある。生まれた子の扱いは、ダリアの場合とは違う。


 リエリエールが子を産んだ場合は、マバール家が育てる。


 彼女は帝国の血を持つ貴族の女だ。立場は複雑だが、俺の子としてマバール家が抱える形になる。


 この世界では、実母が子育てのすべてを担うことは少ないし、あまり好まれない。


 家の子。


 その意識が強い。


 俺もそうだった。実母に育てられた記憶はほとんどない。乳母がいて、使用人がいて、騎士がいて、教育係がいた。母の手の温度より、乳母の温もりや教育係の匂いの方が、幼い頃の記憶としては濃い。


 だから、それを寂しいと思う感覚自体が薄い。


 けれど、前世の記憶を持っていると、時々不思議にも思う。


 子供は家のものなのか。


 親のものなのか。


 本人のものなのか。


 答えは簡単に出ない。


「帝国では、どうなんだろうな」


 小さく呟きかけて、俺は口を閉じた。


 リエリエールなら知っている。


 帝国貴族の子がどう育てられるか。女たちがどう扱われ、血統がどう守られるか。聞けば答えてくれるだろう。


 だが、知ったところでマバール家のやり方が変わるわけではない。


 それに、帝国のことを聞けば、彼女が失った家や過去へ触れることになる。今夜、無理にその扉を開ける必要はなかった。


「ギル様?」


「いや、何でもない」


 リエリエールは追及しなかった。


 代わりに、俺の髪へ指を通す。胸の柔らかさと、髪を撫でる手の温かさ。その二つが、考えすぎて硬くなった頭を少しずつほぐしていく。


 俺は少し身体を動かした。


 その拍子に、視界が下がる。


 リエリエールの胸が見えた。


 大きい。


 相変わらず大きい。


 しかも、近い。


「ギル様」


「うむ」


「今、違うことを考えましたね」


「考えていないぞ」


「嘘です」


 即答だった。


 なぜ分かる。


 いや、分かるか。


 俺の視線はたぶん正直すぎる。


 だが仕方ないだろう。子供のことを考えていたのだ。妊娠、出産、育児。そこまで考えたら、胸の話へ少しぐらい飛んでも仕方ない。


 出産すると胸は大きくなるのだろうか。


 今でも十分に豊かだ。


 これ以上となると、相当な迫力だろう。


 恐ろしい。


 いや、恐ろしくはないか。


 すごい。


 実にすごい。


「やはり考えていますね」


 リエリエールは呆れたように笑った。


 怒ってはいない。


 むしろ、少し楽しそうですらある。


「まあ、少しだけだ」


「少しだけではないお顔でした」


「そんな顔をしていたか」


「はい」


 そう言われると何も返せない。


 俺は誤魔化すように咳払いをしたが、リエリエールは笑いを堪えるように肩を揺らした。重い話をしていたはずなのに、最後はこうなる。だが、その軽さに救われた気もした。


 ダリアの懐妊は嬉しい。


 けれど同時に、考えるべきことが増えた。


 魔力。


 血統。


 教育。


 家。


 母と子。


 俺の立場。


 ダリアの未来。


 まだ生まれてもいない小さな命が、こんなにも多くのものを連れてくるとは思わなかった。


 窓布の向こうで風が鳴った。


 城は静かだ。


 昼間の祝福の声も、今は遠い。


 俺はリエリエールに身を預けたまま、ゆっくり目を閉じた。


 ダリアの腹の中に、小さな命がいる。


 まだ見えない。


 触れられない。


 けれど、感知魔法で確かに感じた。


 淡く、弱く、それでも消えない魔力。


 その気配を思い出すと、胸の奥に温かいものが灯る。


 昨日までと世界は同じだ。


 王都は面倒で、帝国も動き、国境は相変わらず重い。俺の周囲には仕事も女もレアもいて、騒がしい日々は続いていく。


 だが、一つ増えた。


 守りたいものが。


 たぶん、それだけで俺はまた少し変わってしまうのだろう。


 面倒になるのだろう。


 けれど、悪くない。


 俺はその温かさを抱えたまま、静かな夜の中で息を吐いた。

100話達成しました。ありがとうございます。

今後も引き続きよろしくお願いします。

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