第51話 恋の初球ストライク!
「マメコちゃん、元気ないのう?」
水槽ご一行の山中湖夏合宿、第3日目の月曜日、午前10時。
タカシが撒いてくれたオキアミの欠片をカニの長老が拾って、マメコブシガニの娘に持ってきてくれたけれど、首を振る。
「食欲、ないの」
つぶやいた声が小さい。
心配して集まる磯の仲間たち。
「失恋でも、したかの?」
顔を真っ赤にして怒るイソスジエビのスジコちゃん。
「全く、デリカシーってものがないのね! この人は!」
タロウが右手を挙げて、間に入った。
「ぼくの見立てでは、恋の病ですね?
フォールインラブですよ」
「ホールインワン、かの?」
スジコちゃんが、長老の肩を思い切りドツく。
首を振るマメコ。
「いいの。ホールインワン、なの。
キタロウさんに、ホールインワンなの」
つぶやく声が痛々しい。
「恋の初球ストライク、か」
ダボハゼのヨッシーが慰める。
「いや、先頭打者ホームラン、かぁ?」
今度は、ヨッシーの肩をドツくスジコちゃん。
「ここの男らは、本当にガサツなんだから!」
タロウが代表して頭を下げる。
「いわゆる『ロミオとジュリエット』、じゃな?」
腕を組んだままうなずく一同。
「ハコちゃん、そこでイイの?」
キッチンからコズエさんが声を掛けた。
ハコちゃんは、お気に入りの揺り椅子をベランダの手前まで持ってきて、足で揺らしながら外を眺めている。
「うん。
森を見てるのが、楽しいの」
振り返る頬が明るい。
「じゃあ、紅茶とクッキー、脇台に置いとくわよ?」
茶色く塗られた木製の脇台は四角い小机のように見えるけれど、下半分に踏み台の足が隠されていて、引き出すとちょっとした踏み台になる便利な台だ。
お盆の上のお皿の中には、木の葉の形をしたクッキーが数枚載っている。
実は、ハコちゃんの本名は葉子というけれど、保育園のときに友達から「ハコちゃん」と呼ばれて以来、自分でもそう呼ぶようになっていたのだった。
母親はお盆ごと娘のおやつを置くと、自分はソファに腰を下ろして、住宅雑誌の丸太小屋特集号のページを開いた。
「薪ストーブ、素敵よね?」
向かいのソファに腰を下ろした夫がつぶやく。
「意外に、ビミョー。
確かに、管理事務所にある薪ストーブの火を見てると、心が落ち着くよな。
炎の揺らぎが、心のささくれをしっとり滑らかにしてくれる。
キズが癒やされる感じ」
「そうなの?
原始的なものが、ヒトの中にある原始的な部分を直してくれるのね」
そう言って紅茶を一口すする。
「でもね、真冬に来たとき、薪から火起こしして部屋が暖かくなるまで、どんだけ手間と時間がかかるか。
それと毎年の煙突掃除。
それを考えるとね、結論は、この灯油ストーブ」
そう言って、リビングの真ん中に置かれた大型ストーブに目をやった。
「理想と現実の違い、ね?」
クッキーをかじりながら夫が苦笑いした。
「両方置くという手もある」
口からクッキーの粉が落ちないように、左手で押さえながら妻が笑った。
ベランダに、昨日のアカネズミがやって来た。
手摺りの上を左から歩いてくると、手摺りの真ん中、水槽の真正面にちょこなんと座る。
「やあ、ネズミ男さん!」
タロウが右手を挙げた。
「キタロウさんは、来ないんですか?」
うつむいていたマメコちゃんの顔がガバッと起きる。
「キタロウくんはね、ビョーキ」
「ええっ?」
水槽のガラス壁に顔を寄せる一同。
「どこぞ、具合が悪いんかの?」
代表して長老が質問。
手摺りの上で腕を組むアカネズミ。
「熱があって、うわごとのようにマメコちゃんの名前を呼んでる」
「ええー!」
驚く一同の後ろで、マメコちゃんが立ち上がった。
「あたし、お見舞いに行きます!」
「タロさん、肩、大丈夫かの?」
右肩をぐるぐる回している青年に、老人が声をかけた。
「多分、ちょっと筋を痛めただけです。
もう1回ガラスの天井を持ち上げるくらいなら、できますよ」
そう言って笑ったけれど、口角が上がりきらない。
「ま、あまり無理せんように、な?」
うなずく青年。
「マメコちゃん、いつでもOKです!」
元気に声をかけると、手摺りからも元気な声が返ってきた。
「マメコちゃん、おれの背中に乗りなよ。
キタロウくんのねぐらまで、ひとっ走りさ」
うなずく一同を背に、タロウが、また水槽のガラス天井を持ち上げにかかった。
ティーカップを脇台に置いたハコちゃんが、小さく手を叩いた。(つづく)




