第53話 夏の日の恋
「キビタキは夏の鳥なんだな」
合宿3日目の夕方。
ベランダの外の暮れかかる森の木々を見ていたハコちゃんの背中から、父親がつぶやいた。
振り返る娘。
タカシは、左手に鳥類図鑑を持ち、右手にはケンコーの8倍の双眼鏡を握っている。
「どういうこと?」
「寒くなると、南に帰るってことさ。
夏の間は、この山中湖の森でパートナーを見つけて家庭を作るけど、いずれいなくなる」
ハコちゃんの両目が大きくなった。
「えっ、いなくなっちゃうの?」
笑い出す父親。
「おれたちだって、いなくなるじゃないか」
確かに、明日の朝、この山荘を出る予定だ。
考え込む娘。
「お別れしなくちゃ、いけないのね?」
首を左に傾ける父親。
「誰に?」
「キビタキさんや、アカネズミさん、、、」
両腕を組んだままのタカシ。
「そんなに山荘が気に入った?」
「もう! 帰りたくない!」
立ち上がって父親にすがりつく。
台所にいる妻に目を移す夫。
両手を広げる妻。
「タロさ、確か、この合宿は、明日が最後じゃな?」
隣りにいるカニのタロウが右手で指折り数えた。
「そうですね」
小さな声で返事をすると、水槽の奥で考え事をしているマメコブシガニのマメコちゃんに目をやった。
「このまま帰ってしまうことで、よいのかの?」
のけぞるタロウ。
「他に、何ができるんですか?」
「いや、わしにもわからん。
でも、このままでは、ちょっと悲しすぎんか?」
首を振る青年。
「確かにそうですが、森の仲間たちとぼくたちは、文字通り、住んでる世界が違います。
この違いを乗り越えることは、できないでしょ?」
つい、大きな声になってしまった。
「ありがとう、タロウさん、長老」
下を向きながらマメコちゃんがやって来た。
両手で口を押えるタロウ。
マメコブシガニの娘の後ろに続くイソスジエビのスジコちゃん。
ダボハゼのヨッシーも、ガラス壁の上から降りて来た。
「あー、ごめんなさい!」
両膝をついて謝るタロウ。
「いいの。みんな、最初からわかってたことだから。
キタロウさんだって、はじめから知ってる」
そう言うと、水槽の底につっぷして泣き始めた。
「見ておれん」
長老が目元に手をやりながら、後ろを向いた。
7月28日、火曜日、青木家の山中湖夏合宿の最終日。
空には雲があり、雨の予報だ。
タカシが用意した朝食を食べ終えると、ハコちゃんはいつもの揺り椅子に腰掛け、ベランダの外を眺め始めた。
少しすると、手摺りの左側からスルスルと1匹のアカネズミが歩いてきて、真ん中でちょこんと腰を下ろす。
ハコちゃんが右手を振ると、尻尾を振り返した。
「ネズミ男さん、わしらは、いよいよ、この山の家から海の家に帰らにゃならん。
お世話になった」
長老が深々と頭を下げた。
水槽の一同が、ガラス壁に身を寄せる。
「キタロウさんは、熱は下がったかの?」
小さくうなずくアカネズミ。
「う~ん、まだある。
でも、きっともうじき下がるから、それは安心して?」
下を向くマメコちゃん。
「来年、きっと、いや、必ず、また来ます!」
タロウが右手のハサミを握った。
「ぼくたちがタカシに直訴して、必ず、また来ますから!」
スジコちゃんがタロウの肩を叩いた。
「おっ、そうじゃ!」
大声を出して両手を振り上げる長老。
「キタロウさんは、渡り鳥だから、冬になると南に帰るんじゃろ?」
うなずくネズミ男。
「よし!
じゃあ、わしらの家の場所を教えるから、南に帰る途中で寄ってくれるように、伝えてくれんか?」
湧き上がる大歓声。
小さな左の手のひらを右手で叩くアカネズミ。
「よいか。ネズミ男さん、しっかり伝えてくれよ。
最初はまっすぐまっすぐ東に飛ぶ。
海が目に入り横浜のランドマークタワーが見えたら、南に折れる。
そのまま南に下ると三浦半島の真ん中の武山に着く。
ここは鷹の渡りの目印になっとって、有名じゃ。知らない鳥はおらん。
ここまで来たら、あとはすぐじゃ。
南西に目をやると、海辺の丘の上に1本の給水塔がよーく見える。
そこまで来たら、近くにいるスズメに聞いてくれれば、わしらの家はわかる!」
マメコちゃんの両目が輝いた。
「また、会えるのね!」
大きく首を上下するネズミ。
「ハコちゃん、帰る準備するぞ~?」
東の10畳間で荷物を片付け始めた父親が声を掛けた。
「水槽は、最後よね?」
振り返る娘。
「少ない水で、家までもってくれるといいんだけどな、、、」
「大丈夫! みんな元気で海の家に帰れる!」
笑い出すタカシ。
「わかった。ハコちゃんがそう言うなら、そうだろう!」
台所にいるコズエさんがうなずいた。(おわり)




