第49話 海の生き物と山の生き物
「ぼくたちは、自然の中で、時に厳しい季節の変化と共に暮らしています。
餌を自分で探せなければ、明日、生きることができません。
皆さんのような、嵐のない温かな水槽の中で過ごしているのとは、ワケが違います」
7月25日、土曜日の午後。
山中湖にある青木山荘のベランダの手摺りの上に止まったキビタキが、2、3度羽根をバタつかせたあと、胸を張って言った。
その声を聞きつけたのか、西側の森の中から野ねずみが1匹やってきた。
野ねずみは家ねずみと違って、体が小さく、ハムスターのように可愛い。
体長も尾の長さも10センチ程。背中が赤茶色でお腹が白いアカネズミだ。
手摺りの上をスルスル歩くと、キビタキの右側に腰を下ろした。
「いよっ、こんちは。
おやっ? 初めて見る顔だな!」
キビタキの目の先に水槽があることに気づいたネズミが、目を丸くした。
「こんな奴らは、森にはいねぇなぁ」
その声に、ダボハゼのヨッシーが頬を膨らませた。
「こんな奴らで悪かったな。
確かに、森に来たのは初めてだ。
だけどよ、ちったぁ歓迎してくれてもバチが当たらねぇんじゃねぇの?
別に、森を荒らしに来たんじゃねぇんだからさぁ」
カニのタロウがヨッシーの右側から顔を出した。
「ぼくたちは、三浦半島の深井という海抜4メートルの海辺の町からやってきました。
標高1,057メートルの山中湖の森は初めてです。
緑が豊かで、とてもイイ所だと思いました。
皆さんと会えたのも、何かの縁だと思います。
いろいろ教えてください。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げると、後ろにいる一同も、とりあえず頭を下げた。
「まぁ、そう言うならよぉ……」
ネズミが胸を張った。
「じゃあ、皆、並んでくれんかの?」
石にくっついている銀太くんと銀子ちゃんを除き、水槽の一同が横に並び、自己紹介をした。
「あなた方のお名前は?」
あらためて、長老が聞く。
胸を張る鳥。
「キビタキのキタロウです」
「おれは、ネズミ男」
そう言うと、尾の先で鼻の脇の髭をなすった。
「お母さん、大変! ちょっと来て!」
リビングの内側からベランダを眺めていたハコちゃんが、押し殺した声で台所の母親に声を掛けた。
「今、食器の数の確認をしてる最中なの~。
少しだけ、待ってくれる~?」
この山荘の中で重大事件が起きるはずもなく、コズエさんは至ってマイペースだ。
諦めたハコちゃんは、ベランダで起きている一大事件を邪魔しないように、揺り椅子を静かに引いてくると、そこに腰を下ろした。
そして、音を立てないように、両足でゆっくりと体を揺らし始める。
「森の中は、楽しいですか?」
タロウが聞いた。
アカネズミが尾を振る。
「楽しい?
おれは、楽しいって思ったことは、ほぼ、ねぇな。
1度だけ、ヒメネズミの姫子ちゃんと会ったときが、楽しかったな。
でもよ、禁断の恋でさ」
隣りのキビタキが慰めた。
「ぼくたちも、そうですが、種の違いというのが歴然とあって、種を超えた結婚はできません」
水槽の中から長老がうなずいた。
「インドのカースト制度のようなもんじゃな?」
脇から笑い出すヨッシー。
「長老、何言ってんだか。
おれたちだって、種を超えた結婚はできねぇじゃねぇか?」
うつむく老人。
「でもよ、こうして、狭いながらも同じ水槽の中で暮らしていると気心も知れて、それなりに楽しいものさ」
そう言ってスジコちゃんの顔を見ると、黙ってうなずく女子。
「皆さんは、どうなの?」
言われて、顔を見合わせる手摺りの上の2人。
「ぼくたちは、毎日食べないといけない。
これから秋にかけてたくさん食べて、体を大きくします。
食べ物のない冬に備えるためですね。
中には冬を越せない仲間もいます。
春の来ることがどれほど待ち遠しいことか、皆さんにはわからないでしょう」
そう言うと、寂しそうに笑った。
「ぼくたちの水槽の中には嵐はありませんが、皆さんが住んでいる森には嵐が来ますね?
水槽の中の温度は20度位で一定してますが、山中湖は真夏の30度から真冬のマイナス15度まで変わる。
ぼくたちのいる世界と皆さんのいる世界は、あまりにも違いすぎます」
タロウが静かに言った。
「水槽から出たいと思ったことは、ないんですか?」
キビタキの質問に、すかさずタロウが答える。
「あります! 出ました!
でも、また戻されちゃった。
いつか出たいと思う反面、この水槽の人たちと離れることにためらいがあるのも事実です。
ぼくたち、家族なんです」
長老がタロウの肩を、2、3度叩いた。
「皆さんは、森から出ようと考えたことは、ないんですか?」
再び顔を見合わせる2人。
「森を出る?
おれたちは、森を出たら生きていけない。
おめぇさんたちが、水から出て生きていけないように、おれたちは森から出ては生きていけない。
コンクリートと排気ガスの世界は、ご免だな。
ここで暮らすしかねぇんだ、きっと」
すかさず、スジコちゃん膝を叩いた。
「今、自分がいるところで精一杯生きる、ってことですね?」
カラカラカラ……。
水槽の揚水ポンプの乾いた音が続く。
「ハコちゃん、起きなさい。
おやつよ!」
母親が背中から叫ぶ声で、娘の目が開いた。
揺り椅子に座り、自分で自分を揺すっている間に、寝てしまったのだ。
ベランダを見ると、手摺りの上に動物たちの姿はなかった。
両目をこする。
森の中から鳥の声が聞こえた。
木々の梢の先の葉が揺れ、空の青さが少し薄くなったように見える。
周囲が森の木々に囲まれているから、太陽が西に傾くと日陰になるのが早いのだった。
振り返ると、リビングテーブルの上にティーカップが3つと鎌倉の「鳩サブレー」の山があり、父親と母親が両側のソファに腰掛けている。
「お父さん、お母さん!
ベランダに森の生き物たちが来て、水槽の仲間たちと、話し合いをしてたの!」
笑い出す両親。
「ぐっすり、寝れたんだね?」
タカシが鳩サブレーを1つ取ると、ゆっくり袋を破った。
「もう! ホントだったんだから!
ねぇ? お母さん!」
「美味しい紅茶よ」
母親も笑っている。
ハコちゃんがベランダを振り返ると、さっきいたキビタキがもう一度やって来て、目を合わせただけでサッと飛び去って行った。(つづく)




