第48話 あなたを待つの? テニスコート
「おおっ、テニスボールの音がするの?」
カニの長老がベランダに置かれた水槽のガラス壁に身を寄せてつぶやいた。
スコーン、スコーン、スコーン……。
南側の20〜30メートル下に建つ山荘の向こうにテニスコートがあるのはわかっているけれど、間に木々の緑があって見えず、音だけが聞こえる。
「腕が鳴るわ!」
イソスジエビのスジコちゃんが長老の後ろから外を眺めた。
上を見上げると、空間のほとんどが緑の葉と茶色の枝で、夏空はその隙間からわずかにのぞくだけだ。
ダボハゼのヨッシーが水面から鼻を出して、外の空気を吸った。
「おれにはちょっと潮味が足りねえが、新鮮で美味いことは美味い」
長老が解説した。
「外の酸素が美味いから、さんそ・う〔山荘〕って、か?」
ズッコける一同。
スコーン、スコーン、スコーン……。
ベランダの手摺りに小鳥がやってきて水槽の中を覗き込み、小首を傾げた。
のどから胸にかけてのオレンジ色と黄色が鮮やかだ。
「キビタキ、じゃの?」
「可愛いですね〜」
カニのタロウが後からやって来て嬉しそうに言ったら、振り返った長老に叱られた。
「何言うとるんじゃ!
わしらを喰おうとしとるんじゃぞ?」
のけぞるタロウ。
「そんな、獰猛な子には見えませんけど?」
右手のハサミを振り上げる老人。
「おぬし、人生経験が足らんの?
可愛い顔した女子ほど、実は恐ろしいもんなんじゃ」
頬を膨らますスジコちゃん。
頭をかく長老。
「いずれにせよ、鳥は恐竜の末裔じゃぞ。
こいつが、あのティラノザウルスのひ孫のひ孫かもしれん」
笑いだすヨッシー。
「ひ孫のひ孫は良かったなぁ!
だいたい、鳥はよ、6,600万年前の大量絶滅を生き伸びた羽毛恐竜の子孫でよ、絶滅しちゃったティラノザウルスの子孫じゃねぇぜ?
とは言っても、こんな可愛い小鳥も、磯で暴れてるトンビと変わりぁしねぇ。
しょせん、弱肉強食の世界の殺し屋のひとりさ」
タロウが首を傾げた。
「こんな静かな、平和な森の中が、ですか?」
スコーン、スコーン、スコーン……。
長老がうなずいた。
「考えてもみぃ。
わしらはタカシが毎日オキアミをくれるから、なんもせんでも生きていけるが、この森の生き物は、自分で食べ物を取らにゃあならん。
大雨の降る日は空きっ腹を抱えて、雨に打たれるだけじゃ。
雪が積もれば、鹿の親子だって木の皮を食うしかなかろう」
うなずくスジコちゃん。
「1日の大半を食べ物を探すために使ってるのね?
生きるために食べなきゃならない。
そして、子孫を残す。
その子孫が、生きるために食べて、また子孫を残す。
その繰り返しね?」
右手に顎をのせるタロウ。
「ぼくたちのように、人生について考えたり、議論したりしない?」
うなずく長老。
「自然の生き物は、皆そうじゃ。
生きる目的など、考えない。
考えるヒマがないんじゃ。
かの、イエス・キリストも言うた。
『野の花や鳥は明日を思い悩まない。人も明日を思い悩むな』と。
しかしの、人というものは生きること自体に疑問を抱いたりするし、その結果、夢や目的を持ったりもするもんじゃ。
『To be or not to be, that is the question.〔「このままで良いのか、そうでないのか、それが問題だ」ハムレット〕』じゃよ。
人は皆、ハムレット!」
スコーン、スコーン、スココーン。
手摺りの上の小鳥が、にっこり笑って口を挟んだ。
「ぼくたちだって恋をするし、一生懸命子育てをするよ?
でも、人間みたいに、虐待なんかしないし、戦争もしない。
面白がって遊ぶために魚を殺したりしない。
獰猛なのは、人間の方じゃないの?」
黙って腕を組んだままの水槽の一同。(つづく)




