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第23話 サックス練習の動機?

「プ~ウ~ウ~ウ~、プ~ウ~ウ~ウ~」〔ロングトーンの練習〕


 立春を過ぎた土曜の午後、青木家のシャッターが降りた2階の窓から、いつものテナーサックスの音色が聞こえてきた。

 ご近所の元大学教授の下原(しもはら)さんと海上防衛隊OBの松崎さんが立ち話をしている。

「青木さん、続いてますねぇ?」

 チョビ髭の下原さんが指で顎をなすりながら、シャッターを下ろした2階の窓を見上げた。

「春なんですかねぇ?」

 節分の前から、とても暖かい日々が続いている。この冬は、とうとう雪が降らなかった。

「はぁ?」

 下原さんが松崎さんに聞き返す。

「いえ」

 松崎さんが照れながら説明した。

「なんでもね、いえ、青木さんご本人の口から出たことですよ。

 奥様のコズエさんには内緒ですよ?」

「大丈夫です。ぼくは口が固いです。頭も固いですが、アハハ」

 上を向いて笑うと、右の奥の金歯が見える。

 周りを見回してから、松崎さんが小さな声で続けた。

「なんでも、青木さんが通っている横須賀の鳥村楽器店のサックス教室の先生がね、若いらしいんですよ」

「ほほう?」

 顔を近づける下原さん。

「音大を卒業したばかりだそうですから、22、23というところでしょう。

 青木さんとこのお嬢さんのみどりさんより若いですよ。

 で、その先生と、狭いレッスン室で2人きりになるんだそうですよ」

 目をみはる下原さん。

「それは、それは」

「でね。青木さんが練習してきた課題曲を吹くでしょ?

 間違えるわけですよ。

 すると先生が近寄ってきて、隣りで、『こうです』って、吹くんだそうですよ」


「プッ、プッ、プッ、プッ」〔タンギングの練習〕


「それは、辞められなくなりますよね?」

 うなずく下原さん。

「やっぱり、そう思いますか?」

 慌てて訂正する下原さん。

「いえ、青木さんに限って、そんなことは、ありません。

 役場の方ですからね。お堅いお仕事ですから。そんな、不謹慎な。めっそうもない」

「そうですよね?」

 そう言いながら、松崎さんは笑っている。

「でも、なんでも、8月に全国のレッスン生たちが集まって発表する会があるそうですよ。

 なんと、会場が、サントリーホール!」

 のけぞる下原さん。

「えええっ、サントリーホールですか?

 ぼくも何度か行きましたよ。

 以前、アルゲリッチさんのピアノリサイタルの時でしたか、開演前に右手の2階席がザワザワってして、拍手が湧き上がった。

 なんだろうって見たら、両陛下、今の上皇と上皇后陛下ですよ。周りの人がスタンディング・オベーション。

 お好きなんですね。お2人で聴きに来たんですね。

 その、サントリーホールですか?」

 頭をかく松崎さん。

「その、サントリーホールの、小ホール」

「なーんだ!」

 肩を揺する下原先生。

「でも、小ホールっていったって、普通の人が立てる場所じゃありませんよ?」

「あ、そりゃそうだ」

 頭を上下する先生。

「そうか。そうした目標ができると、人は努力するもんなんだな」


「プーープーー、プーププ、プープー」〔Aメロの練習〕


「おおっ、オーバー・ザ・レテンボー、ですか?」

 2人して2階を見上げる。

「8月の発表会の曲だそうですよ」

「今からねぇ、、、」

「意外に、せっかちな人なんだそうですよ、青木さんは」

「備えあれば憂いなし、か」

「わたしらも、何か『備え』がいるかもしれませんね?」

「何の?」

「老後の!」

「今からですか?」

 松崎さんが胸を張った。

「人生150年。

 なんでも、毒ダー・中松さんが言うことには、ヒトはもともそれ位は生きれるもんなんだそうですよ。

 ストレスのせいで、途中で死んじゃうらしい」

 うなずく下原さん。

「ああやって、本人はストレスを発散してるわけですね? 150年に向けて」

 応じる松崎さん。

「そして、それを聞かされているわれわれはストレスを感じている、と」

 2人して目を見交わして笑った。


「プーープーー、プーープーー」〔Bメロの最後〕

 タカシの練習は続く。(終わり)

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