第43話 山中湖で震度5弱?
「おーい、出るぞー」
7月4日の土曜日、8時45分。梅雨の最中にもかかわらず、幸い降ってはいない。
自宅カーポートで暖機運転中のスバル・レガシィの運転席から、玄関に向かってタカシが声をかけた。
後部座席を前倒ししたレガシィの荷室には、M100号のCG作品を入れた段ボール箱〔1.7メートル×1メートル〕が積まれている。
この畳1枚に匹敵する作品を積むと車には2人しか乗れなくなるから、助手席に座るのは制作者のシゲルだ。
大学生のシゲルがメンバーになっている未来美術家協会の本展が6月に無事に終わり、深井町の自宅自室にとりあえず保管していた大型作品を、保管庫になっている山中湖の山荘に運搬する日がきたのだった。
シゲルが通う青海学院大学の夏休みは7月下旬からで、期末試験がこれからというタイミングだ。
三浦半島の深井町は相模湾の南東にあるので、山中湖に行くコースとしては、相模湾を左に見ながら反時計回りに、横須賀の西海岸から始まって、葉山、逗子、鎌倉、藤沢、茅ケ崎、平塚、大磯、二宮と、ひたすら湘南海岸〔国道134号線〕を走る。
西湘バイパスに乗ったら更に西に走り、小田原の手前の国府津ランプで降りると北上し、松田町で「246」〔国道246号線〕に合流して西進。
静岡県小山町の菅沼交差点を右折して静岡県道151号線に乗り、須走を右折すると北に向かった上り坂となり、籠坂峠〔標高1,104m〕を越えた先が山中湖〔985m〕だ。
走行距離114km。
夜なら走行時間2時間半のところ、土曜日の午前中となると、3時間半が標準タイムとなる。
観光客が多い湘南の海側道路を走るのだから、特に、鎌倉の材木座や七里ヶ浜のあたりは上下線とも渋滞するのが通例だ。
特にニュースでかまびすしいのが江ノ電の「鎌倉高校前駅」周辺で、「スラムダンク」の聖地として、一年中、写真を撮ったり海を眺めたりする観光客が絶えない。
「この交差点の信号の名前がさ、『鎌倉高校駅前』なんだ。オカシイだろ?」
「?」
助手席で首を左に傾けるシゲル。
「だってさ。駅名が『鎌倉高校前駅』なんだから、その前の交差点ならさ、『鎌倉高校前駅前』が正しいだろ?」
父親は、そんなことを考えながら運転していたのか?
シゲルは、笑いながら、海の上に漂う黒ゴマのようなサーファーたちの姿を見ていた。
江の島までちょうど1時間。
梅雨の曇天が幸いしたのか、いつもより車の量が少なく、鎌倉付近を早めに抜けられた。
あとは、ひたすら走るだけだ。
246に乗ってすぐのコンビニでトイレ休憩。自宅を出発後ここまで2時間位なので、腰伸ばしにちょうどいい。
トイレを借り、お礼にアイスとかトリカラとか多少の買い物をし、食べながらの5分休憩。
「運転免許は、取るのか?」
トリカラをかじる保護者の質問に、ガリガリ君をかじりながら長男が答える。
「うん、就活が忙しくなる前か、逆に、内定もらってからか、どっちか迷ってる」
「合宿で取ればさ、2週間とかそんなもんさ。
就活が済んだ後の夏休みがベストじゃないの?」
「そうかもね、、、」
息子がどんな方向に就職したいのか、聞きたいけれど、遠慮がある。
希望してもそのとおり就職できないことが多いからだ。
最終的には、決まったところがベストだったと、そう励ますしかないことも分かっている。
妻のコズエさんには細かな話もしているようだけれど、父親には直接は話しにくいのかもしれない。
246、松田町のコンビニから山中湖までは1時間弱。
ここからの所要時間と走行距離は、小山町から三国峠〔960m〕を越えるコースを選択することで10km弱、10分ほど縮めることができるけれど、籠坂峠よりもカーブが多く勾配のキツ坂がある難コースのため、よほど急いでいる時以外は通らないことにしていた。
2000cc、260馬力の水平対向エンジンが、扁平率45%の4輪をグイグイ回す。
その水平対向エンジンの車を作っているのは、世界中でポルシェとスバルだけだ。
ビルシュタインの硬めのショックアブソーバーが曲がる時の車体の沈み込みを押さえてくれるから、カーブで体が振られることがない。
「ハンドル、MOMOじゃん?」
「そうなんだよ。こいつ、スポーツカーなんだよ」
ステアリングの所々が盛り上がっていて、とても握りやすい。
菅沼交差点からの快適な登山走行30分。11時48分、ちょうど3時間で湖畔に着いた。
「土曜の午前中で3時間は、速かったな」
ほっとしたタカシの声。
オートバイの群れ、大型バスの車列。
「岡崎、名古屋、仙台、所沢、松戸、、、」
タカシが、行き交う車の出身地を読む。
山中湖は湖畔全周の駐車場が無料だから、車で来ても停めやすい。さすがに、この大量の駐車場が満車になったというのは聞いたことがなかった。
「昼飯、何食べたい?」
道路左側の湖上のSUP〔Stand Up Paddleboard〕の集団を眺めながら、シゲルがつぶやく。
「うーん、何でもいいよ?」
「ちょっと小洒落たお店ならいくつかあるけど、まあ、男同士だから、『どさん娘』ラーメンかな?」
ちょうど12時。混む前に着いたけれど、入口で、出てくる中国人の一団と入れ違った。
店が混む前に食事を済ませるとは、旅慣れた人たちだ。
「おれは、みそラーメン」
「じゃあ、ぼくはネギ・ラーメン」
カウンターの角に並んで座ってから注文する。
高齢のご夫婦が切り盛りしている店だけれど、繁忙期には、娘さんと思われる女性が注文とりと配膳を手伝っていた。
2人の後に、続けて半ズボンとTシャツ姿の学生風の一団が入って来る。
早い大学は、もう夏休みだろうか。
座敷もあるし、テーブルは何卓もあり、ラーメン店にしては中が広い。
壁に掛かったテレビが野球の生中継をやっていて、見ると大谷翔平が投げている。
5回表で2点取られていて、さらに打たれていた。
「大谷も、ヒトだな」
父親がつぶやくのを笑いながらきく息子。
「あー、美味しかった。
ご馳走様」
父親だけれど、一応、お礼を言うシゲル。
「まあ、ハズレはないから、ここで食べることが多いのさ」
ここから山荘までは15分。
湖畔のマリモ通りを反時計周りに走り、「ママの森」を抜けて、山中湖親水公園の駐車場から右折した先の南斜面全体が三美ヶ丘別荘地だ。
山荘利用者限定のパス・ゲートを抜け森の中に入ると、道路脇に鹿が1頭立ちどまっていた。
普通は4~5頭の家族でいることが多いけれど、近くには家族がいない。たまたま遅れたのか。
「ここの鹿は、車を怖がることがないんだ」
うなずくシゲル。
車が自分たちを襲うことがないことを、体験的に知っているからだろうか。
目が合うと、向こうも困ったような顔をしている。
そのままゆっくり脇を通りすぎ、テニスコートを曲がった先、標高1,057メートルの標識の脇に青木家の山荘があった。
岩手杉で建てられた平屋。杉の丸太に支えられた大きな屋根付きのベランダが特徴だ。
上り坂からバックで玄関前のアプローチに車を入れると、タカシがつぶやいた。
「震度5弱の地震と停電があったから、ちょっと心配したけど、まあ、大丈夫そうだな?」
ベランダの柱が歪むなど、山荘の外観には特別な変化が見られなかった。
シゲルがM100号の段ボール箱を両手で抱え、タカシが玄関の鍵を開ける。
入ると、リビングのソファの脇のテーブルの上から30インチの液晶テレビがソファに頭から倒れ落ち、本棚の本が数冊バラまかれ、お掃除ロボットのルンバ君が2台ともリビングの中で止まったままでいた。
「まあ、この程度は、仕方ない」
もっとひどい乱雑さを想定していたのか、世帯主の声は明るかった。(つづく)




