第38話 フランスの展覧会で200万!
「シゲルく~ん、ヘルプ!」
ドアの外から顔をのぞかせたのは、大先輩、昭和生まれの江戸川さんだ。
5月30日の土曜日、午前11時。
東京都港区六本木にある国立新美術館、1階展示室の主催者用事務室。
27日から開催されている未来美術家協会の第82回展に、日替わり当番で詰めている青木シゲルに声がかかった。
シゲルは文学部の現役学生だから、英会話は多少の心得がある。
「ごめん、英語で、何言ってるかわからないのよ!」
困った顔の江戸川さんの隣りに、これも困った顔をした外国人の女性が立っている。
「はい!」
元気に返事をして席を立った。
「(英語)こんにちは。どのような御用ですか?」
「(英語)あの方たちは、絵のバイヤー〔買取人〕たちですか?」
指さす方に目をやると、少し遠くの絵の前で、中部・関西方面への巡回展に出す作品の最終チェックをしている展覧会部の先輩たちの姿があった。
「(英語)いえ、あれは、ここのスタッフが作品のチェックをしているだけです」
「(英語)わかりました。
わたしは、作品のバイヤーをしています。
作品を購入したい場合は、どうしたら良いですか?」
「(英語)あなたの連絡先、メールアドレスか電話番号を教えてください。
わたしたちからその作者に、あなたの連絡先を教えますので、作者からの連絡を待ってください。
でも、必ず連絡があるとは限りませんが、それでもよろしいですか?」
「(英語)わかりました」
うなずくと、シゲルに名刺をくれた。
アメリカ、ニューヨークの画商で、メールアドレスと電話番号が書かれている。
「(英語)どの作品がお気に召したか、教えてください」
うなずくと、タカシを第8室に導いた。
その展示室には、会のベテランで実力のある中堅どころの先輩の絵がたくさん掛かっている。
「(英語)どうも、有難う!」
「(英語)こちらこそ。この後も、作品鑑賞を楽しんでください!」
互いに手を振り合う姿に、江戸川さんが質問した。
「何だったの?」
「ニューヨークの画商でした。
藤さんのM100号〔横1620mm×縦970mm〕の作品が気に入られたようで、名刺を預かりました」
「まあ!」
手にした名刺をしげしげと見た。
未来美術家協会は全国1の美術展会場・国立新美術館で、毎年、平面(絵画・版画・CG)、立体、工芸、写真の4部門からなる展覧会を開催している。
2週間ある会期最初の週末。今日1日だけで2,000人を超える観覧者が見込まれていた。
会員・準会員・会友あわせて400人の作品に、一般出品からの選考通過作を加え、総数500点が展示されている。
日本へのインバウンドが右肩上がりの中、美術館に足を運ぶ外国人の数も増えているけれど、出品者の中にも、海外から出品してくる人が増えつつあり、国際色も豊かになってきていた。
日本人メンバーの多くは美術系大学の卒業生だけれど、中にはシゲルのように専門的な美術教育を受けておらず、たまたま制作した作品が評価されて、少しずつ階段を上がるように会の中での役割が大きくなっていく者もいる。
藤さんも、そうした作家の1人だった。
大学は法学部で、大阪の市役所の職員をしていた。
「ご苦労様!」
右手を上げながら事務室に入ってきたのは、藤さんその人だった。
「まあ、お菓子!」
差し入れの菓子箱を江戸川さんがうやうやしく受け取ると、さっそくシゲルが報告した。
「藤さん、ニューヨークの画商から名刺を預かりました」
「またか、、、」
立ったまま名刺の表と裏を見る。
「このあいだも、別の画商から話があって作品を出したし、美術評論家の上野さんからも出してくれって言われてフランスの展覧会に出品したんだ。
そしたら、優秀賞になっちゃって、200万円で売れた」
のけぞるシゲルと江戸川さん。
「すごいですね!」
「うん、自分でもよくわからない」
藤さんの絵は厚塗りの油絵で、色彩がとても鮮やか。F8号〔横455mm×縦380mm〕やF10号〔横530mm×縦455mm〕の花の作品でも、見ていると元気をもらえるような力がある。
「藤さんの作品は、最初からあのようなマチエール〔絵の表情〕なんですか?」
シゲルが興味津々に聞く。
「そう。なんとなく自分が気に入る画面をつくってたら、ああなった」
歴史的な作品研究やマーケティングから導きだされた画面ではなく、本人の精神的内奥から立ち上がってきた画面なのだ。
ある意味、天才的といっていいのだろう。
かたや、美大を出て長年専門的に絵を描いているからといって、作品が売れるわけではないのが現実だ。
多くのメンバーは、自己実現と社会的アピールのために描いているといえる。
「シゲルくん、いますか?」
今度は、若い女性が顔をのぞかせた。
「ああ、小春さん!」
満面笑顔のシゲル。
「まあ、お安くないわね?」
江戸川さんがシゲルの脇腹をつついた。
「遅くなって、ごめん、ごめん」
生の身長173センチがヒール7センチのサンダルを履いているから、目立つことこの上ない。
「ぼくのヨット仲間で、林さん」
頬を赤くして、室内の2人に紹介した。
「林小春といいます」
45度腰を曲げて挨拶した。
「ゆっくり行ってらっしゃい!」
江戸川さんが片目をつぶって言うと、シゲルがへこりと頭を下げる。
「じゃあ、ちょっと失礼します」
そう言うと2人を残して、自分が制作したM100号のCG作品が掛かった第3室に彼女を案内していった。(つづく)




