第55話 お父さんも「坊ちゃん文学賞」?
「お父さん、ご飯よ。
何してんの?」
8月22日、土曜日の正午。
台所のテーブルに昼食のシラス丼を並べながら、茶の間の座卓でキーボードを叩いている夫に声をかけた。
「うーん、もうちょっと。
お母さんを見習って、小説でも書いてみようかな、と?」
のけぞる妻。
ハコちゃんがお味噌汁のお玉を落としそうになった。
「お父さん、やだ!」
お玉を持ったまま、両手を腰に当てる。
目でお椀を示す母親。
「で、どんなお話なの?」
両手をキーボードから放すと、左手でマグカップのコーヒーをすすった。
胡座の中で丸くなっていたミニチュアダックスフントのポンちゃんが、世帯主の顔を見上げる。
「月曜日〔17日〕に、サントリーホールでサックス吹いたじゃん?
あの話を小説にしようかなと、思ったんだ」〔第29話参照〕
つばを飲み込むコズエさん。
「そう。
いろんなドラマがあったのね?」
パソコンの蓋を閉じるとポンちゃんを畳に下ろし、ゆっくり腰を上げる。
「だって、一生に1度あるかないか、だろ?
小ホールとはいえ、天下のサントリーホールでド演歌を吹いたんだからさ。
後にも先にも、おれだけじゃないの?
あの時の体験を何かにまとめて残しておかないと。
忘れてしまうには、もったいなさすぎる」
先に台所のテーブルについていた娘が睨んだ。
「いただきます、しましょ?」
3人が揃うと、鼻から息を吐くハコちゃん。
どんぶりのシラスにめんつゆをかけながら、世帯主が話しを続けた。
「お母さんも、出すんでしょ?」
首を左に曲げる妻。
「出す、とは?」
正面の妻を見つめる夫。
「『坊ちゃん文学賞』だよ。
松山に友達がいるって、言ってたじゃん?」
どんぶりを持ったまま妻の背中が後ろに下がる。
「『坊ちゃん文学賞』に出すの?
よりによって?」
母親の右隣りの小学生が箸を振り回した。
「お父さん、いい?
去年の応募総数は9,900。
あたしも、今回は出すの。
山中湖での水槽の夏合宿の話を書いてるの。〔第46話~第53話参照〕
もともとお母さんも出してるの。
お父さんまで出したら9,902作になっちゃうじゃん。
ますますあたしが当選できなくなっちゃう!」
箸を持った右手で口を押えながら笑い出す父。
「9,902作か。
ひとつふたつ増えたからって、大きな違いはないさー。
家族みんなで、同じ目標を目指す。
いいじゃないか。今年の夏休みのテーマにぴったりだ」
妻が繰り出す右手のジャブ。
「もうすぐ終わろうって時期に、新たなテーマを出されても困るわよねぇ?」
どんぶりを持ったまま隣りの娘に目をやると、大きくうなずいた。
すると、箸の先を口に置いたまま、妻がつぶやく。
「でも、考えてみれば、もともと倍率の問題じゃないわね。
倍率を考えたら、こんな確率の低い賞に応募するのは疑問。
松本清張賞なら、せいぜい800人の応募よ。
そうじゃなくて、4,000字というとても小さな世界で、読者をうならせる、ハラハラさせる、涙させる? そんなドラマが書けるかどうかなのよ。
長編には長編の難しさがあるけど、短編より短いショートショートにはそれなりの難しさ、コツがあると思うのね」
口をもぐもぐしながら、うなずく夫。
「さすが、経験者だ。
じゃあ、ショートショート、『坊ちゃん文学賞』のコツって、何だ?」
この一言に、娘の目が輝いた。
箸を置いて、左を向く。
椅子に座りなおす作家。
「書いてて思うんだけど、長編は、プロローグから始まって、事件の前から事件の後まで、充分に語りつくせるじゃない?
でも、これほどの短さになると、書けないのよ。字数がぜんぜん少なすぎるの。
だから、そう、野球で言うと、3回表から始まって8回裏で終わる感じ」
右手で膝を叩く夫。
「お母さん、うまい!」
「野球のこと、あたしわかんない!」
頬を膨らませる娘。
「そうね。ハコちゃん的には、ビバルディの『四季』の「春」の第3楽章から始まって「冬」の第1楽章で終わる感じかな?」
「よけい、わ・か・ん・な・い!」
笑い出す父親。
「お母さん、例えが悪い。
サッカーでいえば、前半の20分から後半の80分って感じだろ?」
空のどんぶりを前に天を仰ぐ母子と首を傾げる床の上のポンちゃん。
青木家の夕食タイムは、ますます混迷を深めるのだった、、、。
いずれにしても、親子3人、共通の話題とテーマができたということのようです。(つづく)




